美女と野獣
シュネーケン城と、その城下町は、城塞都市と呼ばれるように、ルチコル村と比べると物々しく、武器屋や防具屋にも質の良いものを取り揃えられていて、屈強の騎士たちも集まっていた。
世界情勢の報告も逸早く入る。
リーゼロッテが、この都市にいるよう勧めたのも、ウルフには頷けた。
白雪姫アンネローゼは、ハイルリーベへの調査団には、あくまでも生存者を救い出すことを目的とし、先導をセブンドワーフスたちに任せた。くれぐれも、無理のないように、と言い聞かせて。
ウルフは彼女直属の護衛となり、常に黙って彼女の後ろに控えていた。
その様を、やっかんだ人々は『美女と野獣』と揶揄していたが、気付いたアンネローゼは、そう言った者を睨みつけていた。
「馬鹿なの? お前たちは」
時々、シュネーケン城では、そう罵倒する彼女の声が響く。
魔物退治を自慢気に語る騎士であったり、困っている町の人々の頼みを聞かなかった騎士、武器に必要な材料や、薬草集めの命を受けても、達成出来なかった騎士たちに対してであった。
めそめそと辞めていく者、或は、頭に来て「辞めてやる!」と捨て台詞を吐き、さっさと他の姫の騎士になった者などが、数多くいた。
ごくたまに、彼女にそのように叱られることが、嬉しそうな者もいたが。
「立ち向かうべき敵を知るが故に、騎士のためを思い、辞めさせているかのようだな」
ウルフが、くすっと笑いをもらす。
「あら、このわたくしが、やさしいとでも?」
笑いながら白雪姫は、振り返った。
「確かに、わたくしのにらんでいる敵は、強大なものよ。志の低い者や、実力のない者は、無駄に命を落とすだけだわ」
「やはり、そうだったか。だから、まるで自分から遠ざけるように」
「お前は、辞めないの? 辞めてもいいのよ、勇気がないのなら」
アンネローゼは、からかうように笑った。
ウルフの目に、少しいたずらっぽい表情が浮かんだ。
「俺のような野獣からすれば、お前の罵倒など、かわいいものだ」
「かわいいですって?」
突如、アンネローゼが、顔をかあっと上気させながら、立ち上がった。
「無礼な! わたくしは、姫という身分とはいえ、戦う者でもあるのよ。かわいいというのは、アリスの白ウサギのようなもののことを言うのであって、わたくしを小動物と同じように扱うのは、不愉快だわ!」
あの意味不明な言葉を発する白いウサギを思い出したウルフは、それを『かわいい』と例えるアンネローゼを意外にも思い、おかしさをこらえながら、言わずにはいられず続けた。
「ならば、美しいと言えば良いのか?」
白雪姫は口を噤んで、睨むようにウルフを見返す。
むきになっている彼女を見下ろす彼の青い瞳には、見ようによっては面白そうな表情が浮かんでいる。
彼の心中を推し量ることが出来なかったアンネローゼは、わずかに手をふるわせ、目を反らした。
「馬鹿馬鹿しい。からかうのは、もうおよしなさい。今のうちに休憩を取って、隣の部屋で、お茶でも飲むといいわ」
ウルフは素直に下がると、白雪姫の部屋の隣に控えた。
アンネローゼは、書き物机に向かい、積み上げられた報告書に目を通すが、すぐに、溜め息をつき、窓の外を眺めた。
「馬鹿ね。彼は、からかっただけに過ぎないのに。あんな野獣なんかの言うことを、一瞬でも真に受けて、むきになるなんて。もう、そんな感情は忘れたと思っていたのに……」
アンネローゼは立ち上がり、高く天に向かって聳え立つ、窓の外の、いばらの塔の最上階を、黙って見つめた。
離れて行く騎士たちとは違うウルフに、信頼を寄せていくのは、自覚している。
その一方で、彼は、実は、ハイルリーベの王子なのではないかと、うすうす思っていた。
王子とは、幼い頃に会ったきりだが、髪の色と瞳の色は、彼と似ていたような気がしていた。
「ハシバミ色の髪に、青い瞳……。もし、そうであれば、彼は、……お姉様の婚約者……」
異母姉妹であるルクレティアは、先代の聖女を母に持ち、アンネローゼとは離れ離れに暮らしていた。
幼い頃、ルクレティアは、ハイルリーベにいた。王子とは一緒に育ち、幼い頃から親の決めた許嫁同士だった。
だが、ルクレティアが聖女になる前に、彼女とアンネローゼの父である国王は、婚約を解消した。
その後、聖女の儀式の寸前に呪いの事件が起き、国王も、ハイルリーベ王、王子も行方不明になった。
アンネローゼが知るのは、そこまでだった。
「いったい、お姉様と彼に……、王たちと王子に、何があったのかしら……」
「あれから、何か思い出して?」
数日後、そう尋ねた白雪姫に、後ろに控えていたウルフは答えた。
「いや、何も」
「そう」
長い背もたれの椅子にかけ、アンネローゼは紅茶をすすった。
「近々、いばらの塔に向かうわ。覚悟は出来ていて?」
ウルフの目が一度見開き、すぐに冷静に戻った。
「セブンドワーフスが、ハイルリーベの調査を終えてから、ということか?」
白雪姫は、不敵な笑みで、ウルフを振り返った。
「調査には、まだまだ時間がかかりそうだから、彼らとは別行動になるでしょうね。いばらの塔へは、彼らの帰りを待たずに行くわ」
ウルフの目は、今度は驚きを隠せないでいた。その言葉を待っていたかのようだった。
「わたくしの方の急ぎの職務は、だいたい片付けたわ。お前は、過去を知る覚悟は出来ているの?」
当時の雪の女王の言葉は、今でも生々しく、ウルフの耳に残っていた。
彼の失われた記憶の中には、聖女ルクレティアの救出、故郷ハイルリーベにかけられた呪い、二人の白のクイーンなど、あらゆる謎を解く鍵があると、ウルフには思えてならなかった。
だが、自分がしたことは正しかったのか、少なくとも、ハイルリーベが呪われてしまった、そこから、考えが抜け出せないでいた。
「知ってしまったことで、俺は、俺のしたことの責任を取れるのだろうか……」
「仕方ないわね。まだ覚悟が出来ていないようなら、とりあえず、エインセールとアルトグレンツェへ行ってきなさい」
白雪姫に叱咤されるようにして、ウルフは、重い足取りで、隣街へと向かった。
「『二人の白のクイーン』……まさか、『二つ頭』のマウゼリンクス夫人のことでは……」
書物を調べながら、オズヴァルトが呟いた。
「マウゼリンクス夫人というのは……?」
エインセールが、オズヴァルトに尋ねる。
「マウゼリンクス夫人……、二つ頭……!」
ウルフは額の奥が痛むのを感じ、手で押さえた。みるみる額や頬を、冷や汗が連なっていく。
「ど、どうしたのですか、ウルフ様! 大丈夫ですか!?」
エインセールが心配そうに見上げる。
「白い……二つの頭……顔? 魔物……いや、魔女……!」
その時、ウルフの脳裏に、二つの顔が浮かび上がった。
『誰にも愛されない、醜い野獣の姿となるがいい!』
雪の女王とは違う、はっきりと憎悪の感じられる金切り声が、ウルフの頭の中に響いた。
「……思い出した! 俺に呪いをかけたのは、マウゼリンクス夫人……!」
「たたた、大変ですぅ~!」
シュネーケン城に、エインセールが駆け込んだ。
背もたれ椅子に腰かけていた白雪姫に、慌ててエインセールが告げる。
「ウルフ様が、お一人で、いばらの塔に、向かってしまわれました!」
「なんですって?」
慌てふためきながら、エインセールが説明した。
「『二人の白のクイーン』というのは、『二つ頭』のマウゼリンクス夫人のことのようで。ウルフ様に呪いをかけたのは、マウゼリンクス夫人だと言って、ウルフ様は、ご自分の過去をさらに知るため、いても立ってもいられなくなって、塔に入っていかれたのです!」
「たいした装備もせずに、ひとりで乗り込んでいったと言うの!?」
「は、はい!」
エインセールは、泣きそうになっていた。
白雪姫の騎士団セブンドワーフスは、ハイルリーベの調査に赴いている。
「わたくしが行くわ。エインセール、危ないから、お前はアルトグレンツェで待っていなさい」
「えっ! アンネローゼ様!?」
マントをひるがえし、アンネローゼは、宝玉のついたスタッフを手に、城を後にした。