⑩―2
「……ふぅっ」
ようやく息が落ち着き、曲げていた腰を上げる。細い通りを通り抜ける風が心地いい。中学時代からずっと帰宅部だったが、走ること自体は別に嫌いじゃないんだよな。地面を蹴った時に生まれる推進力の流れに乗るあの感じはけっこー気持ちいいというか。くそー陸上部入っときゃよかったかな。時すでに遅しだが。
「メメメ、大丈夫か?」
まだフゥフゥ言っている体力ゼロの小学生に声をかける。ったく、これだからヒッキーは。
「だ、大丈夫。それより……レポート」
半分死んだ目でよろよろと立ち上がる。顔から血の気が引いていて表情がありません。ほ、本当に大丈夫ですか……? 呑まず食わずで砂漠の中を歩くような覚束ない足取りですが。
「レポートもそうだが時間がやばいな」
コココさんからは六時までには帰ってこいと言われていた。電車の時間を考えると、秋葉原に滞在できるのはもう一時間もない。
カラオケはさすがに厳しいか。
「どうする?」
「とりあえず部品を買う」
「部品買うって……売ってる場所は知ってんのか?」
「知らないけど分かる……ナビがあるから」
「ナビ?」
スマホのナビアプリのことか? の割には何にも見ていないようだが。
「ARグラスにデータ入れた。握手のイラストが同期アイコンだからそれを指で触って」
「いや、すまんが意味不明だ。握手のイラストってどこにあるんだ?」
「むー、そんぐらい分かれタヌキ。メガネの接続部分のネジ長押ししたら出てくる」
いや、そんな不機嫌そうに言われても、完全にお前の説明不足だからね。まあ身体の七割以上優しさでできているバファリン越えの俺なので言わないでおいてあげますが。
おっ、言う通りにしたら本当にアイコン出てきた。すげえな、まるで本当に目の前に浮かんでいるみたいだ。あれ、他にもアイコンがあるな。このUFOマークはおそらく他人のグレイ化アイコンだな。……ん、何だこの包丁のアイコン……うん、イヤな予感しかしないからスル―しましょうそうしましょう。
「メメメ、アイコン出て来たけど、この後どうしたらいい?」
「実際に目の前に浮かんでるように指で触る。そんだけ」
言われた通りにすると、視界からアイコンが消えたが、替わりに変な物が見えた。メメメの少し前に浮かぶ大きな矢印。『10メートル先、右折』という文字が表示されている。なるほど、スマホみたいに画面に地図が表示されるわけじゃなく、本物の風景自体を使ってナビしてくれんのか。こりゃ便利だ。しかしメメメっぽくない。
「うーん」
歩きながら考えごとか? 謎の唸りを上げるメメメ。
「メメメ、どうかしたのか?」
「ねータヌキ。さっきどうして私たち注目されてたの?」
そんな澄んだ瞳で俺を見るなよ。理由が分かる俺が汚れてるみたいに思うだろうが。
「……し、知らない」
「あ、目逸らした。あやしい」
あやしかろうが言いません。
男女二人が寝ただの寝すぎただの叫んでたら勘違いされるなんて俺もビックリだよ。そういえば人って見知らぬ人間のコイバナとかどこまで行ったとかそういうゴシップ関係ホント好きだよな。特に芸能人が芸能人と付き合っただの別れただのとか大好物。姉ちゃんも好きだったな……俺はそういうニュースを見ると「なんだこんなの報道する必要あんのかよ」とイライラする。チャンネルは変えないけど。
「あっ、ここだ」
メメメが立ち止まったのは『春巻電気通商』という看板のかかった昭和の香り漂う電気店の前だった。
スライド式のドアを手動で開けると、店内には形さまざま色とりどりの部品たちが所狭しと並んでいる。ホームセンターの一角にも似たようなスペースがあるけど、この店には独特の雰囲気があるな。
「……かわいい」
部品萌えかよ。目を輝かせて何を見ているかと思えば、三本足の羊みたいな形のちっこい部品。確かにちょっとかわいい。一個五○円だし。
「メメメ、それ」
「はっ! いけないいけない。こんなの買ったらお姉ちゃんに怒られる!」
慌てて店の奥へと移動するメメメ。いや、別にそんぐらいいんじゃないか? どうせ他の場所を回る余裕もないし。
「それにしても……これかわいいな」
あーマジ失敗した。ほとんどの時間ネカフェでぐーすかしてましたなんて、コココさんに知れたら料理包丁でざく切りにされる。いや千切りかな。どうせならキレイに捌いて欲しいです、と多回転式半固定ボリュームを手の平で転がしながらまな板の上の鯉気分になっていた時、ピロンとラインが来た。
……コココさん、タイミング恐ろし過ぎです。
『直里、メメメを充分に楽しませただろうな?』
うげげ、よりによって一番答えづらい質問じゃないですか。返答次第で命に関わりそうだ。さて、このメール、どう返信するか。
『すみません、寝不足過ぎてネカフェで死んでました』と答えた場合の流れはリアル死であることに疑いはないので却下だな。
かといって嘘を付くのもダメだ。万が一バレた時の流れを想像しようとしただけで鳥肌が立つ。
正直に言っても地獄、嘘を付いても地獄。嗚呼、誰か俺に救いの手を差し伸べてはくれないものか……
ピロン。
『直里、メメメを充分に楽しませただろうな?』
さっきと同じ文面KOEEEE!
えっとー、ひとまずこの青い羊君は買ってあげるとしましょうかね。俺の命が五〇円で助かるなら迷うことはない。
だが、これだけでコココさんは許してくれるだろうか。
ピロン。




