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天斯流転  作者: ジョシュア
第一章:かねて思ひし 別れならねば
11/26

断絶

2017/06/04改稿終了

 京士郎は目を覚ます。

 嫌な夢だった。寝汗をかいている。

 自分でも驚き、夢であったことに安心し、そして呆れもした。

 あんな昔のことを、とは思うが、その昔のことをいまでも引きずっているのは事実だった。

 いいことをしたって、誰かを助けたって。

 そんな思いが自分を付きまとっていた。

 少女を救おうとしたときもそうだった。この子はきっと、自分のことを化け物だと言うだろう、と。


 それでも助けてしまったのは、甘さだろうか。

 わからないけれども、違っていてほしい、と願った。

 

 寝ている少女を見た。

 すやすやと、いまは心地良さそうに寝ている。あれだけ寝ていたというのに、まだ眠っていられるのかとむしろ関心してしまった。

 あれほどの形相を浮かべていたが、寝ているところは穏やかだった。

 出会ったときの衝撃は薄れてしまったが、こうして見ると綺麗だなと思う。


(馬鹿げたことを考えるな。もっと考えるべきことがあるだろ)


 自分に言い聞かせた。

 これから、ここを出て行くかどうか、決めなければならない。

 一晩という時間を与えられたが、考えられずにいる。

 そう簡単に決められることではないだろう、と文句を言いたくなったが、自分の中に迷いがあるのも事実だった。

 迷うということは、わずかでも出て行きたいと思っていることである。


 京士郎は思い立って、母の墓参りに行こうと思った。

 少しでも思考をすっきりさせた方がいい。

 家をこっそり抜け出せば、空はわずかに青かったが、夜明けまではまだかかるだろう。


「京士郎、さん?」


 声がかけられる。

 そこには奈津がいた。えらく早起きだった。少なくとも、こんなに早く活動する者を京士郎は知らない。

 よく見れば、奈津の目の下には()()があった。よく眠れていないのだろうか。


「どうした?」

「いいえ、何も。ただ……」


 奈津はぎゅっと、服を握った。

 うつむいて震える。いまにも泣き出してしまいそうだった。

 何かしただろうか、と思うも、自分を前にしてしまえば仕方ないとも思う。物の怪と、化け物と蔑まれるような者を前にして恐がらない方がおかしい。京士郎はそう納得する。

 意を決したように、奈津は顔をあげた。


「京士郎さんは、寂しくないですか?」

「……どうしてそんなことを聞くんだ?」

「それは……なんとなく、です。ごめんなさい」

「謝らなくていい」


 そうか、俺は寂しそうに見えるのか。

 京士郎は小さくつぶやいた。

 奈津には聞えなかっただろう、首を傾げて不安そうな顔をしている。

 苦笑して、京士郎は答えた。


「寂しくはないな」

「そう、ですか」


 奈津はまた、うつむいた。

 どうしたのだろうか。こんな彼女を見るのは初めてだった。

 あのとき以来、彼女と長くいたわけではないが、腐っても同郷の者である。通じるものはあるように思っていた。


「じゃあな、母さんの墓参りに行ってくる」

「あ、はい。……お気をつけて」


 奈津に背を向けて、京士郎は走り出す。いったいなんだったのだろうと後ろ髪がひかれたが、振り返ることはしなかった。

 空を見ながら、山へと潜っていく。誰も踏み入れない方へと進む。


 ここ数日と同じように、天狗は現れてくれなかった。こういうときこそ出番だろうに、と愚痴るも虚しい。

 廃寺に着く。埃と木の臭いが混ざっていた。

 手早く、京士郎は母の墓の周りを片付けていく。落ち葉や枝を取り除いていく。

 母の墓は、廃寺の仏壇に置いてある少し大きな石だった。

 名前はわからなかったから刻まれていない。

 そこに京士郎は両手を合わせた。これが作法だという風に言われた。


 ここを離れられない理由は、母の墓にもあった。

 京士郎がいなくなれば、誰がここに来るのだろう。

 誰が彼女を覚えていられるのだろう。

 それに、養父母は子も孫もいない。彼らを残していくのだろうか。

 寂しくさせてしまうのではないだろうか。


「なあ、俺はどうすればいい?」


 問いかける。それは眠っている母へ向けてか、それともここにはいない天狗に向けてか。

 答えなければいけないのは、自分自身だというのに。

 これだけ、ここにいるべき理由はあるのに、どうして出て行きたいと思っているのだろうか。

 それは、村の者たちがいるからか。自分を揶揄する者たちがいるからか。


(いや、それはない。あってはいけない)


 逃げるわけではないのだから。

 それに、逃げてついて行くと決めることを、彼女は望まないだろう。

 殴ってでも止められそうである。

 あの少女のことを思い浮かべた。

 寝ている姿は日の光を待つ朝顔を思わせていたが、目を覚ませば驚くほど感情が豊かだった。

 ううん、と唸る。彼女の存在が、京士郎のどこかに引っかかる。

 この感情の表現の仕方を知らなかった。


「馬鹿だな、俺は。やれやれだ」


 そう言うやいなや、廃寺を出ることにした。

 日がわずかに登っている。

 心地よい日の光を浴びて、体を伸ばした。


 そのときだった。大地が大きく揺れた。

 最初は一瞬だったが、少しずつその間隔は大きくなっている。

 地面に手をついて揺れに耐える。少しして収まり、息を吐いた。


「地震か……!?」


 大地が揺れることをそう言うのだ、と天狗はそう言っていた。

 年に数度感じるが、ここまで大きなものは初めてだった。

 京士郎は慌てて、村の方へと向かっていく。

 木々を一足で跳び越えていった。いまは一刻でも時間が惜しい。

 村は、養父母は、少女は、どうなっているだろうか。

 

 山の中腹から、村が一望できた。

 いくつか火の手が上がっている。朝餉あさげの準備をするために火を使っていたからだろう。

 人々は村の真ん中に集まろうとしている。


「どこだ……どこにいる……?」


 じっと目をこらす。

 その中に養父母と少女の姿もあったのを確認して、京士郎は安堵した。

 自分も早く、あそこへ向かわなければ。きっと養父母は心配しているだろう。


 だが、京士郎は再び、嫌な予感を覚えた。

 その感覚は数日前のものと同じ。

 あの少女と出会って、鬼と戦ったあの時と。


 そしてその感覚がするのは、古井戸だった。

 がたん、と大きな音が鳴った。

 異変に気づいたのはおそらく、古井戸を見ることができた京士郎だけだろう。


「蓋が開いてる……?」


 古井戸を使えないように塞いでいたはずの蓋が開いていた。

 その口からは、瘴気とも言うべき紫色の霧が溢れている。


「まずい!」


 京士郎がそう言って飛び出すのと、古井戸から〈それ〉が現れるのは同時だった。

 古井戸を壊して現れたその姿は、巨大な影だった。

 真上に打ち上げられたように伸びた姿に驚き、そしてそれがとぐろを巻いているのを見て、瞠目する。

 全身は黒く光っている。足が無数にあり、無秩序に動いていた。

 顎は大きく割れていて鋭かった。瞳は黄金に輝き、その頭には角が生えていた。

 その姿は、まさに鬼だった。


 京士郎は、鬼とは人に近い姿をしているものだとばかり思っていたが、そうではないようだった。

 いま目の前にいる大きな影は、京士郎の目には百足むかでのように見えた。

 大百足、と呼ぶのがいいだろうか。


 巨体を見上げて、京士郎は身構える。大百足もまた京士郎を捉えた。


「っ!?」


 瞬間、間すらおかず、凄まじい勢いで大百足が迫る。

 京士郎は反射的に飛び退いた。

 大きな音を立て、地面を抉る。その光景は恐ろしいもので、もしあの場にまだ自分がいたら、と思えば震え上がりそうであった。

 着地した京士郎は、大百足の追撃を見て、躱していく。俊敏な動きだ。図体の大きさはそのまま速さにつながるが、この大百足はそれだけではない。反応も早ければ、転換も早い。

 拳を叩き込むべく京士郎は構えるが、大百足は図体はあげた。高くへ頭を置いて、京士郎の動きをけん制する。

 宙空では京士郎はいい的になってしまう。かと言って、無数にある脚を相手にするのは分が悪い。

 一つにでも捕まってしまえば、体が引き裂かれてしまうだろう。

 そんな光景が目に浮かんだ。


「まさか、あの古井戸はこいつを封じ込めるものだったのか。この地鳴りの正体も。地の底で蠢いていた虫が、一丁前に鬼の顔をしやがって」


 京士郎はそう言って、大百足を睨みつけた。

 きちきち、と笑っているつもりなのだろうか。顎の奥にある口が音をたてている。

 不快だ、と言ってしまえばそれまでだ。だが京士郎は、この大百足に不快さともう一つ、別の感覚を覚えている。


(あれは、なんだ。見たことのないようで、あるもの……?)


 懐かしさにも似たような。それでいて、ずれているような。

 そんなものがたくさん重なっている。

 京士郎の瞳は、それを明滅する光として捉えていた。

 正体はわからないが、それらは大百足の中で暴れているように見えた。


 すぐに視界は元に戻った。

 時さえ止まった感覚から戻される。一瞬だけ呆けるも、気を取り直した。


 そこで大百足は、思いもしない動きに出る。

 村の真ん中の方へ。その先には養父母や、あの少女のみならず、村の全員がいた。


「させるか……!」


 地面を蹴る。あまりの力に地面が爆ぜるも、それすらも勢いにして跳んだ。

 京士郎は大百足を追い抜かして、二つの顎を手でつかんだ。

 地に脚をつけ、突進を止める。

 足を擦る音と抉る音が一緒に聞こえてくる。京士郎の足は地面に埋まり、引きずられた跡を作っていった。

 力の限り踏ん張った。脚にも腕にも腰にも力を入れた。

 あちこちが悲鳴をあげるも、無視する。

 ここで止められなければすべて終わりである。村の者たちの命が奪われてしまう。

 今朝に見た夢を思い出した。だけれど、自分を止めることはできなかった。

 圧倒的な力を持つ大百足に為す術はない。

 正面から迎え撃つこと以外にできることを京士郎は知らない。

 けれども、だからと言って諦めるのも嫌だった。


 目が合った。黄金の瞳が京士郎を再び見た。

 視線を逸らしてたまるか。負けたりはしない。負けて、たまるものか。

 京士郎の赤い瞳に火が灯る。

 歯を食いしばって、力の限りを尽くす。


「おおおおおおおおおっ!」


 吠える。響いた京士郎の声に応えるように、身体は力を増した。

 大百足が怯む。そうして生まれたわずかな隙を、京士郎は逃さなかった。

 自分の頭を大きく振りかぶって、思い切り叩きつけた。

 鈍痛がする。鬼だからか大百足も硬い皮膚を持っている。額を切ったのか、自分の視界に血が映った。

 だが、それに見合った成果を得る。大百足は仰け反って動きを止めた。


 急に止まれない京士郎はそのまま飛ばされるも、どうにか体勢を整える。

 大百足を見上げた。鎌首をもたげている。大きく開いた口に、京士郎は悪寒を覚えた。

 そこから液が飛ばされた。百足は毒を持っている。それを吐き出すということは考えられないが、相手は鬼だ。自分の知識がどれほどあてになるか。

 予想もしなかった攻撃に、京士郎の足は止まる。

 このままでは避けられない。とっさに腕で自分を庇ったが、どれほど意味があるのか。


「我は其の境界を超えることを禁ず、我は其を拒絶する。急々如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 声が響いた。

 目前に迫った液が、透き通った壁に阻まれる。

 弾けた液が地面につくと、煙をあげた。地面が溶けているのだ。

 そのことにぞっとして、自分を助けてくれた人物を見た。


「やれやれ、危なかっしいわね。見ていて冷やっとさせられた」


 京士郎の横を、符が飛んで行った。透き通った壁に張り付き、補強される。


「でも助かったわ。あんたが止めてくれなかったら間に合わなかったもの。ありがと」


 そう言ったのは、刀を携えた、京士郎が連れ帰った少女だった。

 京士郎の元に歩み寄ると、隣に並んだ。

 そのことで京士郎は安心感を覚えてしまった。

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