第二話 歴史上類を見ない任務
皇城ディルグラス。首都のシンボルでもあるこの城は、芸術性も高いと言えば高いが、どちらかと言えば実用性を重視して建築されている……ということに一般的にはなっている。
一度魔王が現れれば、リグルア帝国はこの城を中心に防衛戦術を取るのだから、当然と言えば当然ではあるのだが。
(でも、あまり意味なさそうなんだよなぁ……)
大理石の廊下を歩きながら二年前の陥落を思い出し、クライドは溜息を吐く。
確かにこの城は堅牢だとは彼も思っている。
外壁と内壁の二層構造となっている城壁は十メートルを超え、それを乗り越えても堀が張り巡らされた城に辿り着くまでにも数々の防衛施設が設置されている。
城壁には魔法に対する対策も施されており、穴を掘って侵入されないように地下深くまで精霊を寄せ付けない処置が施されていた。
まさに鉄壁の守りと言うべきもので、事実この城はリグルア帝国の長い歴史の中で何度も包囲を受けているが、陥落させたのは現在の実質的な主である、アルザス・フォーンベルグのみである。
ではどうやって二年前、小さな侵入者達は城壁の内部に侵入したのか。
それは簡単なことで、処置が施されていない深部まで、魔法で強引に地面を掘り進んで内部に侵入したのである。しかも、別の場所に穴を開けて城外に脱出する余裕っぷり。
並の精霊使いにそんな不条理な力技ができるとは思わないが、そんな規格外が一人でも存在しているのなら他国に居てもおかしくはない。
彼等と共に逃げた親友が面白おかしく誇張したその話を聞いたクライドは、それ以来無駄に豪勢なこの城が、どうにも頼りなく思えていたのである。
(何だか威圧的だしなぁ。この城)
しかし、何度来てもこの城は落ち着かない。彼にとっては来る度に命の覚悟を迫られる場所だからというのもあるだろう。
城の廊下を歩いている今はクライドは拘束はされていない。
だが、案内をしてくれている筋骨隆々な禿げ頭の大男がその気になれば、どんな警戒をしていても無駄であることは明白だった。
ちなみに傷跡だらけの如何にも傭兵というこの男は近衛騎士である……が、外見だけ見れば騎士の礼服を着た山賊の頭である。
昔は近衛騎士と言えば中位以上の貴族というイメージだったのだが、現在はその半分近くをフォーンベルグ公爵の手勢である元フォーンベルグ傭兵団が占めていた。
当然傭兵であるから野蛮な荒くれ者が多い。
しかし、皇帝と摂政に絶対的な忠誠を誓ってるという意味では彼らが近衛として相応しいのは間違いがない事実だったし、一度命令されれば貴族としてのマナーすら身に付けるくらいに、彼らはフォーンベルグ家に心酔していたのである。
すなわち、彼らは何かあれば問答無用でクライドを殺す……敵であった。
「公爵様、クライド様をお連れしました」
「御苦労。入れ」
城の奥にある小さな部屋の前で、大男は足を止めてドアを軽く叩き、いかつい顔を引き締め、緊張した様子で来客を告げる。
中から聞こえたのは男の……忘れもしない美声だった。
「よく来てくれた。クライド・アルーム・ケルヴィン。ワイツ。貴様は誰もこの部屋に近付かせるな。行け」
「承知いたしました。公爵様」
摂政として国政を動かす男の執務室は質素であったが、部屋の主である男はそうではない。
元傭兵とは思えない気品と英雄として謳われるに相応しい容姿。
平民出身でありながら、皇帝すらものともしない不遜さを持ち合わせた、既に歴史に名を残している男。
平民からは神の如く崇拝され、貴族からは情け容赦ない悪魔として恐れられている男。
護衛は一人もいない。
近衛騎士の大男も退出させている。しかし、暗殺などは出来るはずもない。一見華奢ですらある目の前の男は、あの大男よりも遥かに強いのだから。
「お会いできて光栄です。公爵様」
何が悲しくてこんな化物のような男と関わらねばならないのか。
すぐに殺されなかったのはいいけど……と、クライドは思わず泣きそうになりながら、公爵……アルザス・フォーンベルグに頭を下げた。
彼は不敵な笑みを浮かべながら、椅子を勧める。
そして対面に座り、足と腕を組みながら放たれた次の一言は、クライドの心臓を鷲掴みにした。
「口元にソースが付いているぞ」
慌てて口元を拭ってしまったが、笑いを堪えている目の前の相手を見て、からかわれている事に気付く。頭から引いた血が一気に上りそうになったが、深呼吸して何とか心を落ち着けた。
「許せ。フォーンベルグ流のジョークだ」
ニヤニヤと笑いながら、目の前の美丈夫は悪びれずに口だけで謝罪する。
しかし、どれだけからかわれようともこちらに反撃の手段はない。監視されていた事実に冷や汗を拭いながら、クライドは頭を下げた。
「真っ直ぐに出頭しなかったことは謝罪します」
「構わん。陛下との賭けに負けたのは残念ではあるが……あの呼び出しを受けて、途中で買い食いをする貴公の度胸は買ってやろう」
何の賭けをしたんだよ。と内心で悪態を付きつつ、アルザスが要件を話すのを待つ。
処刑をするならこんな回りくどいことはしないだろう。だが、何を言われるかはわからない。緊張で心臓は激しく鳴っていた。
「まずはこれを見ろ」
彼は懐から一冊の本を取り出すと、テーブルに置く。
題名は『モフモフ帝国建国紀』。比較的新しい装丁の本だった。
帝国大学の図書館に住み込む勢いで本を読んでいたクライドは、好奇心からまじまじとその本を見る。読んだ事どころか、聞いたことすらない。
「初めて見る本です」
「当然だ。原本は私が持っている。これはその写本」
アルザスの意図が読めず、クライドは困惑する。
そもそも、モフモフ帝国などというふざけた名前の国は周辺には存在していない。しかし、ただの物語なのだとすれば、ここで自分に見せる意味は無さそうだ。
「それは貴公にやろう」
「よろしいのですか?」
本は貴重だ。知識の宝庫である。それが未知の本とあれば、その価値は計り知れない。
思わず手に取ろうとして、ふとアルザスの顔を見る。彼は何が楽しいのか愉快そうに微笑んでいた。邪悪な笑みだとクライドは思う。
「構わんよ。餞別だ」
「は……餞別……ですか?」
「そう。君にはそこに書かれている国、モフモフ帝国に出向して貰う」
言葉の意味が良く理解出来ず、驚きで目を見開く。
アルザスの表情はいたって真剣。
クライドは全ての国を覚えているとは断定出来ないが、国を担うことを志した学士として、ほぼ全てといって過言ではないくらいには国の名前は頭には入れている。そして、その知識の中にこんな奇天烈な名前の国は存在していない。
少なくともそんな名前の国があれば、絶対に忘れない。
(まさか空想の国に行けって……いや、まさか……?)
最悪の想像が頭を過ぎる……が、アルザス程の権力者が自分程度に仕掛ける冗談としては手が込みすぎている。少し考えて、クライドは顔を上げた。
「申し訳ありません。私の知識には無い国でしたので……」
「知らないのも無理はない。最近出来た国だからな」
「どの地域に建国された国なのでしょうか」
リグルア帝国の東部は二カ国と接し、どちらもが内戦前は属国だった。
その内の片方は目の前の男の弟であるローヴェル・フォーンベルグの手により属国へと逆戻りし、もう片方は今のところは独立している……時間の問題だろうとクライドは考えてはいたが……ただ、どちらも国内的にはそれなりに安定しており、新しい国が起こる余地はない。
南は小さな諸勢力が緩やかな同盟関係を結んでおり、リグルア帝国とは争っているが、こちらも安定している。
北は巨大な宗教国家の衛星国だ。こちらもリグルア帝国と紛争を抱えているが、新しい国家が生まれたとは聞いたことがない。もっと遠くだろうか。
(いや、そもそも伯爵家の三男に過ぎない自分に何故公爵が直接命令する?)
公爵は護衛を下げた。そして、誰も近付けさせるなと。何故下げた?
何故、官吏として働いたことすらない無名の自分を選ぶ?
クライドは本に視線を落とし、眉をひそめた。
もしかしたら……これは恐ろしい機密なのでは……。
「ケルヴィン伯爵家に名誉回復の機会を与えよう」
手の平に汗を感じる。
アルザスの落ち着いた声は絶対的な響きを持っていた。
「期間は二年。任務中に死んだ場合も、ケルヴィン伯爵家の名誉は回復するだろう。”行方不明”の妹も無事に故郷へと帰り、良い縁談を得られるはずだ。悪くはあるまい」
全てが筒抜けであることをクライドは理解し、身体に冷たい汗が流れる。
拒否という選択はなかった。拒否すれば、一族だけでなく親友も……。
「不肖の身では御座いますが、全力で事に当たります」
即座にクライドは立ち上がり、一礼して頭を下げた。
すると、アルザスは満足げに頷く。
「そう緊張する事はない。少し隣国に出張するだけだからな」
「え……?」
「質問に答えてやる。どの地域か……」
腕を組み、足を組んで座りながら彼は嗤う。
「西だ」
言葉の意味は中々入らなかった。
それはクライドが無条件に外していた答えだったからだ。
何故なら魔王の侵攻を食い止める『楯』の役割を担っているリグルア帝国は、人が住める領域の”西端”に位置している。ここより西に国など存在するはずがなく、広大な魔王領だけが……そこまで考えて彼の思考がある答えに辿り着く。
「ま、まさか……そんな……」
「気付いたか。中々柔軟な頭脳をしているようだな」
有り得ない。そう思うが、昨今の情勢を考えれば不思議ではない。
リグルア帝国西部での魔物被害は急激に減っている。原因不明とされたそれが、絶対的な支配者が現れた結果によるものだとすれば。
目の前の英雄と呼ばれている男は……間違いなく狂人だ。
「俺の妹の話は知っているな?」
「はい。ホーランド公爵に嵌められた話は有名ですから」
「クレリアはモフモフ帝国の皇帝に命を救われ、皇后となった。皇帝は俺にとっては恩人。そして、妹を助けるのは兄としては当然……だったか?」
その言葉でクライドの脳裏に朱い悪夢とそれを創り出した少女が思い出される。
確か、あの圧倒的な強さの少女はクレリアと呼ばれていた……と。ならば傍らにいたあの少年の正体は…………。
「世界を敵に回すおつもりですか?」
「世界が俺に喧嘩を売るなら……な」
膝に置いた手に力を込め、呆然と呟いたクライドにアルザスは不敵な笑みで返す。
「仲間の為には国を……いや、世界を滅ぼすのがフォーンベルグだ。魔王が仲間となったならば、その魔王と手を組むくらい俺にとっては大した問題ではない」
頭がおかしいとしか思えない言葉だ。
数千年に渡って殺し合ってきた不倶戴天の敵。永遠の人類の敵が魔王という存在なのである。にも関わらず、彼は大したことはないと言い切っている。
普通ならば狂人の戯言で済まされる発言だ。
だが、彼らは現実にリグルア帝国という強大な国家を転覆させている。
本気なのだとクライドは寒気で身体を震わせた。
「これはリグルア帝国にとっても必要な政策だ。馬鹿共がやらかした内乱で国力が落ちている今、西部が安定する利益はお前も理解できるだろう」
「はい」
どれだけ優秀な施政を行なっても、国力はすぐには戻らない。
そういう意味では彼は何処までも現実的な、合理的な思考を持つ為政者であると言っていい。彼は西部の問題を解決することで、国内を早期に回復させることを選んだ訳だ。
西部を安定させる意義は皇帝の権力を高める上でも非常に大きい。
なぜなら内戦において、アルザスに協力した西部の貴族達の多くは実りの良い土地に転封し、魔王領と接する危険な西部の領土はその殆どが帝国直轄地となっているからだ。
これらの直轄地から安定的な収益が上がれば、皇帝の力は倍増する。
クライドは己の役割が想像以上に重大なものだと判断せざるを得なかった。
そんな役割の人選が何故自分なのか……という疑問は大きかったが。
「改めて命令する。魔王領、死の森に存在するモフモフ帝国に教師として赴任しろ」
重ねて告げられた命令に、クライドの思考は止まった。
ぽかんと口は開き、聞き間違えたか、またからかわれたのかとすら彼は思った。
だが、目の前の公爵は真剣そのもの。
「教師……ですか?」
「そうだ。貴公の学識の高さは聞いている」
そういう問題じゃない。と、クライドは言いたかったが、口元が震えて何も言い返せない。確かに人間相手なら彼も教師を努められる自信はある。
「魔物に学問を教えろと?」
「その通り。向こうからの要請でな。ゴブリンやオークに教育を施すなど、あるいは歴史上初めての試みかもしれないな。胸が踊るだろう」
胸が踊るどころか心臓が止まりそうになりながら、クライドはようやく何故自分なのかという疑問の答えに気付き始めていた。
学問を治めており、ある程度の地位を持ち、リグルア帝国を裏切れず、更にいつ死んでも誰も困らない人物……間違いなくクライドは適役だった。
「非公式ではあるが外交官も兼ねるものとする。必要な物は用意してやるから上手くやれ」
「了解しました」
家族の為にも、国の為にも、クライドに拒否するという選択肢はなかった。
例えそれが半ば粛清を意味しているような危険な任務であったとしても。