復讐の意味
2017/06/04改稿終了
少年に連れてこられたのは、廃村の家であった。
人がいないにも関わらず、人の作ったものだけが残っているという光景は恐ろしくもあった。
「ここの人たちは、どこへ行ったの?」
志乃が聞いた。しかし、少年は黙ったままだった。
少年はオヒトと名乗った。志乃は彼の名を呼びかける。そこでようやく振り返って、言った。
「逃げてったよ。あの蜘蛛たちが恐いんだと。まあ、無理もない。なにせここの村の者たちは半数をあの蜘蛛たちに持って行かれた。それもじわりじわりと、一人ずつ。毎晩毎晩、持って行ったのさ。時のは一人も持っていくことなく、それがなおのこと不安にさせていた。覚悟ができないからね」
その結果、この村は捨てられた。
オヒトはそう語った。志乃は苦々しい顔を浮かべる。
不破関が閉鎖されていたのは、あの蜘蛛たちが原因なのだと考えるのは容易かった。人攫いの正体が、人ではなくあの蜘蛛たちであるのならば、犯人探しもその討伐も上手くいかないのは道理であると言えるだろう。
「やはり、あれは鬼なのか」
京士郎はそう言った。
人を攫い、その魂を食う。この世に肉体を持って在り続けるために。それが鬼の持っている食欲だ。
あれだけの数を維持するのは大変だろう。相応の人数の魂が必要になることは想像に難くなかった。
攫われたのも、この村の者だけではないはずだ。
あちこちで人がいなくなっているに違いない、と京士郎は考えた。
「間違いないわ。それに、そうして逃げた先は次第に一つになっていくに違いないだろうし、次にあの蜘蛛たちが襲うとしたらその集まりよ」
志乃も同じことを考えた。そしてその考えは、蜘蛛たちのやる先を見通していた。
オヒトは鍋を用意して、雑多に山菜を入れていった。水を入れて、粥のようにして煮て食べるつもりなのだろう。
「こんなんしかないけどな」
「いいえ、嬉しいわ。どこかの誰かが持ってくるものより、ずっとましね」
棘のある言い方だ、と睨みつける。つん、と志乃は視線を合わせなかった。
火を起こして、煮込み始める。食材に火が通るまで時間がかかるだろう。
「それで、お願いというのは何なの?」
志乃が聞いた。それこそが本題だった。
オヒトは鍋の中を眺めながら、口を開く。
「あの蜘蛛たちを倒してほしいんだ」
「倒すって……やり方はわかるの?」
オヒトは首を横に振った。でも、と口にする。
「あいつらがどこにいるのかは知ってる」
それは大きい。京士郎は思った。狩りをするにも、相手がどこで巣食い、どこで寝泊まりをしているのかわからなければ話にならない。
あれだけの数をどのようにして倒せばいいのかわからないが、それでも前進である。
「ここから北にある洞窟、そこに奴らはいる」
「やっぱりね」
志乃は頷いた。
「あのくも……空に浮いてる雲は、小さな蜘蛛たちが動くための傘みたいなものなのね。彼らは日の光に弱い。これは、鬼に共通する特徴ではあるけれども、人の形をとらない鬼にはとりわけ、そういう傾向があるわ」
曰く、鬼たちの本当の姿というのは、鬼それぞれなのだという。しかし一様に言えるのは、その力としての核は異形なのだという。
異形であるとき、鬼はよりその本質を露わにする。それは同時に、陰に対して陽の影響を受けやすいということを指す。例えば、日の影響を受けるということだ。
言われてみれば、鈴鹿村で戦った大百足にしてもそうだった。彼らが潜んでいたのは光の届かない井戸の底だ。それは力を温存するのに、最も適した場所であったに違いない。
「だから、あれだけの数の蜘蛛を収めるような場所は、洞窟しかないのよ。じめっとしてて、暗くて、最適ね」
「……ねえちゃん、よく知ってるんだな」
オヒトに感心の言葉をもらい、少しだけ笑顔を漏らす志乃。どうやら、褒め言葉には弱いらしい。
しかし、京士郎の目は鍋に釘付けだった。
端的に言えば、腹が減っていた。出来上がるのをいまかいまかと待っている。
「でも、本当にそれだけなの?」
そして、志乃はもう一度、疑問を提示した。
「やつらの狙いは、何なのか。それがわからないのは、不気味ね」
「……人を食うことじゃないのか?」
「京士郎、あなたは蜘蛛が人の魂を取り込むのを、食欲と言ったわね。だとしたら、人は食欲のために生きるのかしら? 鬼というのは、そんなもののために〈この世〉の理に逆らうの?」
人が生きていくためには、何かを食すことは必要だ。
だが、生きるのに必要なことを楽しむことはあっても、それそのものを目的とする者はそういない。むしろ食というのは、楽しむための手段の一つであり目的ではない。
であれば、彼らがどうしてそうまでして〈この世〉に在ろうとするのか、ということが問題なのだと、志乃は言うのだ。
ぐっ、と拳に力が入ってる自分を自覚した。
気づいて力を緩めようとするも、上手くいかない。
「もちろん、食べることが目的になってる人だっているけどね」
京の都には、そういう貴族がいたりする。食い道楽、なんて言うのよと志乃は言った。
でもおおよその人々はそうではない。鬼の多くが人の陰気によって生まれたものであるのだから、同じように考えていい。
「難しい話だなあ。おれにはわかんねえや」
オヒトが言った。二人の話……だいたいは志乃の言葉についていけないようだった。京士郎とてついていけないのだから、オヒトにわかるものだろうか。
はい、とオヒトは雑多に煮た粥をお椀についで渡してくる。京士郎はそれを受け取って、啜った。あまりにも多様な具材を詰め込みすぎており、お世辞にも美味いとは言えないが、贅沢は言うまい。
「オヒト、あなた、ご家族は?」
「ああん?」
志乃が言った。オヒトは、剣呑な雰囲気を隠そうともしなかった。
「おれの家族は……とっくのとうにいなくなったさ」
「それは、あの蜘蛛のせい?」
じろり、とオヒトは志乃を睨みつけた。
「そうだよ。蜘蛛退治だって、そのために頼んでるんだ。おれの父ちゃんと母ちゃんの仇をとってほしいから、頼んでるんだ」
おれには力がないから。オヒトは言った。
それはそうだろう、と京士郎は思う。人の身では、鬼には勝てない。いや、京士郎が知らないだけで、鬼を倒せる人もいるのかもしれない。軍勢で圧倒すれば、打ち取れるかもしれない。京士郎がいま持っている刀のような武具が他にあれば、あるいは。
それは並大抵のことではない。京士郎自身が死力を尽くして戦う相手を打倒することは、どれほど難しいことか。
だが、納得しない者もいた。
「……仇討ちなんてしないわ」
志乃だった。ぽつり、とその言葉を吐き出した。
それに憤慨したのは当然、オヒトだった。
「どうして!?」
「鬼はね、そういうものから生まれるのよ」
陰気から、生まれるのだと志乃は言った。
それにね、と前置きをしてさらに口にする。
「私たちは、鬼を倒すわ。……でも、仇討ちをして回るわけにはいかないの」
「おい、それはどういうことだ」
京士郎は思わず、口を挟む。
「困ってるから、助けるんだろ」
「いいえ。仇討ちは、復讐は困ったからすることなんかではないわ。勘違いしないで、京士郎。困るというのはね、生きていけなくなること。服がなかったり、ご飯や水がなかったり、家がなかったり、そういうことよ。気持ちに基づいて誰かを傷つける、倒すなんていうのは、困ったことからとる行動としておおよそ最悪なの」
そのことをわかりなさい。志乃は言った。
むう、と京士郎は口をつぐむ。納得はできなかった。
その胸のわだかまりをあえて聞いたのは、オヒトだった。
「待てよ。だったらなんで、あの蜘蛛を倒してくれるって言うんだ」
「あの蜘蛛たちがいたら、不破関は閉じたままでしょう? それに、オヒト、私たちはあなたの仇討ちに加わることはしないけれども、あなたの願いは聞くと決めたの。このご飯のお礼にね」
「ああ、それは同感だ。飯にかけて、蜘蛛どもを蹴散らそう」
そう言って京士郎は、食事を平らげた。志乃も碗の中身をすべて食べて、どんと置いた。顔をしかめているのは、味の問題か行儀の問題か。
一宿一飯の礼とも言う。こうして食事と、屋根のある場所をもらった礼を尽くす。
京士郎も志乃も、同じように思っていた。
オヒトは少し困った顔を浮かべている。戸惑っている、と言うべきだろうか。
こうも言葉が転がっていれば、無理もない。京士郎はそう思った。
「……ところで、姉ちゃんたちはどうしてあんなところを歩いてたりしてたんだ。道からは外れてるし。関を避けて通るなんて、よっぽどのことだろ? まさか、駆け落ち?」
「なっ、そ、そんなわけないでしょ!?」
そうだそうだ、と京士郎は頷く。
「そんな甲斐性があると思う?」
「さすがに聞き捨てならないな!?」
「だったらもっと女性の扱いを心得なさい。あんな山道を歩かせるなんて!」
「俺の故郷じゃみんな歩いてたんだ」
「私は私でしょう? それぞれに合わせるのが甲斐性なの」
「お前も他人も大した違いはないぞ。ああ、肉は人より多いか」
「胸だから多くていいのよ!? って、なに言わせるの!?」
不毛な言い合いだが、二人はいたって真剣だった。
無意味な疲れから黙りこくる。視線が一瞬合うも、すぐに揃って逸らした。
それを眺めていたオヒトは、ぼそりと言う。
「仲良いんだな」
「どこが!」
二人の声は揃っていた。