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第六話 魔物の国の歪み




 パイルパーチの門の前で一度クライドは足を止める。

 門の傍らには書物で学んではいたが、彼自身は初めて目にする世界で最も有名な魔物が立っていたからだ。



「ゴブリン……」



 ゴブリンは暗褐色の肌を持つ人間よりも少し小柄な人型の魔物である。

 醜悪で残虐。家畜だけでなく、人、特に子どもを狙って襲う。禍々しい容姿をしているが総じて知性は低く、非力で、一匹だけなら人間が負ける事はまずない。


 しかし、集団で行動する性質を持っており、粗末ではあるが武装することがある上に、強力なリーダーが存在していることがあり、小さな集落にとっては脅威となっている。


 書物に書かれているのはそんな内容ばかりだった。

 


(本は当てにならないと思ったほうが良さそうだ)



 門番のゴブリンは確かに書物通りの禿頭の異形である。

 しかし、クライドは門を守っているゴブリンを醜悪だとは思わなかった。



「わんわん!」

「ラルフエルド第十二特殊小隊所属、サーシャ・アキタ、帰還しました」

「ギャギャッ!」



 セレナディアとサーシャに洗練された敬礼を返したゴブリンの立ち姿には、一分の無駄も隙も無い。

 本の記述通りに背は低いが身体は鍛え上げられていて弱々しさは無く、質の良さそうな革製の鎧は使い込まれて傷だらけだが、手入れは欠かされていないようで、無骨な歴戦の武人を思わせる。



(なるほど、彼は軍人だ)

 


 地理的に後方であるはずのパイルパーチでも緩みなく軍務に精励するゴブリンの凛々しい姿に、クライドは感動で心に熱いものを感じつつ、そう納得するしかなかったのである。



「行きましょうか。クライドさん」

「はい」



 セレナディアに促されたクライドは、ゴクリと唾を飲み込み、意を決してモフモフ帝国東部最大の街、パイルパーチの内部へと足を踏み入れた。


 門番に見送られて内部に足を踏み入れると、濃密な獣の匂いがクライドの鼻を付く。

 嗅ぎ慣れない匂いで思わず顔をしかめそうになったが、殆ど魔物しか住んでいない街なのだから、人間の街と違うのは当然の事だとクライドは思い返し、一時右手に力を込めて胸を抑え、ヤケになったように腕を振って堂々と歩き出す。



(まぁ、そりゃ気になるか……はぁ……胃が……勘弁して欲しいなぁ)



 集中する魔物達の視線。視線。視線。

 畑を耕していた大柄な猪頭の魔物、木材を加工していた三頭身の犬頭の魔物、鞄を背負って走る猫頭の魔物、背中に大量の荷物を背負った背の低い牛頭の魔物、武装したゴブリンに巨大なひよこ。



(檻に入れられた珍獣の気持ちってこんな感じなんだろうか)



 好奇心六割、無関心三割、敵意一割……初めて見る多種多様な魔物達の視線は、緊張で吐きそうになっているクライドが、堂々と胸を張って一歩進むごとにざわめきと共に増えていく。



(何だか不自然な街だなぁ。何だろう。この違和感は)



 幸いにもしばらく進んでも襲いかかる者はいなかった。

 クライドはこれだけの魔物に囲まれて生き残れているのは奇跡なんだろうなぁ……と疲労の混じった重い安堵の息を吐くと周囲を良く観察する。


 街の様子はのどかで平和そのものだ。

 異なる種族でも、彼らは仕事を共にしているし、休憩中には談笑している様子も見受けられる。魔物の子ども達は楽しそうにはしゃぎながら一緒に走り回っているし、その光景は魔物であることを除けば人間と大きく変わりはない。


 大都会である皇都ディルグラスで長らく暮らしたクライドにしてみれば、街と言うには些か物足りないが辺境の村と言われれば納得出来なくはない……クライドはそこに違和感を覚えたわけではなかった。



「どうしたクライド」



 顔に出ていたのかサーシャが彼の顔を不思議そうに見上げ、小声で話し掛ける。

 一瞬クライドは誤魔化そうかと思ったが、少しだけ考えて、疑問に感じたことを形を変えて彼女に応えることにした。



「貨幣って知ってる?」

「なんだそれは」

「こういうものなんだけど」



 落とさないように何重にもベルトに縛り付けた革袋から、銀貨を一枚取り出してサーシャに渡す。それを受け取った彼女は指で軽く摘み、眼を細めて興味深そうに表と裏を見ていたが、クライドはその仕草で何となく自分が何故違和感を覚えたのかを理解していた。



「綺麗だけど何に使うんだ? 隠し武器か?」



 指で空中に弾いて遊びながらサーシャは首を傾げる。

 知りたいことは知ることが出来たクライドが弾かれた銀貨を横から取ろうとすると、邪魔して先に取って「鈍くさいな」と悪戯好きの妖精のように小憎たらしくニィっと笑い、溜息を吐いたセレナディアに後ろから頭を叩かれていた。



「リグルア帝国ではその銀貨一枚で、色んな物と交換することが出来るんだ」

「へー。こんな小さいのでね。ふーん。魔法みたいだな」



 叩かれた部分をさすって悪びれずに感心しているサーシャに、クライドはやれやれと苦笑して頭を掻く。


 モフモフ帝国には貨幣は流通していない。

 魔物の国に貨幣というものが馴染むのかはわからないし、必要なのかは判断が難しかったが、一般的には存在すら知られていないのではないか……クライドはそう考えていた。


 彼の見たところ魔物達の取引はその全てが物々交換であり、思い思いの物を持ち寄って、自分にとって必要な物を手に入れている。


 地理的には交易の中心地点になり得る場所であり、物は集まっているが効率的な取引が出来ているかと考えるとそんなことはない。

 貴族ではあるが将来必要になるからと、無理矢理親友から商売のイロハを教えられていたクライドには非効率としか思えなかった。


 商売だけではない。この街そのものが非効率だ。

 確かに街道は立派に整備されている。広い道幅、凹凸の少ない平坦な道、死の森全土に張り巡らされた道の合計の長さはリグルア帝国を、もしかすれば上回るかもしれない程のものだ。


 しかし、他の面をみればどうか。

 街の中には小さな畑が無数に作られ、合間に職人らしい者の工房があったりする。素材を運ぶための街中の道は殆ど整備されておらず、商品や素材は広場まで担いで運んでいるようだ。

 雑然としていて統一性は無いし、計画性も全く感じられない。


 魔物だからと言ってしまえば簡単だが、末端まで行き届いた軍隊の練度を考えれば、統治能力は到底高いとは言えないだろう。

 階級を細分化して役割を明確化し、不測の事態にも即応できる高レベルな軍事能力と素人としか思えない未熟な政治能力。


 クライドの違和感の原因は、この軍と政のチグハグさだった。



(だからか……初めに僕が会う偉いさんが副参謀長なのは。多分外交官という役割が無いんだろう)



 だからこそ、文官であり、名目上は教師であるはずのクライドが初めに会う相手が軍に所属しているセレナディアやサーシャであり、その上官のシルキーなのだ。


 モフモフ帝国は軍事国家なのではない。

 そのあり方は街と称してはいるが、前線と補給基地といったものに近い。


 今のこの国は”軍隊”そのものなのだとクライドは思っていた。



「おい、クライド。何だか楽しそうだな」

「えっ?」

「気付いていないのか? 笑っているぞ」



 思考の海に沈んでいたクライドは、サーシャに思い掛け無い指摘をされ、気まずさを隠すように口元をさする。サーシャはそんなクライドを見上げて、ケラケラ笑った。



「本当に笑っていたのか……僕……あ、いや、私は」

「ああ。だけど、あの気持ち悪い笑い方じゃなかった。どっちかというと私は好きだな。何処かシルキー様に似ていたけど」

「そのシルキー様を良く知らないから何とも言えないな……ん? 気持ち悪い笑い方?」

「セレナディア様に向けたあれだ。人形みたいな笑い方」

「ふむ……なるほど」



 心当たりが無い訳ではなかった。

 概ね器用に人付き合いをこなしていたクライドだったが、サーシャと同じ……いや、もっと苛烈に罵倒した者もいたからだ。


 ”彼女達”に比べれば、サーシャは優しいとすら言える。

 懲りずに関わろうとしてくれているし、素直な感想なのか悪意も無い。


 だから、心配そうなセレナディアに大丈夫と頷き、頬を人差し指で掻いた。


 

「懐かしい言われようだよ」



 徹底的に自分を嫌い抜いた”元”婚約者と、これをネタにねちねちとからかってくる親友を思い出してクライドは困ったように笑う。

 結局は貴族に成りきれていないのかもしれない。彼はそんなことも思う。



(しかし、考え事をしている時に無意識に笑うとは)



 サーシャが嘘を吐いているとはクライドは思わない。

 嘘を吐く意味が無いからだ。だが、自分でも何が面白かったのかがわからない。



(考えても仕方がないか)



 やれやれと苦笑しながら頭を掻いて、クライドは悩みを隅に置くことにする。

 投げ捨てられなかったのはサーシャの指摘が何故か不思議と心に残ったからだった。


 自分でも知らない本質を掴まれたような、そんな錯覚に彼は陥ったのである。



 初めて見る魔物の街に彼は様々な思いを抱きながら進んでいく。

 パイルパーチの中央部に位置する大きな建物には、摂政であるアルザスに貰った『モフモフ帝国建国紀』にも参謀として名を残しているセレナディアの上司が待っているはずだった。



「クライドさん、こちらです」

「クライド。無礼な事をしないように気を付けろよ」

「サーシャっ!」

「有難う。君みたいに怒られないよう、気を付けるよ」

「ふんっ」



 クライドは僅かに心臓が高鳴っていることを自覚していた。

 何らかの運命のようなものが待っているのではないか……そんな風に感じていたのである。




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