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天斯流転  作者: ジョシュア
第二章:いく世の春を せきとめて
18/26

鬼の悦楽

2017/06/04改稿終了

 夜、京士郎は寝付けないでいた。

 いまは家から抜け出し、月明かりに身を晒している。ほのかに暖かく感じられた。

 寝床が変われば眠れなくなるということはないはずだった。短い期間ではあったが、いままでもきちんと寝れていた。

 考えごとをすると眠れなくなる、ということにようやく気付いた。

 ろくに考えごとなどしたことがないから、そんなことはなかったのだ。

 すべて志乃が悪い、と言ってしまうのは簡単だろう。旅立つことを考えあぐねいているときも、そしていまもだった。


 鬼が生きる目的は決して、魂を食うことではない。ただ〈この世〉にとどまっているだけではなく、〈この世〉でやり残したことがあるから、人を喰らうのだと。

 京士郎には少し、それが羨ましく思えた。

 こんな風に思っては、考えてはいけないのだろう。しかし、止められなかった。

 自分自身には、やりたいことがなかった。

 養父母が死ぬまで見届け、母の墓を守るために生きるのだろう。漠然とそう考えていた。


 だから、志乃の姿を眩しく思えてしまった。

 彼女のやりたいことが何なのかはわからない。けれどもなにかを目指し、懸命に生きる彼女の姿を見ていて、胸を焦がすものの正体を掴めないでいた。

 鬼も人も、ただそこにいるのみではない。何かやりたいことがあって、そこに在るのだ。

 では、京士郎は果たして己の身で、なにを成そうと言うのだろうか。

 なにを目指して、歩こうと言うのだろうか。

 志乃の旅の先にそれはあるのだろうか。


 わからないことばかりだ。天狗はなにも教えてはくれなかった。

 教えてくれなければ、わからない。普段の自分ならそう言っていたかもしれない。

 けれども、違う気がした。これはきっと、気づくことなのだと。


 がさり、音がする。

 京士郎はとっさに、刀の柄に手をかける。

 しかしその手に被せられるように手が重ねられた。女の手であったが、志乃のものではない。

 いいや、違う。そんなことはなにも重要ではない。

 いま自分は、誰とも知らない相手に接近を許している。致命的な距離だ。懐を許すなど、油断をしているにもほどがある。


「辛気臭い顔をしておるのう、いい男が廃るぞ?」


 その人物は、頭まですっぽりと覆う外套をまとっていた。見覚えがある。

 鈴鹿村で奈津とともに出会った人物だった。

 そして京士郎が追ってきていた者でもある。なぜか、はわからないが、問いただすべきことがあった。

 この距離であれば、顔がうかがえた。

 黄金の瞳、額から生える角、ぞっとする美貌。

 京士郎はその正体を知る。そしてそれこそが、京士郎がこの人物について、一番知りたいことでもあった。


「鬼か……!?」

「いかにもいかにも」


 離れようとするも、手を掴まれて動くこともできない。

 面白そうに女は笑う。

 艶めかしい唇から吐息が漏れた。変な香りがするが、嫌な感覚がしない。それは京士郎の鼻腔をくすぐり、頭を痺れさせた。

 むしろ、それこそが京士郎に嫌悪を覚えさせる。


「くくく、悔やむことはない。この外套は気配を消すことができるものよ。お前が気づかなくても道理だ、京士郎」

「お前……離れろ!」

「嫌じゃ。いい男を手放すほど、私も落ちぶれておらんよ」


 にしても、とその女は言う。


「お前はよく似ておる。あやつにな」

「なにを言ってやがる」

「なあに、生き別れた弟を見つけて、嬉しく思うのだよ」

「弟だと? 俺は一人だ。生まれたときからずっと」

「わからなくともよい。いずれ気づくだろうしな」


 そのときが楽しみだのう、と女は言う。

 適当なことを口走っているように聞こえる。理解が及ばない。

 自分に似た誰かを知っている、と女は言った。だからなんだ、と思うが、彼女にとってはそれは重要なことのようだった。そして、京士郎にとっても重要なのだと言う。


 心臓が早く鼓動する。こいつを相手にしてはいけない、と本能が叫んでる。

 このまま話しているのは危険だ。大切な何かが抜け落ちて、それでも気づけないでいる。そんな感覚がする。

 いますぐにでも、動くべきなのだ。

 一方で、体から力が抜けていっていた。どうして、と思う間もない。呼吸をすることすら厳しくなってくる。

 霞んだ視界で、京士郎は相手の顔を見た。


「なにを悩んでおる。どれ、この姉に話を聞かせてみ?」

「誰が姉だ……お前は、鬼だ! それとも、俺が鬼にでも見えるってのか?」

「人も鬼も、一重ひとえの違いよ。ただ一線を越えるかどうかに過ぎぬ。そしてお前は、私たちに限りなく近い者だ」

「なにを言っている!?」

「ふむ、これもいずれ気づくこと。あまり口を出して、過保護な姉と思われてしまっては仕方ないな。ああ、だが」


 さらにぐいっと、女は顔を近づけた。

 頬に細い手が添えられる。大した力は込められていないからすぐに振りほどくこともできるはずだ。

 しかし、やはり体は動かない。

 やがて吐息が、鼻先にまでかかった。彼女がなにをしようとしているのか、理解はその行為とともに訪れた。


 京士郎の唇に、女の唇が押し付けられる。

 舌が口内に入り、別の生き物のように動いた。甘い香りが京士郎の口の中から鼻へと抜けていく。頭の中で光が弾けるような感覚がした。

 嫌悪感と、不思議な悦楽が自分の中を満たそうとしている。京士郎にはそれは、恐ろしいことにも歓迎すべきことにも思えた。

 だが、一瞬にしてその葛藤には決着がつく。勝ったのは嫌悪感であった。

 ようやく力が戻り、女を突き飛ばした。

 肩で息をして、京士郎は女を睨みつける。

 危うかった。何が、と言われるとわからないが、危うい。

 女は少しだけ睨みつけてくる。が、すぐに余裕を持った笑みを浮かべた。


「……なんだ、女の扱いもわからぬのか。まあ無理もない。あやつも似たようなものだ。むしろ、手慣れてないのが好ましく思うこともある」


 女の扱いについて、また言われる。

 例え鬼であっても女は女であるし、男は男であるのだろう。

 京士郎は自分の唇をぬぐいながらそう思った。


「接吻は初めてだったか?」


 そう言われた途端、志乃の顔が浮かんだ。かあっ、と顔が再び熱くなるのを感じる。さっきとは、少し性質が違うように思われた。

 むしろ、京士郎の反応に面白くなさそうだったのは女の方だった。


「むっ、その顔はなんだ。もしや、あのとき一緒にいた女子おなごか? そんな度胸のあるような者には見えなかったが。いや、女というのはわからんからなあ。いつもは繊細なくせに、ときに大胆になる。女の身ではあるが、理解に苦しむことが多々ある。他ならぬ、我が身が一番わからぬが」

「い、いいだろ、別に! そんなことより、俺に()()()しやがった!」


 京士郎は気づいている。自分の中に渦巻くものに。

 それは暴れていた。内から外へ出ようともがいている。どんな形になってでてくるのか想像もつかなかった。

 無理やりにそれを抑え込む。息が荒くなった。


「匂い付けとでも言おうか。あるいは……眠っている獣の性を呼び起こしたとでも言うべきかの? ああ、だが、やはりだ。お前には素質がある。姉は嬉しいぞ? お前もこちら側に来られるなんてな」

「誰がなるか、鬼なんかに!」

「どうして鬼になりたくないんだ?」


 女はそう言った。京士郎は思わず、目を見開いた。

 どうして、鬼になりたくないのか。答えは簡単だった。

 鬼は悪しき者である。忌まわしい、人の敵である。

 だからなりたくないのだ。そう言うべきだ。

 だが、自分は何を考えていた?

 鬼は目的を持っている。〈この世〉に執着し、理に反するだけのものがある。

 だが、自分にそんなものはない。生きるということを考えたときに、自分は鬼にすら劣っているのではないかと考えやしなかったか。

 ぎりっ、と歯を噛んだ。


「……母を殺し、奈津を喰ったやつらと同じになってたまるか」

「ふむ? では、お前やお前の養父母を追い出した者たちと同じでありたいということか? それもおかしな話よなあ。お前の尺度では、自分の周りに害を為した者を嫌うということだ。程度は違えど、人はそういう者であることに変わるまい?」

「黙れっ!」


 京士郎は自分の中で渦巻くものを、力でねじ伏せた。

 自分の頭にかかっていたもやが収まった気がした。思考がはっきりし、女をきちんと視界に捉えることができる。

 ほう、と鬼の女は感心したように唸った。


「まさか、力任せに封じ込めるとは、大した者だ」

「お前は許さない」

「落ち着け落ち着け。でなければ、大切なものを失ってから気づくような羽目になるぞ?」

「なに?」


 女の言葉は、さきほど京士郎が抱いた印象と同じことであった。

 それこそが彼女の狙いなのだろう。

 女は手を掲げて、指を伸ばした。京士郎はその指の先を見る。

 蜘蛛がいた。巨大な蜘蛛だ。昼に戦ったものよりも、ずっと大きい。家をまるごとひとつ潰せてしまえそうであった。

 その大蜘蛛は京士郎がさきほどまでいた……そしていまは志乃とオヒトのいる家の屋根に乗っかっている。糸を垂らし、中から人をすくいあげていた。京士郎の目はそれの正体を捉える。志乃だった。

 それを反射的に追おうとして、はっと女の方を振り向く。


「まさか、お前たち……!?」


 にやり、と笑う女を見て、確信する。

 彼らは京士郎をおびき出すことによって、志乃たちを孤立させたのだ。

 この女はそうやって、鬼に生きた人を与えているのだとも気づく。

 自分の手は汚さないで、しかし確実に人を屠っていく。

 はらり、と女は外套を脱ぐ。彼女の美貌が月光に明るみになる。

 黄金の瞳も、鋭い角もあった。豊満な体もはっきりと見てとれる。


「お前は……何者だ!?」

「いま一度、名乗ろうか。私は茨木童子。この世に鬼の災禍をばら撒き、死をもたらす者!」


 そう言って、茨木童子は飛んでいく。ふわりと、翼がないにもかかわらず。

 満足げな彼女はゆっくりと離れていく。それを歯噛みして見ていることしかできないでいた。

 彼女を追うこともできる。京士郎の目であれば見失わないだろうし、脚であれば追いつくこともできるだろう。

 だがそれよりも、するべきことがあった。志乃を助けることだ。京士郎は茨木童子に背を向ける。


「よいのか? あの女子の仇を討つ絶好の機会だぞ?」


 挑発だった。京士郎は拳を握る。

 仇だと言った。彼女はわかっていたのだ。

 奈津にどのように言えば、どういう事態になるのかと。大百足を蘇らせるために、どのような手段をとればいいのかと。

 すべて知っていて、彼女はあそこにいたのだ。

 いますぐにでも殴り、蹴り、斬ってみせる。それだけの力があると、京士郎は思っていた。

 少しだけの葛藤があった。

 振り向くことなく、答える。


「お前と決着をつけるときは、今ではない」


 あの大きな蜘蛛の好きにさせてはならない。それこそ、茨木童子の思う壺であるということを京士郎は正しく理解している。

 志乃は言っていた。復讐は、他人を傷つけることだと。

 そしてそれは、志乃を危機に晒してまでするようなことではないように思えた。

 であるから、もし茨木童子と決着をつけるのだとすれば、万全のときであるべきだろう。


 茨木童子の顔が驚きに歪み、そして今度は怒りの表情へと変わった。


「……いいだろう、後悔をしろ。存分に足掻くがいい!」


 そう叫ぶや否や、姿を消した。

 京士郎は見届けることなく、駆け出した。

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