⑫―3
「一日、メメメを見ての印象ですけど、俺は」
「真也君、私っ!」
言葉を遮ったのは、俺たちの動向を黙って見ていた青野さんだった。
「助手は一人で充分」とメメメから遠回しに拒絶されたせいだろうか。目は潤んで困ったような表情を浮かべている。
「私、真也君が……」
「え?」
「真也君が、えっと……」
「えっと?」
「あの……お、お手洗い行ってきます!」
「……は?」
青野さんは立ち上がり「なあ、女子トイレは寮にはないぞ」という俺の声も無視して部屋を飛び出した。何を言おうとしていたんだ? すんごく気になる気になる木、見たこともない木ですから~♪
と子どもの頃に見たCMソングの歌詞を追いかけていると、無防備な背中にハードカバーの本が飛んできた。
「……メメメさん、脈絡なく攻撃してくるの止めてもらえませんかね?」
「何だ何だ、鼻の下伸ばしてデレデレしちゃって!」
「この状況で俺がデレデレする要素がどこにあった……」
「……ふふふ、ハーレム状態だな、直里」
「コココさん、俺が幸せそうに見えますか?」
俺が尋ねた時、コココさんの視線はメメメを向いていた。
「メメメ」
「な、何よお姉ちゃん」
「お前が青野茜を助手にしないのは勝てる自信がないからだろう?」
「はっ、はぁーっ!?」
ちゃぶ台をどんと叩いて立ち上がるメメメ。
だいぶお冠のようだが、一方で表情に余裕がない。
「図星か」
「ち、違うし! っていうか勝つ自信がないって、い、意味分からないんだけど!」
「青野茜。身長156センチ」
「う」
「バスト、Fカップ」
「ううう」
「男女どちらも友達がいる。担任からの信頼も厚く、部活の先輩からも慕われている」
「か、勝てる気がしない」
「白旗早いな。って何の戦いだよこれ」
「言うまでもないだろう。もちろん女子力だ」
「女子力って……だったら比較するまでもないっすよ。んなもん青野さんの方が、いてっ!」
「……助手は黙る」
「メメメ、案ずることはない。妹力と可愛さで言えばお前に軍配が上がる。問題はどちらが直里の心にぐっとくるかということだ」
「……そっか」
「何でここで俺の話が出てくるんすか?」
「鈍感も程が過ぎるな。お前の心の皮膚は象並みの厚さなのか?」
同情するように俺を見るコココさん。ど、鈍感で悪かったな。
「メメメ、青野茜が助手になった所で心配する必要はない。青野茜の女子力とお前の妹力で勝負は五分五分だ。それに加え、お前は青野茜に比べて付き合いが長いと来ている。一歩、リードしているのはお前の方だよ」
「……うん」
一体、どういう話題なんですかね。俺だけ置いてけぼりです。
「青野茜を助手として雇ったところで、お前たちの関係は崩れない。それどころか、青野茜のそばにいれば女子力とコミュ力を吸収することができるだろう。宇宙最強の可愛さのお前に女子力とコミュ力が加われば、もはや向かう所敵なし。完全体となったメメメに惚れない者はいない」
「私が……完全体に」
「あなたは人造人間ですか」
世界を滅ぼしかねないレベルの痛い会話をこれ以上聞くのは耐えられず、その場から立ち上がる。
「お、俺もトイレ行ってきます」
管理室を出ると肩から力が抜けた。今日任された役割は充分果たしただろう。後はコココさんに任せておけば問題ない。流れ的にメメメも了承しそうだし。
トイレは各階に一つ設置されている。男子寮のトイレは常時ピカピカで汚れ一つない。潔癖なコココさんが毎日これでもかというぐらい掃除しているためだ。『汚したら殺します 管理人』の張り紙の効果もあって、清潔さで言えばリッツカールトンレベルだろう。行ったことないけど。
用を足す途中のことだった。
背後でガタンと音がした。誰かいるのか。全然気が付かなかった。
寮生は俺を除いて全員運動部に所属しているから、親しい相手はいない。だから相手が誰だろうが特に関心はなかったのだが、その時トイレの奥から声が聞こえ、俺の心臓は停まりかけた。
「勇気を持てよ」
言葉こそ男らしいが、間違いなく女子の声だった。
……あれ、青野さん?
「よし、最後に予行練習だ。壁に向かって告白してみろ」
「……うん」
どうやら青野さんに間違いないようだ。誰かと会話しているみたいだが、もちろん誰かといるわけではない。うさのんとしゃべっているだけだ。
それにしても女子トイレがないからって男子の個室を使うってどーよ? 二件隣のコンビニの存在を知らない訳でもあるまいし。偶然、誰もいなかったからいいものの、男子とばったり鉢合わせる可能性だってあるんだぞ……と思いつつ、このままだとその男子に俺がなってしまうことは分かっていた。
気付かれる前に、と蛇口全開で用を済まし、さっさとトイレを後にしようとする。
しかし入口の扉に手をかける前に、青野さんが衝撃的な一言をつぶやいた。
「小学校のころからずっとあなたを見てました、真也君……」




