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天斯流転  作者: ジョシュア
第二章:いく世の春を せきとめて
15/26

合わない歩幅

2017/06/04改稿終了

「やっぱり、やめておけばよかった!」


 志乃の叫びは、しかし誰かに気取られてはいけないと声量は小さかった。

 それを聞いた京士郎は軽やかな足取りを止めて、後ろを振り向いた。

 道を知る志乃が先ほどまで前を歩いていたが、山の中では京士郎の方が得意だった。前を歩くのは、得意な者の方が務める、というのは二人の取り決めでもあった。


「なにを?」

「決まってるでしょ! 山の中を通っていくことよ!」


 最悪、と言って、彼女は衣服についている葉を払った。


「なんだ、京の者はみんな腰が弱いのか」

「普段はこんな山道上ったりしないし! そうじゃなくて」

「そこ、穴空いてるからな。気をつけろよ」

「え、きゃあっ!」


 足を躓かせ、志乃は前のめりに倒れる。

 京士郎が手を伸ばして、志乃の体を支えた。

 体勢は崩したが、倒れる寸前で彼女を捕まえることができた。

 ふう、と息を吐く。そういえば、奈津も山道に一向に慣れることがなく、幼い頃はこうして支えていたな……などと思い出す。

 だが、そのときとは明らかに違う感触があった。

 むにっ、と手の中に何かあった。柔らかく、心地よい感触だ。その正体を京士郎は見当をつけた。


「腹に肉がついてるんじゃないか?」

「そこは胸よ、むね!」


 ぺしん、と志乃の手が翻った。京士郎の頭を叩くと、手をどけて立ち上がる。

 太ってもいないし、と彼女は言って唇をとがらせる。京士郎と言えば、つい自分の手を見てしまった。


「た、確かめないで! 恥ずかしい!」


 そう言って近づこうとして、今度はつんのめってしまう。それは自分の足で踏ん張ってみせた。

 危なっかしい様子を見かねて、いよいよ京士郎は心配になってきた。


「大丈夫か?」

「……問題ない!」


 そう言うなり志乃は袴の裾を大きく持ち上げると、端を結んで、短くする。

 大きく脚を露出する格好となり、志乃は気合十分といった顔をする。

 京士郎は、志乃の脚から視線を外した。

 憤慨した様子の志乃は、京士郎を睨みつけている。


「だいたい、道なんてないじゃない、どこにも!」

「いま歩いているのも道だ」


 獣道でしょ! と志乃は言いたかったが、黙った。

 京士郎としては、それ以外になにがあっただろうか、と思わざるを得ない。

 猪や兎が歩く道のことを獣道と言うのだが、そうして彼らが歩んだあとには、自然と草木が避けていく。踏まれてしまって枯れるものが積み重なって、その道を獣たちがまた通ってを繰り返し、人の手によらない道が出来上がる。

 狩りや山菜収集の際には、人だって使う。

 京士郎はそれを指して道と言ったのだが、志乃の解釈では違ったようだった。

 不機嫌そうな顔を志乃は浮かべる。


「だが、山中でも行くと決めたのはお前だろう?」

「そうだけど、そうだけど!」


 不満たらたらの志乃に、ため息をついたのは京士郎の方だった。

 一度決めたにもかかわらずこうも駄々をこねられると、さすがに苛立ちが湧いてくる。

 尤も、それは言葉の足りない京士郎に非があるのだが。

 二人の間には、険悪な雰囲気があった。


 しかし、その雰囲気を払ったのもまた志乃だった。

 道はともかく、方角を正確にわかっている京士郎には信用を寄せている。


「……不満はほどほどにしておくわ。まだまだあるけど!」


 でも、陰気なのはもっとよくないわ。

 そう言って、立ち止まっていた京士郎の元までやってくる。


「陰気?」

「そうよ、鬼が寄ってくるから」


 京士郎がふと思った疑問。志乃は少し思案げな顔をする。

 よっ、と言って志乃が木の根を乗り越えた。京士郎は手を差し出して、志乃の腕を引っ張る。少し戸惑った彼女であったが、しっかりとつかんだ。


「なあ、鬼というのは、そもそもどういうものなんだ?」


 京士郎のかねてからの疑問だった。

 鬼、それは人を襲うものだと言うのは知っている。

 大百足と戦ったときに、志乃の言っていた「魂を喰らわなければ存在できない」ものであるというのも、知った。

 だが、その本質についてはわからないでいた。

 志乃は少しだけ思案げな顔を浮かべる。


「説明するのは難しいけれど、そういうものだと思ってほしい。私もよく、わかっていないんだけれど」


 鬼というのは、本当は存在しないものよ。

 さっそくわからない、と京士郎はそういう顔を浮かべたが、志乃に気にする様子はなかった。


「目に見えるものではないし、形のないものなの」


 この世の森羅万象は、陰と陽という二つの精気を持っている。それら二つは混ざり合い、流れ合い、均衡を保つことで宇宙に働きかけ調和をもたらす。

 鬼というのは、その陰と呼ばれるものと死した者の魂や想念が結びついたものだという。正しく言えば、純然たる陰の気のことだ。

 本来であれば輪廻転生に従って〈あの世〉にいなければならないもので、時が過ぎ万象が変化していく〈この世〉にはいることに堪えられないはずの存在。

 彼らは変わることができない。それは成長しないのみならず、老いることもできないことであるという。

 時の流れに逆らい、陰と陽の両立もできず、それでもなお存在しようとする、魂の滞ったおりとも云うべきもの。

 それが鬼、と呼んでいるものだ。


「それはおかしいぞ。俺が戦った鬼はみんな、きちんと肉体を持っていた」

「ええ、その通り。その中でも特に強力な力を、想いを持つ者は形を持つ。肉の体を持って、〈この世〉に現界する。でもね、肉の体は本来、変わって朽ちていくものなの。それが〈この世〉のことわり


 理、と志乃は言った。それは必然だと。あらゆる存在であっても免れることのないものであるとも。

 しかし、鬼はそれに反している。

 本当ならばつま弾きにされる存在であるが、そんな彼らがどうにか〈この世〉にとどまるべくとった手段こそが、魂喰らいなのだ。

 魂には本来〈この世〉に繋ぎとめる力があるのだ。死とはこの繋がりが失われることであり、鬼たちは魂を喰らうことでその力を補給している。


 ……奈津も、彼らが肉体を持つために捕食されたのだろう。京士郎は志乃の話から推測はできたし、事実として彼女もそう言っていた。

 〈この世〉だとか、流れに逆らうだとか、そもそも陰気だ陽気だ、というのを理解できていない。だが、彼らは存在してはいけないはずのもの、という風に解釈をした。

 鬼の存在はまるで、風のようだと思った。普段は見えもしないのに、吹く風は葉を揺らすし、あまりに強く吹けば葉をさらっていく。

 あるいは、人を食わなければならないというのは。


「食欲みたいなものか」

「真面目に聞いてたの?」

「そういうものだと思え、って言ったのはお前だろ」


 文句言うな、と言って京士郎は先へと進んでいった。その後ろを、志乃が追う。


「そんなことより、今日はどこで休むの?」

「…………」


 志乃の問いかけに、京士郎は無言だった。

 正しくは、答えたくなかった。怒られるのが目に見えていたから。


「もしかしてだけど、野宿? 用意ないんだけど!?」

「木の根が浮き上がってるところがあるだろう。ああいうところを寝床にするのも悪くない。俺も雨宿りをすることがあった」

「私も同じにしないでよ!」


 そう言って、不満たれる志乃。確かに、それは盲点だった。

 自分一人ならともかく、二人で寝るには狭いだろう……と場違いなことを考える

 せめて岩場などがあればいいのだが、と見渡すが、木々が広がっているのみ。普段であれば歩きやすいと思うものであるが、いまであっては困りものだった。

 志乃が京士郎の袖をつかむ。ふと見ると、彼女は顔を逸らしていて表情はわからないが、肩が震えている。


「その、外で寝るとか、不安で」


 絞り出すような声でそう言った。

 そういえば、そうだ。彼女は鬼に追われ、熱にうなされながらどうにか逃げ延びていたのだ。

 あのときは運良く廃寺を見つけることができた。しかし今度はそうはいかない、という思いがあるのだ。

 知ってしまったからには無視することはできない。京士郎はそういう質だ。


「……少しだけ急ごう。どこか村があればいいんだが」

「でもそろそろ、日が傾いてくるころよ」


 志乃はそう言って、空を見上げた。

 木々に遮られているが、確かに空には日が高く昇っている。それは逆に、これから傾いていくということだった。

 自分たちが活動できる時の半分が過ぎてしまったのである。山の道程は道の道程よりもずっと時間がかかってしまうから、不安があった。

 不破関はすでに越えていると京士郎は確信している。であれば、村なりあってもいい頃合いではあるが、山の中では人の気配を探ろうにもわからない。


 だが、突如として日が陰る。

 雲が空を覆いっているのだろうと思ったが、それにしては奇妙だった。

 なにせ、雲ひとつない快晴であった。山の天気は変わりやすいものであるが、それにしても奇妙だろ感じる。

 京士郎は、自分の首筋にひりひりと痛みが走るのを感じた。

 その感覚を知っている。あのとき、廃寺で、あるいは古井戸での感覚と同じ。


「鬼だ!」


 京士郎が抜刀した。志乃もまた、構えを取って京士郎の背中に回る。

 暗くなった山中を二人が気配を追う。

 鬼には特有の気配があるように、京士郎には感じられた。それは志乃の言う陰気のことかもしれないが、自分にはそれを察知する感覚があることを自覚する。

 だから、目で探さなかった。

 漂ってくる空気や、風や、あるいは影が教えてくれる。

 刀を深く構えて、その者が出てくるのを待った。

 がさり、音がする。

 京士郎はその方へ踏み出そうとするが、新たな気配が踏みとどまらせた。


「これはちょっと」


 志乃が言った。その先は口にしない。京士郎も同感だった。

 現れたのは、蜘蛛だ。それも人の子ほどの大きさはあるだろう。

 しかし、数が異常だった。

 蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛。土からも木からも蜘蛛が現れる。

 気がつけば、二人は鬼の蜘蛛に囲まれてしまっていた。

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