二人だけの解
2017/06/04改稿終了
「戦いぶりは見てたけど、確かに鬼を倒したとしてもおかしくはないわね。ごめんなさい、疑って」
「……信じてなかったのか」
京士郎は思わず苦笑いを浮かべる。
当たり前でしょ、と少女は唇を尖らせた。
「わからないじゃない。どれくらい強いかなんて」
「どうかな。どの獣が狙いやすいかとか、そういうもんだと思うぞ」
「その感覚は共有できなさそうね」
少女はそう言って、さて、と話題を変える。
大百足を指差す。
「あれは何なのかしら。大百足の鬼ではあるけれども、古井戸から出てきたわ。あの古井戸に何があったか知ってる?」
少女の目は鋭い。京士郎は答える。
「昔、この鈴鹿村で火事があったときにたくさんの人が逃げ込んだらしい。以来、蓋をかけて誰も中に入れないようにした。だが今回、その封が解けたみてえだ」
「なるほどね。あれだけの力よ、きっとその飛び込んだ人たちの魂を食ってるわね」
「……魂を、食う?」
「そうよ。鬼というのはね、そうすることでしか現世にいることに耐えられないの」
京士郎が言葉をそのまま返す。信じられない、というように。
魂というのは、生きとし生けるものが持つ生命の原動、と京士郎は天狗から教えられていた。
それを食うというのは、とても恐ろしかった。まるで生きることへの否定だ。
ともに、昨日に出会った外套の女を思い出す。
あの古井戸は地の底に繋がっていて、願いが巡り巡って叶うかもしれない。それがあの古井戸に人が集まった理由で、飛び込ませるだけの理由だと、あの女はそう言っていた。
本当のことかもしれない。けれども、そんな甘いことがあるとも思えなかった。
「いまはいいわ。ともかく、あの大百足があれだけの力を発揮するのはそういうことね。おおかた、あの井戸の底に巣食ってたなにかが魂を喰らうためにあれこれしたに違いない。大火事だってその一環よ。そして、あいつが暴れるだけの魂が満ちた」
「……ということは、まさか」
「鋭いわね。でも、あいつを倒すことだけを考えましょう」
少女はそう言った。口調に反して、苦々しい表情だった。
京士郎も頷いて、大百足を見る。拳に力が入った。許せない、という感情が湧いてくる。
「大百足……というより、あれは龍の真似事ね。でもあいつは龍どころか蛇さえもまともに知らない」
「井の中の蛙ならぬ井の中の百足ってところか」
「あら、意外と学もあるのね。申し訳ないけれど、驚いた」
「天狗に習った」
「……あとで聞くわ。頭が痛くなるから」
ちょっとだけ呆れたように、少女は言った。
心外だ、と抗議したくなったがいまは黙っておいた。
「それで、倒す手立ては?」
「あなたの頑張りのおかげで、あいつの額に傷がついた。あそこを攻めるわ」
「だが、いまので警戒してるはずだ。少なくとも毒の液を吐いてくるってことは、接近されることを恐れている。近づくのは難しいだろうな」
「ええ。でも、私ならあいつを止められる。その隙に、ざくっとやってね」
力強い言葉だった。あの大百足を前にして、わずかも臆していない。
病み上がりだろうに、それほどまでに気力を絞ることができるのか、と京士郎は感心した。
はい、と少女は帯びている刀を渡してくる。
無断で使った時はあれだけ怒っていたのに、簡単に渡してくるとは。
「いい? これ、すっごく大切なものだから。私の宝ではないから、誰かに使わせるなんてできないのだけど、こんなこと言ってはいられない状況ね。この天下で最も大切なものの一つよ。だから、大切に扱いなさい」
「ああ。必ずあの鬼を仕留めよう」
受け取って、京士郎は腰に帯びた。以前に振るったときよりも、重みを感じる。
再び振動がおこる。大百足が少女が貼った壁を叩いてきた。京士郎たちの目前に、大百足の尾が振るわれる。
びりびり、と光が走った。
少女が印を結んだが、それでも意味がないのだろう。すぐにやめていた。
「そろそろ限界ね。時間がないわ。私たちだけならともかく、このままでは村の人たちまで巻き込みかねない。早く決着をつけましょ」
「ああ。……あっ」
目が霞む。ぬぐうと、血がついていた。額を切っていたことをすっかり忘れてしまっていた。まだ傷も塞がってないようで、血が流れる。
少女は懐から包帯を取り出して、京士郎を屈ませる。
かがむと、腕を回して京士郎の額に包帯を巻いた。大切な布だろうに、贅沢な使い方だ。
「これでいいわ。まったく、鬼に頭突きするなんてどんな神経してるのよ」
「使えるものはなんでも使うようにしてるんだ」
「いいわね、そういうの。嫌いじゃない」
京士郎は少女の言葉に、安心感を覚えた。
この少女は自分のことを恐れない。信頼してくれる。
そのことが堪らなく嬉しかった。
自分の中にあるなにかが、奮い立つ。
戦おうという意志と、戦えるという確信と、戦わなければという使命があった。
京士郎は立ち上がる。少女もともに大百足を見た。
龍の真似事をする百足、そう思えばあの大百足でさえ小さく思えるような気がした。
「さあ、行くわよ。覚悟はいい?」
「言われずとも。とっくのとうに、できている」
刀を鞘から引き抜いた。甲高い音とともに、銀の光が放たれた。
結界が解かれるのを合図にして、京士郎は飛び出した。
近づくにつれ、大百足はその身を引く。やはり、近づかれることを意識している。
京士郎は自分の身を傷つけることができる者だと知り、恐れをなしている。
動物というのは、人が思っているよりずっと賢い。
恐るべきものがあれば避けようとするし、一度かかった罠だって見破ってみせる。
獰猛な者こそ、生きることへの執着が大きいものだ。
みだりに突っ込んでくるならまだやりようがあるというもの。
むしろ、臆病な相手こそがやりにくいのだ、と京士郎は思った。
大百足はその尾をこちらに向ける。
さながら、剣を向け隙を窺う剣士のようだった。
図体が大きいから、京士郎が刀を握ったところで届くわけでもない。
同じように、刀を向ける。相手に隙ができるのを待っていた。
だが、京士郎は一人ではない。
「黒き羽、山の翁、その鳴声は天降る火玉のごとし----急々如律令!」
少女の言葉が力を持つ。黒い羽を持つ山鳥、鴉が十を超える数も現れる。
それらはさながら、黒い炎のようになって大百足へと向かっていった。
大百足はその身をくねらせて、巧みに鴉たちを避けていく。しかしいくつかは直撃し、大百足はたじろいだ。
「井戸の怪異だけあって、やっぱり私と相性は悪い……でも、こっちはぐっすり寝たから万全よ! 急々如律令!」
続けざまに、少女は鴉を放った。先ほどよりも数を増している。
京士郎はその鴉に紛れて、大百足へと迫った。
刀を握り、片手で振るう。力は入らないが最も遠くへと届く技である。
果たして刃はとどいた。京士郎は勢いそのままに振り抜く。
しかし、斬ったのは大百足の足を数本だけ。致命傷にはほど遠い。
「まだまだ、急々如律令!」
少女は繰り返し、術を放つ。
京士郎もまたそれに合わせて斬りかかるも、届かない。
かえって、大百足の動きが大きくなっていく。家屋を壊すほど暴れまわり、その中で京士郎へ尾を叩きつける。
受け止めるのは困難だと判断し、飛び退きながら一振りだけ刃を返した。
足を数本、そして表面にかすかな傷がつく。だが、それだけだ。
このままでは埒が明かない。
京士郎は痺れを切らしつつあった。
動きを止めると少女は言っていたが、果たしてどのようにしてするのだろうか。
ちらり、と様子を窺う。彼女は鋭い眼差しをしている。
いまは待つしかない。狩りでも何でも、焦ったほうが負けなのだから。
やがてその時はやってくる。
大百足は再び、大きく口を開いた。
毒液の噴射の動作だ。そうわかるも、いまの自分では防ぐ手段はない。
避けてしまえば、背で守っている少女や村の方にまで飛ぶに違いない。そうなってしまえば……。
「いまよ、前に出て!」
少女から指示が飛んだ。
京士郎は一気に駆け出す。鴉の術の支援もないが、彼女の言葉を正しいと信じためらうことはなかった。
刀を振り上げる。大きく開いた口に飛び込むような勢いだった。
「オン・キリキリ、オン・キリキリ、方へ指揮し法を敷きし怒りの炎で結び給え、急々如律令!」
指を巧みに切り替え、少女は呪禁を唱える。
すると、大百足に向かって無数の鎖が伸びた。
火を帯びた鎖はぎりりと音をたてながら縛りあげ、地面と結ばれて大百足はその動きを止めた。
京士郎は大百足の身体をつたって駆け上がる。
刀を振りかざし、目指すは頭頂部だ。
刀を逆手に持つ。力を込めにくいと言われる持ち方であるが、それはやり方次第だ。
大百足の背から大きく跳んで、頭上へ。
太陽を背にして飛び込んでいく。
額につけた傷へ、刀を突き立てた。柄を両手で握り突き込む。
悲鳴をあげる大百足は、鎖で動けずにいる。
だがこれだけの力だ、少女の術で縛るのも限界がくる。
京士郎はさらに力を込める。大百足から血が噴き出してきた。苦悶の声もあげる。
容赦はできない。ここで消えてくれ。
京士郎は心の中で何度も何度もそう言った。
端から見れば動かない、しかし当人たちにとっては引けない戦いが続いた。
ここからは我慢比べだ。京士郎が力尽きるのが先か、大百足が力尽きるのが先か。
果たして戦いは……京士郎の勝利であった。
ずしん、と大百足は倒れる。京士郎も投げ出され地面を転がる。
勝った実感はなかった。座り込んで手のひらを見ていると、そこに手が重ねられた。
少女が駆け寄ってきて、京士郎の手を握ったのだった。
「よくやったわ。お疲れ様」
「どうも」
助けを借りて、立ち上がる。
見る先では、大百足の中にあった光が溢れ出していた。少女の言葉を信じるならば、あの光は魂なのだろう。
魂喰らいの存在、それが鬼。生きとし生きるものを否定する者たち。
その末路を見届ける。闇の者の最期にしては、あまりにも眩しく美しかった。
「------」
「……え?」
音が聞こえた。京士郎には、それは声のようにも思えて。
そして確かに、自分の名前が呼ばれたような気がしたのだった。