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第四話 公人の仮面とコボルト族




「あの、さ、さっきはごめんなさいっ!」



 ペント族のローゼンと話すことでクライドが生存への僅かな希望を感動と共に噛み締めていると、犬耳の少女……セレナディアが慌てたように頭を下げた。

 彼自身はすっかり忘れかけて一瞬何の話だか思い出せなかったが、呆れるようにジト目で見上げている武装したハーフエルフの子どもの姿に「おお」と思わず手を叩き、小さな声を上げる。


 セレナディアの顔色は悪く、耳はぺたんと寝ていた。

 一方で彼女にそんな顔をさせている原因であるハーフエルフは何故謝るんだといった雰囲気で、ふてくされて憮然とした表情で立っている。



(いたなあ。こんな子)



 好戦的なサーシャと呼ばれている少女を見ていると、クライドはどうしても人質に来たばかりの年少の貴族の子ども達を思い出してしまい、敵意よりも懐かしさを感じて口元を綻ばせてしまう。


 セレナディアは悪くはないし、彼女にはかつて命を助けてもらった恩義がある。

 クライドはそう思い、あっさり水に流そうと口を開きかけたがふと思い直した。



(よく考えたら非公式とはいえ、”私”は外交官なわけだ)



 性格の悪い摂政閣下の悪魔のような笑みが脳裏に浮かび、首筋に寒気を感じてクライドは思わず首を横に振る。どんな理由があれ国に不利益をもたらせば、あの男は簡単に約束を反故にするに違いない。



(一応、遺憾の意は伝えておくかな)



 事実だけを羅列すれば、非武装の外交官に理由も無く剣を向けた。というものだ。

 これが簡単に許されるならば、今後の外交……後任を決める気があるのかはわからないが……に支障が出ないとは言い切れない。

 ただでさえ、人間と魔物、どんな常識の違いがあるかすらわからないのだから。



(うう、何だか苛めているみたいだなぁ……)



 まだまだ見た目は十代前半らしき可愛らしい女の子の大きな瞳が潤んで、指で突つくだけで決壊しそう……しかも、身体はぷるぷる震えている。

 かなりの気まずさを感じ、苦々しさを噛み締めながらもクライドは拳を握り、人質生活でトラウマを作りながらも練り上げた、貴族という名の仮面を被った。



「セレナディアさん」

「はいっ……!」



 貴族であれば個人としてだけでなく、公人としても考えなくてはならない。

 彼は一人の人間である前に、古くから代々続く貴族であり、公人としての責務を果たす必要があった。


 震えて今にも泣きそうな少女を前にして、挫けそうになる気持ちをクライドは必死に奮い立たせる。



「私はリグルア帝国を代表して此処にいます。もしも、貴女方の国の代表が理由も無く剣を向けられれば貴女方はどうされますか?」

「それは……その……」

「敵対する意思があると取られてもおかしくありません」



 別人を演じているような気分の悪さに耐えながら、毅然とした態度でクライドは言い切る。

 こちらとしても喧嘩別れは望んでいない。抗議を伝えればそれで終わり。


 すぐに言葉に詰まって俯いているセレナディアに笑いかけようとした……が、その時、彼女は顔を上げた。悲愴な決意に満ちた表情で。



「わぉ……わかりました。丸腰の相手に剣を向けたのは事実。本来はサーシャを処刑するところですが、部下の不始末は私の不始末。私の命で許してください」

「…………え?」

「それが我が帝国の為ならば、し、仕方ありません……」



 思考が追いつかない。「ちょっ! 何でそうなる!」と叫びそうになるのをクライドは何とか押し止め、セレナディアを呆然と見詰める。



「仕方、ないんです」



 彼女は耳をピンと立て、涙を必死に堪えて歯を食いしばり、それでも不器用に笑顔を浮かべようと頑張っていた。とても……冗談には見えない。



(いやいやいや、流石に……無いよな?)



 気持ちを落ち着けようと無言で眼鏡の位置を直し、助けを求めるようにローゼンの方に顔を向けると、彼は余程驚いたのか、全身の毛を逆立て、くちばしを大きく開けて固まっていた。

 セレナディアを良く知るはずの当事者のサーシャも顔を蒼白にして、呆然としている。



(いいから止めろよお前ら! くそっ……本気なのか……彼女はコボルト族……摂政様の本によるとコボルト族は狼の獣人。狼の生態は図書館の本で読んだ。確か……)



 狼は群れで行動する社会性のある動物である。

 もしかすると自分の命よりも『モフモフ帝国』という群れを第一に考えているのではないだろうか。クライドはそう思い至り、頭から血の気が引く音が聞こえたような気がした。


 魔物の感性は人間とは違う。

 そんな当然のことにクライドは心臓が止まりそうになるほど戦慄しつつ、誤魔化すように咳払いを一つする。


 流石に寝覚めが悪い……というか、自分の命が危そうだ……と思い、言い訳を必死に考えながら。



「お気持ちは伝わりました。我々は人間と魔物。まだお互いに無理解なのです。これから友好を結ぼうという時に、死人を出すのは余りにも不吉です。今回はお互いに学んだということで手を打ちませんか?」



 自分で言ったことを容易に撤回せざるを得ない情けなさに内心でクライドは苦笑する。しかし、目の前の少女は納得していない様子で、一歩近付いて、唇を噛み締めながら真下から見上げる。



「国と国同士の関係なのです。それじゃ示しが付きません」

「…………え?」

「対等だから。私もこの場ではモフモフ帝国を背負っているんですっ!」



 先程までの弱々しさなど微塵も感じない、強い力の篭った輝くような黒い瞳に押され、クライドは思わず一歩後ずさる。



「必要とあらば命を捧げるのがコボルト族である私の役目」



 甘かったのは自分の方だった……と、苦々しさと共にクライドは思い知らざるを得なかった。

 目の前の十代前半の子どもにしか見えない少女は、先日まで人質となって図書館に篭るだけで働いてすらいなかった自分よりも遥かに国に対して忠誠心を持っている。

 気を引き締め無くてはいけないのは間違いない。



(可愛さに騙されては駄目だなぁ)



 ふぅ……と息を吐いてクライドは微笑んだ。そんな彼を見て、セレナディアはきょとんと首を傾げる。その反応でクライドは思う。

 しかし、彼女は『まだまだ』だ……と。



「今はそれが必要な時ではありません。貴女が傷つくことは貴女の国にとっても我が国に取っても不利益です」

「ですけど……」

「私は許していますから。もし、それでもとのことであれば、サーシャさんに貴女から何か軽い罰を与えて下さい。今回の件はそれで終わりにしましょう。これから長い付き合いになるのですから」



 クライドから見るとセレナディアは不器用で真っ直ぐ過ぎた。

 それには好感を覚えるが、利用し合う関係においては些か危険さを孕んでいる。国と国との間には友情は存在しないが、かといって簡単に破綻させてはいけないのだ。



(狂気に近い捨て身の献身が、コボルト族の強さなんだろうな……)



 貴族として裏のある付き合いに嫌でも慣れざるを得なかったクライドは、個人的には何処までも真剣で不器用そうなセレナディアに好意を抱いていた。

 しかし、彼女の思考がコボルト族の一般的なものなのだとすれば、お互いにとって良ろしくないと結論せざるを得なかった。



(長い目で見れば、碌な事にならないに決まってる。ここは”なあなあ”にしといた方が良い)



 権謀術数に長けたリグルア帝国の貴族は、恐らく一方的にモフモフ帝国から毟れるだけ毟るだろう。短期的には利益だろうが、長期的にはどうか。

 溜まりに溜まった彼等の憎悪がどんな風に働くかは想像するだけでも恐ろしい。


 魔王や騎士を難なく斬り殺していたクレリアの実力一つだけを見ても、敵に回してはいけない相手なのは間違いないのだから。




「頑張って友好を築いて行きましょう」



 クライドはそう結論づけるとセレナディアに右手を差し伸べる。

 セレナディアはすぐにはその手を取らず、曇りのない真剣な表情でクライドを見詰め……誰もが安心するような暖かな微笑みを浮かべてその手を取った。



「はい。そういうことでしたら……わかりました」



 そして、深々と頭を下げ……「あ!」と慌てた様子で口を抑えて声を上げる。



「ごめんなさい! クライドさんが私のこと知っていたから、思わず自己紹介を忘れていました」

「あ、そうだね。一方的に知っていたものだから……」

「本当にびっくりしちゃいました。では……っ! モフモフ帝国軍参謀部所属、副参謀長シルキー付きの副官でセレナディアと申します。今後ともよろしくお願いします」



 緊張が解けたのかセレナディアは無邪気に笑って姿勢良く起立して右手を額に当て、クライドが思わず見惚れるほどの綺麗なリグルア帝国軍式で敬礼した。



 しかし、クライドは気付いていない。

 フリル付きのスカートを翻し、『そろそろ出発しましょうか』と背を向けたセレナディアが、クライドに向けた笑顔と違う意味合いの笑みを浮かべていたことを。






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