第一話 処刑台への案内状
”親愛なるアリア・ハイランドへ
厳しかった冬もようやく終わり、ようやく暖かな春が訪れました。これからハイランド男爵領には貴女に似合う美しい花々が咲き乱れることでしょう。
さて、先立って送らせて頂いた婚約破棄の一報にはさぞ驚かれた事だと思います。このことは、誓って貴女の責任ではありません。
私は貴女の聡明さ、発想の豊かさ、公平さには感服しており、貴女と共に生きる資格を得たことを誇らしく思い、楽しみにしていたのであります。
しかしながら、我がケルヴィン家の未来は永遠の冬に閉ざされており、そして、私自身もケルヴィン家に生まれた者として、責任を果たさねばならぬ運命にあります。
その責務に婚約者である貴女を巻き込むわけにはいきません。
恐らくハイランド家も反逆者に協力した貴族として、厳しい沙汰が言い渡されるでしょう。しかし、我がケルヴィン家とは違い、命までは奪われることは無いはずです。
幸いフォーンベルグは才覚のある者を優遇しています。貴女の異才を持ってすればハイランド家の名誉を回復する事は容易であると私は考えています。
違約の代償として、ケルヴィン家はハイランド家に多額の財産を譲渡します。
貴女はそれを活用し、貴女自身の未来を切り開いてください。貴女はそれが出来る人です。私の事も忘れ、新たな人生を歩んで下さい。
私はフォーンベルグの召還を受けました。
恐らくは多くの者が予想する通り、死を賜る事になるでしょう。
未来の無い私は貴女の幸せだけを望みます。
我が父に最期の一瞬までその力を捧げてくれたルドルフ・ハイランド男爵に感謝を。叶うならば、私は彼を父と呼びたかった。
私を恨むことなく、無力な情けない私を婚約者として認め続けてくれた貴女に感謝を。私は非力だが、私に出来る形で最後まで貴女を守りたい。
願わくば、訪れたこの平和のように、貴女が暖かな幸せに包まれますように。
クライド・アルーム・ケルヴィン”
人生において重大な出来事というものは、意外とさり気無く知らされるものである。
何故なら、往々にしてそれらのことは自分が居ない場所で起きるからだ。
丸メガネを掛けた細身の青年は、リグルア帝国首都ディルグラスの賑やかな大通りをふらふらと力無く歩きながら、天の無情を嘆き、そんなことを考えていた。
「手紙一枚。人生とは儚いなぁ。はは……」
そう渇いた笑いをこぼしている男は青年というよりは少年に近い。
顔立ちは丸みを残しているし、身に付けている学者にのみ与えられる黒のローブも身体が華奢なせいかだぶだぶで、どことなく成長しきっていないという印象がある。
そして、それ以上にお人好しそうな優しげな容貌が、彼を幼く見せていた。
ただ、くすんだ金色の髪を落ち着かない様子でかき混ぜている今の彼は、顔色も真っ白で三十年は老けて見えていたが。
そんな彼の気分とは裏腹に、皇都ディルグラスは快晴であり、程よい陽気で過ごしやすく、人通りの多い大通りでは商売人達の明るい呼び声があちこちで響いている。
長い内戦の果てにようやく訪れた平和と新たな英雄による善政は、戦火からの復興という特需をもたらし、人々は明日への希望と成功への野望を持って生きていた。
「世の中は平和になったのに」
僕達は未だあの内戦の中にいる。と、青年は目を細めて溜息を吐き、周囲の様子を見回して口の中でだけ呟く。
長い内戦。リグルア帝国継承戦争。
十年近く続いたこの戦争は、後世まで語られるであろう一つの英雄物語を生んだ。
内戦の発端は前皇帝の死である。
正統な継承者を選ばぬまま没した皇帝ではあったが、大方の貴族達は帝国の第二都市、ウィーベルを治めるウィーベル侯爵が推す、第一皇位継承権を持つ皇子が次の皇帝となるだろうと予測していた。
しかし、何者かにより第一皇子は暗殺。ウィーベル侯爵は第一王子の息子、ウィリアムを皇帝候補に推した。しかし、それに対して第二皇位継承権を持つ皇子を擁していた帝国の最大貴族、ホーランド公爵が反発。
緊張感が高まる中、暗愚で知られたウィリアムによりホーランド派の貴族の弾圧と虐殺が行われると、ホーランド公爵は第二王子に皇帝を名乗らせ、兵を挙げた。
ここにリグルア帝国を真っ二つに割った内戦が始まったのである。
しかし、ここまでは英雄物語の舞台装置に過ぎない。
ウィーベル侯爵やウィリアムだけでなく、ホーランド公爵もリグルア帝国中に悪名が轟いていた人物であり、最も新しい英雄物語では彼等の全てが最大の悪として描かれているのだ。
英雄物語そのものは過去に起きたある有名な事件から始まる。
”氷の女神”と謳われた傭兵出身の女騎士、クレリア・フォーンベルグの反逆事件がそれだ。謎を残したまま闇に葬られたこの事件は当時から冤罪ではないかと疑われていた。
事件の解決を主導したホーランド公爵は、クレリアの実父が率いる精鋭、フォーンベルグ傭兵団の報復を恐れ、彼等もまた反逆者であるとして騙し討ちに掛けた。その戦闘においてフォーンベルグ傭兵団は甚大な被害を被り、団長、ダンベルグ・フォーンベルグは戦死する。
そして混乱の中、後に英雄と呼ばれることになる二人の男が死地からの脱出に成功した。
フォーンベルク傭兵団副団長で『猛虎』と謳われる勇将、ローヴェル・フォーンベルグ。
そして、英雄物語において主役を務めるフォーンベルグ傭兵団団長、『皇帝の剣』アルザス・フォーンベルグ。
彼等二人を逃げ延びさせたことが、ホーランド公爵の後の運命を決定づけた。
彼等はホーランド公爵に粛清されかかっていたフォルニア姫を偶然助けると、中立を保っていた西部の中小貴族達を掌握し、暴政を敷くウィリアムとウィーベル侯爵を撃破。次いで優勢を確保しつつあったホーランド公爵をも激戦の末に打ち破ってしまう。
結局、二人の大貴族の我欲が産んだ内戦は、第三者の手によって幕が引かれたのである。
彼らの活躍は戦争だけには留まらない。
内戦終結後もフォルニア姫を摂政として支え、傭兵出身とは思えない辣腕を振るって国家を建て直し、善政を引いたアルザス・フォーンベルグを民衆は熱烈に迎え入れた。
詩人達はこぞってその偉業を称え、リグルア帝国の内外にその声望を広めている。
その中でも眉目秀麗なアルザス・フォーンベルグが流浪のお姫様を助け、恋仲に落ちるというロマンス溢れる英雄物語は一般庶民の間では尊敬と共に愛されており、特に女性には熱烈に受け入れられていた。
当然、その話には尾ひれが付き、『フォーンベルグ一族は元は皇族であった』『伝説の剣士、アルドメイヤーの血筋を引いている』など、嘘か本当かわからないデタラメな噂も出回っているくらいに、得体の知れない大人物になっていたのである。
「当事者でなければ楽しめるんだろうけどなぁ」
華々しい勝者の影には肩を落とす敗者の姿がある。
火を見るより明らかな事実はフォーンベルグ家最大の目的が父親と妹の『復讐』であり、敗れた貴族達は権力を握ったフォーンベルグ家に復讐されるであろうということだ。
そして、丸眼鏡の人の良さそうな、くすんだ金髪の青年は敗れた側に立っていた。
青年の名は、クライド・アルーム・ケルヴィン。
ホーランド公爵が捕縛された後、ホーランド派を纏めて降伏した伯爵。
英雄物語における激戦のラストを飾る、地元以外では悪名が高い『反乱軍副司令官』ドライド・アルーム・ケルヴィン伯爵の三男であった。
彼の人生を大きく変えたのが、この敗戦だったのは間違いない。
クライドは、一夜にして『伯爵家の三男』から『反乱軍の副首領の息子』へと立場を落としたのである。
同じように人質にされていたホーランド公爵旗下の貴族達はクライドから揃って距離を取り、クライドもまた、彼等を巻き込まぬように慎重に距離を置いた。
クライドは学友達を恨んではいない。
元々成り行きで派閥を作っていたが、そのこと自体は目的ではなく、横暴な公爵の息子の派閥から自衛する為の手段であり、結果的に目的は達成されているし、一人になったお蔭で好きな読書を親友以外には煩わされる事なく楽しむことが出来ている。
気楽な立場と言うべきもので、学士としては余程有意義な生活が出来ていると言えた。
それに同じように大学で学んでいたホーランド公爵の一族や何名かの大貴族の子弟がどのような運命を辿ったか。
その末路……即ち、学舎から近衛兵に引きづられ、処刑台まで泣き叫びながら運ばれた最期を思えば無理は無かったであろうから。
(嫌な奴等だったけれど、あれは可哀想だったな……他人事じゃないんだけれど)
今も元人質の学友達は死刑囚として生かされているような気分に違いない。そう考えると、
(内戦の原因を作り、しかも僕達を人質として扱い、”悪魔”に喧嘩を売って死んだ後まで迷惑を掛けまくる公爵にこそ文句を言うべきじゃないか)
と、クライドは思うのだ。
彼は気弱な性格ではあったが、同時に開き直れる性格でもあった。
しかし、クライドが”処刑台への案内状”と陰で囁かれていた、フォーンベルグの家紋入りの手紙を受け取っても絶望に落ちなかったのは、彼が今の立場に落ちても全く態度を変えない親友の存在が大きかった。
その大商人出身の親友に”あること”を頼み、婚約者への手紙を書くと、クライドは貴族としての誇りを保てるよう、自らの足で王城へと出頭することに決めたのである。
ただ、開き直ることと落ち込まないことや、恐怖に駆られないこととは別の問題だった。
「はぁ……僕は何のために大学で学んできたのだろう」
騎士を目指す前にその道が断たれてしまっていた以上、せめて将来は官吏として国の為に尽くすつもりで全身全霊、出来うる限りの努力をしてきたのだ。無意味に死にたくはない。
だが、今はまだ逃げる訳にはいかない。
(また逃げ道が無いんだよなぁ。どうして僕はこんなことばかり……)
クライドは重い溜息を吐く。
逃げれば領内で謹慎している親と兄達が確実に粛清されてしまう。
処刑されない望みが一分でもある以上は、行かなくてはならないのだ。
そして、行けばひ弱で体力のないクライドは逃げられない。
どう考えても詰んでいた。
一度足を止めて悩む。悩む。悩む……。
ぐ~~~~。
クライドの薄いお腹から貴族としてあるまじき、情けない音が鳴った。
思わず顔を赤くして、ブンブンと左右を見回す。
(ぼ、僕は案外図太いのかもしれないな……)
ずり落ちそうな丸メガネを人差し指で戻しながら、彼は内心で呟いた。
心労から昨日は何も食べていないが、若い体は正直である。
「食べよう。うん」
クライドは立ち止まって真剣な表情で頷くと、お腹を鳴らした原因らしい肉を焼く香ばしい匂いを漂わせているけしからん屋台に近付き、敵を討伐するために財布を取り出した。
一応は今も大貴族として困らない生活をしているクライドは自分のお金は持っていない。
お金は親友が貸してくれたものだ。
(う……変なことまで思い出しそうだ)
手紙のことを伝えた昨日の夜、「せめて、童貞くらい私が捨てさせてやる」と、泣きそうな顔でしがみつかれたことを思い出して赤面する。
確かにあいつは美人になったが、それは親友だとしても、してもらうことではない気がするのだがどうだろうか。
初めて見る風呂上がりの色っぽい女の顔と、柔らかい胸の感触に戸惑いつつも丁重に辞退すると、それならとケチで有名なあいつが貸してくれたのだ。役に立つからと。
何故か一発殴られた後に絶対に返せとは言われているが……闘う前に体力を付けておくのは有効な使用法に違いないと自分を納得させる。
「おう、いらっしゃいっ! 兄ちゃん、食べてくかい?」
「そ、その串焼きを二本」
僅かに緊張しながら、クライドは露店デビューを果たした。
何事も経験である。
「ほら、学生の兄ちゃん! うちのは美味いぜ~?」
「有難う。これで足りますか?」
眼鏡を人差し指で一度抑え、彼は大柄な中年の親父さんに小さな銀貨を一枚渡す。
彼は知識としては親友からお金の使い方は学んでいた。ただ、人質として過ごしていたために実践の機会が訪れなかっただけである。
(最初で最後になるかも……いやいや、ないない……)
湧き上がる不吉な予感を首を振って追い出す。
大丈夫なのだと自分に暗示を掛け、彼は胸を張った。
「兄ちゃん。これじゃちょっと多すぎるぜ。銅銭はねえか? 釣りがねえんだ」
困ったような店の親父さんの声が、クライドを現実に引き戻す。
串はもっと安かったらしい。先に値段を聞くべきだったと反省しつつ、空腹に負けて肉を一口齧る。
美味しかった。
こんな時なのに。
ほんの少しお腹が満たされて力が湧き、空元気では無く自然と笑みが浮かんだ。
「釣りはいいよ。ありがとう。とてもおいしい」
だから、クライドは本心から店の親父さんに礼を言った。
時代が時代であれば、露店の店主に礼を言う機会など絶対に無かっただろう。そんな気持ちになれたことは、あるいは良かったのかもしれない。
店の親父さんはきょとんとしていたが、クライドの身なりを見て笑って頷く。
学生には貴族が多い。払いすぎても困らない立場と察したのだ。
「わかった。じゃあ、釣りの分はあなた様の幸運を祈らせてもらいますぜ」
「それは一番有難いかも。私に幸運があればまた食べに来るよ」
強面だが愛嬌のある親父さんに、クライドも笑って返す。
そして、彼は串を齧りながら、胸を張って皇城へと歩いて行った。