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御法度。

春麗の笑撃映像大集合!

作者: 御法 度


 夕飯の後、妻と娘は仲良くソファに並んで、録画してあったテレビ番組を観始めた。俺も後ろのキッチンで、洗い物をしながら観ることにする。


 東京郊外のマンションの一室。何気ない、日常の1ページだ。


『春麗の笑撃映像大集合〜!』


 軽薄なファンファーレとド派手なロゴタイトルが番組の開始を告げる。だが、水の音で少し聞こえにくい。


「おい。音を上げてくれないか」

「ち、めんどくさい」


 妻は舌打ちしながら、リモコンを手に取った。子供ができて急に態度がでかくなったと思ったら、今ではこのザマだ。花も恥じらう乙女はどこへ行ったんだか。


『まずはこちらから』


 画面が切り替わり、監視カメラの映像が現れる。


『大きな交差点のコンビニ。若い男性がひとり立ち読みをしています……』


 なんだ、この手の番組によくあるやつか。すると予想通り、画面の隅からトラックが現れ、店に突っ込んだ。ガラスの割れるけたたましい音。立ち読みの兄ちゃんは慌てた様子で飛び退き、画面から消える。


 本人は必死だったのだろうが、それはひどく笑いを誘う、こっけいな動きになってしまっていた。


「ぎゃははは! 神回避!」


 娘が下品な笑い声をあげる。誰に似たのか、言葉遣いが乱れていていけない。俺は密かにため息をついた。


『お次は駅のホーム……』


 またも監視カメラの映像らしい。電車を待つ、ベビーカーを押した母親。彼女はスマホの操作に気を取られて、ベビーカーがホームに落ちたのに気がつかない!


 そこへ電車が入ってくる。


「きゃあ!」

「うわ、ひどい」


 流石に母性本能があるのか、二人とも先ほどのようには騒がない。だがその声は緊張感に欠けていた。どうせ助かるに決まっているから。


 案の定、赤ん坊は無事だった。電車の下から這い出してきたのだ。ばあ。


「すごーい。かわいいねー」

「あんたもね、昔頭を怪我したことがあるんだよ」

「えー、そうなのー?」


 そうだとも。懐かしいな。2歳の時か。頭をぶつけて血が出た。慌てて救急車を呼んだが、病院に着く頃にはもう血は止まっていて、ケロっとしたものだった。


 あの頃は天使のように可愛かった……。今は豚より肥えている。


 今度は、ビデオカメラで撮った映像だ。写っている人物の顔つきからして、東南アジア系の国のようだ。


『川に落ちたボールを拾おうとした少年。しかし……』


 桜のような花が満開に咲いている。川面には花筏があって、そこにボールが浮かんでいた。


 川岸から竿でボールを引き寄せようとした少年は、滑って盛大に転んでしまった。水しぶきが上がる。


「あははは! ばかすぎでしょ!」

「ちょっと。かわいそうよ」


 そう言いながらも妻は、肩を揺らして笑っている。まったく、こいつらには、こう、他人を思いやるって気持ちがないのか。


 とはいえ、俺も吹き出してしまったんだけどな。所詮は他人事だ。


『お次は今の季節にふさわしい、お花見の様子!』


 ホームビデオだろうか。花見のシーンが映っている。レジャーシートを広げて、桜餅など食っているようだ。夕飯はさっき済ませたところだが、また食欲が湧いてきた。


 と、父親が急に苦しみ出した。


『どうやら餅を喉に詰まらせてしまったようです』


「うひひ、ばかじゃないの?」

「ほんとよね。旦那は頼りにならないわ」

「おーい、聞こえてるぞー」


 食器洗浄機のスイッチを入れて、おどけた言葉を投げかける。リビングはあたたかい笑いに包まれた。なんだかんだ言っても、俺はこの空間が好きだ。


 だがその時、ほんの少し変な感じがした。なんだろう。普段は当たり前のようにあって意識しないものが、無くなっているような……。


「パパ。なにボーっとしてるの? 洗い物終わったならこっち来たらいいじゃん」


 少し前からCMに入っていたらしい。家電のリコールのお知らせだ。「おお、そうだな」俺は手を拭いて、キッチンを出た。


 ソファのところで、二人が倒れていた。


 え。


「おい、どうしたんだ……」


 呼びかけるが、返事をしない。死にかけの猫みたいにグッタリしている。よく見れば、二人とも白目を向いていた。


「おい! 大丈夫か!」


『弊社の食器洗浄機の一部の型では、有毒ガスが発生する事象が報告されており――』


 リコールCMの音声が不意に耳を衝く。はっと俺は振り返り、びー、と音を立てる食器洗浄機を見る。これ、メーカーどこだっけ。まさか。そんな。


「きゅ、救急車」


 そうだ。娘の怪我の時だって、なんとかなった。まずは救急車を……。


 電話に飛びついた時、しかし、俺はあり得ないものを耳にした。それは背後で響く忍笑いだった。


「くくく……」

「ぶふっ。もうダメ」


 は、嵌められた! 振り向くと、妻と娘は大爆笑を始めた。


「お、お前らなあ!」

「ごめんなさい、あなた」

「パパ必死すぎ! でもありがとね」


 お腹に手を当て肩を震わせながら、二人は息も絶え絶えといった様子だった。くそ、こっちの気も知らないで! 娘がわざわざ俺に声をかけたのも、この罠に陥れるためだったのだ。


「有毒ガスなんて、真に受けちゃって」

「ねえ、今のドッキリ、テレビのにも負けてなかったよね」

「ああもう、うるさい! 早く続きを観るぞ」


 CMは終わり、再び番組に戻っていた。まだ頰が熱いが、まあ、何もなくて良かった。


 ……何も、なくて?


 俺は、さっき感じた違和感の原因に気付いた。急に熱が引いていく。


 それはこの番組だった。あるものが、欠けている。


「あれ? これさっきもやった映像だよね」


 娘が首を傾げた通り、映っている映像は、最初に見たコンビニのものだった。


『大きな交差点のコンビニ。若い男性がひとり立ち読みをしています……』


 突如として乱入する車体。逃げる男性。だがそのコミカルな挙動を見ても、今度は誰も笑わなかった。


「え。なに……」


 先ほどと違い、映像は切り替わらない。ぐちゃぐちゃに乱れた本棚。停止したトラック。画面から見切れて、屋根だけが映し出されている。それがゆっくりと、バックを始めた。傾斜になっていたのかもしれない。


 現れたフロントガラスは、全体が赤黒い色で染められていた。ボロきれが張り付いている。


『死んでしまいました』


 それが衣服の成れの果てと俺が理解した時、娘は耳をつんざくような悲鳴を上げていた。


「な、なによこれ……」


 妻の声は震えている。俺は、自分の発見が正しいことを悟った。さっきまでの映像になかったもの。


 この手の番組は、映像の最後に「幸い軽い怪我で済んだ」とか「この後助けられた」などのテロップが入るものだ。そうでなければ、ただの不謹慎なおふざけビデオになってしまう。そしてそれがあるからこそ、俺たちは手放しで楽しめる。


 そういった、いわば視聴者へのフォローが、この番組には一切なかった。あの映像に出て来た人たち。その後は、どうなったんだ?


 答えは、次々と示されていった。


『お次は駅のホーム』


 電車の下から元気よく這い出た赤ん坊は、そのまま反対側のホームへ向かってハイハイを続けた。レールをまたいだ瞬間、猛スピードで走ってきた特急に潰されてしまった。


 電車の轟音、周囲の悲鳴……小さな命は、たちまちそういったものに掻き消された。


『死んでしまいました』


 かち。かちかち。


 横で、耳障りな音がする。それは、リモコンの操作音だった。娘が、引きつった表情で電源ボタンを連打している。しかし、なぜかテレビは消えない。


 俺は重い身体を引きずるようにして立ち上がり、テレビのところまで歩いていった。背面を覗き込み、力任せにコードを引き抜く。


『川に落ちたボールを拾おうとした少年。しかし……』


 テレビは消えない。俺はフラフラとソファまで戻り、倒れこむように腰を下ろした。


 川の中から、突然ワニが現れる。悲鳴を上げる間もなく、少年は水中へ引きずり込まれた。


『死んでしまいました』


「弊社の食器洗浄機の一部の型では、有毒ガスが発生する事象が報告されており――」


 なぜか俺の口は、そんな聞き覚えのある言葉を勝手につぶやいている。ああ、そっか。さっきのリコールCMの。


『どうやら餅を喉に詰まらせてしまったようです』


 ビデオカメラは地面に投げ出されたまま、一部始終を記録していた。母親がすがりついても、父親は起き上がらない。救急車のサイレンが遠く聞こえ始めたところで、画面は真っ暗になった。


『死んでしまいました』


「はは……あはは……」


 また笑っているのか。不謹慎だぞ。もっとこう、他人を思いやる気持ちを――あ、俺か。笑っていたの。


 だって妻も娘も、白目向いて気絶してるもんな。


「ねえ、今のドッキリ、テレビのにも負けてなかったよね」


 自分の喉が、妙に高い声で、変な言葉を発する。テレビの電源はまだ切れておらず、画面は砂嵐を映し続けていた。




 ある穏やかな春の日、発見現場のマンションの一室では、ガスを吸った3人の成れの果てが転がっていました。

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