さんのさん
「直里、お前が今いる建物がなんだか分かるか?」
「え、え~と未来と過去の狭間の世界みたいな感じですかね~」
だってDNA認証のドアの先に畳とか斬新過ぎるだろ。
「ほう、興味深い考察だが、表現が抽象的過ぎるな」
コココさんの末期患者に合わせて言っただけです。
「や、こういう表現の方がコココさんは好きかな~って思っただけですよ~」
「直里、私は中二病ではないぞ。アニメに出てくるような可愛い美少女がたまらなく好きなだけだ」
それこそ表現の問題だろう。中学生の時、『俺は二次元ヲタじゃない! ただ純粋にゲームが好きなだけなんだ』と訴えた記憶が蘇りましたよ。あの時は「どっちも同じだろ」という顔でドン引きされたっけ。今の俺、あの時のクラスメイトと同じ顔してるんだろうな。
「直里、この建物は研究のため学校に建設してもらった専用ラボだ。妹が特別推薦で入学したことは話しただろう?」
「は、はい……」
主に自慢話としてだが。
「妹はまだ十五歳だが、MR開発をしている天才エンジニアなのだ」
「へえ~。……で、MRってなんですか」
「タヌキ、現代で呼吸をしておきながらMRも知らないの?」
いや、そんな非常識な人間を軽蔑するかのような目で見られてもさ。確かに世間知らずであることは否定しないが知らないものは知らないし。
「つーかそれ以前にさ、いい加減タヌキってテキトーな呼び方やめろよな」
「テキト―じゃないわよ。だって私にはあなたの姿タヌキにしか見えないもの。タヌキとタヌキと言って何が悪いの」
フフンと鼻で笑うその表情、ああなんて憎たらしいことだ。美少女のくせして性格は下の下の下。くそう、『見た目が九割』のリアルから『性格が九割』の世界に転移させてやりたい。秒殺で嫌われること間違いなしだ。
「直里、メメメの言っていることは本当なんだ」
「コココさんまで変なこと言わないでください。どっからどう見てもヒューマンビーンじゃないですか。ほら頭の上に葉っぱも乗ってないし」
「別にお前が人間ではないとは一言も言っていないだろう。ただ、今のメメメにはお前がタヌキの姿に見えている。それだけは紛れもない事実だ」
「……いまいち話が掴めないんですけど」
「今から説明してやる。直里、お前MRは知らなくてもVRは知ってるだろう?」
VR? ……ああ、バーチャルリアリティのことか。
「はあ。ヘッドセット式のやつなら東京のゲーセンで何度かやったことがありますけど」
「『そうか、HMD式のウェアラブル端末経験者なら話は早い。実はな、MRもVR技術を応用したもので、例えば妹が身に付けているメガネもその一種だ」
「その一種……ってもしかしてここに置いてあるメガネ、全部VR機器なんですか!?」
「ああ。ちなみにメメメが掛けているのは対人恐怖症改善のために作られたVRグラス。そのグラスを通して人を見ると姿が動物などの他の生き物に見えるのだ」
「……なるほど。つまりこいつがメガネを外した途端、周囲を怖がりはじめたのはそういう訳だったんすか。そんで俺をタヌキ呼ばわりすのも」
「ああ。お前の姿がタヌキに変えられているからだ」
勝手にタヌキ化されている点は気に入らないが、しかしそのVRグラスとかいう奴にはさすがに驚いた。
巨大IT企業ならいざ知らず、こんな十五歳の女の子がメガネ型のVRソフトを作成できるなんて。悔しいが、スーパー女子高生と思わざるを得ない。
「……すげえな」
「面白いだろう。試しに掛けてみるか?」
「えっ、いいんですか?」
「やだっ!」
大声で貸出拒否を宣言するメメメ。なんだよ、ケチだな。
「ちょっとぐらいいじゃんか。別に減るもんでもないし」
「イヤよ。なんか汚れそうだもん」
おうおう、タヌキの次はバイ菌扱いか。いっそエボラにでもなってお前の体内で増殖してやろうか。
あ、念のため付け加えておくが、そこにエロい意味とか微塵も入ってないからね。
「……可愛い我が妹よ、このラボを建設してもらった目的はなんだったかな」
メメメの頭から飛び出しているアホ毛が動いた。ううう、と困った表情を浮かべている。
「……学校教育におけるMR技術の可能性の模索とその開発」
その通りだとコココさんが静かに頷く。
「メメメ、お前は研究者としては天才的で、少女としてはプリキュアの主役を張れるレベルだが、同時にぼっちでコミュ障で引きこもり。しかしメメメ一人では社会に役立つMRグラスを作ることはできない。目的を果たすためにも周囲の協力が必要だ、そうだろう?」
「……うん。だけど」
「お前と他の生徒を繋ぐ存在。その意味で直里は好都合だ。なにせこいつもぼっちでコミュ症。そして私の献身的な介助がなければ間違いなく引きこもっていた三次元不適合者だからな」
なんてこった、正し過ぎて反論できねえ。
「つまり二人はとてもよく似ている」
「……やめてよ。全然似てないもん。それにコミュ症だったらこいつも役立たずってことだと思うよ。助手にしたところで」
「そんなこともないぞ。直里は入学式初日、モテたい一心で元帰宅部にも関わらずバスケ部に入ろうとした勇者だ。まあ初戦でHPゼロになって教会で目を覚ますことになったがな」
「ダメじゃん」
その黒歴史はすでに手厚く葬ったんだから、バスケ部のことは思い出させないで下さい。
「しかし失敗を恐れずリア充化しようとするその行動力は称賛に値する。少なくともメメメにはできないことだ」
「わ、私も今日直里を回収しに行ったもん!」
「校舎に入ったのは今日が初めてなのだろう。しかも私に言われてしぶしぶ足を運んだに過ぎない」
「……うううっ」
「メメメ、貸してやれ」
観念したのだろう。メメメは掛けていたメガネを俺に差し出した。だが俺が受け取った時にはすでに新しいメガネをしていた。君、本当に人類苦手なんだね。もう本当に地球外生命体なんじゃない?
「これが……」
脱ぎたてのJKのメガネ。それはなんともエロティシズムを感じさせるものではあった。相手が肉体年齢十代前半のお子様でなければだけどね。童顔にも程があんだろ。
よって俺は胸にエロさを微塵も感じることなく、純粋にMRグラスを体験できるというワクワク感だけを抱いて、そのVRグラスとやらを掛けたのだが。
「……あれ?」
しかし何も起こらなかった。
別にメメメも普通のガキンチョだし、コココさんの胸も相変わらずのFから変化していない。
ただのメガネじゃん。それどころか視力も入ってない伊達じゃん。
「何も変わりませんけど」
「ああ、そうだった」
すまんすまんと全く悪いと思っていないかのような口ぶりのコココさん。
よもや故意ではあるまいな。
「そこにあるメガネはどれもメメメ専用、だからメメメにとっての他人にしか効果は出ないんだ。メメメ自身や姉である私の姿は変化しない」
「……ちぇっ、じゃあ外に出ないと確認できないじゃないですか」
「まあ、昼休みが終われば午後の授業があるからその時にクラスメイトを見て確認するといい。もちろんサボろうとは思ってなかったよな?」
「……は、はい」
くそ、先手を打たれてしまったか。
「お前が毎日きちんと登校して、放課後は助手としてメメメを手伝う。その替わり、朝昼晩のメシは作ってやる。どうだ、仕送り皆無な貧乏学生にとって断る理由のない好条件だろう? むしろ一石二鳥、一挙両得、溺れる者は藁をも掴む、だ」
「最後のはなんか違うけど……まあいいっすよ」
これもなにかの因果、流れだろう。まあ恋人イベントではなかったが、仕方がない。せめてこの三年間でメメメがぐんと大人になるのを期待して……それは無理かもしれないが、もう一つの「大人のお姉さんとウフフな関係になるフラグ」は立ったままだ。そのオプションで「ほら、ちゃんと手伝ってよお兄ちゃん♪」の妹ボイスが付いてくると思えば、悪い話ではない。
「詳しいことは夕飯の時にしてやろう。では直里、妹のことよろしく頼んだぞ」
「はいはい、ベビーシッターがんばりますよ……」
満足そうな表情を最後にスカイプの通信が切られ、コココさんが画面から消えると、俺は改めてメメメに目を向けた。
「まあ、なんだ……とにかくよろしくな」
柄にもなく自分から握手を求めた心境の変化は、同じぼっち同士と聞いたのが原因なのだろうか。同じ学年で同じクラス、にも関わらず教室に入るのを恐れ、クラスに溶け込めないでいる。コココさんの言う通り、俺とメメメは似ているのかもしれない。
ひとりぼっちとひとりぼっちが繋がれば同時に二人が救われる。
そんな名言を歌ったあのロックバンドは誰だっけなんて考えていると、メメメは思い切り俺の手を弾いた。
「言っとくけど私に変なことしたら即解雇。即裁判。即死刑だからね」
「即殺すなっ! 誰がお前みたいなチビッ子に変な気起こすかよ」
「わあっ、ひ、人のコンプレックスをグサッとした! グサッ! このタヌキめ、山奥に送り返して山師に駆られてムシャムシャされろっ!」
「だから勝手にタヌキ扱いすんな!」
ドラえもんに生涯初めて共感したよ。
タヌキ扱いされる苛立ちも、最悪の子守りを任されてしまったことに対する絶望も。
あーこれから色々と面倒なことに巻き込まれそうな流れ……やっていけんのか、俺。
なんて暗澹とした未来を予測しているうちに昼休みを終えるチャイムが鳴り、俺はメメメのラボを後にしてそそくさと教室へと向かうのだった。
あー保健室行きたい。