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天斯流転  作者: ジョシュア
第二章:いく世の春を せきとめて
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顕明連

 京士郎は刀を掲げ、天に刀を掲げた。

 刀身は銀色であるが、わずかに透けて見える。

 そのとき、様々な光景が視えた。

 目ではない。頭の中に唐突として現れた、いくつもの光景。

 めまいがするのに、視線を外そうにも消えない景色が、京士郎の頭を揺さぶった。

 大きく目を見開いた京士郎は、刀の中へと意識が消えていく。

 そこはたくさんの光が溢れていた。

 いや、光だと思ったものは、一つ一つが光景だ。自分の知らない、ここではない、いまではないどこかにあるはずの景色なのだ。


 己があった。志乃がいた。ともに歩いていた。

 炎があった。大きな蛇が暴れていた。鬼と戦っていた。

 戦があった。たくさんの人が剣を持っていた。

 国があった。皆が一つの社を囲んでいた。

 山があった。火を噴き、赤い波が大地を包んでいた。

 海があった。遥か巨大な生き物が泳いでいた。

 月があった。渇いた大地が広がっていた。

 光があった。闇があった。


 たくさんの景色が泡沫となっては消えていく。

 まるでこの世の始まりと終わりを、永遠と見続けているかのようだった。


「京士郎、強く意識して。自分が何を得たいのか、どんな未来を描きたいのか」


 志乃の言葉が響いた。

 そんなことを言われたところで、やり方がわかるはずがない。

 いや、ずっとそうだった。誰もやり方など教えてくれはしない。自分の力が何なのか、その正体でさえつかめていない。

 いつだってどんなときだって、行き当たりばったりで、その場で理解していくばかりだ。


 ————考えろ。俺は何をすべきか。何をしたいのか。


 もはや、迷っている余地はない。

 ときには選ぶことそのものが大切になるときがある。迷い、悩むことは尊いことではあるが……それでも、選ぶということの前には、無力なのだ。

 京士郎は、頭痛が落ち着いてきたのを感じた。

 泡沫の世界で未来を想う。

 周りにはいくつもの光があった。その光は、自分の持ちうる選択なのだ。

 そして、ひとつに京士郎は己を重ねる。


 次には元の世界に戻ってきていた。

 いまのは、と京士郎は志乃に目を向ける。頷いた志乃は、やっぱり、とつぶやいた。


「京士郎、あなたは三千大千世界を見てきたの」

「三千……? なんだそれ?」

「誰も知り得ない、この世界のこと。かつてこの世界が辿った道、これから私たちが辿った道、あるいはこうかもしれなかった道。そういうものを、私たちは三千大千世界と呼んでいるわ」


 ふうん、と京士郎は頷いた。

 詳しいことは理解できなかったが、そういうもの、と思っておくことにした。

 ともあれ、京士郎は手に入れたのだ。己が為すべきことを。できることを。


「その力は、神通力を持つ者しか扱えないの。京士郎、あなたにはそれがある。鬼にも対抗できるだけの力があるの」


 志乃は力強くそう言った。

 神通力。それは天狗や鬼たちが振るう、異能の力。あるいはそうするだけの権力だ。

 京士郎が持つ神通力は顕明連を御するほどのものであった。志乃の見立ては正しかったのだ。


 奥から蜘蛛がやってくる。その総数はすでに相当減っていた。

 京士郎と志乃の奮闘と、外へ打って出るための支度のためだっただろう。髑髏の雲とともに迫ってくる彼らは、確かな恐怖としてそこにありながら、京士郎の目にはもはや脅威ではなかった。


「父ちゃん、母ちゃん……」


 オヒトがつぶやいた。胸に手を当て、握りしめている。

 京士郎がちらり、とそちらを見るとオヒトは

覚悟をした顔を浮かべる。


「にいちゃん、お願いだ。あいつらを倒してくれ」

「いいのか?」

「おれが決めたことなんだ。置いて行かれたんだとしても、おれはここで生きなきゃいけないんだ。だったら、だったらおれは……」


 オヒトの肩を志乃が掴んだ。オヒトは上を向いた。涙を堪えているのだろう。

 ああ、と京士郎は頷いた。

 その決意に応えよう、と。


 一歩前に出る。刀が光を放った。

 顕明連の中にはいま、京士郎の選択が内包されている。

 それは日差しのような光となって、行くべき道を照らしている。


 土蜘蛛が迫ってきていた。怒りの中であっても、定めた相手を見失っていなかった。京士郎を見つけると、にい、と笑う。

 一方の京士郎は、土蜘蛛が迫るのを待っていた。

 刀を構える。刀身は天に高くそびえるように。

 天狗から習った剣術のひとつ。それは剣の術理の中で最も単純なもの、直上から振り下ろす動作だ。

 顕明連を通して見た光景で、土蜘蛛を打倒する技はこれ以外になかった。


 ただの一撃にすべてを掛ける。

 そのことがいかに難しいか、京士郎はいまこのとき、味わっていた。

 ここで相手を倒さなければ自分も志乃もオヒトも危うい。

 土蜘蛛は傷を負って、消耗もしているものの、油断していい相手ではない。

 この辺り一体の人々を喰らい、我が物の領域とし、洞窟内を巣としてその理さえ捻じ曲げてしまうような存在なのだ。

 それを相手に、一振りで決する。

 困難なのは当たり前だ。


 力が漲ってくる。

 それは筋力や脚力などの、単純な力ではない。

 気力、精力、あるいは神通力……超常の力であった。

 腹の底から、魂の底から溢れてくる力だった。

 全身の隅々にまで通った力は、刀にまでかよっているかのようだ。


 洞窟から土蜘蛛が飛び出そうとした瞬間、京士郎は踏み出した。

 一歩、地面は爆ぜるも、音は追いつかない。呼吸は止まっていた。

 二歩、柄を握る手から余計な力が抜けた。あるのはただ、相手を斬り伏せるのに必要なもののみ。

 三歩、足を地に踏み入れ、刀を振り下ろす。


 土蜘蛛の驚愕の表情が見えた。交わされる視線。どちらも決死であった。

 突然立ち止まった京士郎が、刀を真下へと振るう。

 それを見た土蜘蛛も、決行した京士郎も、内心は追い詰められていた。

 交錯は一瞬だった。

 音はなく、ただ刀の軌跡を描く光があった。

 その光は刀身より遥かに伸びる。神通力の顕現、斬るという現象そのものを相手にぶつけたのだった。

 領域から出てしまえば京士郎と土蜘蛛は対等だった。

 だからこそ、決着がつくとすれば準備を整え、冷静で、先手をとった者である。


 瞬間、土蜘蛛は縦に真二つになった。

 切り口からは、大百足と同じように光が溢れ出していた。

 あれこそは魂なのだ。鬼たちに喰われ、一つの器に閉じ込められながらも溶け込むことができなかった、魂だ。

 宙に浮かんでは消えゆくそれを、眺めていた。


「貴様……貴様貴様貴様貴様貴様ぁっ!」


 土蜘蛛は真二つに割れた顔で、そう叫んだ。

 彼らは正しく、生き物ではない。すでにこの世にいないものでありながら、この世に止まろうとする、摂理に反する者なのだ。

 体が二つになった程度で、黙ったりはしないだろう。


「後悔するぞ! 我らは一つになるべきなのだ。我は正しいがゆえに。貴様らが間違わぬように!」

「それは……お前が間違えたからか?」


 京士郎は問い返す。左右に別れてしまった顔の両目が、大きく見開かれた。

 同じ後悔をしてほしくない。同じ過ちを犯してほしくない。

 それは当然の願いだろうと思った。

 間違いである、などと言えるものか。


 土蜘蛛の後悔とは、かつて誰かに従ったこと。従うべきではない、裏切るはずのその者に、従ってしまったこと。

 自我と誇りを捨て、大きな流れに乗って生きること。考えることもやめ、ただ信じると綺麗な言葉を並べること。そこになんの不安も労苦もなかった。

 その安寧と快楽を知るからこそ……土蜘蛛は、今度はそれを誰かに与えようと思ったのだ。


「でも、それは間違ってるわ」


 志乃が言った。気づけば彼女は、オヒトを連れて京士郎の隣に立っている。


「そうやった人は、何もかもを人のせいにしてしまう。自分は悪くないと言うの。こんなはずではなかったって。そんなの、みんな苦しいだけよ」


 人の上に立つのも、下に居るのも、苦しいだけ。

 京士郎は、志乃の言うことがわからない。自分がそういう立場になったことがないから、だろう。

 だけど、オヒトのこと思えば理解できなくはない。

 土蜘蛛に怯え、憤りながらも、追いかけずにはいられなかった彼を。

 わずかの憂いを帯びた声で、京士郎は告げる。


「お前の後を俺たちは生きる。だから逝け、土蜘蛛」


 鬼とはかつてを生きた者である。

 京士郎はそう思っている。だからこそ、ここにいるべきではない。


 土蜘蛛は、驚愕の表情を浮かべる。何かを言いたげであったが、彼はすでに口も消えていた。

 残された目はやがて閉じられる。

 光となって消えていった彼を、京士郎たちはそっと見送った。

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