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天斯流転  作者: ジョシュア
序章:人ぞささやく、汝が心ゆめ
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鬼の世

 その日、夜になれば、また三輪はやってくる。

 恒例となってしまったいまでは、小桃は少し恥ずかしいながらも、彼を招くことに抵抗がなくなってしまっていた。

 だが、この日ばかりは、昼に女房と話したことを思い出して少しぎこちなくなってしまっている。好きな相手、と言ってどうしてかこの男を思い浮かべる自分が恨めしかった。

 赤い瞳を持ち、透き通るような儚い雰囲気を出している三輪であるが、かえって男らしさのようなものはまったく感じさせず、小桃としては惹かれなかった。

 しかし、その見目の美しさは世の者たちに引けをとらないだろうとは思っていた。

 それが相手を選ぶ理由にこそならないが、見ていて飽きないというのはとてもいいことである。


「な、なにかな。僕はまた悪いことをしたかな」

「また、ですって。少しは心当たりがおありなのでしょうか。今のうちなら怒りませんから、白状してください」

「まだ何もしてないから!」

「ということは、何かするご予定が?」

「ないよ! もう、やめてくれ」


 本当に困った顔を三輪がするから、少し申し訳なく思いつつも、くすくすと小桃は笑ってしまった。

 過去に彼がしでかしたことと言えば、着替えてる最中に声をかけてきたり、急に後ろから現れて驚かせてきたりと可愛いものであったが、それはそれで小桃は怒ったのだった。

 それをまた思い出して、小桃は笑った。


「何かあったのかい。何だか、いつもと様子が違うけど」

「何もありません。少しずつ寒くなってきたな、と思いましたけれど」

「そうだね。もうすぐ冬だ。僕は寒いのが苦手で、困ったものだよ」


 腕で自分の身を抱いて、ぶるりと震える仕草をする。

 確かに血色の薄い肌をしている三輪は、寒がりのように思えた。

 その肌の白さは、女である小桃でさえ羨ましく思えるほどだったが、寒い季節になると霜焼けをして辛いかもしれない、などと思った。

 木枯らしはまだ吹かないものの、じきに冬がやってくる。

 そうなればいろいろと、心細い時期になるな、などと小桃は口にはしなかったものの、胸中でつぶやく。


「それはさておき。実は昼どきに、さる噂をお聞きしました。鬼どもがこのところ、不可思議な動きをしていると。三輪様はなにかご存知ではありませんか?」


 三輪はとても博識であった。彼ほどものを知っている人を、小桃は知らない。京であればいくらかいるだろうが、三輪ほど機知に富んだ者はいないだろう。

 話はとても面白く、身近に感じさせる彼はまったくと言っていいほど飽きなかった。

 だが、その三輪が顔を曇らせている。鬼について、いままで彼は触れることがなかったように思う。何かあったのかと、小桃は首をかしげた。


「何かありましたか、三輪様」

「何もないよ。ちょっと寒いなって」

「……もしかして、真似しました?」


 今度は三輪が笑う番だった。頬を膨らませて、小桃はそっぽを向く。

 すまんすまん、と謝るから、仕方なく、本当に仕方なく小桃は振り向いてあげた。


「それで、鬼だったかな。もう君らの間でも、そういう話が出ているんだね」

「三輪様はすでにご存知だったのですか?」

「少なくとも君らよりは知ってるよ。こう見えて、顔は広いんだ」


 こう見えてもなにも顔は広そうに見える、と小桃は思ったが黙っておくことにした。


「確かに鬼たちは増えているようだね。だけど、それは急になんかじゃない。少しずつあったことなんだ。それが、ちょっとわかったからっていきなり騒ぎ出すのは、いかにも君ららしいね」


 三輪は、いつになく冷めた様子でそう言った。その瞳はどこか遠くを眺めているのではなく、遠くからこちらを眺めているようであった。

 顔が青ざめる小桃。自分はいったい、誰を相手にしているのだろう。この男は何者なのだ。そんな思考が頭を支配した。冷や汗が垂れる。

 彼は自分とはまったく違うものであると、嫌というほどわかってしまう。それがたまらなく……寂しかった。

 はっとした顔をして、三輪は笑った。その笑顔に安心する自分がいることに、小桃は気付いた。

 咳払いをした三輪は話を続けた。


「というわけで、鬼たちが動き出したのはずっと前なんだ。ただ、ここのところはどうも力をつけているね」

「……力をつけたから、人を襲うのですか? それとも、元から人を襲う存在なのですか?」


 小桃がそう言った。三輪は少し、驚いた顔をする。


「鋭い質問だね。うん、鬼たちは人を襲う存在だ」

「なぜです?」

「そういうものたちだから、としか言えないな。彼らについて語るには、かなり難しいことでね。君らの見ているものからどう言ったものか……」


 こんこん、と三輪は頭を指でつつく。それが、彼がものを考えるときの癖だった。

 少しして彼は唸る。言葉を巧みに操る彼であっても、説明するのに苦労をしているようだった。知っていることを、知らない者に話すというのがいかに難しいかということだろう。小桃は己の無知が、彼に負担をかけているのだと思った。


「あちら側に行ったものが再びこちら側に響くというのかな。溜まっていたものが、その縁から溢れてしまったとでも言えばいいのか。そういうものが色んなものを汚してしまって、鬼になるんだ」

「……私にはわかりません」

「とにもかくにも、鬼たちのことについて僕はあまり上手く語ることができないんだ。ごめんね」

「無理はなさらなくても」

「そう言ってもらえるなら助かるよ」


 そうそう、鬼といえばこんな話があってね。三輪はそう言った。小桃は目を輝かせる。


 あるところに女がいた。その女は生涯において誰かと結ばれることなく、よわい三十を前にして亡くなった。

 しかし彼女には未練があった。それはこの世に自分の子を残すことであった。

 ある日、海辺において彼女はいた。通りかかった男の一人に「この赤子を抱いてくださいませんか」と声をかけた。それに従った男は女から手渡された赤子を抱いたが、その正体は何とも重い石であった。

 石を返した男は、翌日になると自分が途方もない怪力になっていると気づく。やがて彼はその力に驕って、たくさんの悪さをするようになりました。


 話はそこで終わりだった。そしてどうなったのですか、と聞く小桃に三輪は言った。「このあと、彼は山の奥へと行ってしまって、どうなったか知る者はいないんだ」と。


「それはどういうお話だったのでしょう」

「死してなお抱く想いというのは恐ろしいものさ。そして、子を産むというのはよほどの力が必要なのさ。魂を腹に入れ、この世に新たな命を落とすというのはね。それこそ、その男をとんでもない怪力にするほどの」


 つまり、と小桃は言った。


「それが鬼なのですね?」


 三輪はその瞳を妖しく輝かせた。


「その通り。これが鬼ということだ。うん、こういう風に話せばいくらかわかりやすいかな」


 ふふふ、と笑う三輪。小桃は少しだけ考え込んだ。

 話に出てきた女に、少しだけ思うところがあった。それは同じ性を持っているからだ。

 いつか自分も、自分の子を残したいと思うのだろうか。それは誰か相手がいるからの感情ではないだろうか。果たしてそれは、あの世から帰ってきてまでやりたいことなのだろうか……。

 栓のない「もしも」を重ね続ける。無意味なことではないはずだ、と思いながら。


「大丈夫だよ、君は」


 急に、三輪がそう言った。え、と顔を上げると、いつもよりも朗らかな笑みを浮かべる三輪がいた。

 考えていることが顔に出ていたかと思うと、恥ずかしくなる。

 小桃の肩を三輪が掴んだ。びくり、と小桃は反応してしまう。


「君は何が大切なのかきちんとわかる人だ。だから僕はこうして話したのだし」


 三輪は言った。小桃は、なんだか恥ずかしくなって、顔を隠してしまった。


「そんなことを言っても、何も出ませんからね」

「期待はしてないさ」


 三輪は小桃の頭を撫でる。知りません、と言って、小桃は眠りにつくことを決めた。

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