乙女の目覚め
2017/06/04改稿終了
「な、なんでっ!? なんでこうなってるの!?」
京士郎が家に戻ると、そんな声が響いた。
女の声であったが、聞いたことのない声だ。
もしや、と思って中に飛び込んでいくと、そこには助けた少女が立ち上がっていた。
手には京士郎が勝手に拝借した刀を持っていて、ぎこちない動きで入ってきた京士郎をみた。
顔は真っ青なままであったが、目つきはとても鋭い。
「あ、あんたね!? この刀を勝手に使ったのは!」
凄い剣幕であった。鬼でさえ恐れなかった京士郎でさえ、思わず後ずさってしまう。
ぐいぐい、と迫ってくる少女。目の前まできて、声を浴びせてくる。
「どうやって抜いたの? 厳重な封印がされていたはずなのに、力任せに破られている。絶対にありえないわ。どこの人? 何の心得があって、この刀に触れたのかしら?」
「落ち着け! 病み上がりだろう、まだ寝ていろ」
「落ち着けるものですか!」
師匠に怒られる、と言って少女は頭を抱えた。
寝ているときは儚げな少女だ、と思っていたが、起きてみればこんな性格だったとは。
やけに騒がしい日になった、などと一人ごちる。
少女はきょろきょろと周りを見渡して、再び京士郎の方へと向き直る。
「ええと、ちょっと待って。状況を整理するわ。ここはどこなの? あんたはここの家の人?」
「俺の家だ、一応はな」
「どうしてここにいるか、わかる?」
「廃寺で寝ていたのを俺が見つけたんだ。すごい熱が出ていたから、連れ帰って看病した。覚えてないか?」
京士郎はそう言った。あのとき、意識も朦朧としていたから覚えてなくとも仕方ないだろうと思った。
すると少女は、ううんと唸り、顔を真っ赤にしてから、再び顔を青くした。
「 私、鬼に追われて……鬼は?」
「俺が倒した。その刀を使ってな」
京士郎があっけからんと言うと、少女はいよいよ崩れ落ちた。
「そんなのありえない。ただの人が、刀の封印を強引に解いた上に鬼を倒してみせるだなんて……」
しかし事実として、京士郎はそれをやってのけた。少女の握る封の解かれた刀こそがその証でもある。
二人でそんな会話をしていると、養父母が帰ってくる。養母は起き上がっている少女を見ると少し驚いていたが、すぐに彼女をなだめて寝かせる。
「すぐに粥を作りますので、ゆっくりしなさいな。ちょうど根菜もいただいたので、それで精をつけてください」
親切に言うが、こう言った養母はかなり強引であった。有無を言わさぬ言いように京士郎もたびたび従わされていたし、少女もまた同じように従っていた。
粥が出来上がり、四人での食事となる。
少女がここに来るまでのことを京士郎が話すと、養父は口を開いた。
「それで、貴女様は旅をなさっているということですが、どのような用向きなのかお聞きしてもよろしいでしょうか。力になれるやもしれません」
尤も、自分たちの知っていることなど限られている。京士郎はそう言おうとしたが、黙っていることにした。
少女は背筋を伸ばして言う。
「そのお言葉、嬉しく思います。私、あるお方を探している最中でして。その方の名は精山と申します。京にで高名な僧でして、智恵の深さもさることながら武芸も尊んでおられ、誰もが彼の言葉を待っていました」
しかし、と言って続ける。
「彼は、政を嫌っておりまして、ついには京から出奔してしまったのです。そして京に多くの異変がありました。鬼が多く、襲ってきたのです。京のみならず、この世のあちこちで鬼が現れては人を襲っていると聞きます。私はこの異変を解決するべく、精山様を頼るために遣わされました」
そんな最中、鬼どもに襲われてしまったのですが。少女はそう言った。
精山について知っているか、と聞かれ、養父母は首を横に振った。京士郎もまた、知らなかった。
先ほど出会った外套の人物を思い出したが、あれは女であったから違う。
そうですか……と落胆する少女だが、それでも諦めていないようだった。
「あんな鬼が、あちこちにいるのか」
京士郎がそう言うと、少女は頷く。
「武士たちと力を合わせどうにか戦っていますが、人々では到底、太刀打ちできません。仏力に陰陽術も駆使して京はどうにか守っていますが、それも時間の問題でしょう。精山様は以前より、鬼たちについて深い智恵をお持ちでしたから、彼を頼らざるを得ない事情がそこにあります」
苦々しく少女は言った。
はっきり言って、京士郎はこの少女にも、精山という者にもさほど興味があったわけではない。
だが、鬼という存在が引っかかるのも事実だった。
母を殺した鬼という者を、恨んでいないと言えば、嘘になる。
あのとき、戦ってみて感じたおぞましさ。
自分の中にあるものが、鬼を前にすると抑えられなくなる。
あのようなものがこの世に蔓延っていることが、どうにも嫌な感じがした。
すると急に、養父と養母は少女に頭をさげる。
突然のことに困惑したのは、京士郎だけでなく少女もだった。
「な、なにを。おやめください。本来であれば、命を助けられ食事までいただいた私が頭を下げるべき身なのですから、どうか」
「いいえ、折り入って、お願いしたいことがあるのです」
養父は言った。彼は京士郎をちらっと見て、再び少女の方を見る。
「この子を、京士郎を貴女様の旅に連れ立ってもらえないでしょうか」
予想もしなかった言葉に、京士郎は思わず目を見開いた。
「意図がわかりかねます」
少女はそう言った。
「私の旅は、京にある陰陽寮より命じられたもの。天下を守護するためのもの。そして私の使命でもあります。私の事に、他人を巻き込むのは道理に反すると思います」
きっぱりと、少女は言った。
確かにその通りだ、と京士郎は思った。
京のことなどまったく知らないが、天下のまわりを司る場であるということを教えられている。京士郎ごときを連れていくのは、どうにも場違いな気がした。
しかし養父母は引くつもりはないようだった。
「我が子は、人々は物の怪であると言いますが、私たちは神憑りだと思っています。この子は特別です。もしこの特別に意味があるならば、とずっと思っていました。そしてこの子が、貴女様を連れて帰ったときに、きっとこれが定めなのだろうと」
養母は言った。京士郎は思わず、唸った。
よもや自分をそういう風に見ていたとは、思いもしなかった。
「必ずや、京士郎はお役に立てるでしょう。腕は熊をも投げ飛ばし、脚は馬にさえ勝り、目は鷹の如く。そして人の知らぬたくさんの技を身につけています。鬼であれど、恐れることはありません」
「お嬢さん、この子をここに止めておくのはきっと、この世の損失に違いない。だからどうか、連れていっておくれ」
二人はさらに深く、頭を下げた。
京士郎は胸を締め付けられる思いだった。
自分のためにここまでしてくれる二人に申し訳なかった。
なにより、彼らにそこまでさせてしまう自分が恥ずかしかった。止める術を持たないことも。
「頭をお上げください」
少女の言葉に、二人はゆっくりと頭を上げた。
姿勢を正すと少女は言う。
「私は彼の戦いぶりをきちんと見たわけではありません。しかし、彼に助けられたのは事実です。彼の力は私の助けになるでしょう」
ですが、と彼女は言った。
「私には彼を連れていく理由がありません」
「それは……」
「彼に助けられました。そしてあなた方にも、こうして助けられています。それはとても嬉しいことです。こんなところで私の旅を、世を救う旅を終わらせてはなりません。けれども、これ以上、手を差し伸べられると私は、その、困ってしまいます」
わずかに頬を赤らめて言った。
京士郎と同じように、彼女も恥らっているのだ。
ですから、と少女はさらに言う。
「私と共に来るかどうか、それは彼に決めていただきます」
「……俺が?」
「はい。刀を抜き、鬼さえ倒してしまう者が、よもや京の他にいるとは思いもしませんでした。確かに、必要な存在でしょう。それでも、私たちが必要としていることと、彼らが望んでいることと、あなたがしたいことはまったく違うのですから」
だから、決めてください。
少女の言葉は、京士郎に「勝手にして」と言っているようであった。
京士郎は戸惑う。自分で決める、ということがよくわからない。
したいがままに生きてきたが、それは自分で決めることではなかったように思えた。
きょろきょろと、辺りを見た。養父母は二人揃ってこちらを見ている。
対する少女もじっとこちらを見ていた。大きな黒い眼が、まるで見定めるかのようにあった。
「一晩、時間をくれないか」
京士郎はどうにか、その言葉を絞り出すので精一杯だった。
* * *
夜、京士郎は珍しく夢を見た。
むかしの夢だった。まだ京士郎が恐れられてなかった頃だ。養父母はあまりいい扱いを受けていなかったが、子どもたちに京士郎は受け入れられていた。
ある日、奈津や村の者たちと山で遊んでいたときのことだった。
「助けて! 誰か!」
悲鳴が聞こえた。京士郎は奈津たちとともに、その方へと向かった。
川があった。子どもたちも京士郎も、近づいてはいけないと言われていた場所だった。
村の大人が漁や釣りをする川であったが、子どもでは万が一落ちてしまうと戻ってこれなくなってしまう、と言われていた。
けれども好奇心は止められず、子どもの何人かが遊びに行ってしまった。
そのうちの一人……奈津の弟が落っこちてしまったのだった。
川は激しく、奈津の弟は流されていってしまっている。かろうじて顔を出しているが、子どもではそう長くはもたないだろう。
誰もが助けようとして、足踏みをしてしまった。こんな川では、泳ぐこともできないだろう。
奈津が女の子の一人に村から人を呼ぶように伝えた。京士郎たちは、流されていく子を岸に沿って追いかける。
「このままじゃまずいぞ!」
誰かが言った。自分かもしれなかった。
京士郎は、意を決して川に向かった。誰かが引き止めたが、それでも助けなければと思った。
川に足をつける。そのとき、京士郎は初めて自分の力を自覚した。
自分は他の者とは違うのではないかという疑念は少しだけあった。脚は早かったし、腕も強かった。大人でさえ持ち上げられない岩などを、京士郎はこっそり運ぼうと試して、できてしまったことがある。
それがこのときに、表われたのだと思った。
川の上を京士郎は歩いて見せた。沈むことなく、川の急流もものともしなかった。
水を撫でる音を立てて、京士郎は溺れている子のところへと向かった。
「いま助ける。じっとしてろ」
抱え上げて、京士郎は再び川べりに戻った。
そのときに感じたものは、恐怖だった。
視線が京士郎に集まっていた。それは子を助けた者に向けるものではなく、奇異のものだ。
近づくと距離をとられる。
さっきまで握っていたはずの手を、触れてももらえずにいる。
待って、と言いたかった。
どうして、と問いたかった。
そんな間も、京士郎にはなかった。
やがて村の者たちも来て、京士郎を見てひそひそと話す。
水の上を歩いた、子を簡単に持ち上げた、誰よりも早く走ってみせる。
あることないこと、口にしている。
それらのことが繋がって、彼らは京士郎をこう呼ぶようになった。
「物の怪の子」と。