4-08 或るバイト
2000年代初頭。急速に発展していった情報網は多くの人々に『価値観の平均化』という『得体の知れない進化』を無意識下の内に 齎した。
『あちらの国はこうなのか』『いや、そうするとこの国はおかしい』『いや、基準など無いだろう』
様々な国の様々な意見が瞬時に飛び交う場所。それは人類史上初の劇的な進化であると同時に
『自分の国は本当に正しいのだろうか?』
極、限られた情報で封じ込め、統制されている筈の人々が『眠りから覚める』新時代の幕開けでもあったのだ。――だが。
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それから数十年来、どういった訳かゆっくりと、時間を掛けて人々は自分達の知らぬまま再び白昼夢を観させられていた。
「ログイン、御津飼 政一」
認証システムに連動して部屋の明かりが灯る。彼の書斎は今時珍しく紙の媒体がぎっしりと詰め込まれ、その棚々におけるガラスの奥の物語は、ラベンダーと防虫剤の門番により手厚く守られており、いつの日か再び 主と共に冒険に出かける事を待ちわびる
「一体全体・・」
一体全体どうしてしまったんだ。チンカイも知らぬと言うし、
「もはや・・」
もはや最終手段に及ぶしか方法は無い。名前だけの役員にどれだけの権限があるのかは知らないが。
「スリーエスパトロールサービス出社」
うわ・・なんだこれ・・
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御津飼が仮想自室に入ると、大量のメールが山積みにされていた。給料明細、自社評価まとめ、社員功績、etc.etc..
とりあえず彼はそれを無視する事に決め「音声認識をOFF」に切り替えた
「緊急会議を招集します」
「役員以上の方は至急、会議室までお越し下さい」
御津飼のアイコンから赤い文字が飛び出る
「おはようございます!御津飼様」
「御健勝の事なによりです御津飼様」
一斉に社員から挨拶チャットが飛んでくる
「おはよう。取り急ぎ伝えたい事があるので挨拶は省略させてくれ」
「休暇中の者には申し訳無いのだが、本件は諸君らが大きく羽ばたけるチャンスになりうる物、だと認識しておいて貰いたい。」
「では、さっそく用件を伝えよう」
「万南無高校 クラス3-A 犬馬のり子」
「彼女は現段階で行方不明だ。これを捜索して欲しい」
機関銃のようなチャットに
「御津飼様・・・それは・・?」
戸惑う社員。だがそれは無理も無い話だった。行方不明者の捜索など警察の仕事だからだ
「言いたい事は解るが今の所捜索願いは出ていないようだし、警察も動きようが無いのだ」
「この件の認識コードは N5613CI だ」
「出くわす事は無いだろうが、もし職務質問等されたら、企業名とこのコードを名乗るように」
「目覚しい活躍があった者にはそれなりの待遇も約束しよう。以上だ」
職権乱用もはなはだしいままに、一方的に会議を終了させる。それからしばらくして
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『ピンポーン♪』
ふてくされた表情の珍海が来客する
「なんだチンカイ、随分と早かったじゃないか」
「まぁ、上がれよ」
ロックを外し、部屋へといざなう
『知らんというものは知らんよ、携帯もつながらんし・・』
後ろをずかずかとついて行く珍海
「・・まぁ、それはそれで良い。別の話だ」
「ああ、そこらへんに座って大丈夫だから」
御津飼が缶ジュースを手渡す
『なんだか芳香剤の匂いが凄いな』
『・・それで?別の話とは?』
キョロキョロと落ち着きが無い
「短刀直入に聴こう。おまえ、のり子さんの事本当に好きか?」
いきなりのド直球な御津飼の質問に
『・・・・・・・はい?』
意味が解らず固まる珍海。だがそれは至極当然の反応であった
「彼女な、病院で泣いていたぞ」
「うわごとのように何度も同じ 文言を繰り返して」
「『珍海ごめん、珍海ごめん』と」
「・・・大きなお世話だと言う事は百も承知だ。だが僕はどうしても知りたいのだ」
御津飼政一が深々と頭を下げる
『なんの事やらわからぬが、しつこいぞ御津飼』
『彼女の事を想う気持ちは俺も同じだ』
『それに「アプリ坊主」は国が定めた健全なルールを順守している』
『俺と犬馬は間違いなく愛し合っている。・・恥ずかしい事を・・何度も同じ事を言わすな』
やれやれといった表情の珍海
「それならばなぜ泣く必要がある?。どこに泣く必要がある?」
「その決められた枠組みの中で収まり切らぬから泣いているのではないか」
「おまえにとって軽くても、のり子さんにとっては重荷ではないのか」
「一体どれだけの時間を一緒に過ごして来たのだ。一度でも向き合って話し合った事があるのか?」
多少の熱を込めて食い下がる政一
『なぜ泣いたかだって?そんなもの俺は知らないね』
『・・俺は犬馬を止めもしないし、止められる筈も無い』
『例え愛し合っていようとも、相手の胸の奥の奥へと土足でずかずかと入って行く事はできないさ』
『なぜならそれは「レイプ」と呼ばれる物だからだ』
『・・枠がどうちゃらとか・・笑わしてくれる。それを決めているのは貴様ら政治家だろうが!』
珍海が語気を荒げる
「違う!そういう事を言っているのでは無い!!」
「・・・ぐっ・・!」
心の病。とはっきり言う訳にも行かず、喉まで出かけた言葉を飲み込む政一。人を想う心。だがそれは 徒となった
『・・・』
珍海がそっと詰め寄り
『そこまで言うのなら、おまえにだけそっと教えてやる。誰にも絶対、絶対内緒だ』
『それでも良いか?』
静かに、静かに囁く
「・・・・」
行き止まりに立ち往生している少年がそっと首を縦に振り、それを観て取った少年が優しく微笑む
『犬馬はな、俺と体を重ねている時』
『気持ちいい、気持ちいいと泣いて喜ぶのだぞ』
『泣きながら腰を動かし、虚空を観ながら果てるのだ』
『それのどこが・・』
珍海が最後まで言葉を垂れ流す時を待たずして
「貴様ぁぁぁぁ!!!」
逆上した御津飼が立ち上がり
「ドガッ!!!」
珍海を殴り付ける。勿論、犯罪行為以外の何物でも無い。警察に届け出れば間違いなく捕まる。
しばらくの間、沈黙という霧が部屋を湿らせた
「・・・」
「(僕はなんて事を・・・)」
「(・・珍海は)」
「(全てを正直に・・)」
振り上げた拳を下げ、視線を足元に彷徨わせる
『・・・』
『(・・それみたことか)』
『(心の奥の奥とは、つまりはそういう事だ)』
その行き過ぎた行動は両者の引け目と折り重なり、相殺され打ち消された。
「(話してくれたというのに)」
知らずの内に赤い 血末を示した幸せ者は言葉を発する事も無く、
害する事を恐れた不幸者はその拳を以って人を害し、また言葉を発する事は無かった
幾多の者が彷徨う現世。目に見えぬ真っ白い霧が体の、心の隅々にまで行き渡って染みこみ、人々を笑顔に導き安心させる。
彼はその濃い霧をただ独り脱出したのだ。いや、他の者がすべからく霧中という事は、もしかしたら彼一人が遭難したのかもしれない。
観よ、未だ夢の中に在りし人々の様を。皆幸せそうではないか。観よ、孤独に 苛まれし、自ら突き進む帰還者を。
その生還者が食べる物も無くあがき続け、ようやく辿り着いた食料を「皮肉」と人は呼ぶのだろう




