呪いに打ち克て
金色の長い髪をかき上げたルクレティアが、微笑む。
肩のところで切りそろえられた髪が、さらりと流れ落ちる。
まだ幼い少女だ。
「ねえ、フリッツ、知っていた? 私たち、大きくなったら、結婚するんですって」
「ええっ? 僕とルクレティアが?」
薄茶色の髪をひとつにまとめた、青い瞳の幼い少年が、まだ声変わりのしていない声で聞き返した。
「そうよ、私のお父様と、フリッツのお父様が、そう話していたのを聞いてしまったの」
顔立ちの整ったその少女は、将来、美しく成長するであろうことは、誰もが想像つく。
少年は、一緒に育ったその娘を、本当の妹のように、大事に思っていた。
「結婚て、私たちのように、親が王様だったりすると、私たちの自由には決められないんですって。フリッツは、どう思う? 大きくなったら、私と結婚するのって」
「う~ん、僕は、ルクレティアと、このまま仲良く暮らせたらいいと思うけど、結婚てことになると……、よくわかんないや。結婚したら、僕が王様で、きみが王妃様になるのか?」
「そうだと思うわ」
「ふ〜ん。ま、それでもいいか」
もっと喜んでくれるだろうと期待していたのか、ルクレティアは、少しさびしそうに笑った。
それから数年が経ち、マウゼリンクス夫人が現れた。
鉱山都市ピラカミオンで取れる、珍しい鉱石の一つ『輝晶石』を、買いたいと申し出たのだった。
輝晶石は、魔力を秘めていた。
夫人が欲しがっていたのは、輝晶石の中でも特に大きく、純度の高い、最も固いものーーそれは、世界の均衡を良好に保つ、自然と魔力の調和した特別な輝晶石で、代々聖女が守ってきたものであった。
マウゼリンクス夫人が邪悪な魔女であることを知っていた国王は、輝晶石を渡せばさらなる勢力を増し、国を乗っ取られると考えた。マウゼリンクス夫人が、そうして他の国を手に入れて来たことも、耳に入っている。
王が断ると、二つ頭の魔女は、美しく成長したルクレティアに魔法をかけ、ねずみの亜人のような姿に変えてしまった。
ねずみの姿のまま眠り続ける王女ルクレティアを、毎日見ては泣き崩れる国王に、ハイルリーベ王子フリッツは、自ら進み出て、呪いを解くため、マウゼリンクス夫人のもとへと赴いた。
彼と数百人の騎士が、マウゼリンクス夫人を追い詰めた。
騎士としても最高の教育を受けて来たフリッツは、彼女の息子である七人のねずみの魔物を、すべて倒した。
その戦いで、マウゼリンクス夫人の片方の顔に、傷を付けた。
悔し紛れに、魔女は、輝晶石を邪悪に黒く染める呪いをかけ、フリッツ王子にも呪いをかけ、獣の亜人の姿に変えてしまった。
傷を負い、力の弱まったマウゼリンクス夫人が、完全に撤退すると、ルクレティアはもとの人間の姿に戻り、目覚めることが出来た。
国王は、泣いて喜んだ。
反対に、ハイルリーベ王は、野獣の耳と尾を生やした息子の姿に嘆いた。
国王は、ハイルリーベ王子と娘ルクレティアの婚約を解消した。
ルクレティアは聖女となり、国を守り、生涯独身を通すのだ。亜人と結婚など、とんでもない、という、苦しい言い逃れだった。
悲しみに暮れたハイルリーベ王は、泣かずにはいられなかった。
フリッツ王子も、気持ちが塞ぐ一方だった。
そして、ルクレティアが聖女の役目を引き継ぐ儀式の最中、マウゼリンクス夫人の仕掛けた第二の呪いが発生した。
マウゼリンクス夫人の存在を知る雪の女王が、異変を感じ、ハイルリーベ王子フリッツとほぼ同時刻に駆けつけたが、間に合わなかった。
果敢に向かって行ったフリッツは、完全に野獣の姿にされ、倒れた。
眠る直前のルクレティアから、雪の女王ヴィルジナルは、咄嗟に頼まれた。
自分が例の特別な『輝晶石』を守る、輝晶石の呪いが世界に広まらないよう、押さえ込む。だから、起こさないよう、誰も近付けないように、と。
いばらの塔が出現し、最上階で、ルクレティアは眠りについた。
同時に、塔にも、ハイルリーベの街にも、いばらが絡み付き、国王もルクレティアの母も、ハイルリーベ王も永遠に眠ってしまった。
そして、強い魔力に、世界中が歪められていった。
「すべて思い出した」
ウルフーーハイルリーベ王子フリッツは、頭の痛みをこらえるように、片目を瞑り、魔女を見た。
「野獣の姿であれば、魔物と間違われ、人間たちに退治されると目論んでいたが……」
魔女は、ずるそうな笑いを浮かべている。
「だが、俺がこの姿で最初に出会った人間が、赤ずきんだったおかげで、そうはならなかったのが、お前の誤算だ」
ウルフがリーゼロッテに目を向けてから、魔女に、にやっと笑ってみせ、剣を構えた。
「忌々しい獣め! 野獣の分際で、何が出来る!」
魔女のぼうぼうの髪が、ざわざわと逆立ち、水に浮かんでいるように、広がり、波打っている。
大きくつり上がった目も、黄色く、らんらんと光り出した。
アンネローゼのスタッフが、防御魔法をかけると、白い光が、一行を包んだ。
魔女の二つの顔が、嫌悪感を募らせる笑い声を発した。
「呪いを解くには、王子が自らの力で、私を倒さなくてはならない。だが、王子、お前の倒した、私の息子たちの亡霊を復活させた『七つ頭の白のキング』は、私の後ろに控えている。鏡の中は、誰にも気付かれずに復活するには、最適だった!」
ウルフと姫、エインセールの目には、魔女の後ろに、鋭い前歯を携えた白いねずみの七つの頭が見えた。クイーン同様、身体は一つだった。
「ふふふ、キングは、七つの頭それぞれが、別々の呪文を唱えることが出来るのだよ。かなりの強敵となるだろうよ」
「なかなか不気味なものを、作るじゃない? いい趣味だこと」
不敵な笑みを浮かべた白雪姫は、スタッフを左側に持ち替えた。
「王子、あなたはクイーンを倒すことに集中して。その代わり、キングは、わたくしたちに任せなさい」
「恩に着る」
ウルフは短く答えると、素早く、長剣でクイーンに斬りかかっていった。
剣は炎をまとい、振り下ろすと、炎が飛び散った。
ひらりと飛んでよけた魔女は、わずかに恐怖感を忍ばせた目を、大きく見張った。
ウルフ自身も、剣に炎の効果があるとは、思いもよらなかった。
『そこは鏡の国。こっちの世界では見えなくても、想像次第で、も~っと、も~っと、いろんなことが出来ちゃうかもですよ~! 超カ~ッコいい~!』
ハイテンションなアリスの声が、空から聞こえると、シンデレラの振りかざした剣も、緑色の風がくるくると剣の周りを竜巻のように渦巻いた。
シンデレラは柄を握り直し、地面を蹴って走り出した。
キングの一つ目の頭を斬り落とす。
だが、その隣の頭が唱えた風の魔法で、吹き飛ばされた。
白雪姫の防御魔法がクッションとなり、身体を強打するのは免れた。
「用心なさい。敵は、七つの違う呪文を、一斉に、またはバラバラに、唱えられると思った方がいいわ」
アンネローゼが口早に、シンデレラに告げた。
「だったら、遠距離攻撃が有利だよね!」
リーゼロッテが弓を構える。どういうわけか、上空に矢を放った。
「ふふん、どこへ向けて撃っているのだ?」
マウゼリンクス夫人の片方の顔が、せせら笑った。
だが、それも束の間だった。
次々と空へ放ったリーゼロッテの矢は、降下すると同時に、稲妻を発生させたのだった。
六つの頭は、さらに五つへと減った。
「おのれ、小癪な!」
夫人の白い、血の気のない手から、魔法の炎が発動した。
リーゼロッテとの間を遮るように現れたウルフの長剣が、それを受け止めた。
炎が、空中へ逃げる。
もう片方の魔女の頭が、呪文を唱え終わった。
長剣は、炎の魔法を受け止め続けている。
彼のすぐ側に落ちていた葉が集まり、小さな竜巻状に渦を巻くと、鋭い形状になった。
葉の竜巻が、襲いかかる。
ウルフの左手が、咄嗟に護身用の剣を掴み、魔法を弾き返した。
間髪入れずに、長剣と護身の剣を回転させ、刃を下向きに持ち替え、剣を交差させた。
瞬間、マウゼリンクス夫人の身体が、停止した。
それから、断末魔の叫びが起きた。
傷付いている方の頭は、さらに深い傷を負っていた。
すかさず、ウルフの二つの剣は、交互にマウゼリンクス夫人の胴体に斬り込んだ。
「おのれ、よくも……、よくも……!」
暴れながら、うめく魔女の頭を、炎の剣が薙いだ。
炎は魔女の全身に移ると、業火となり、ウルフは飛び退った。
「やったの!?」
リーゼロッテが、期待を込めて、燃える魔女を見る。
魔女の身体は、崩れ始めた。
すると、白のキングであるねずみまで、燃え出した。
四つだけ残っていた首も、ギャーギャー叫びながら、燃えていく。
その中の一つが、ウルフをにらんだ。
アンネローゼが、それに気付く。
燃えながら、首の一つは呪文を唱えていた。
アンネローゼがスタッフを向けた、その時、ねずみの口から発射した液体が、ウルフに向かっていく。
「危ない!」
白雪姫のスタッフが阻止するが、折れた。
ウルフは無事だった。
飛び散った緑色の液体は、白雪姫に跳ね返っていた。
「毒!?」
シンデレラとエインセールが振り返り、白のキングに、とどめの一撃を放ったリーゼロッテも駆け出した。
ウルフが、倒れているアンネローゼを、抱え起こした。
「大丈夫か、白雪……!」
白雪姫の目は、閉じたままだった。
「アンネローゼ!」
「アンネローゼ様!」
「アンネ!」
シンデレラ、エインセール、リーゼロッテが、口々に白雪姫を呼ぶ。
うっすらと、まぶたが開いた。
「生きていたのか!」
ウルフが、アンネローゼを抱える腕に、力をこめた。
「俺を庇ったのか……、なんということだ!」
毒に侵され、みるみる顔色が青ざめていくアンネローゼは、それでも、微笑してみせた。
「あなたが無事なら……構わない。毒林檎だって……かじれるわ……」
「何を言う!」
「どうか、お姉様と、お幸せに……」
そこまで言うと、アンネローゼは目を閉じ、その身体は、ウルフの腕の中に沈んだ。
「アンネ! アンネ!」
「アンネローゼ様!」
リーゼロッテとエインセールが、泣きそうな声を張り上げるが、アンネローゼは、目を開けそうになかった。
その時、ウルフに異変が起きた。
彼の身体が光り出したのだ。
「まさか、呪いが解けるのか!?」
薄茶色のたてがみがなびき、魔力が集まっているような感覚が起きた。
『チェックメイト。白のキングとクイーンは、消滅しようとしています』
それは、天から聞こえてくる声であったが、アリスのものではなかった。
「その声は、……ルクレティア、貴女なのか!?」
シンデレラが立ち上がり、空に呼びかけた。
『わたくしの務め、輝晶石の呪いを、外部に漏らさないよう封じ続けていましたが、マウゼリンクス家が滅びたことで、やっと輝晶石を守り通すことが出来ました』
「ルクレティア、目覚めたのか?」
ウルフは白雪姫を抱いて座り込んだまま、空を見上げた。
「フリッツ、ご苦労でした。あなたの呪いも、これで解けるでしょう」
リーゼロッテとエインセールは、白雪姫に呼びかけながら、泣いていた。
「アンネ! いやだよ、死なないで!」
「アンネローゼ様! どうか、目を開けてください!」
ウルフは、二人を見てから、再び空を見た。
「ルクレティア! 白雪姫を……アンネローゼを助けられないか? どうすれば、助けられる?」
『助けたいと思うのですか?』
「当たり前だ!」
怒ったようにウルフが答えた。
『あなたが元の姿に戻れなくなったとしても、アンネローゼを助けたいというの?』
リーゼロッテもエインセールも驚いて、声のする空を見上げた。
シンデレラは、遣る瀬ない表情で下を向いた。
ウルフは、少しも驚かずに、答えた。
「それでも構わない。俺は、元に戻れず、野獣のままであっても、アンネローゼを助けたい」
「ええっ! ウルフ!?」
「ウルフ様! 本当に……?」
リーゼロッテとエインセールは、戸惑いながら、ウルフと空を交互に見ていた。
シンデレラも驚き、ウルフを見つめている。
『それが本心からの願いならば、マウゼリンクス夫人の身体が完全に燃えてしまうまでに、願うのです』
魔女の身体は、燃え尽きようとしていた。
「願おう。俺の姿を元に戻すのではなく、白雪姫アンネローゼを助けて欲しい」
輝いていたウルフの身体から、光が中心へと集結する。
光は金色に強く輝くと、ウルフの手を通り、アンネローゼへと移っていく。
白雪姫の全身を、光が包んでいった。
やがて、光が収まると、青白かったアンネローゼの顔は、元通りの血色の良さを取り戻していったのだった。
ゆっくりと、まぶたが開かれた。
「アンネ!」
「アンネローゼ様!」
リーゼロッテとエインセールが、わあっ! と泣き出し、アンネローゼに俯せた。
シンデレラの表情も明るくなっていき、瞳が潤んだ。
「……なぜなの?」
アンネローゼは、困惑した表情で、ウルフを見上げる。
「なぜ、フリッツ王子の姿に、戻っていないの? そして、なぜ、わたくしが生き返ったの?」
ウルフは、唯一人間らしい青い瞳で、包み込むように、白雪姫を見つめた。
「俺が、そう望んだのだ」
「なぜ? なぜ、そんなことを……!? わたくしの為だと言うのなら、余計なお世話だわ!」
アンネローゼは大きく見開いた瞳で、責めるように、ウルフを見た。
「お前のためだけではない。野獣の姿も、なかなか悪くないと思えたのでな。元に戻るのは、もったいないと思ったのだ」
呆気に取られ、皆がウルフを見ていた。
「そ、そうだよ、例えイケメンな王子様だったとしても、ウルフには、その姿の方が似合ってるよ。カッコいいよ!」
「そうですよ! 今まで、戦う姿も、強くて、かっこ良かったです!」
リーゼロッテに、エインセールも笑顔で続いた。
「あたし、ホントにそう思うよ! ウルフは、ウルフでいるのが一番て!」
ウルフは声を上げて笑った。
彼が、そのように心から笑っているのを、リーゼロッテもエインセールも、アンネローゼ、シンデレラも、初めて見た。
「俺は後悔していない。本当だ。それとも、アンネローゼ、この姿では、お前は嫌か?」
アンネローゼの瞳が潤み、宝石のように輝いていった。
「くだらない。見かけなど、関係ないに決まっているわ」
いつもの口調でそう言ったアンネローゼは、言い終わる前に、ウルフの首を抱きしめていた。