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第九話 死と隣り合わせの森




 死の森は非常に豊かな森である。

 陽は地面まで殆ど届くことがなく、土は濡れたように湿っているが、草々は届かぬ陽の光の代わりに周囲に重く漂っている魔力を吸い込んで成長し、独自の生態系を構築している。


 人間世界の森とはその在り方は大きく異なっていると言っても良い。

 クライドが所属するリグルア帝国では森のその特性に苦しみつつも利用し、極浅い場所の薬草を採取することで利益を教授していた。


 ただ、その進化の結果、森は多くの動植物を育み、そこに暮らす生き物達はその恩恵に預かっている……のだが。



「クライド、止まれ。『悪魔の樹』が擬態している。迂回するぞ」

「僕には同じ樹にしか見えないけど……」

「よく見ろ。枝が風もないのに動いているだろ。生き物が近付いたらあれで捕まえるんだ」



 同時に死の森は危険な森である。

 この森では人も魔物も捕食者であり、被捕食者であった。


 動物は植物を食べるが、植物もまた動物を捕食するのだ。

 まさに弱肉強食。熾烈な生存競争がここでは繰り広げられている。



(やめておけば良かった……)



 木々の隙間を埋める深い草むらの中を殆ど音を立てずに進むサーシャの後ろを、ガサゴソと盛大に音を立てて付いていきながら、クライドは小一時間も立たない内に森での狩りに同行した事を後悔していた。



(見栄は張るものじゃないなぁ)



 苦々しい思いと共にクライドは泣きそうになるのを何とか堪える。

 彼が事情を説明すれば日々の食事くらいはモフモフ帝国が世話をしてくれるのは間違いない。それでもクライドが慣れないアウトドアに挑戦したのは彼なりに理由があってのことであったのだが……。


 人間世界の……子どもの頃の思い出にある人の手が入ったケルヴィン伯爵領の長閑な森での狩りぐらいに甘いものを想像していた訳ではなかったが、それでも尚、自分の見通しの甘さに後悔する羽目になっていたのである。



(子どもに気を使われることになるとはなぁ……いやいや、貴族も万能じゃない。任せるときは出来る者に任せる。今はこれで良いんだ。経験を積めば……なんとか……なるか? この森が本当に……)



 目の前で小さなネズミが植物の蔓に捕まって貪り食われているのを横目に、いろいろと悔やみながらもクライドは歯を食いしばって闇の森への恐怖を押し殺す。


 サーシャは優秀な狩人だった。

 明らかに足でまといであるクライドを厭うことなく、彼に自らの動きを合わせ、危険には事前に対処できるように行動している。


 周囲に素早く向けられている視線は真剣そのもので、先程までの子供っぽさはまるで無い。

 


「クライド。動くなよ?」



 クライドに振り向いていたサーシャが手を伸ばして彼を制止する。

 その視線は鋭く、何かを見つけたのだと察せられたが、クライドの視界には何も獲物らしき動物は存在しない。

 息を止めて見渡したが何も見つからず、クライドが声を上げようとした瞬間。



「シッ!」



 銀色の閃光がクライドの顔を掠める様に走った。

 瞬時に鈍い音と共にナイフが突き刺さる。



「ふぅ……肉と薬ゲット。良い囮っぷりだったぜ」



 脂汗を流しながら何も言えずに固まったクライドに、サーシャは何でも無いかのように朗らかに笑い掛けながら、鈍い音を立てて樹に突き刺さったナイフを『肉』ごと抜く。

 クライドの顔の傍、サーシャの華奢な身体付きからは想像出来ない速度で飛んだナイフに刺さっていた獲物は、細い彼女の腕くらいの太さはある樹の色に溶け込むような焦げ茶色をした蛇だった。



「ど、毒蛇か……?」



 ほらよっと毒蛇を渡され、慌てながら初めて触る蛇を荷物袋に詰め、クライドは呻く。

 ナイフの刺さっていた樹はクライドの間近。一瞬サーシャの判断が遅れるか、ナイフが外れていれば噛まれていた可能性は高い。



「え、毒を持っていない蛇っているのか?」



 焦るクライドとは違い、サーシャはのんきに首を傾げる。



(不自然なくらいにサーシャは強いな……環境のせい……いや、無いな。有り得ない)



 鼻歌を歌いそうなくらいのご機嫌さでネズミを貪っていた草を切り飛ばしているハーフエルフに、クライドは流石にそれだけではないだろうと判断していた。


 一般的にハーフエルフは人間とエルフの特徴を受け継ぐが、非力なエルフの影響を受けるため人間よりは筋力は落ちるはずである。それなのに未だ成人にも至っていない彼女が、インドア派とはいえ成人男性であるクライドに単純な力ですら遥かに上回っている。

 生身の身体でこれは絶対に有り得ない。


 サーシャが危険を排除してくれていることもあり、知的好奇心が恐怖に勝ったクライドは今度は様々な種類の草を採取していたサーシャに問い掛けた。



「さっきのナイフ投げ……うーむ……基準を何処に置くか……」

「基準?」

「ああ、悪い。質問させて貰っていいかな?」

「何でも聞けよ。遠慮しなくていいぜ。と、友達なんだし!」



 何故か振り向かず、返す言葉も噛んでいるサーシャを不思議に思いつつもクライドは頷く。少し尖った耳は後ろから見ても赤く染まっているのが彼にはわかった。



「コボルト族は皆、あれくらいナイフが使えるのかな?」



 承諾を得た為、クライドは少し考えて基準をコボルト族に置く。

 これはサーシャがコボルトの上位種であるらしいセレナディアをまるで姫様か何かのように扱っていたからで、コボルト族に縁が深いであろうと察したからである。

 そんなクライドの問いが理解出来ないとばかりに、サーシャは首を傾げる。



「え、当たり前だろ。あれくらい子どもの遊びじゃないのか?」

「こ、子どもの遊び?」

「どうしてクライドが知らないんだ? 元々、ナイフ投げは人間の子どもの間じゃ当たり前の遊びだって俺は聞いたぜ?」

「少なくとも僕の知る限りじゃ子どもはそんな物騒な遊びしてないよ……誰がそんな事を……って、一人しかいないのか」



 コボルト族の魔王と結婚した元人間。

 傭兵出身の騎士で現摂政の妹。クレリア・フォーンベルグ。


 過去に図書館で出会ったあの圧倒的な存在感を持つ彼女自身と彼女の兄二人……傭兵出身でありながらリグルア帝国を実質的に乗っ取った立志伝中の人物である二人の姿をクライドは思い出し、おそらく色んな意味で有名なフォーンベルグ傭兵団の普通なのだろうと納得せざるを得なかった。


 ただ、戦争を考えるならば恐ろしい事を教えたなあとクライドは思う。

 進むだけでも困難な森の中で、音もなくナイフが飛んでくるのだ。それこそ『子どもの遊び』だから殆ど全ての魔物がある程度の腕前を持っているはず。更にコボルト達はナイフ投げよりも弓の方が得意というのだから、種族すべてが熟練の狙撃手のようなものだ。

 人間がこの森を正攻法で落とすのはまず不可能だろう。



(『あの』フォーンベルグが率いる彼等と互角に戦争したオークって……オークにそんな実力があるなんて聞いたことがないけれど……人間領の魔物とこちらの魔物で個体差がある可能性もあるか。まあ、聞きたいことはそんなことじゃない)



 湧き上がる探究心をクライドは深呼吸をして沈め、本題の質問へと移る。



「じゃあ、コボルト族はみんなサーシャくらいの力があるのかな? 軽々と重い物とかを持っていたけれど」

「ん……? ああ! あれか。あれはコボルト族としては落ちこぼれだった俺を見かねたターフェ師匠が教えてくれた技なんだ」

「師匠……あ、技……ということは誰でも出来る?」

「さぁな。俺は出来たけど他はどうかは……俺の場合は鼻は効かないし、吠え声の聞き分けも苦手だからなぁ。俺だって役立たずにはなりたくないから……みんなに認められる為に必死に身に付けたんだぜ?」



 肩を竦めるサーシャの表情には苦いものが混ざっていた。

 当然かもしれないとクライドは思う。彼女は魔王領に住んではいるが、あくまでもハーフエルフなのだから。苦労をしなかったはずが無い。



「ま、念願も叶って、最近ようやく軍属になれたんだけどな」



 それでも自分の意思で居場所を作り、明るく笑っているサーシャは、人質として生き、流されるままに生きているクライドには些か眩しすぎるように感じ、思わず誤魔化すように頬を掻いた。



「その技、僕にも教えてもらっていいかな」

「構わないぜ。身に付くかはわかんないけどな。で、その代わりにクライドも人間だけの技術を色々教えてくれるんだよな?」



 犬というよりは強かな猫のような笑みを浮かべているサーシャに、クライドは穏やかな表情で答える。



「勿論。君に身に付けられるかはわからないけどね」

「面白れぇ。絶対クライドより先に身に付けてやるぜ」



 クライドは生き延びるために。

 サーシャは所属する場所に貢献できる能力を身に付けるために。


 それぞれの目的を胸に秘めて約束を交わす。

 ただの善意よりも彼等にとってはわかりやすい。



「これで対等ってもんだよな。うんうん」

「今は僕が教えてもらう方が多そうだけどね……この草は食べられるのかな?」

「ああ。俺達の場合肉ばっかじゃ駄目らしいからな。毒のない草はまずくても食べなきゃ。クライド。俺達は好き嫌いしてりゃすぐ病気になるぜ?」

「まずいのか……」

「まずい。というかエグい? だから後は口直し用の果実も持って帰るぞ。この季節なら……こっち!」



 死の森における狩りはとてもではないが安全なものとは言えない。

 それでも魔物達は日々の糧を得る為に森に入る。生き延びる為に。


 この森に比べれば人間世界の森などぬるま湯のようなものだろう。魔物の強さも違って当たり前なのかもしれないとクライドは思う。


 そして魔王によって過剰に道が整備されていたのは防衛の際の不利よりも、この恐るべき森での戦争において軍の補給を優先した結果だろうとクライドは推測していた。

 交易の拡大などは軍人であるフォーンベルグはおまけ程度にしか考えていないに違いないから。


 クライドはこの死の森において一人で生き延びる技術を身に付けるつもりだった。

 不測の事態が起こった時に自身の力で対処するために。


 その困難さに頭を悩ませつつも、能天気な笑顔を見せているサーシャの姿に何処か癒されていた。





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