にのいち どうやら世界は時河萌々女の出現を祝福しているようだ。(修正ver)
私立港川高校の校舎はカタカナのコの字型をしており、中央には青色のゴムを敷いた派手なバスケットコートがある。
「コ」の一画目にあたる北側の校舎、そこに平行するように併設された建物が一棟あり、一階は食堂のあるピロティーなのだが、その上が体育館になっていて、ここにも当然ながらバスケットコートが二つ並んでいる。
ついでに言うと高校入試のスポーツ推薦枠の四割が男子バスケットボール部である。
ここまで説明すれば、ウチが男バスにどれだけ力を注いでいるのかが分かるだろう。
職業に貴賎なしと言うが、港高のクラブ活動においては違う。『強きものが全てを得る』というサバンナの草原のように残酷な弱肉強食の原理が働いているのだ。
『インターハイの常連校』たる男バスは言わばピラミッドの頂点であり、男バス部員というだけで普通の生徒なら注意される校則違反も暗黙の了解で許可されていたりする。
例えば、授業中に寝てても起こされなかったり。
体育が見学可だったりね。
うらやましい話には違いないが、しかし俺から言わせればこんなの単なるオプション。この程度の特権のために校内一鬼ステージな部活に入ろうなんて思うほど俺はMではない。
男バスの最大のメリットはシンプルだ。『女子にモテる』、この一点に尽きる。
校舎に囲まれた一軍用のバスケットコート。
朝は朝練、昼休みは昼練、放課後は夜練。授業のない時間帯に廊下の窓を覗くと、汗を輝かせて懸命に ボールを追いかける長身の男子達の青春風景がそこにある。
また姿を見ずとも、彼らの真剣な声が校舎全体に響き渡る。
ただでさえ、女子にカッコいいと思われる男バス部。
それが港高に至っては強い上に、こんなにも露出が多いのだ。
モテないわけがない。
……まあ、俺にはもう関係ない話だけどね。
「直里くん、直里くん」
ベッドに寝転がって天井を見上げている俺に、保健室の先生が声をかけた。着ていた白衣はハンガーに掛けられ、手にはポーチ。どこかに出かけるのか。
「私そろそろお昼に行きたいんですけど」
「どこ行くんすか?」
「月曜日はココイチのハンバーグ月見カレーって決めてるの♪ ……じゃなくて保健室閉めるから直里くんも教室に戻りなさい」
体調不良の生徒を差し置いて校外でメシとは卑怯だと声高に叫んでやろうかと思ったがやめておいた。保健室の先生と三年間長いお付き合いになることだろうからここは素直に従っておこう。
っていうかココイチって。あなたもカレー曜日ですかい。
ふわぁ、とあくびを一つかましながら、誰もいない廊下を渡る。生徒千人近くもいるのに保健室でサボる人間が他にいないのは一応、進学校ってことか。我ながらよくこんなところに合格できたもんだ。モテたい一心で参考書にかじりついていた過ぎ去りし日の自分の偉大さに感心しつつ、階段を上る。
三年生の教室は四階、二年生は三階、一年生は二階にあり、A組は保健室横の階段を上がってすぐの位置にある。言いかえれば、一年A組ほど保健室に通いやすいクラスはない。上級生や他のクラスの横を通る必要もないしね。
授業の邪魔にならないよう、後ろの扉を静かに開けて、身体を教室に滑り込ませると、クラスメイトが一斉にこっちに視線を向けた。
「何だ、コイツか」とでも言いたげな侮蔑の目。ちっ、と男子の舌打ちが聞こえたかと思うと、全員前に向き直した。
「なんだ、まさかとは思ったが、やっぱり直里の方か。体調は大丈夫なのか」
カマキリのような顔したガリガリの男性教師が見下すような目で言った。どうせ仮病だって思ってるんだろ。正解だよバカヤロー。
「“方”って誰だと思ったんですか」
「あ、いや……ちっ、早く座れ」
昆虫に言われなくてもそうしますよ。と思いつつ、窓際の一番後ろにある自分の席に座る。
時河萌々女は、俺の一つ前の席のようだった。しかし、朝に見た時と変わらず、席は不在のままだ。
もしかして、妹の奴、クラスのグループ加入に失敗して自宅でヒッキ―してんのか。
「先生、前の席もサボりっすか~?」
机の上にぐちゃぐちゃと置かれているプリントを机に入れながら質問すると、クスクスと周囲が笑った。あれ、なんか俺変なこと言った?
「お前と一緒にするんじゃない」
カマキリの言葉にクスクスが大きくなる。くそっ。ぼっちを笑いものにしやがって。昆虫は知らないかもしれないが、こういう些細なことからイジメがはじまるんだぞー。
ムカつくので残り時間、教科書も出さずにぼーっと窓の外を眺めていたが、特に注意されることもなく、そうこうしているうちにチャイムが鳴った。
「ねえねえ、お弁当持ってバスケ部応援行こーよっ!」
「アツシー、俺今日購買のパンだから一緒に付いてきてー」
昼休みになり、クラスのやつらが各々のグループに分かれて昼食を取りはじめる。
もちろん、俺を誘う奴なんているはずもない。
怪我から復帰した人間に対してもう少し気遣ってくれてもいいんじゃないかとは思いますが。
いや、別にさびしいわけじゃないよ?
一度グループができれば、そこから外れないことがみんなにとっての至上命題だもんな。
……ひとまず一年間は孤独な保健室サボりキャラでいくしかないか。
ひそかにそう決心しつつ、蛍光ピンクの弁当箱を突っつきはじめること五分。
何やら廊下がざわざわと騒がしい。
クラスの女子たちも数人がきゃあきゃあと興奮した声を上げながら教室から出ていく。
どうした、芸能人でも現れたのか。お昼休みはウキウキウォッチなのか。
まあ俺には関係ない話なので特に気にすることなく、プラスチック製の箸に描かれた美少女アニメの主人公に「オマエはなぜこんな所にまでいるんだ」と睨みを利かせていると、開きっ放しの後ろの扉から一人の小さな女の子が、A組の教室に入って来た。
ん、なんで小学生がこんなところに?
って、あれ? ここの高校の制服……
「お前が直里真也?」
カラン。
俺は箸を落とした。
いかんいかんとしゃがんで転がった箸を拾い見上げた時、まるでアニメの世界から出てきたようなその美少女と目が合う。
その瞬間、曇り空からまばゆい光が差し込み、少女の後ろから一際大きな歓声が鳴り響いた。
それは雲間から太陽が姿を現したせいであり、興奮気味の黄色い声もおおかた昼練中のバスケ部が得点を決めたか何かが原因に違いない。
そのタイミングに彼女と目が合っただけ、単なる偶然だ。
しかし重なった三つの偶然が、俺の常識的感覚を狂わせた。
世界すべてが目の前の少女の出現を祝福している、そう錯覚させるほどに。