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天斯流転  作者: ジョシュア
第二章:いく世の春を せきとめて
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さまよえる刃

 間に合った、と京士郎は安堵した。

 志乃が生きている。彼女が何者かの手にかけられようとしている。そう気づいたときには、京士郎は刀を抜いていた。

 驚くべきほどの冴えを見せて、大男の腕は両断された。虚空に消えていくそれを見てやり、捕まっている志乃を救出する。

 蜘蛛の糸は、あっけないほど簡単に切れた。倒れそうになる志乃を抱きかかえる。


「なに攫われてるんだ、お前」

「し、仕方ないでしょ!? 寝てるときだったんだから。そういう京士郎こそ、どこをほっつき歩いてたの?」

「俺だって、夜風を浴びたいときだってある」


 そう言って、京士郎は志乃を立たせる。志乃は、口では文句を言うが、京士郎の動きには従っていた。

 彼女に背を向け、大男と向き合った。腕を失っているものの、出血していなければ、痛みを感じている素振りもない。

 京士郎の目が、全身が、その大男が人でないことを告げている。

 不気味な声をあげて笑っているその姿を睨みつけた。


「気をつけて、あれは土蜘蛛……鬼よ。あの蜘蛛たちの親玉!」

「わかってる!」


 そう言って、京士郎は斬りかかった。

 ひらり、という動きで大男は刀を避ける。二度、三度とそれが繰り返されて、大男は大きく退いた。

 刀を正面に構える。大男の背後に、たくさんの影が現れた。人の影の形と、蜘蛛の姿が見える。その数は、数えるのも馬鹿らしくなるほどだった。


「ふひっ……もうここにやってくるとはな。ずいぶん早かったな。蛇の小娘め、足止めもろくにしなかったな」

「いや、優しい子が助けてくれたんだ」

「ああ、あやつか。いい餌に使えると思ったんだがな。大物が引っかかったのはいいが、もう使えはしまい」


 まるで破れた衣服を捨てるかのように、土蜘蛛は言った。

 彼について聞いていた京士郎はともかく、オヒトのことだと理解した志乃は怒りを抱いているようであった。京士郎も腕がわずかに動かして、思いを切りはらった。

 薄暗い洞窟の中で、両者は対峙した。志乃を取り戻したものの、戦力の差は大きい。

 子である蜘蛛の大群でさえ苦戦したにもかかわらず、その親玉を相手にするのは、苦戦するのは容易に想像できた。


 洞窟の様子を見て、ここまで走ってきて、だいたいの状況を京士郎は察していた。

 吊るされた人だった抜け殻、無数に湧いてくる蜘蛛たち、その動きの一体感は、群というより大きな一つの生き物だった。

 土蜘蛛、と呼ばれる彼らの正体を、つかみつつあった。


「お前らは、何が目的なんだ」

「先もその女に言ったところだ。京への復讐よ」

「だから、それがわからねえって言ってる。お前はそれをして、どうするんだ」


 志乃は言ったのだ。想いによって誰かを傷つけることは許されない、と。

 鬼はそういうものなのかもしれない。許されないことをする者であるのかも、しれない。

 だが、問うことをやめたくはなかった。


「どう、だと? 我らは望んだのだ。奴らを打倒せしめる、と。それこそが我らの想いだ。怨念だ、執念だ。そして願いだ。我らは正しく、奴らは間違っている。そうだろう?」


 京士郎は絶句した。そう言い切ってしまうことに。

 正しくあろうとするなら、理解できる。

 けれども彼らは、自分たちをこそ「正」と定めているのだ。それ以外は間違いであると。

 そのことこそが恐ろしく思えた。


「ゆえに、我らに従うことこそが正しい。そして何かに従うことは快楽だ」

「……快楽、だと?」

「ふひっ、ふひっ、そうだ。自らの思考を放棄し、誰かに従うことの喜び。自らが正しいとしているものへの奉仕! それこそが人の持つ快楽だ。そう、我らは教えられた。ああ汝の持つ怒り、憎悪、悲しみこそがいかに正しく、清らかであり、悪しき者を討つ力になるかを! ともに座す偽りの王を討とうぞ! そう言われたのだ」


 それは誰かに向けた言葉ではない。述懐なのだと京士郎は思った。

 かつて彼らはそうであったのだろう。誰かに従った者だったのだ。

 例えば、不破関によって京と分かたれた彼らのように。

 京の争いに巻き込まれ、利用され、捨てられた者たち。

 争いに利用され、志のために戦い、そして騙され裏切られた者たち。


「我らは知った。誰かのために行っているという自己愛、思考を放棄することの心地よさ、誰かに身を委ねることの安心。だから、今度は導いてみせる。我らを正しき方へ……!」


 それは何かを確信した、憤怒に満ちた言葉だった。

 京士郎と志乃は、土蜘蛛の発する気配に気圧される。

 彼らの怨念は、数百年と積み重なったものだ。もしかすると、もっと長いかもしれない。

 十五年しか生きていない京士郎にとって、それは途方もない道のりだ。


「さあ、こちらへ来い。さまよえる者よ」


 その言葉は、どうしてか魅力的に聞こえた。

 なにをするべきかわからない自分の手を引っ張ってくれるようにも思えた。

 悲惨な末路があるとわかっているにも関わらず、だ。

 それこそが鬼の力だった。悪しきことを正しく見せかけ、人をとす。道を踏み外させる。


 意識が奪われたとき、志乃が京士郎の服を引っ張った。

 刀を構えながら振り向く。彼女は苦悶の表情を浮かべながらも、言った。


「京士郎、だめよ。気をとられないで」

「だが、あいつらは!」

「彼らはそこで、ずっと立ち止まっていた者たちなの。もう死んでしまった、ここにいてはいけないはずのもの。そんなものに引っ張られてはいけない」


 志乃の言葉に、はっとする。京士郎は今度こそ、真正面に土蜘蛛を見た。

 顔がゆがんでいる。笑っているのか、怒っているのか、判別できない。その矛先がどこへ向いているのか、わからない。

 ああ、そうだった。京士郎は気づく。

 真実はある。だが真に受けてはいけない。去り際に言ってくれた、師である天狗の言葉だった。

 もしかすると、彼と長い付き合いの中で、初めての贈り物がその言葉であったかもしれない。

 一歩、前へと踏み出した。

 蜘蛛たちがざわめく。京士郎の一歩で空気が変わる。蜘蛛たちが支配していた空間に、京士郎の気配が浸透していった。


「俺は、俺のしたいことがわからない」


 だから、土蜘蛛の言っていることは理解できた。

 正しさに導かれて、大きなものに身を委ねて、すべきということを与えられる。それはとても簡単で、わかりやすく、残酷だ。


「もしかすると、お前は正しいのかもしれない。俺にはそれはわからない。そんな区別ができるほど、ものを知らない」


 だけど、ただひとつだけ、言うのだとすれば。


「俺の道を決めるのは、お前じゃない」


 その道を見つけるために、旅に出たのだから。

 お前なんかに決められてたまるか。人を破滅へと導き、己を大きくすることしか興味のないお前に。

 知っている。鬼とは、そういうものだ。いかに言葉を尽くしたところで、過ちなのだ。

 本当は朽ちていくはずなのに、風化していくことに耐えきれず、止まろうとした者たち。

 変わることができなくなってしまった存在だ。

 そんなものに己の在り方を決めつけられるなんて、ご免だ。


「……きさまぁっ!」


 土蜘蛛が吠える。その姿が変化した。

 人影から、蜘蛛へ。巨大な蜘蛛だ。人の顔を持ち、角が生えている。八本の脚には毛が生えており、縞模様である。

 じっと、目を凝らして見た。もう恐くはなかった。己の打倒すべき相手を見定める。

 刀を構える京士郎。それと同時に、志乃もまた京士郎の隣に並んだ。


「名乗ろう、俺は京士郎。いざ尋常に、勝負願おうか!」


 京士郎の言葉が、戦いの合図になった。

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