⑦―2
ありますと言いたいところだが、魚の背骨を箸でつまんだ状態で言われたので超ビビった。
危ない危ない。シンプルセルと言っておいて正解だったぜ。正しい英語はシングルセルだって知っていたけれど、もし独身のあなたにその言葉を発していたら背骨を抜かれていたのは俺だったかもしれない。
「……直里はアニメが嫌いなのか」
コココさんが尋ねた時、テレビ画面ではアニメの予告編が終わり、次話のOP曲がはじまっていた。DVDなのでね。
「いや別に嫌いじゃないですけど」
「ん?」
コココさんが不思議そうな顔をする。
「ではイライラしていた原因はアニメではなく、読んでいた本か?」
「あれ、イライラ伝わってました?」
「ページがまったく進んでいなかったしな。何の本だ?」
「書店に平積みされてたラノベをテキトーに取っただけです」
「ほう、貸してみろ」
げっ、と俺が拒否する暇もなくコココさんはちゃぶ台の下から腕を伸ばした。ちゃぶ台が浮きあがりコップが倒れそうになる。
「あまり活字の世界には興味がないが……なになに、『ド天然美少女のクラスメイトが俺に相談があるらしい』」
元の位置に戻りながら冒頭のイラストページをペラペラとめくる。
徐々に目が細くなっていくのが分かった。
「……なんだこれは」
「さ、先に言っときますけど別にそういう趣味があるわけじゃないですからっ」
タイトル的になんかすっげー共感できそうな気がしたんだよ。
ま、イラストちょいエロくて惹かれた部分は否めませんけど。
「三十点、だな」
コココさんはさも不満そうにラノベを俺に放り投げた。
「顔のロリ具合はギリギリ合格点をやってもいいがヒロインのプロポーションがなってない。ウエストにくびれがあるし、胸が発達し過ぎている。なにより本気で可愛い妹を描くという気概が感じられん。このイラストレーター、三流だな」
「コココさん、このヒロインは妹キャラではございません」
っつーかツルペタ体型がかわいいの頂点だって考えがそもそも偏見だろ。
ARじゃない普通のメガネで至急視力矯正を求みます。
「妹じゃない、だと?」
その言葉を発した瞬間、コココさんは電光石火の動きで俺の背中を取った。
ぱんぱんにはち切れそうなバストが背中に押し付けられ、顎下に当てられたフォークの先端がチクチクと刺してくる。
天国と地獄とはこのことだろうか?
「な、何なんですか急に」
「……さてはお前、二股しようとしているな?」
「二股? 話がまったく見えないんですけど」
「ごまかしてもムダだ。誰だ、そいつは。ド天然美少女のクラスメイトか? 連絡先でも交換したのか?」
「……えっ?」
それは予想外のタイミングで超絶コンボを決められた時のような衝撃だった。
二股という文脈は間違っているが、ド天然美少女のクラスメイトと会話してアドレスを教えてもらったことはピッタンコ。
青野さんのことは何も話していないのに。寮母の前はCIAか何かやってらしたんですかあなた。
気が動転している俺の脈を読み取ったのだろう。コココさんは「図星のようだな」と言って、首を絞める腕に力を入れた。
「メメメというものがありながら他の女子に手を出すとは……妹の幸せを願う姉として黙って見過ごすわけにはいかないな」
「べ、別に手を出すとかそんなんじゃ……」
「それならどうして私に隠していた。やましい気持ちがあったから黙っていたんじゃないのか?」
「隠すも何も……く、苦しいっす」
このままではフォークで刺されるより先に絞殺されてしまうのでギブギブと腕をタップ。
するとコココさんは俺から離れてくれたが、発するオーラは半端ない。青野さんのことを話さない限り逃がさない。そんな気迫が伝わってくる。
シーン的に俺に罪があるみたいだけど違うからね。青野さんとはただ会話しただけだし、連絡先も教えてもらったから登録しただけ。やましさなんてまるでございません。
ということで俺はコココさんに青野さんのことを話した。もとより隠すつもりはない。尋ねられたので答えたというだけのことだ。
俺の話に対しココさんは相槌を打ちながら、「その時、お前は何と言ったんだ?」とか「青野茜はどんな反応だった?」とか根掘り葉掘り尋ねられた。交わした会話からその時の表情や動きまで、一挙手一投足すべてを把握する勢いだった。
コココさんと付き合ったら恐ろしいことになりそうだな。これだったらまだコミュ障の妹の方が……いやいや何を考えているんだ俺は。
「という感じで保健室に戻っていったんですよ。正直、あれは何だったのか自分でも分かんないです」
俺が話し終えると、コココさんは「なるほどな」と言って天井を見上げた。そんで納得したかのように一人で頷くと、残り三切れの貴重なカツの一つを俺から奪い取った。
「あっ、俺のカツを何するんですか! ごはんとのバランスが……」
「そう言うな。ゲン担ぎの類は本来信じないのだが、実際にカツを食べて勝ち組と化したお前を見てあやかりたくなるというのも人情だろう」
「勝ち組? 俺が?」
「主人公の傍らには自分のことが好きで好きでたまらないかわいい妹。そして同じく主人公のことが気になっているのに恥ずかしくて素直になれないクラスメイトのヒロインがいる。そんな二次元の王道設定を三次元で実現させることに成功したんだ、勝ち組と言わずして何と言う?」
「……は?」
コココさんが拳を強く握って力説する。その熱に俺の心はむしろ冷めていくが、それと相反して彼女の炎はなお強く燃え上がっていった。
「確かに『シスター商店街』(現在、部屋で流れているアニメの略称)の主人公のハーレム設定は強烈だ。可愛い双子の妹に、校内一の美少女と評判の幼馴染。これぞ桃源郷、ユートピア、二次元マンセーと片腕を上げて忠誠を誓いたくなるほどだ」
すでに誓いまくってるように見えるのは気のせいですかね。
「あの~どういう勘違いしたのかは知りませんけど、青野さんはただのクラスメイトですよ」
「まあお前はそう言うだろうな。二次元の主人公たちもみなそう言う」
だから、設定じゃなくてマジでないんだって。青野さんが俺のことを好きなんて……確かにうさのんがそんな感じのことを匂わせていたけどさ……いやないない。あれこそそういうキャラ設定がされていただけ。マジで俺のことが……だったら普通あんなこと言わないだろ。
……あ、でも青野さんは普通じゃないから、ひょっとすると……
可能性はゼロじゃない気がしてきた。
「自分の桃源郷を自覚したみたいだな。顔が赤くなっているぞ」
「そ、そんなことは……」
「だが浮気はダメだぞ。お前には時河萌々女という許嫁がいるんだからな」
「いつ許嫁になった」
「……青野茜をメメメと引き合わせてみたらどうなると思う?」
まるでこれまでのやり取りが全て冗談だったんじゃないか。そう思うぐらい、急に真剣な表情をしてコココさんは言った。
「……どういうことですか?」
「話を聞く限り、その青野という女子は優しい性格で包容力もあるとてもいい子のようだ。彼女ならメメメのよい友達になってくれそうに思うのだが。直里の考えはどうだ?」
「と、友達ですか……」
時河萌々女と青野茜。生意気暴力小学生と天然パペットマスター。う~ん、この取り合わせは想像つかないな。
「共通点がゼロ過ぎなんで逆に親しくなれそうな気もしますが……問題はメメメですね」
「私も同意見だ。いくら性格がよくても、直里以外の人間に心を開くとは思えない。ましてや相手は同性。お前を取られると思って敵対視する可能性もある」
「それは心配ないと思いますが……」
「おっ、それはつまり両想いということか?」
「違うわ。メメメは俺のこと好きじゃないでしょ。コココさんがそう思い込んでいるだけです」
「……フゥ」
なんだその重いため息は。言っても聞かない子どもに呆れ果てている母親か。
「勘違いしているのは貴様の方……と言ってもムダだろうな。今のお前には」
「そりゃ信じないでしょ。それともメメメが俺のことでコココさんに何か言ったんですか?」
「私はメメメの姉だぞ。あいつの考えていることぐらい直里の次ぐらいに簡単に分かる」
「なぜ俺の心の方が読めるんだ……」
「……丁度いい。ならばお前にメメメの気持ちを確かめる機会を与えてやろう」
コココさんはそう言って立ち上がると、壁のカレンダーに目を向けた。
「あと二日で学校はGW休暇に入る。その初日にお前はメメメを外に連れ出してどこかへ出かけてこい」
「……冗談でしょ?」
「冗談で実の妹をデートに行かせるものか。大本気だ」
確かに、コココさんの目は真剣だった。
俺がメメメとデート……いやいや現実的に不可能だろ。
「何よりまずメメメが行きたがらないと思いますが」
「そう思うか? ならば聞いてみよう」




