忠告
「なにを勝手に調査なんて行ったりしたの? 弓もろくに使えない腕で」
アルトグレンツェの隣に位置するシュネーケンは、アンネローゼの治める城塞都市だ。
城の謁見の間では、アンネローゼの他に、リーゼロッテ、ウルフ、エインセールがいるのみだった。
リーゼロッテは小さくなり、上目遣いで白雪姫を見た。
「で、でも、あたしだって、アンネの役に立ちたいと思って……」
「言い訳は無用よ。古都ハイルリーベは、もはや魔都となり、立ち入り禁止よ。まるで侵入者を阻むように、いばらがはびこり、かなりの人数が、いばらにからめ捕られ、動けずに死んでいくか、魔物におそわれるかのどちらかだと聞くわ。一つ間違えれば、あなたもそうなっていたかも知れないのよ」
「だから、ほんの入口の周りだけでもと思って、ロゼシュタッヘルの森に行ってみたけど、奥へ進むほど、いばらで覆われていて、とてもハイルリーベまでたどり着けそうにないことがわかって。そしたら、凶暴化した魔物があらわれて、ウルフが助けてくれて……」
アンネローゼの、キッと向けられた視線に、リーゼロッテは言葉を飲み込んだ。
「ハイルリーベとは、一切やり取りが出来なくなってしまった。このシュネーケンからも、近いうちに調査団を送ることにしたから、あなたは、しばらく村に待機していなさい。あちこちで異変が起きていて、村人たちも困っていることでしょう。あなたは、わたくしの友人である前に、村の代表でしょう?」
「うっ」と、リーゼロッテは、黙るしかなかった。
「わたくしのことは、心配しなくて大丈夫。さ、今日はもうお帰りなさい」
リーゼロッテは、赤いフードをかぶると、すごすごと、部屋を出ていった。
心配そうに、エインセールがついていく。
片膝を付いていたウルフも立ち上がり、一礼して部屋を出ようとした時、アンネローゼが、初めて声をかけた。
「どこかでお会いしていないかしら?」
「このような野獣の姿をした人間と?」
「いいえ、その姿になる前に」
「すまないが、俺は、まだ何も思い出せそうにないのだ」
アンネローゼは、少しの間、沈黙してから、口を開いた。
「騎士試験に合格したその後、もう仕える姫は、決めたの?」
「いや」
「では、わたくしになさい」
明らかな命令口調であった。
意外な言葉に、ウルフは驚いていた。
「わたくしは、あなたを知っているような気がするの。だから、あなたも、わたくしと一緒にいた方が、記憶が戻るのも早いかも知れないわよ」
ウルフは、はっとしたように、白雪姫を見た。
アンネローゼも、ウルフの青い瞳を、じっと見返す。
失われた記憶を取り戻せるものなら、どんなことでもしたいはずだった。
「ありがたいお言葉だ。身元も分からず、このような姿の俺なんかには、もったいない」
やっとのことで、そう言ったウルフは、深々と一礼してから続けた。
「ただ、正直なところ、俺は、お姫様方に仕えるよりも、今、少々心配な人間がいて。出来ることなら、彼女を手伝いたいと思っているのだ」
「リーゼロッテね?」
「そうだ」
「せっかく騎士の称号を手にしたのに、しかも、あなたは、呪いが解ければ、優秀な騎士だったかも知れない。それなのに、村娘なんかに仕えたいというの?」
「赤ずきんも村の代表者なら、姫と同格だと、俺は思う」
白雪姫は、改めてウルフを見つめ直した。
これまでの高慢にも見られがちな表情から、ふっと、力の抜けた微笑を浮かべた。
「それなら、リーゼに仕えるといいわ。実をいうと、わたくしも、あの子が心配なの。わたくしのためだと言って、いつも無茶ばかりして。あの子は、いつも村のことを考え、尽くし、ルチコル村の人々からも慕われているわ。わたくしが、姫の称号を与えようと言っても、柄じゃないから、と断るのよ」
「あの子らしいな」
ウルフは、くすっと笑った。
「だから、あなたが、あの子のそばにいてくれるなら、わたくしも、心配事がひとつ減るわ。お願い、あの子を守ってあげて」
白雪姫は、ウルフを見上げた。王女として頼むというより、素の彼女の願いに、ウルフには見えた。
帰り道、シュネーケンから近いキッツカシータの森では、白雪姫のはからいで、ウルフが、リーゼロッテの騎士になることを告げると、リーゼロッテは嬉しそうに笑った。
「なんだか照れちゃうなぁ。あたしが、騎士さんをかかえるようになるなんて」
「それだけ、白雪姫は、お前のことを認めているのだろう。お前のことを心配しているようだった」
リーゼロッテは、うつむいた。
「アンネはね、そういう人なんだよ。つんけんしてるって思う人もいるかも知れないけど、本当はやさしい人なんだ」
「そのようだな」
「本当!? ウルフも、アンネの良さをわかってくれたの!?」
頷いて応えるウルフを、リーゼロッテは嬉しそうに見た。
「なんだか寒い気がしませんか?」
エインセールが、飛びながら自分の身体を抱え込んだ。
「そう言えば、そうだね。最近、なんだか、あちこちで、冷気と一緒に強力な魔物が現れるって噂だけど……、あっ!」
言いながら、リーゼロッテは、突然足を止めた。
「あたしとしたことが、うっかり……! ウルフ、エインちゃん、シュネーケンに戻ろう! アンネが危ないかも知れない!」
「ええっ!? アンネローゼ様が!?」
エインセールが驚く間に、リーゼロッテは既に駆け出していた。
「冷気……」
つぶやくウルフを、エインセールが見る。
「ええ、リーゼ様がおっしゃったように、最近、冷気とともに魔物が出現するらしいと言われていて。それと、雪の女王ヴィルジナル様のお姿も目撃されていて、彼女が現れると、冷気が一層強まるのだそうです。ヴィルジナル様が魔物を操っているだとか、ルクレティア様が呪いにかかり、眠ってしまわれた時も、ヴィルジナル様がいらしたらしいとも、言われています。……だとすると、本当に、アンネローゼ様が、危険な目に遭われるのでは……!」
おろおろしながら説明するエインセールだが、ウルフは別のことを思い浮かべていた。
彼にも、野獣の姿で目覚めた時、かすかな記憶ではあったが、冷気とともに、女の声が聞こえていた。
『誰にも愛されない、醜い野獣の姿となるがいい!』
女王ーーそのような風格のある声であると言ってよかった。
冷気と雪の女王が、自分のこの姿にも関係しているのだとすればーー!
ウルフは、リーゼロッテの後を追い、シュネーケン城へと駆け出した。
「このところの、わたくしの暗殺計画の噂も届いていたけれど、あなただったの? シンデレラのところの者かと思ったわ」
全身を白い毛に覆われた、巨大な猿のようなイエティを、白雪姫の護衛『セブンドワーフス』の七人が取り押さえた。
白雪姫は、林檎を象った魔法の石ーー輝晶石を先端に取り付けた魔法の杖スタッフを下ろす。
魔法を発動し終えたばかりで、林檎の石はまだ赤く光っていた。
姫の正面に立つ、長身の女は、切れ長の瞳を細めた。彼女の周囲を、氷の結晶が舞う。
「アンネ!」
飛び込んできたリーゼロッテを、白雪姫と雪の女王が見る。
その後から、ウルフ、エインセールも駆けつけた
「ヴィルジナル様……!?」
リーゼロッテは部屋の入口で立ち止まり、ヴィルジナルと、巨大猿イエティを押さえつけるセブンドワーフスを見て、状況を悟った。
「ヴィルジナル様、どうしてここへ? アンネに何をしたの!?」
さっと、白雪姫が、リーゼロッテを庇うように、手で遮った。
「こんな魔物を、このわたくしが恐れると思って? 雪の女王ヴィルジナル」
柔らかいが、強い口調で、白雪姫は、冷気をまとう長身の女を見据えた。
「妾は、忠告に来ただけです。ルクレティアを目覚めさせるな、と」
氷のような、冷ややかな声だった。
「お姉様を目覚めさせる方法を、考えているほど、わたくしは暇ではないわ」
ふっと、アンネローゼは、優雅に言い放った。
その微笑む瞳の奥に、改革を起こそうとする者のエネルギーが、熱くたぎっているのを、ヴィルジナルは見て取った。
「ルクレティアを目覚めさせるつもりがないのであれば、白雪姫、妾は、そなたと戦う気はありません」
その言葉に、白雪姫よりもリーゼロッテが、ほっとした顔になる。
「シンデレラに伝えるがいい。いばらの姫ルクレティアを目覚めさせてはならぬと」
ヴィルジナルの周りに、氷の結晶が集結すると、彼女の姿は半透明になり、消えかけた。
「待ってくれ! 俺に覚えはないか?」
ウルフが進み出た。
雪の女王は、静かな眼で、それを見下ろす。
「そなたは、ハイルリーベ唯一の生き残り……。まさか、生きていようとは」
「知っているなら、教えてくれ! 俺は、誰なんだ? なぜ、このような姿になったのだ!?」
ウルフの必死な目を、ヴィルジナルは黙って見つめてから、口を開いた。
「覚えていないというのですか? ハイルリーベは、もはや過去の都市。廃墟となり、民の姿は消え失せました。原因は、そなたです」
衝撃が、ウルフの全身を駆け巡った。
がくんと、両手を床につく彼を、リーゼロッテも、白雪姫、エインセールも、気遣うような目になる。
「俺は、何をしたんだ? 俺のせいで、俺のいた都市が滅んだというのか?」
声を震わせ、ウルフは、目をぎゅっと閉じた。
「そなたは、一度、ルクレティアを救いました」
「ええっ!?」
声を上げたのは、エインセールだった。
白雪姫もリーゼロッテも、ウルフに注目した。
ウルフの目が、うっすら開かれた。
女王は語り続けた。
「不幸にも、それが元で、『二人の白のクイーン』は、決して、そなたを許さないでしょう。一方の彼女は、そなたをひどく憎み、もう一方の彼女は、そなたを恐れています」
ぱたぱたっと、妖精の羽ばたく音が鳴った。
「ではでは、ウルフ様がハイルリーベを滅ぼしたというより、その『二人の白のクイーン』という人たちが、ルクレティア様との間に何かがあり、聖女様を助けたウルフ様を恨んでのことだった……というわけなのですね!」
エインセールの声に、リーゼロッテの表情が安堵に変わっていった。
「ルクレティア様を救ったことがあるなんて、すごいよ、ウルフ! ウルフは、やっぱり、優秀な騎士だったんだね!」
「騎士……」
リーゼロッテの言葉を受けて、女王は小さく呟いた。
白雪姫の表情は、険しいままだ。
「自身の呪いを解くのは、そなた自身。もしも、そなたが、失われた記憶を取り戻す勇気と覚悟を持つことが出来たなら、いばらの塔へ来なさい」
ヴィルジナルの姿は、既に消えていた。声だけが、天井に残っていた。
セブンドワーフスが押さえていたイエティの姿も消えた。
「ど、どういうことなのでしょうか? いったい、ハイルリーベでは何が起こったのでしょう……」
エインセールがリーゼロッテと白雪姫に問いかけ、心配そうにウルフの周りを飛んだ。
リーゼロッテと白雪姫は黙って、床に跪くウルフを見下ろす。
「アンネ、怪我はない?」
アンネローゼが、怪我をした腕を、こっそりかばったのを、リーゼロッテは見逃さなかった。
「ほら、怪我してるじゃない」
「姫、大丈夫ですか!」
セブンドワーフスたちが、アンネローゼの周りに集まる。
「すぐに手当いたしましょう!」
「馬鹿馬鹿しい。余計なお世話よ。わたくしは、なんともないわ」
強気な表情で、そう返す白雪姫を、ウルフも振り返った。
「アンネはいつも、ああやって強がってるけど、周りには理解者は少なくて」
「リーゼ、余計なことを……!」
「わかる気がする」
アンネローゼが言い返すと同時に、ウルフが、静かに切り出した。
「これまでにない新たなことをしようとすると、それを全力で止めようとする者も現れる。それこそ、暗殺してまでも。人は、自分の理解出来ないものを、おそれるのだろう」
アンネローゼはウルフを見つめ、リーゼロッテも驚いた顔になった。
「ウルフ、なんでそんなことを……?」
「今の雪の女王の話には、どこか思い当たる節があった。俺は、野獣の姿になる前、何者かと戦っていたような気がする。それこそ、危険をかえりみず、成し遂げた。だが、なぜか報われない思いもしていたような……。それ以外にも、そのような思いをしたことがあったのかも知れない。そう思っただけだ」
ウルフの言葉に同調するように、白雪姫の瞳が揺れた。
口を開けて驚いていたリーゼロッテが、少し考えてから、顔を上げた。
その表情には、ある決心が映っていた。
「ウルフ、やっぱり、アンネの側にいてあげて。ウルフは、もしかしたら、騎士だったかも知れないけど、かなり高位の地位にいたんじゃ……? それこそ、王子様だったのかも知れないよ」
白雪姫が、さっとリーゼロッテを見直し、ウルフに視線を戻す。
「俺が、王子だと?」
まったく信じられないことが、ウルフの声に現れるが、リーゼロッテは、例の如く、本気でそう考えているようだった。
「あたしには、そう思えてきたんだ。ねぇ、アンネと一緒に宮廷にいれば、ウルフの素性も手掛かりも、つかめるかも知れないよ」
「しかし、お前はどうするのだ?」
「平気だよ。今まで通りで。アンネは、あたしにも騎士を付けてくれるって、前から言ってくれてたんだけど、あたしが断ってて。でも、ウルフが、あたしを心配して、アンネのところに行かれないくらいなら、あたし、騎士さんたちと、なんとか頑張ってみようと思うから」
「やっと騎士を付ける気になったのね」と、安心した声でアンネローゼが呟いたが、その顔は、既にその先に考えを巡らせているかのようだった。
「ウルフがいないのはさびしいけど、でも、ルチコル村とシュネーケンは、フックスグリューンからキッツカシータの森を通ればすぐなんだから、大丈夫! ちょこちょこ会えるよ」
ウルフは、ふっと和んだ顔をした。
「お前は、偉いな」
リーゼロッテの頭に、赤いフードの上から手を乗せた。
「ああ、もう! あたしの方が背がチビだからって、コドモ扱いしないでよ!」
リーゼロッテが、顔を赤らめながらも、わざと怒ってみせた。
「アンネローゼ様、良かったですね! ウルフ様も! さっそく、オズヴァルト様に、ご報告してきます!」
エインセールは、嬉しそうな笑顔で、シュネーケンの隣街アルトグレンツェに、飛んで行った。