鏡の世界へ
アルトグレンツェに集合した各都市の姫たちは、シンデレラの話に、真剣に耳を傾けていた。
「というわけで、我々は『鏡の国』へ行き、ルクレティアの呪いを解く、という考えに達した」
「鏡の国だって!?」
信じ難い話に、ラプンツェルとリーゼロッテは、ぽかんと口を開き、泉に浸かるルーツィアは「まあ!」と口に手を当てて驚いた。
「鏡は、わたくしのお母様のものをあたるとして、鏡の世界へ行く魔法とやらを、どなたかご存知ないかしら? 聞いたことがあるというのでも構わないわ」
白雪姫と隣に座るシンデレラが、一人ずつの顔を見ていく。
「鏡? 通り抜けたことあるよ~」
あっさりと応えた声に、一同、拍子抜けした。
声の主は、シンデレラの予想通り、アリスであった。
「ななな、アリスさんてば、そんなこと出来たの!?」
あまりに驚いて、椅子から立ち上がったのは、リーゼロッテだった。
「お前、ふざけてるんじゃないよな?」
ラプンツェルが、明らかな疑いの目で、じろじろとアリスを見る。
「ホントですよ~。夢の中から行くのです~」
「はあ?」
「一人で行った時は、夢の中からだったから~。アリス的には~、アリスの魔法で、聖女様の夢の中にみんなを転送すれば、行ける理屈なのです」
ラプンツェルが、思い切り顔をしかめ、姫たちは、ますます意味がわからない。
いつもおかしなことを言って、周りも理解不能であったが、実は、アリスの言うことは、真実だったのだろうか?
「さすが、アリスだ」
シンデレラが、満足そうにアリスに微笑むと、アリスも「えへへ」と笑った。
「他にそのような魔法を知る人がいないのなら、鏡の世界に行くのは、アリスに力を貸していただきましょう。それと、わたくしたちよりも事情に詳しい雪の女王ヴィルジナルにも、この世界で、守備の協力を仰ぐことにいたしましたわ。後の方たちも残って、民を守るのです。その際には、決して、魔物を深追いしないこと」
保守派代表シンデレラ、改革派代表白雪姫が協力して『鏡の世界』へ行くと決めると、保守派ルーツィアと改革派ラプンツェルはこの世界に残り、白雪姫の騎士団セブンドワーフスや、アリスの三銃士ティーパーティー、ルチコル村のリーゼロッテの祖母もハンター業を復帰してもらい、各騎士たちも魔物を食い止めるよう呼びかけることになった。
リーゼロッテとエインセールは、最後まで、付いて行くと言って聞かなかった。
「弓なら、おばあちゃんに特訓してもらって、出来るようになったもん!」
「そうですよ! 私も、ちゃんと見てました! リーゼ様、随分上達なさいましたよ!」
目を丸くしていたシンデレラと白雪姫だったが、白雪姫が、冗談じゃないとばかりに言い返す。
「危険だと、何度も言っているでしょう?」
「大丈夫だもん! おばあちゃんに聞いて、輝晶石を弓にはめこんだら、威力がアップしたんだよ! 絶対、役に立ってみせるから!」
「こんなに言っているのだから、連れていってやったらどうだ?」
見るに見兼ねたウルフが、口を挟んだ。
「さっすがウルフ! よくわかってる~! ありがとう~!」
「俺が、赤ずきんの援護をする」
小躍りするリーゼロッテをよそに、アンネローゼが手を腰に当てて、ウルフの前に立ち塞がった。
「いい加減なこと言わないで。あなた、ヴィルジナルの話を、聞いていたでしょう? 呪いを解くのは自分自身だ、と。ルクレティアだけでなく、あなたの呪いも解かないとならないのよ。そうしないと、ルクレティアが目覚めても、意味がないの。人の援護をしている場合ではないわ。あなたの方が、援護してもらうくらいでないと」
ウルフが首を傾げて、白雪姫を見た。
「なぜ、俺の呪いを解かないと、聖女が目覚めても意味がないのだ? ヴィルジナルは、そのようには言っていなかったと思うが……?」
アンネローゼが黙り、ウルフから目を反らすと、代わりにシンデレラが答えた。
「ウルフ殿、もし、あなたが、アンネローゼの話の通り、ハイルリーベの王子であるならば、ルクレティアの婚約者だったのだよ」
「なに?」
ウルフは、シンデレラを見た。
「ルクレティアから、そう聞いたことがある。ルクレティアは幼い頃、ハイルリーベで育ったのだ。だから、彼女の呪いを解くと同時に、あなたの呪いも解かなくてはならないのだ」
「大丈夫だよ、アンネ! あたし、ウルフのこと、ちゃんと援護するから!」
ウルフの横では、リーゼロッテが真剣な顔で、白雪姫に交渉していた。
「わたくしはね、心配なのよ、リーゼ、あなたのことが!」
アンネローゼが、リーゼロッテの肩をつかんだ。
「お願い。大事な親友であるあなたを、危険な目に合わせたくないのよ」
「アンネ……」
瞳を潤ませた白雪姫を、意外そうな顔で見ていたリーゼロッテは、自分の肩から、アンネローゼの手を下ろし、そのまま握った。
「そんなの、あたしだっておんなじだよ、アンネ。あたし、やっと、アンネの役に立てるんだよ。どうか、あたしを信じて」
真実味のあるリーゼロッテの表情に、アンネローゼは、とうとう折れた。
「それじゃあ、アンネロネロのママのところに行こ~う!」
アリスの一声で、姫たちは、守備に残るものはそれぞれの町の持ち場へ向かい、アンネローゼ、シンデレラ、ウルフ、リーゼロッテ、エインセールは、アルトグレンツェの隣、シュネーケンの城へ向かったのだった。
「まあまあ! 鏡の中に入るですって!?」
白雪姫の母親は、「どうしましょう~」と、困った顔をした。
「この鏡ちゃんの中には、入れたりはしないわよ」
「大丈~夫、大丈~夫!」
そう言いながら、アリスが鏡をにこにこと覗くが、真顔になった。
「あれ? これじゃダメだ~」
「ええっ! そんなぁ! なんでですか!?」
エインセールが驚いて、アリスの前に飛んでいく。
「う~ん、この鏡には、既になにかがいるよ~。何も住んでいない鏡の方が良いのです~」
「ならば、あなたが以前、通り抜けられた鏡にしましょう」
アリスは、そう言ったアンネローゼにウインクし、パチンと指を鳴らした。
「オッケー! じゃあ、さっそくノンノピルツの、アリスのお部屋に行こう~!」
「それじゃあ、みんなの武器と防具に、防御魔法をかけるよ~!」
アリスが、時計飾りのついたスタッフを振ると、きらきらと輝く粉のようなものが、彼らの全身に降りそそいだのだった。
「うわ~、きれいですねぇ! これは、もしかすると、妖精の石か何かを粉にしたものですか?」
エインセールが、わくわくした顔で、アリスに尋ねる。
「ううん。基本ベースは、マッドローズの花粉」
「ええっ! 魔物の花粉!? そ、そうだったのですか?」
かけられた姫たちとウルフは、少々嫌そうな顔になるが、アリスは構わず、魔法をかけていく。出端を挫かれはしたが、なんとかなりそうな気もしていた。
「次は、鏡を通り抜ける魔法だよ~。さあ、みんな、鏡を通り抜ける遊びをするつもりになって~!」
「どういうことなの?」
「いいから、いいから!」
暖炉の上にある大きめの鏡は、屈めば通れそうなほどだ。
眉間に皺を寄せる白雪姫に、アリスが、にやにや笑いながら、説明した。
「鏡がガーゼみたいに柔らかくなって、そのうちモヤみたいになって……って、想像するのです。それだけで、通れるようになるのです。アリスの転送魔法を、信じるのです~!」
「それで、戻る時は、どうするのですか?」
心配そうな声で、エインセールが質問した。
「それも、魔法を使ってこの鏡を見ると、向こう側の世界も見えるんるん~! 帰りたい時は、アリスが引き上げてあげるのです~」
「はー、すごいですね。そんなことが出来ちゃうなんて……!」
エインセールが感心した。
いよいよ、鏡を通り抜ける時が来た。
呪文を唱え終わったアリスがスタッフを振ると、鏡の表面が、ぐにゃぐにゃとしていく。
アリスの合図で、まずは、ウルフが手で触れた。
水面のように揺らめく鏡の表面は、彼の手を、布のようにやさしく包み込むと、アリスの言う通り、抜けることが出来たのだった。
「まさか、本当に、こんなことが……」
ウルフは、辺りを見渡した。
続いて、アンネローゼ、シンデレラ、リーゼロッテ、そして、エインセールも、通り抜けた世界の景色を眺めていた。
草木は、元の世界のものと、一見代わり映えはしない。
だが、地面は、赤と白のチェック模様で、チェス盤のようだった。
「そうか! 敵は『二人の白のクイーン』ーー白のクイーンを倒すつもりで、進めというのか」
シンデレラがアンネローゼを、そして、皆の顔を見回して、そう言った。
『みんな~、聞こえるぅ~?』
空に響き渡る少女の声だ。
「この声は、アリス様!?」
『正解~! どうやら、そこは、以前、アリスが行ったところと、よく似てるのです。みんな、今から、アリスのナビゲートに従って、チェスの駒みたいに進んでいってね~! 始めに、右から2番目の赤い地面に立って』
アリスの指定した赤い正方形のスペースへ行くと、辺りは、ぎゅうん! と食堂ほどの広さになった。
「うわぁ! なんだか、やっぱり、普通のとこじゃないね!」
リーゼロッテが、きょろきょろしながら、大きな声で呟く。
『そこから、一マス飛び越えて、二マス目に』
白いマス、赤いマスと、アリスの指示通りに進む。
エインセールが通ってきた道を振り返ると、背後の景色はボヤけていて、よくわからなくなっていた。
怖くなったエインセールは、ウルフの肩の近くに寄った。
『気を付けて。次に進むと、魔物がいるのです~』
「ええっ!」
エインセールが心配そうに、空のアリスの声を見上げるが、ただの空であった。
『たまごの魔物だよ~。やっつけちゃって~!』
アリスの声の通り、一行の目の前に浮かび上がったのは、長身のウルフよりもさらに高く、横幅も巨大な卵の形をした魔物だった。
卵の下には、貧相な両足が生えていて、非常にアンバランスだ。
「ひゃわわわっ!」
ぼんやりと人間の顔のある、巨大卵を見て、エインセールは、ウルフの後ろに隠れた。
「みんな、ここは、あたしに任せて!」
リーゼロッテが弓を構える。
ウルフも、白雪姫、シンデレラも、彼女のフォームが、これまでよりも洗練されていることがわかった。
弓の中央に付けられた輝晶石が、輝き出す。
そこら中から魔力を吸収しているかのように、空気が流れ出す。
リーゼロッテは、矢を放った。
矢の先が光りながら加速していくと、卵を貫いた。
巨大卵は、煙とともに消滅した。
「……当たった!」
リーゼロッテが、呆然と、『卵』のいた辺りを見つめた。
「す、すごいです、リーゼ様! あのような巨大な魔物を一撃で!」
エインセールが、ぱたぱたとリーゼロッテの側に飛んで行く。
「おばあちゃんの特訓の成果が、ちゃんとあらわれた!」
リーゼロッテとエインセールは、喜び合う。
「馬鹿ね。輝晶石のおかげだわ」
小さい声で、白雪姫が悪態を吐いた。
「まあ、それが大きいな」
隣で、シンデレラも苦笑している。
それからも、アリスの声に導かれ、盤を進めていく。
ウルフに似たライオンの魔物、白くて毛並みの良いユニコーンの魔物を倒し、馬に乗った鎧を着た亡霊騎士も倒す。
『いよいよ、次は白のキングだよ~! 気合い入れて~!』
アリスの声が空から降った。
「白のキング……クイーンではないのか?」
ウルフが目を凝らし、遠くを見る。
『あっ、気を付けて! すごい速さで、クイーンが来た!』
アリスがそう言い終わらないうちに、何かが爆発したように、白い煙が立ちこめた。
「下がれ!」
ウルフが吠え、姫たちの前に進み出た。
「久しぶりだねぇ、王子」
嘲るような笑い声と、そのセリフは同時だった。
煙が引いていくと、声の主の姿が、はっきりと見ることが出来た。
二つの頭を持ち、首から下は一人の人間である、白いドレスに身を包んだ、魔女である。
「マウゼリンクス夫人……!」
絞り出すようなウルフの声に、姫とエインセールは、白い魔女を見上げる。
「あ、あれが、ウルフ様に呪いをかけた、『二人の白のクイーン』……!」
知らず知らずのうちに、エインセールは、そう呟いていた。
「ほう、思い出したのかい?」
意地の悪い声に、ウルフは身震いしたが、にらみ返した。
「はっきりとは思い出せないが、お前が、俺に呪いをかけたことだけはわかる!」
マウゼリンクス夫人の甲高い笑い声が、響き渡った。
「私の呪いも、大したものだねぇ。まだ記憶をすべては取り戻せていないとは」
もう一つの頭が、ウルフを見下した。
よく見ると、その片方の目は潰れ、大きな傷があった。
「その傷は……!」
「そうさ、この傷は、お前に付けられたものだ!」
マウゼリンクス夫人の、傷付いていない方の顔も、笑うのをやめた。