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第三話 恩人(?)との再会、そして出会い




 国から命を受ける際、私は一冊の書物を受け取った。


 モフモフ帝国建国紀と名付けられたそれは、淡々とした事実の羅列でありながら、その内容は驚愕に値するものであった。

 破壊しか知らないのだと思い込んでいた魔物という存在は、笑い、泣き、喜び、悲しむ、我々人間と変わらないものなのだと教えられたからだ。


 ただ、だからと言って私の心が救われた訳ではない。


 歴史上、魔王を倒した勇者の名は多く伝わっているが、その殆どが人間領域の戦場においてであり、魔王城まで攻めた上で魔王を討った勇者は一人しか存在しない。その勇者も帰途において帰らぬ人となっている。それだけ魔王領は過酷な環境なのだ。


 考えてもみたまえ。物語の中でも百匹程度のゴブリンと闘う話くらいなら、あちこちに存在している。しかし、私が行く場所は魔王の国の首都。何万の魔物に囲まれるのか。


 生きて帰れると思う方がどうかしている。 



        ────クライド・アルーム・ケルヴィン著 モフモフ帝国見聞録より





 馬車が止まった衝撃で眼を覚ますと、クライドは狭い場所での生活で硬くなった身体を伸ばし、表に顔を出した。


 公爵から命令を受けて既に三日が立つ。

 あの後すぐにクライドは馬車に押し込められ、売られていく子牛のような気分のまま魔王領へと向かうことになった。


 教師として必要な物は後から送ってくれるとのことで特に問題は感じていない。

 服や食料などはアルザスが手配をしてくれていたし、元々人質暮しで私物を殆ど持たないクライドはその点では気楽なものだった。


 御者はワイツと呼ばれていた無骨な禿げ頭の近衛騎士で、彼は嫌がるでもなく、淡々と野営すら知らないクライドの世話を行なっている。

 行く場所が行く場所なのでクライドも必死に野営を覚えていたが。


 そのワイツが広大な森の前に立つ、一軒の家の庭で馬車を止めていた。


 周囲は疎らに木が生えているが、緩やかな丘陵はその殆どが草原になっていて、目に見える範囲に存在しているのは丘陵の一番高い場所に立てられている砦くらいである。

 他には人が住んでいそうな建物など一切無い。


 それだけに、何処の村にもありそうなこの一軒家は、普通過ぎて不自然だった。



「降りろ。後はその家で待て。迎えが来る。他に必要な物があればここに手紙を届けろ」



 必要な事だけをする。余計なことはしない。

 ワイツはそんな男だった。


 無愛想だが殊更クライドを嫌っているわけではない。

 顔に似合わず真面目な男で、こんな仕事で重宝されるのも理解できる気がしていた。



「わかりました。有難うございます。ワイツさん、お世話になりました」

「俺の役割だ」



 礼を言うとワイツはそれだけを言い残し、再び馬車を駆って帰っていった。



 待ち合わせを指定された家は外観こそ居宅であったが、中身はテーブルや椅子はあるものの、殆ど倉庫と言うべきものだった。

 そこには無造作に穀物や武器防具などの物資が置かれている。


 この近くにある砦は元々は魔物に備えたもので、今ではその砦がこの建物を守っているらしい。砦の許可無く近付いた者は容赦なく殺されるとのことで、あの傍若無人な公爵もある程度は気を配っているようだった。



「返しそびれたなぁ」



 クライドは井戸の水で丁寧に身体を拭くと家に入り、埃の積もった椅子に座る。

 テーブルの上には使い残した財布があった。親友から預けられたそれの中には銀貨や銅貨だけでなく、金貨も混ざっている。

 彼の親友曰く、三ヶ月は暮らせる金額とのことだった。


 本当は理解していた。

 彼女はしがらみなんて捨てて逃げろと言いたかったのだ。


 そんなこと出来るはずがないと知っているのに。


 貴族にしては甘い甘いと親友には良くからかわれていたが、彼女の方こそ商人の癖に甘いのではないか……と、僅かな胸の痛みと共にクライドは思う。



(命じられた期間は二年……か)



 だが、場所が場所だけに一日だって生き延びられるかは怪しいところだ。

 魔法は使えるからゴブリン一匹くらいなら倒せるだろうが、それで終わり。



「まぁ、でも、僕が死んでも取り返しに来るか。あいつなら」



 眼鏡を外してテーブルに置き、腕を上に上げて身体を伸ばしながら苦笑する。

 少しだけ明るい気持ちにはなれた。


 やはり、自分の手で返さないとなと、心に誓う。

 状況に流されるのはいつものことだが、可能性が低いからと諦めるのは性に合わない。


 生き延びて、いつかあの性格の悪い公爵に目に物を見せるのだ。

 さぞ痛快に違いない。



「それに本の内容が真実なら生き延びる芽はある」



 モフモフ帝国建国紀と題された本には、最弱の魔王だったコボルト族の建国の経緯から当面の敵であったオーク族を降伏に追い込むまでが詳細に書かれていた。

 その内容から判断できる事実はいろいろとある。


 まず、魔王が一人ではないこと。

 数多くいる魔王達が互いに交戦状態にあること。

 モフモフ帝国なる国が合理的な判断を行える国であり、更に公爵の妹が重要な地位を占めていること。


 将来的なことはさておき、国境を接し、お互いに後方を安定させたいという意味では、確かにリグルア帝国とは利害が一致している。人間に対する感情も、コボルト族に協力し、英雄となった皇后の存在が、ある程度和らげてくれるはず。


 問題は死の森の過酷な環境に、長い期間引きこもり生活をせざるを得なかった自身の身体が耐えられるかだが……こればかりはわからない。



 思考を巡らせると、その時だけはクライドは恐怖を忘れることが出来た。

 心細いが一人には慣れている。それに死が間近なのは今日までの二年間と今の状況では何も変わりはない。


 国に処刑されるか、魔物に殺されるか。環境によって病死するか。

 ただそれだけの差。絶望の質は変わることはない。


 クライドは覚悟を決めて静かに眼を閉じた。

 一時間ほどはそうしていただろうか。


 控えめにドアがノックされ、扉が開いた。

 クライドは身体を震わせて反応し、財布を懐にしまい、慌てて眼鏡を掛けて立ち上がる。


 緊張で強ばっている顔を指でほぐすと、現れた者の方にクライドは振り向いた。

 その姿に彼は眼を見開いて息を呑む。



「がぅ……あ、すみません。こちらにクライドさんという方は……わぉん……いますか?」



 家に入って来たのは場違いなくらい可愛らしいフリル付きの青い服を着た、穏やかそうな雰囲気の黒髪の十代前半の犬耳少女と、革製の防具を着込んだ護衛らしき目付きのキリっとした背の低い銀髪の、恐らくはハーフエルフの少女。

 そして無駄に偉そうに胸を反らす短い足でペタペタ二足歩行する変な鳥(?)。


 その中の黒髪の優しげな少女に、クライドは見覚えがあった。



(間違いない。あの時の女の子だ)



 艶やかな黒髪からはひょっこりと三角な耳が飛び出ており、獣人であることを思わせる大きな尻尾が少しだけ背中から覗いている。

 そして、あの日は犬の鳴き声だったが、今日の彼女は時折犬の鳴き声が混ざっているものの、不慣れな帝国語を一所懸命に使っていた。



「いや、そういうことか……」



 僅かに記憶よりも成長していたが、彼女のことは忘れるはずがない。

 朱い悪夢の中で出会った、臆病だけど勇気のある命の恩人の少女。



(本も当てにならないな。特徴が全然違うじゃないか)



 そうクライドは驚きながら思う。

 本で書かれていた彼らの特徴は、二足歩行する犬のような可愛らしい三頭身の魔物というものだった。

 しかし、目の前の少女は確かに可愛らしいが野性味があり、凛としていて犬に近いとはとても思えないし、そもそも三頭身ではない。


 彼女の耳と尻尾は狼のもの。


 クレリアと呼ばれていた冷徹な少女も、惨劇の中でも穏やかさを保っていた少年もそう。帽子や無駄に目立つマントで隠してはいたが間違いない。


 人に近い容姿を持っているが……彼女達は獣人ではない。

 彼等の正体は魔物であるコボルト族だったのだと、クライドは今、ようやく理解していた。



「確かセレナディアさん……で良かったっけ?」

「わぉん!?」



 犬の鳴き声のような声であの時に感じた複雑な思いが蘇り、クライドは若干顔を引きつらせながら彼女の名前を呼ぶ。

 呼ばれた方の少女は驚いて鳴き声に戻り、くりっとした綺麗な眼を驚きで見開いて、クライドを見詰めていた。


 びっくりさせてしまったらしいと彼は反省する。



「貴様! セレナディア様に何をするかっ!」



 もっともその一瞬後、怒りの形相をしたハーフエルフに剣を突きつけられ、今度はクライドが腰を抜かしそうになりながら両手を上げる羽目になっていたが。



「サーシャ! 止めぬかっ!」



 渋い低い声が何処からか聞こえる。

 クライドは周囲を思わず見回したが、誰が言ったのかがすぐにはわからず、最後に消去法で残った二足歩行の偉そうな鳥(?)の方を向いた。



「失礼したな。客人。我は鳥類の王、ペント族……ペンギンリーダーのローゼンだ。そこの短気で知性の欠片も無いハーフエルフの幼女はサーシャ」



 ローゼンと名乗ったペンギンリーダーとやらの身体は黒く、お腹は白い。

 黄色い嘴は鶏を思わせる。羽はあるが、とても飛べるようには見えず、水かきの付いた足でぺたぺたと彼は歩いていた。


 特徴的なのは後頭部。黄色い眉毛のようなものが後頭部まで伸びてまるで王冠のようにツンツンと飛び出している。


 水鳥だろうか。

 食物連鎖がとても厳しいと噂の魔王領で生きていけるような種族には見えない。



「どさくさに紛れて何言ってるのよ。リザド族にボロ負けしたくせに」

「おう、何だ。やるか? 喧嘩買うぞ? 我は喧嘩を買うぞ?」

「先に売ったのはそっちでしょ! 私は大人! もう12歳なんだから」



 変な鳥(?)が偉そうなのは口だけだったようだ。

 それに200年は生きるハーフエルフで12歳は十分子どもだろうとクライドは思ったが、賢明にも口には出さなかった。


 ハーフエルフは古エルフ語、変な鳥の方はリグルア帝国語で話しているが不思議とお互いきちんと通じているらしい。


 頼むから口喧嘩は剣を下げてからして欲しいとクライドは思ったが、そんな細かいことよりも彼にはもっと、心の奥底から気になることがあった。



(見たことも聞いたこともない会話の通じる魔物……新種……新種じゃないか……)



 クライドは呆然と心の中で呟く。

 会話の通じる魔物。しかも新種。



(これは、もしかすると凄いことなんじゃないか?)



 ペンギンリーダーのローゼンと名乗ったおかしな鳥に、クライドは熱い視線を注ぐ。

 こんな魔物はどんな図鑑にも書かれていない。


 人間の領域には住んでいないのだろう。

 その時、ふとクライドの脳裏に天啓が湧いた。



(そうか! これが話にだけは聞いていた、フィールドワークというものか!)



 クライドは戦うための軍学や魔法学だけでなく、植物学、薬学、物理学、歴史学、地理学、政治学に天文と言った風に幅広いジャンルの書物を読み、深く学んでいたが、実際に街の外に出て実物を見ることは人質であった立場上不可能であった。


 しかし、物は考えようである。

 魔物領に入ってしまえば、リグルア帝国の目は届かない。


 誰に気兼ねする事もなく、未知の宝庫で誰も知らない知識を存分に得ることが出来るのだ。

 そう思うと彼の心にも、僅かな希望と共に、知識を探求する学者としての情熱が湧いてくる。



(知りたい……生きた魔物の生活を)



 あわあわと慌ててハーフエルフを引き剥がし、ぷんすか怒りながら地面に座らせて説教を始めた犬耳少女などを横目に、彼はペンギン……ローゼンと同じ視線にかがむ。



「どうした人間?」



 訝しげに見詰めるローゼンに、クライドは瞳を輝かせ、その姿勢のまま丁寧に頭を下げた。



「私はクライド・アルーム・ケルヴィン。クライドで構いません。ローゼンさん、お願いがあるのですが」

「ふむ。構わぬぞ」

「少し触らせていただいてよろしいですか?」

「ほう。では我もお主を触らせてもらいたい。サーシャには似ておるが、初めて見る生物だからな。実に興味をそそられる」



 許可をもらうとクライドはペタペタとローゼンの身体を確認していく。

 頭から羽がどう付いているか、足がどうなっているか……慎重に触れ、顔を近付けて確認し、城で貰ってきた白紙の日記帳にメモをしっかり取りながら。



(べったりしているように見えるけど、意外ともふっとした触り心地だ。身体は凄くしまっているし、これは……凄い。空は飛べないだろうけれど……)



 一頻りメモを取り終える頃には、説教をしていた黒髪の犬耳少女も怒られていたハーフエルフも何も言わずに微妙な表情で、熱っぽく興奮しているクライドを見守っていた。

 ローゼンだけは機嫌良さそうに胸を反らせている。



「どうかね。クライド殿」

「素晴らしい! 素晴らしいです。ローゼンさん! 確かに貴方は水の中なら鳥の王だ! それに帝国語を正確に使いこなす語学力……」

「うむ。正にそのとおり。ペント族は水中を飛ぶ鳥なのだ。そして、学ぶことを厭わない。ふふふ……そこまで見抜くとは我も人間の叡智を認めたぞ?」

「ペント族と共に学ぶことには大きな利益がありそうです」



 うむむと唸りながらクライドは差し出してきたローゼンの羽を握った。

 彼がアルザスから貰った『モフモフ帝国建国紀』にはペント族の存在は記載されていない。

 ということは彼らは長く続いたオーク族との戦争後に加わった種族ということを意味している。そして、その戦争が終わったのは五年前だ。


 数年という短期でここまでの帝国語を身に付けるような知的な種族が魔物にもいるのだと思うと、クライドの気持ちも幾分と和らいだものとなっていた。



 教師を務めるのも、もしかしたら簡単な事なのかもしれないと。

 当然、それは盛大な勘違いであったのだが。





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