第七話 魔女との会談
周囲の建物に比べて大きいその建物は、森の中らしく全て木材で作られている。
木材を複雑に組み合わせることで骨組みを作っている建築技術は中々に洗練されたもので、柱も太くしっかりとしていて簡単には潰れそうにない。
身体の大きなオークが使うことも考慮しているからか入口は広く、良い香りのする木の床も重量に耐えられる出来になっており、クライドが歩いても軋む音すらしない程である。
レンガ造りの建物ばかりなリグルア帝国には無い、彼が初めて目にする建築技術だった。
(元々会議に使う建物なのか)
玄関を過ぎると直ぐに二十脚以上の椅子と大きな円卓が置かれた広間があり、クライド達はその奥へと歩いていく。
奥には二つの部屋が作られおり、先頭を歩くセレナディアはその内一つの部屋の扉を叩いた。
「シルキー様。クライド様を案内しました」
「わぉーん。わんわんわん」
「わかりました」
何がわかったんだろうとクライドは思いながらも、笑顔のセレナディアに促されて部屋の中に入る。変わらず穏やかなセレナディアに微笑み返しつつ、彼は気を引き締めていた。
(さて、どう出てくるかな)
ただ、緊張しているかと言うと然程でもない。
挨拶程度というのもあるし、摂政のアルザス・フォーンベルグ相手のように命懸けでも無いからだ。
今から会うモフモフ帝国軍副参謀長シルキーについて本に書かれた記述は、戦争初期での死の森北東部での活躍のみ。その戦いにおいても作戦の裏をかかれて窮地に陥るなど、優秀な存在である印象は受けない。
しかし、書物から事跡を追えば、どんな手合いかはクライドにはある程度の推測は出来る。
(恐らく彼女について考えるべきは記載されている事以外の活躍だろう)
無能であれば副総参謀長などという地位には付かない。
優秀な他の幹部も納得はしないだろう。
そして、クライドが他の魔物とほぼ接触していない”今の時点”で会う必要性を考えれば……。
(自ずと彼女の役割も見えてくる。目的まではわからないけど……問題は、僕が冷静でいられるかだなぁ……昔から絶世の美女ってなんか苦手なんだよな。毒がありそうで)
童貞だからかなぁ……と自虐的な気持ちでやれやれと軽く髪を掻き、覚悟を決めて相手を見据える。
整った顔立ち。高い鼻。
乱れ一つ無い、黒と茶色の斑らのふさふさな毛並み。
魔物とは思えないくらい愛嬌のある顔立ち。
本当にこれで戦争できるのか疑いたくなる、三頭身。
「わぅん?」
目の前のけだものは不思議そうに小首を傾げた。
クライドは拳を必死に握り締めることで、表情を変えるのを何とか我慢する。
彼の目の前にいたのは、セレナディアのような人型の獣人では無く、けだもの……しかも、あざとい程にフリルの付いた黒いドレスを着込んだ、クライドにはどう形容すればいいのか困る二足歩行する犬だった。
(妖艶な女性……のつもりなのかな……なんと言えばいいのか……困る)
それは、魔物に関する本に書かれている通りのコボルト。
ハイコボルトであるセレナディアとの余りの姿の違いに、一瞬戸惑ったクライドだったが、魔物の美的感覚は人間と違って当たり前かと心の中で溜息を吐き、仮面を被って胸に手を起き、貴族の儀礼に従って一礼した。
「クライド殿の通訳は我がやろう」
「クライド・アルーム・ケルヴィンです。シルキー様のご高名は存じています」
「わんわん。わぅぅぅん」
「私はシルキー。副参謀長をしています。と仰られています。今後、シルキー様の通訳は私が……」
籠から出てペタペタと歩いていたローゼンがクライドの傍に立ち、セレナディアがシルキーの傍に立つ。
一言も漏らすまいと必死な表情のセレナディアが鳴き声を使わないところから、クライドはやはり魔物同士でなら、違う言葉でも通じているのだと確信していた。
集まる情報にクライドは表向きは上品に微笑みつつ、胸を高鳴らせる。
「遠いところ、良く来てくださいました。人間でこの国を訪れたのは貴方で四人目。しかし、長期間の招聘を引き受けて下さったのは貴方が初めてです。その勇気には敬服しています」
「恐縮です」
クライドは退屈そうなサーシャにちらりと視線を向けてから続ける。
「リグルア帝国の学問が可能な限り伝わるよう、教師として最善の努力を致します」
「可能な限りの便宜を図るつもりです。何かありましたら声をお掛けください」
真っ直ぐにクライドはシルキーを見据える。
何処か笑っているように見える彼女は、見た目だけなら愛玩犬にしか見えないが、その瞳には確かな知性の色があった。
こんな挨拶だけでは終わらない。そんな確信が彼にはある。
いや……。
(何も無ければ、それはそれで興ざめかもしれないなぁ)
普段では絶対に考えないであろうことを醒めた心で考えている。
「言葉が通じないのでは不都合ですから、通訳と護衛、連絡役として、軍より私……セレナディアを貴方と一緒に住まわせようと思います」
再びクライドはサーシャに一瞬だけ視線を向けた。
その唖然としたような反応から、彼女には伝わっていないらしいと彼は判断する。セレナディアは元々そう言い含められていたのか、驚いている様子は無い。
(監視かな。それとも他に意味があるのか……)
クライドはセレナディアに悪印象は持っていなかった。
命を助けられた事もあるし、温厚で細々と気も配れる。
若い男だけあって、単純に可愛くて嬉しいという思いもある。ただ、会って半日しか経っておらず、信用出来るとまでは言い切れない。そして何より、
(彼女は軍人だ。そして、この国の軍人のレベルは高い)
軍の命令であれば、どんな事でもするのは間違いない。
果たして何をさせる気なのか……クライドは薄笑いを浮かべている犬を見詰めながら、考え込む。
だが、断る積極的な理由も無いため、承諾しようとするが……。
「待たぬか」
ローゼンが胸を張り、クライドの前に出る。
心なしか黄色いトサカがいつもよりピンピンと立っていた。
「セレナディア殿の役割はここに案内をすること。クライド殿の身の回りの世話は皇帝より直接命じられた我の役目だ。軍の重鎮たるシルキー殿がそれをないがしろにする気か?」
「わぉーん。わんわんわんわん……わん? わぅん」
「あ、はい。通訳を続けます。権限内で最善を尽くすのが私の役割。貴方だけでは通訳は出来ても護衛は出来ないでしょう?」
硬い声色のローゼンとは対照的に、黒ドレスの愛玩犬には余裕が見える。事前の打ち合わせ無しの不意打ちだったらしい。
(おー……面白くなってきたなぁ)
どうやら自分以外の事で争いがあるらしいとクライドは眼を細める。
リグルア帝国でも良くあることだ。縄張り争いというものは。
「クライド殿は教師。学問を教授するのであるから、それは我々政務官の領域だ。護衛などは街の外を歩くだけで問題はない。軍部の者を住み込ませるのはやり過ぎだ」
クライドは自分の記憶にメモを取る。
この国では政務官の立場は軍部よりも低い。それはこの国の成り立ち……至弱から困難を戦争によって跳ね除けた過去を思えば当然なのだろう。
(やっぱりペント族は賢いな。政治の概念なんて魔物には無さそうなのに、反抗する価値を良く理解している)
しかも新参のペント族としては、容易に言い成りにはなれないに違いない。抗議も半ばポーズのようなものだろう。
わざわざ帝国語を使っているのもその立場を示し、クライドの判断材料を増やすためだと彼は察していた。目の前のシルキーはその抗議も予測しているだろう……とも。
「護衛と言うのは外敵から護るだけではありません」
「どういうことだ?」
「人間は私達と身体の作りが違います。正しい知識が無ければ人間はこの森では生きていけないのです。コボルト族にはその知識があります」
セレナディアがシルキーの通訳をしながら、ハーフエルフのサーシャに視線を向ける。
ローゼンにはその意味がわかるのか唸っていたが、「だが!」と声を荒げた。
「軍部の者であるサーシャはクライド殿に剣を向けた。部下の責任は上司の責任だ。他国の客人を相手にそのような無礼を働く者にどうして任せられるか」
おいおい、それは悪手じゃないかとクライドは眉をひそめる。
これは明らかに相手のが引き出させたかったであろう言葉だったからだ。
(変な犬の方が一枚上手かな。うーむ)
前にローゼンは皇帝にセレナディアの補佐を命じられたと言っていた。
しかし、サーシャは目の前の黒と茶色の斑ら模様のコボルトが無理やり付けた者。
有能な参謀であるらしい彼女が、サーシャの性格を掴んでいないとは考えられない。問題を起こしても構わないと考えていたに違いないのだ。
現にシルキーの表情は楽しげなものだ。
「それの何処に問題が?」
「他国の代表に剣を向けた。宣戦布告ではないか」
「本当に? 本当に?」
セレナディアがシルキーに報告する時間はなかった。
サーシャがクライドに剣を向けた事はシルキーは知らないはずである。なのに、彼女にはクライドが予想した通り、全く動揺した様子がない。
(やはり既定路線。見抜かれてるなぁ。交渉慣れもしているか)
値踏みするようなシルキーの視線にぞわりとクライドの首筋に寒気が走る。セレナディアの通訳より恐らく意地の悪い言い方なのだと彼は確信していた。
「まあいいでしょう。セレナディアが駄目なら、サーシャに……え?」
「わう!」
「あ……申し訳ありません。サーシャに任せましょう……」
セレナディアが驚きの声を上げ、最後まで何とか通訳したものの呆然とした表情でクライドを見詰めていた。
クライドもシルキーの判断に意表を突かれ、ぽかんと口を開ける。
サーシャも全く予想外の事だったらしく、固まっている。
「何を考えている」
ローゼンの声が怒りだけでなく、困惑を含んだものになったのも無理は無い。
サーシャは剣を突き付けた当人である。それをセレナディアの代わりとするのは、なお信用できないのではないか。
(さてさて、どんなつもりか)
クライドにとってはセレナディアもサーシャも変わりはないし、会話する限り短絡的な面が多く見えたサーシャの方が扱いやすいかもしれないとすら言える。
焦るローゼンとは違い、彼はこの点では他人ごとのように状況を楽しんでいた。
「サーシャならば通訳という貴方の職分は奪いません。そして、部下の責任は上司の責任。貴方の言う通り、私は上司の責任としてサーシャに罰を与えねばなりません。非常に辛いことに」
「私は許しているのですが」
真っ青になっているサーシャを横目に見て、クライドは口を挟む。
甘いとは思ったが、それだけではなく、シルキーの出方を見るために。
(わんわんわおーんしか言ってないけど、本当にこんな難しいこと言っているんだろうか)
そんな風に、少し疑問を覚えながら。
「副総参謀長の権限として『命令権』をクライド様に譲り……わぅわぅ……くぅーん」
「わんわんわん」
「キュ! キュキュキュっ!!」
わかる言葉で話せと言いたい気持ちを抑え、クライドは急に始まった本来の言葉による舌戦を見守る。
身内同士の醜いごたごたと片付けるには彼らの反応は鋭すぎた。
『命令』という言葉には何か大きな意味があるのだろう。
サーシャと喧嘩ばかりしていたローゼンが必死に止めるくらいのものが。
しばらく彼らの話し合いが続き、纏まるとローゼンが大きな溜息を吐く。
「クライド殿。『命令権』とは魔王様の能力。魔王様に忠誠を誓う者の生殺与奪を自由に出来る恐るべきもの。軍幹部にはその一分が分け与えられてはいるが、絶対に使ってはならないはずの力だ。確かにサーシャは貴方に危害を加えられない」
「死ねと命じられれば死ぬのですか?」
「死ぬ」
なるほど確かにそれでは裏切れない。
これを笑顔で告げられるシルキーは、見た目のもふっとした可愛らしさとは裏腹に、大分壊れた相手だとクライドは確信する。
そして、彼はげんなりしつつもシルキーの本当の意図を理解した。
「では、サーシャ。『クライド様のいかなる命にも従うように』。これからクライド様が役目を終えるまでの間、護衛と身の回りの世話をしなさい」
「う……わかりました……」
絶望した表情で項垂れたサーシャの身体がぼんやりと光る。
感じたことの無い重い魔力から、真実なのだとクライドは判断し、内心で目の前の腹黒愛玩犬に舌打ちをした。
安い挑発だ。
「これでサーシャさんは私の命令には逆らえない訳ですか」
「その通り。言葉の通り、どんなものでも」
「ローゼンさんはサーシャさんを認めて良いのですか?」
「仕方あるまい」
セレナディアの表情が辛そうに歪み、ローゼンが苦々しく呟く。
クライドはそんな重い空気の中、シルキーに笑みを向けた。
「ではサーシャさんに命じます。『命令権は放棄するので自由にして下さい』。さて、そろそろ本題に。まず、皇帝陛下の親書とフォーンベルグ家からの私信の取り扱いですが……」
『命令』の部分だけは、サーシャにわかるように古エルフ語を使う。
言葉は通じなくとも何をしたのか理解しているのか、シルキーは愉快そうに笑みを浮かべていた。
「うーん、さすが『あの』クレリア様から生き延びただけはあるわねー」
クライドがサーシャとローゼンを連れて退室した後、シルキーは短い両腕を天井に向けて伸びをして、機嫌良さそうな口調で言った。
そして、座り心地の良い革の椅子から彼女は飛び降りると、拗ねたように唇を尖らせて不機嫌そうに唸っているセレナディアの肩を叩く。
「約束が違います」
「仕方がないじゃない。国益が優先」
シルキーが肩を竦めるのと同時に音もなく入室してきた黒装束のコボルトから彼女は報告を受けると、「やはりね」と苦笑する。
「やっぱりあの言葉の意味は『命令』の放棄。それを一瞬も考えずに決断するなんて、気弱そうに見えて、とんでもない度胸の持ち主ね。どっか狂ってるんじゃない?」
「シルキー様に言われたくはないと思いますが……」
「酷い酷い。私なんて善良なコボルトなのに」
おどけるシルキーの言葉を、セレナディアは無言で否定する。
モフモフ帝国の裏を一手に担うシルキーは目的の為には手段を選ばない。謀略を張り巡らせ、敵を陥れ、益となるならば時には味方まで陥れる。
モフモフ帝国の表を担う夫のコボルト、ハウンドと共に彼女はモフモフ帝国において最も恐れられている存在であると言えた。
「まあ、今の貴女じゃ利用されるだけね。現にいいように誘導されていたし」
「うう……」
「それに、上位種の貴女に世話をさせるなんて、同族が納得しないわよ」
「ううううー」
馬鹿じゃないのと言わんがばかりのシルキーに、セレナディアは涙目で俯く。
傍目から見れば、二足歩行の愛玩犬に説教される少女という構図であったが、当人達の表情はいたって真剣だった。
「まあ、貴女の目のつけ所は悪くないんだけれどね」
しょんぼりしているセレナディアを見て、シルキーは溜息を吐く。
シルキーの目から見ても、あの人間……クライドは手強い。
その手強さがモフモフ帝国の利益となるのならば、セレナディアの目的の手助けをすることはやぶさかではないのだ。
「さてさて……どうしたものかしら」
しかし、障害が大きすぎる。
セレナディアは上位種が戦争でその殆どが失われたコボルト族にとって、ようやく成人した大切な上位種であり、族長候補でもあるのだから。温厚なコボルト族と言えど、認められるのかは疑問である。
一応コボルト族扱いではあるハーフエルフのサーシャとは立場が違う。
「アレを”つがい”に望むのは無茶じゃないかしら」
「無茶じゃないです!」
「なら、誰からも認められるようにしっかり働かせなさい。知識を身に付けさせるためとか適当な理由で近くには置いておくから。後は貴女の努力次第ね」
「うー……わかりました」
返事をしたセレナディアの瞳に諦めの色はない。
コボルト族は気弱だが、頑固で諦めるということは知らないのだ。
可憐な容姿とは裏腹に、拳を握り締め、獲物を狙う狩人のような空気を放っているセレナディアに、シルキーは苦笑いしていた。
セレナディアに目的があるように、シルキー自身にも目的はある。
彼女にとっては”つがい”になるのはサーシャでも良いのだ。寧ろそちらの方が国内的には楽だといっても良い。
「有能であれば期限が過ぎても自主的に残って欲しいものね」
シルキーは口の端を上げる。
クレリア・フォーンベルグと戦って生き延び、現在も生存している者は二人しかいない。
そのうち一名は、ゴブリン族の魂を根底から塗り替えた偉大なる剣士、キジハタ。
もう一人は西方で地獄の防衛戦を続けているハイオークの英雄、ルーベンス。
その二人とは違い、言葉で生き延びた人間がモフモフ帝国でどんな役割を担うのか……いや、担わせるのか。
シルキーは上機嫌で思考を巡らせていた。