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天斯流転  作者: ジョシュア
第二章:いく世の春を せきとめて
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新たな炎

 土蜘蛛の最期を見届けて、京士郎は膝をついた。

 全身からまるで絞られた布のように汗が吹き出た。

 無茶無謀の繰り返しだった。

 ずっと続く戦闘、張り詰めたままの緊張と第六感、神通力を発露して発した熱の光、志乃を抱えての疾走、顕明連の力を使い、最後の土蜘蛛へのとどめの一撃。

 そのどれもが京士郎の、いまの技量を超えたものである。

 正体もわからない力を使い続けることは、こうも体へ影響する。志乃が制したのも、無理のないことだと体でもって理解できた。


「京士郎、大丈夫?」


 志乃が屈んで言った。京士郎がわずかに首を動かすと、彼女と視線が合う。

 心配しているだろう彼女も疲労しているに違いない。

 これ以上は心配させまいと少しだけ笑って、余裕を見せる。


「ああ、問題ない」

「そう。……ありがとう、あなたのおかげで勝てたわ」


 そう言って、志乃は京士郎の手を掴んだ。そしてその手を労わるように撫でている。

 胸を占めた安心感だった。手からのぬくもりも、撫でられているかゆい感覚も、京士郎の胸を落ち着ける。

 自分はこの少女とともに行くと決めたのだ。それはともすれば、土蜘蛛に従うことと似ているのかもしれない。労苦を手放し、安心、快楽を手に入れる。大した差はないのではないか、と。

 だが、これは自分が決めたことだった。

 だからいいんだ、と自分を納得させたのだ。


「にいちゃん、ねえちゃん」


 オヒトがそう言った。

 志乃のことを姉、と呼んでいたのは知っていたが、いつの間にか自分は兄になったのか。慣れない呼ばれ方に、京士郎は戸惑う。


「ごめん、なさい。おれ、あんたたちを」

「いいのよ」


 志乃は言った。

 オヒトのことをだいたい察しているのだろう。

 鬼を前にしては、仕方ない、などと言うつもりはない。

 けれどもその心情を思い、決意を聞いたいまであれば、許せると。


「まあ、ここまで来てくれたんだ。恨み言は言わないでおく」


 京士郎は嘆息して、そう言った。オヒトは泣きながら、うるせえ、と言った。


「気を抜くにはいささか早いのではないか?」


 そのときだった。声が響いた。

 志乃がはっ、と顔をあげる。遅れて京士郎も見上げた。

 木々のひとつに、その女はいた。

 笠をかぶった女だった。京士郎はその女の正体を知っている。


「茨木童子……!」

「あのときの女か!?」


 オヒトもそう言った。

 笠を外し、鬼の顔を露わにした茨木童子は歯をむき出しにして笑った。

 志乃が二人の前に立つ。この場で鬼と戦えるの彼女しかいない。

 だが、志乃とてかなり消耗をしているはずだ。鬼につかまった上に、術をずっと使い続けている。もしかすると、京士郎以上に限界が近いかもしれない。


「強がるな、うぬら」


 そう言って、茨木童子は笑みを深めた。

 ざわり、と空気が張り詰めた。彼女が自身の神通力を使っているのだと理解するのは早かった。

 

「まずは見事と言おう、京士郎。神通力の発露、そして土蜘蛛の退治。まこと、期待通りの男よ。あやつがおらんかったら、惚れているところだ」

「お前……!」

「なんだ、すでに済ませている女には興味がないか? 接吻もした仲だと言うのに。それとも一度手をつけた女には興味がない質か? ……なるほどそういうのもあるか」


 あんた、と志乃の声が聞こえた。

 否定をするべく京士郎は首を横に振った。

 そもそも茨木童子がなにを言っているのか、どうして志乃が睨みつけてくるのか、こんなに躍起になって否定をしなければいけないのか、なにもわからない。


「くっくく、だが、京士郎、お前は本当に愛いやつだ。私の思い通りになってくれたんだからな」

「思い通り?」

「ああ、すべて思い通りだとも。神通力に目覚めたのも、私がお前に陰気を吹き込んだからだ」


 そもそも神通力とは我らの力だ。茨木童子はそう言った。

 驚きはするも、きっとそうなのだろうと京士郎は思っていた。茨木童子に接吻をされたあのときからなのだ。自分の感覚が鋭敏になり、かつてはなかった感覚が目覚めたのは。

 あのときに吹き込まれた熱が、京士郎の胸と腹を渦巻いている。

 それは京士郎が————化外である証拠でもあった。

 自分と茨木童子は同質の存在である。彼女の言葉を借りるなら、生き別れた兄弟なのだろうと。

 認めるわけにはいかない。けれども事実として京士郎は受け止めていた。


「そして土蜘蛛よ。あやつめ、そこの小娘を取り込んだらいますぐにでも京に攻め込むつもりだったのだろうよ。調子に乗りよって。それは困るのだ。我らの企みの妨げにしかならんからな」

「企み? もしかしてあんた、京を滅ぼそうとしている、大江山に巣食っているという鬼なの?」


 志乃がそう問いかけた。

 すると茨木童子は、愉快そうな表情を収めて言った。


「黙れよ小娘、お前には用はない」

「なっ、なんですって?」

「美味そうなのは認めるがな。たかだか食糧に話すことなどない」

「あんた、人のことをなんだと思って」

「黙れ、と言っている!」


 茨木童子は吐き捨てるように言った。志乃はただの食糧であると言い切った。そのことが京士郎に、ひどい違和感として思えた。

 一方で、茨木童子も答える気はあるようだった。志乃ではなく、京士郎の方へと振り向く。


「大江山に我らが陣はある。京を滅ぼすなど()()()ことだが、過程として必要ならばするだろう」

「じゃあ、何が目的だって言うんだ?」

「知れたこと、我らの天下を作ることだ」


 あくまで涼しい顔で、茨木童子はそう言った。

 宣誓だった。同時に布告だった。

 彼女はこの世のすべてを敵に回してみせると言ったのだ。

 そして築くのだ。自分たちの理による国を。


「天地の基礎が揺らいでいる今しかないのだ。我らがこの世をひっくり返すのに、いまを除いて時はない。欺かれ、虐げられ、泣くしかなかった我々がこの世に在る、今しかない」


 そう言って、茨木童子は手を差しのばした。


「その気があるなら、来い、京士郎。私たちはお前が欲しい」


 ともすれば、愛の告白のようにも聞こえる言葉だった。

 京士郎は固まった。

 土蜘蛛とも違う誘いの言葉であったが、こうも直截的であると、思考よりも先に反射で動いてしまう。


「それとも、その小娘がお前を縛っているのか?」


 声とともに、茨木童子の手から何かが放たれた。

 いったい何が、と確かめるより先に、京士郎は刀を閃かせた。

 目にも留まらぬ速さで、京士郎は志乃の前に出ている。

 銀が閃いた。神通力を使う余裕もない。ただの直感に従い、技もない一振りだ。

 斬ったのは炎であった。

 おそらく、炎を操る志乃への意趣返しだ。


 火の粉が散って、志乃の目が見開かれる。

 彼我の実力差をまざまざと見せつける。いくつもの術を扱う志乃であったが、茨木童子はそれを当然のものとして扱う。

 人としての力と、鬼としての力、その違いを決定的に見せつけたのだった。


「ふむ、そんなに大切か、その小娘が」

「てめえより信じられる。そう思っただけだ」

「連れぬなあ、姉は悲しいぞ。反抗期の弟というのは……それはそれで可愛いものだな?」

「誰がてめえの弟だ!」


 京士郎はいますぐにでも斬りかかりたかった。しかし、体は重い。

 体力は残されておらず、刀をいま振るったので限界であった。

 茨木童子が発している神通力に気圧されている、というのもあるだろう。

 冷や汗が頬を伝う。全身から水が吹き出ていた。


「まあ、よい。皮のついたまま腹に飲み込むような真似はせぬ。いまは見逃そう、京士郎。その気になれば、いつでも我らは歓迎する。小娘の目的はなにか知らぬが、人のできることなど愚かなことだと知れ」


 茨木童子はそう言って、笠をかぶった。姿を消す笠だと言っていたが、その触れ込みに違いはなさそうだった。

 彼女が消え去って、しばらく張り詰めた緊張が、やがて切れた。

 志乃は息を大きく吐き、京士郎は地面にへたり込む。

 勝利した。そのはずであったが、二人に訪れたのは次の戦いであった。

 大いなる敵、茨木童子。彼女は志乃たち京の者が敵として見ている者の一つにすぎない。

 その企みが果たしてどんなものかはわからない。

 だが、京士郎の前に、峻厳たる壁となって待っているのは確かだ。

 このまま旅を続ければ、必ずぶつかる。


「それでも」


 京士郎は言った。

 もはや声を絞り出すのも辛い。だが、口にせねばならないと思った。


「それでも、負けたりはしない」

「ええ、そうよ、京士郎。私たちは負けない」


 茨木童子がそうしたように。京士郎と志乃は誓う。

 鬼には負けない。それぞれの理由があった。けれども、やるべきことは同じだった。

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