そこは巣
2017/06/04改稿終了
見渡す限りの蜘蛛に圧倒されるも、京士郎は刀をあえて浅く構え、防御の体勢をとっていた。
背中にいる志乃の雰囲気も変わっている。
「……鬼というのは、人以外の形もとるんだな」
「みたいね。私も初めて見たわ」
感情を押し殺した志乃の声だった。陰気、と言っていたのと関係しているのかもしれない。
京士郎は鋭い目を、蜘蛛たちに向けていた。
獣の相手は慣れている。野山を駆け、ときには猪や猿、熊と対立していた。彼らと戦うこともあった。
人であれば、まだわかる。自分と同じような体を持つ者の動きは、想像ができる。
だが、虫はどうだろうか。
未知の相手だ。蜂の巣の除去などとは違うのだ。
人の子ほどの大きさを持つ蜘蛛の動きなど、どのようにしてわかるものか。
そして、ここにいる蜘蛛たちもまた鬼である。その証拠に、彼らは黄金の瞳を京士郎へと向け、頭部には大きな角が生えている。
じり、と焦れったくなり、京士郎がわずかに足を動かした。
それを合図にして、蜘蛛の一つが飛びかかってくる。
京士郎はそれを両断した。志乃から預かった刀は恐ろしいほどの斬れ味を持っている。もちろん、京士郎の技の冴えもあるが、鬼に対してこれほどの威力を発揮する刀がただの刀であるわけがない。
暗くなった森で、まるで自ら光を放っているかのような刀が踊った。
飛んできた蜘蛛の背後にあった、もう一匹を切断したのだ。
その際に見えた、蜘蛛の顔は、人の顔のようでもあった。しかしその顎は異様なまでに強靭であり、腕を噛まれてしまえば簡単に捻られてしまうだろうということがわかる。
途端、蜘蛛たちは一斉に京士郎と志乃へと襲いかかった。
巧みな連携であった。さながら狩りをする山犬のようで、京士郎も背中に志乃がいなければどうなっているかわからない。
その志乃は、術で対抗していた。襲いかかってくる蜘蛛たちは見えない壁に阻まれ、次々に燃焼していく。踏み込んだものを焼く結界を張っているのだ。
斬られ、燃える同胞を見てなおも蜘蛛たちは京士郎たちへ跳びかかる。
恐ろしく思えた。
牙を、刃を向けられて恐れおののくことをしない者はいるだろう。
だが、同胞が倒れていく様をまるで無視するか、利用するかのように襲いかかってくる彼らは恐ろしかった。
見れば、蜘蛛たちはさらに増えているように思えた。
木々の先まで、木々の上までびっしりと蜘蛛たちは張り付いている。
辺り一面を覆う、とでも言えばいいのだろうか。
黄金の目が蠢いている。それはまっすぐ京士郎たちを見ている。
これでは終わらない、と京士郎は思った。
自分であればずっと戦い続けることもできるだろう。
だが、志乃はどうだろうか。
術を何度も行使しているせいで、息切れしている。慣れない登山で、もともとの体力もなくなっていたのだろう。
そして、志乃も倒れれば共倒れになる。背を守る者がいなければ京士郎も危ういし、力尽きた志乃を守りながらここを逃れることなどできるはずもない。
打開策を考える。
これは鬼だ。志乃の言葉を思い出せ。鬼とはどういうものなのか。
陰気、と言う。その気配というのを京士郎は感じつつあった。暗い影を落とすそれこそが、鬼そのものなのだ。
京士郎は跳ね返るように空を見上げた。
雲だ。日を覆い隠す雲が、そこにあった。灰色の雲には、髑髏のようにも見える文様が浮かんでいる。
蜘蛛が現れたそのときにやってきた、雲。
直感的に、京士郎は雲の正体を悟る。
「おい、あのくもを狙え!」
「どこもかしこも『くも』だらけじゃない!」
「虫じゃない、空にある雲だ!」
志乃もまた、空を見上げた。
確かめるまでもなく、志乃は空へと拳と突き上げる。術を行使しようと言うのだ。
その隙を作らなければならない。
京士郎は赤い目を光らせ、蜘蛛たちへと刀を走らせた。
京士郎は志乃の周囲を縦横無尽に駆け巡る。
三方から飛びかかってくる蜘蛛を、まばたきの間に斬り伏せた。瞬間の三連撃を、周囲に向けて放つ技だった。
本来であれば不利な局面である一対多の戦いにおいて、致命の傷を与える剣筋と狙いを定めさせない動きで自己を防衛する技であるが、その応用として志乃を守るべく京士郎は使った。
「忿怒よ、剣を持ちしその腕よ、その火の子よ、悪神を振り払い給え! 急急如律令!」
炎が志乃の拳から走る。
鋭く細い炎は、さながら剣の形をとって空へと伸びていった。
打ち上げられた炎の一撃は、雲へ目掛けて突っ込んでいく。
しかし、雲はそこで動いた。
「うそ、外した!?」
志乃の叫び。雲はそこで、炎を回避してみせる。
信じられない動きだ。誰が空に浮く雲が動くなどと思うだろうか。
それは京士郎と志乃の知る雲ではないということを、まざまざと見せつけていた。
(やはり、あれがこの蜘蛛の本体か何かか)
やがて蜘蛛たちの動きが止まった。
きしり、きしりと顎の軋む音が響いた。
蜘蛛だけに、子を散らすかのようにして、彼らは姿を消していく。
追うことも考えたが、この山の中では巻かれるのが目に見える。
ふう、と息を吐いて刀を納めた。志乃もへなへなと、しゃがみこむ。相当疲れているようであった。
「何なのよ、あれ。聞いてない……」
「ひとまず休もう。これじゃあ、村を探すなんて悠長なことは言っていられない」
京士郎が言うと、志乃は頷いた。
一刻も早く動きたいところではあるが、闇雲に歩いて体力を消耗してはいけない。それよりも、万全を期してから進む方がずっといい。
「蜘蛛の姿の鬼、ね。このあたりでそんな鬼がいるだなんて、聞いてなかったのだけれど」
京で知る限り、不破関の向こうは鬼のみならず、国を朝廷に代わり治める国司の領地と、代々の帝による東征以前から力を持っている豪族、そして賊たちが蔓延っているのだという。
不破関に着く前に話したように、それらの監視、管理をするために関が置かれているのだ。
ある程度の話を志乃は聞いていたのだが、やはり漏れがあったようだった。
もしくは、あの蜘蛛たちと遭遇してしまった者たちが生き延びることはできなかったのか。
「でも、蜘蛛でしょ? どこかで聞いたことがある話ね。でもどこだったか、ううん」
志乃が唸る。京士郎はここらのことも、鬼のこともわからないし、豪族や国司と言われたところで想像もできなかった。どちらも大差なく、偉そうなやつ、くらいに思っている。
一方で、京士郎には気になっていることがあった。
「あれは果たして、俺の知る蜘蛛なのか」
蜘蛛というのは、集団で行動をするものではない。あくまで一匹で、巣を張って、止まる虫を待つものなのだ。
それが集団で、しかも互いの動きを把握し、確実に仕留めようと襲ってくる。
奇妙だ、と言えばそこだ。
京士郎がそう言って、志乃が頷いた。
その時だった。
「いいや、それは違うよ」
声がした。子どもの声だった。
「蜘蛛にだって、集まりを作るやつがいる。みんなで子どもを育てて、狩りをする。互いを傷つけないようにしたりさえする。おれたちがそうしているように」
京士郎は刀に手をかけた。それを志乃が制止する。
「だめよ、それは人を傷つけるためのものではないわ」
言われて、京士郎は志乃を睨みつける。が、感情を抑えた。
この子どもの声が言うように、蜘蛛でさえ互いを傷つけないと言うのだ。自分が人を傷つけていいわけではない、と己に言い聞かせた。
「誰ですか、姿を現してください」
「言われなくても」
志乃の声に応えたのは、やはり子どもだった。京士郎より少しだけ幼いだろうか。
二人は少しだけ警戒を緩める。だが、油断はしなかった。
「実は遠くから見てたんだけど……二人とも、すごいな。あの蜘蛛たちを相手に、一歩も引いてなかった」
そこでお願いがあるんだ。
「おれを助けてくれないか?」
子どもはそう言った。京士郎と志乃は顔を見合わせた。