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天斯流転  作者: ジョシュア
第一章:かねて思ひし 別れならねば
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イドの底

2017/06/04改稿終了

 少女が目覚めないまま、二日が経った。

 看病は養母に任せっきりであったが、京士郎は妙に心配をしてしまっている。

 経過は悪くないようで、じきに目を覚ますだろうというのは養母の言っていることだった。少しずつ意識も戻っていると聞いていた。

 この日も京士郎は、一人増した分の働きをしていた。

 水を汲んできておくれ。養母にそう頼まれて、桶を手に持って井戸へと向かう。

 村の真ん中に井戸はあった。そもそも、この村はこの井戸を中心に置いて作られたのだった。

 井戸の前には、女が数人集まって話している。何やら楽しげであったが、京士郎の顔を見るなり表情を曇らせた。

 そそくさと移動する彼女たち。傍目に見て、京士郎はありがたく井戸を使わせてもらうことにした。

 「物の怪が」と京士郎を見て誰かが話す声が聞こえる。

 そちらを見ると声の主たちはどこかへと行ってしまう。京士郎はため息をついた。


 京士郎はこの村のあぶれ者だった。

 理由はたくさんある。心当たりもたくさんある。

 頑丈な身体、異様に強い腕、速い脚、鷹のように遠くまで見通す目。

 理屈のわからない力の数々。

 それは何の力を持たない彼らにとって、脅威に見えたにちがいない。

 仕方のないことだ、と京士郎は割り切っていた。

 どれも本当のことであるし、自分とて自覚している。


 水を汲み終える。桶を覗き込み、その水面を見た。

 赤い瞳に、茶色の髪は確かに恐ろしいものだろう。この間に見た鬼ほどではないが、異様である。

 自分と違うものは恐ろしいものだ。

 天狗は京士郎にいつもそう言っていた。その通りだとも思う。

 少女と出会い、鬼と戦ったあの日以来、天狗は姿を現さなかった。

 元より自由気ままであったし、たびたびいなくなっては戻ってきていた。今回もそうなのだろう、とぼんやりと考えている。


「あ、あの!」


 声がかけられる。振り向くと、顔の知っている者がいた。名は奈津という。

 体格は小さく、目が隠れるほど髪が長い。はきはきと話す方ではない。京士郎は奈津にそういう印象を持っていた。

 幼い頃、京士郎が力を見せ、忌避されるより前にはよく遊んでいた子だ。以来、あまり話したことはないが、この村では京士郎に話しかける数少ない者だった。


「水……汲んでも、いいですか?」

「邪魔だったか」

「そんなことは……ないですけど」


 最後の方は声が小さくなっていったが、京士郎は聞き取っていた。

 場所を譲ると、奈津は水を汲みはじめる。

 京士郎はその場を去ろうとするも、奈津の危なっかしい手つきを見る。少し迷って、仕方ないという風に京士郎は奈津の手助けをする。

 縄を簡単に引っ張り上げて、水を汲んでいく。奈津はおどろいていたが、京士郎はお構いなしだった。


 桶をいっぱいにすると、京士郎は無言で立ち去るつもりだった。

 しかし、また奈津に止められる。服の袖を引っ張って、顔をうつむかせていた。


「あ、あの! 根菜がれすぎたので、もらってくれませんか?」


 京士郎は、また少しだけ考えた。

 根菜と言えば精のつくものだ。寝ている少女が目を覚ましたときにでも重宝するだろう。

 そう思って、頷いた。奈津はちょっとだけ顔を上げて、待っててくださいね、と言って家へと駆けていった。

 桶にいっぱいに入った水を抱えてふらふらとする姿はあまり見ていられるものではなかったが。

 しばらくして戻ってきた奈津は、手にいっぱいの根菜を持っている。

 桶を持ってない方の手を差し出すと、奈津はその手と京士郎の顔を交互に見た。


「持つぞ」

「そ、そんな」

「いいから、任せろって」


 京士郎はそう言って、根菜の茎部分をつかんだ。

 それでも片手では持ちきれず、奈津にいくらか持たせることになってしまった。

 二人は並んで歩く。思えば、幼い頃は一緒に山の中を歩いていたような気がしたが、そのときはどんなことを話していたか忘れてしまった。

 奈津はと言えば、緊張しているのかずっと前を見ている。よほど自分と話したくないのか、と京士郎は思っていた。

 昔はもう少し、きちんと話せていたかな、などと懐かしさに浸る。


 京士郎が暮らしているのは、鈴鹿村のはずれだった。

 誰も来ないようなところに養父母の二人がひっそりと暮らしている訳を京士郎は知らない。

 ただ二人が、それが当然であるように振舞っているのを知っている。

 だから京士郎も何も言わなかった。


 人が来ないのには理由があった。

 鈴鹿村のはずれには、井戸がもう一つあった。いま使われている井戸よりずっと昔に作られたもので、いまではもう誰も使わなくなったものだ。

 この古井戸は忌避されている。

 いまでは誰も古井戸を使わないようにと蓋がされていた。

 そして京士郎の家は、その井戸の近くにあった。火事でも焼けなかった家らしい。


「……誰かいる」


 京士郎の目が、古井戸にいる者を見つける。大きな外套ですっぽりと身を覆っている人物だった。


「おい、その井戸は危ないぞ。蓋だって、いつ落ちるかわからん」


 京士郎が言った。

 外套の人物は、京士郎の方をちらっと見る。


「これは失礼。ついつい、腰の落ち着ける場所を見つけたものでね」


 その者は古井戸から立ち上がる。軽い身のこなしから、武に通ずる者だと京士郎は思った。

 同時に女だとも思われた。外套の下にあっても、体の線は隠せていなかった。

 珍しいこともあるものだ、と思ったが、いま家で寝ている少女のことも思い出す。


「旅人か。村はここから先にある。寝泊りできるところなら、あっちで探すといい」

「これはご親切にありがたや。だけど今日は、もう少し歩いてみようと思っておるのだ」


 奇抜な喋り方はわざとか。

 京士郎はどうにも、この女が癪に障った。

 そして女は古井戸の方を見る。


「ときに、この井戸についても教えてはくれんかね。なかなか古い井戸だが、枯れているわけでもなさそうだ」

「好奇心は身を滅ぼす、とは言うが」

「それは誰の言葉だい?」


 目つきが鋭くなった、ような気がした。

 京士郎からは、女の目が見えない。

 しかし彼女からは自分を見透かされているように思えた。


「その井戸は、むかし、火事があったときに……」


 鈴鹿の村を覆うほどの火事があったときに、人々は我先にと水のある場所へと逃げていた。しかし時期は秋を過ぎた頃で、田には水を張っていなかった。自然と逃げる先は川になったが、取り残された者は何を思ったか井戸へと飛び込んでいく。

 火が鎮まったとき、村の者は自分たちの数を数えて、ようやく井戸に落ちていった者のことを知れたのだという。

 以来、この井戸は封じることになったのだそうだ。誰もよりつかなくなって、いまに至る。


 この村に住んでいる者ならば誰もが知っている話だ。

 京士郎が語り終えると、女はつまらなそうにしていた。


「ふうん、それは、見捨てたってことかえ? 嫌だのう」


 女は言った。そして、意味ありげに手をあげる。


「もっと理由があったんじゃないのかねえ。井戸に飛び込むなんて馬鹿げた真似をするくらいだ。彼らにはそこへ行けば助かるという確信があったに違いないんだ」

「助かる?」

「そうだ。例えば、こんな話がある。井戸というのは地の底にある大きな流れに繋がっておる。そこへ叫んで届いた願いは、巡り巡って叶ってしまうのだそうだ。この井戸、もしかするとずっと深いのではないか? 人々は井戸の奥底に、何かを見出していたのかもしれんなあ」

「どうしてそんなことを」

「なあに……好奇心よ」


 くつくつ、と女は笑った。

 京士郎はその笑い方の嫌なものを感じる。

 あまり話していると、気づけば自分の大切なものが奪われてしまっているのではないか。

 そう思うほどに、京士郎の警戒心は強まっていた。


「それに何の関係がある」

「臭いものには蓋をしておくのさ。人を引きずり込む井戸なんて、おっかなくてしかたなかろう?」


 女はそう言った。京士郎は何も言わなかった。

 両者の間には、大きな隔たりがある。

 彼女は遠くから見つめていて、自分はまさにその目線の先にいるような。

 古井戸は自分と同じだ。恐ろしいものだから、蓋をする。誰も触れられないようにして、遠ざける。

 そこにある真実は知られないままに。

 もしかすると、そうやって追いやられたものがこうして村の端に集まっているのではないか、と思った。

 京士郎も、この古井戸も。養父母の二人も、同じように。

 また面白そうに笑って、女は京士郎に背を向けた。


「足止めして悪かったの。行くがよい。また会えたら、そのときに」

「ああ……」


 もう二度と会うことはない。そのはずなのに、京士郎はそう思えずにいた。

 手をひらひらと振って去っていく女の姿を睨み付けた。

 誰かにこんな感情を持つのは初めてだった。

 興味を持ったこともないのに、どうしてこんなにも恨めしく思ってしまうのだろうか。

 奈津が裾を引っ張る。京士郎がそちらを見ると、彼女は怯えた顔を浮かべていた。


「どうした」

「ううん、なんでもない、です」


 明らかに嘘だ。京士郎はそう思ったが、何も言わなかった。

 女の後ろ姿が見えなくなって、ようやく奈津は口を開いた。


「あの人、ずっと京士郎さんを見てました」

「俺を? そりゃあ、俺と話してたんだからそうだろうよ」

「いいえ、そうではなく……なんと言えばいいのか。私なんて眼中にない、という感じでした」


 あの女の目には京士郎しか映っていない。奈津など元より、相手にしていない。

 そう言われれば、確かにと京士郎は納得する。


 あと少しで自分の家だ。京士郎は奈津の持っている根菜も取り上げる。


「ここまででいいぞ。うちのじいと婆が待ってる」

「あ、はい。その、京士郎さん!」

「何だ?」

「村の人たちの言うことをあまり、その、気にしないでくださいね」


 なんだ、それは。と京士郎は言いそうになった。

 だが奈津は本心から言っている。

 あの女の話を聞いて思ったことを、奈津もまた思ったのかもしれない。

 誰も彼もが誤解をしていて、知ろうともしないままに口にして、追いやっていく。

 奈津は、それは違うのだと言いたいのかもしれない。そこまで考えていないのかもしれない。

 優しい子だ、と思う。

 それでも、京士郎は首を横に振った。自嘲して、言う。


「そんなことはない。俺は、正真正銘の化け物だ。誰も間違ってなんかいない」


 だから、あまり関わってくれるな。

 京士郎の言葉を聞いて、奈津は顔を伏せる。その表情を伺うことはできない。

 とぼとぼと、去っていく姿に少し胸を痛めながら、改めて自分の家を目指す。

 決して京士郎は嘘を言ったつもりはない。自分はきっと化け物で、人とは違うのだということをいつも思っている。

 だから、仕方のないことだ。なにより奈津を傷つけてしまうより前に、離れた方がいい。

 そんな思いがあった。


「え、えええっ!?」


 すると、今度は自分の家から大きな声が聞こえてきた。

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