91話 ケイ・マージネルという少女
ケイの朝は早く、日の出とともに目が覚める。とはいっても、朝に強いわけではない。
「ぅ~~」
呻きながらケイはベッドから這い出た。早く着替えないとと、まともに働かない思考がケイをつき動かして、着替えを始める。
ケイが何故早起きをして、すぐに着替えをしようと思うか。
その答えはケイがパジャマを半分ぐらいまで脱いだところで、計ったかのように入ってきた。
「おはようございます、ケイお嬢様」
「――っ!!」
その挨拶とともに変態が現れた。部屋のドアは大きく開かれ、下着が覗く脱ぎかけのパジャマ姿になっていたケイは涙目になって震えた。
ドアが開いているからといって誰かに見られているわけではないのだが、それでも恥ずかしさから言葉にならない呻きが口から漏れる。
「どうしましたお嬢様。何があったのですかお嬢様」
マリアはそう言って表面上は心配そうに、ケイへと駆け寄ってくる。当然のようにドアは開いたままだった。
「ど、ド――」
「ドーナツですか。朝からドーナツをご所望ですかお嬢様」
「――ドア閉めて!!」
ケイの叫びが屋敷中にこだまする。
マージネル家の朝の恒例行事だった。
ちなみに恒例行事なのでケイの半裸姿を覗こうとする不届き者もたまに現れるが、それは事前に変態が昏倒させている。
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服を着替えたケイは日課である組手をマリアとこなす。
マリアは十代の頃に上級まで登りつめた元天才ギルドメンバーで、ジオと同時期に引退し、その後はマージネル家の客分として雇われてケイの教育係のようなことをやっていた。
雇い始めた頃には大きく差の開いていたケイとマリアだが、今ではその実力は拮抗したものとなっていた。
純粋な戦闘技量で言えばまだまだマリアに分があるので、訓練としての組手ではマリアが勝ることが多い。しかし精霊と契約したケイには膨大な魔力量が有るため、もしも実戦の殺し合いとなればおそらくケイが勝るだろう。
「困りましたね。そろそろお嬢様に教えることがなくなってきそうです」
「そんなことない。マリアはちゃんとした服装になればもっと動きやすくなるから強いでしょ」
「お嬢様は皇剣としての力を使わないようにと苦心していますので、そのハンデ程ではありませんよ」
ケイが動きやすいスポーツウェアであるのに対して、マリアはいつものメイド服だ。スカートをはいたマリアと互角の勝負をしているのだから、本当の意味で互角ではないだろうと言いたかった。
しかしマリアからすれば、ケイはもう自分に対して本気を出せなくなっている。
皇剣のもつ魔力は膨大だ。
ラウドのように十分な経験を積んでいるのならともかく、今のケイにとってその魔力は完全にコントロールできない危険な爆発物のようなもので、マリアを殺してしまわないようにと意識を割かれてしまうのだ。
「ふむ、やはり私はお役御免ですね。これからは自主トレーニングを中心にするべきでしょう」
今の関係でケイとの組手を続ければせっかくの才能に蓋をしかねないと判断して、マリアはそう言った。
これからは実戦でその腕を磨くべきであり、マリアが相手をするなら技の打ち込み相手のような稽古相手であるべきだとの意味を込めて。
「そ、そんな事ない。私は今日も勝てなかったし、マリアから教わることはたくさんある」
そんなマリアの言葉を誤解して、ケイは焦ってその言葉を否定した。
「それはそうですよ。ケイお嬢様はおバカ――失礼、少々お脳がお軽くて筋肉質ですから、お目付け役として私は必要でしょう。おそばを離れることはないですよ。安心してください」
マリアはいつもとは違う、優しい笑みを浮かべてケイの頭を撫でた。ケイは安心した様子で撫でられるのに任せていたが、ふと我に返って、
「私、そこまで馬鹿じゃないよ?」
恨みがましい目でマリアを睨み、反論した。
ケイ・マージネルはマージネル家当主の孫娘であり、次期当主候補筆頭であるアールの義理の娘である。
正確にはアールの妹とその婿の娘であり、ケイの出産前後に他界した二人を偲んだアールが養女として引き取った。
だが生まれてまもなく両親を失ったケイには、悪い噂が付きまとっていた。
曰く、悪魔の血が流れていると。
ケイの両親の死因は病死とされているが、影では不義を働いた妻を嘆き夫は自殺をし、妻はその夫の死を悼んで後を追ったのだと噂されていた。
そしてその不義の相手こそが悪魔の血を持つ魔人だと、噂されていた。
その噂は、ケイが生まれつき赤い髪と瞳を持って生まれたことにも起因していた。
この国では魔法や薬で髪や瞳を好きな色に変えることも珍しくはない。とくに守護都市や芸術都市では奇抜なファッションが好まれる傾向にあった。
だが生まれつき真紅の瞳と髪を持つ者は少ない。特にケイの瞳はルビーのように煌き、髪は燃えるような鮮やかなもので、それは浮世離れした神秘性――あるいは魔性――を醸し出していた。
また多くの武人を排出するマージネル家の中でも、ケイの才能は突出したものだった。
同世代に相手になるものはおらず、そのたぐいまれなる才覚は否応なく魔人を連想させた。
マージネル家はその噂を真っ向から否定した。
だがそうでありながらケイはマージネル家の中で腫れ物のように扱われた。そんな中で育ったケイは幼い頃、溜まった鬱憤の爆発力でギルドに押しかけ、そこで本物の魔人と出会ったりもした。そしてそれがマージネル家の中での立場を、一層微妙なものへと変化させた。
マージネル家の中でも、真相を知っているものは限られる。ケイももちろん真相は知らない。
だがそれでも噂はマージネル家の中に蔓延しているし、そんな中途半端に話を知っている者たちは、ケイの中に流れる血が二人を出会わせたのだと、ケイが汚いものであるかのように口にした。
ケイのジオへの想いは歪な環境で育ったことによる破天荒な生き様への憧れだったが、周囲はそうとは見なかった。
ケイが皇剣の座を得たことで周囲の視線は変わったが、それは厄介な子供へ向けるものから扱いづらい兵器への変化であり、ケイが望んでいたものとは違っていた。
そんな中で、祖父とマリアだけがケイにとって心を許せる数少ない家族であった。
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「お義父様、入ります」
ケイが養父のアールに呼ばれたのは、午前中の訓練と座学を終え、昼食をとったあとだった。
「うむ」
「何か御用でしょうか」
アールはケイの養父だが、父親らしいことをしてもらった覚えはなく、どう接していいかわからない相手であった。
もう少し幼い頃は武道の手ほどきを受けたこともあったが、それすらも最近はない。
理由としてはケイの実力がアールに近づき過ぎたせいで稽古という体裁が取れなくなったというのもあれば、老いが深まってきた現当主に変わってアールが執務に時間を取られることが増えたからでもあり、さらにはそうでない理由もあった。
「そうだな。まずは昨日の件は知っているな。
魔物が活性化している。正式に精霊様から竜の出現が告げられた。そのため産業都市から皇剣の派遣要請が来ている。通例を考えれば産業都市の皇剣が残るべきだが、あいにくと西の農業都市に出張中でな。お前に話が来た。できるか」
「はい。できます。派遣は一年ですか」
アールの言葉は守護都市を降りて産業都市に残れということであり、それは場合によっては一年は家に帰れないことを示していた。
公僕である皇剣は契約社員であるギルドメンバーの派遣と違って拘束期間に明確な期限がなく、産業都市が安全だと判断されるまで何かと理由をつけて滞在を要求されることが多いためだ。
「いや、お前はまだ修業中の身だからな。一週間だけと話をつけている。また東の農業都市にはラウドが常駐することになっている。竜が現れれば時間を稼ぎ、ラウドの救援を待て」
その言葉にケイは渋々と頷いた。
ラウドはスナイク家の皇剣であり、この国で最強の戦士である。名家の生まれであるケイは当然ラウドを見知っていたし、さらには師であるマリアがラウドの友人のようなものであった為、浅からぬ交流があった。
そのよく知るラウドに実力で劣るのは事実であったし、もしも勇み足でケイが竜に殺されれば産業都市はなすすべなく蹂躙されてしまう。
ギルドメンバーや騎士たちが体を張って足を止めるにしても、有効打を与えることのできるケイがいるのといないのでは損害に大きな違いが出るだろう。
竜が現れたとき、ケイの果たすべき役目は足止めであって討伐ではない。
不満はあるが、それを口に出すほど分別のない少女では無かった。
「なお、この仕事にマリアはついて行かない。代わりに私が最も信頼おけるものたちを付ける。パーティーを組んで出たこともあるものたちだ。リオウたちの顔と名前は覚えているな」
「はい。大丈夫です……。その、マリアはなんで来れないんですか」
「あれはギルドメンバーでも騎士でもなく、あくまでマージネル家が雇っている家庭教師のようなものだ。今回のような危険な仕事をさせるだけの契約は結んでいない。
時折、お前が狩りに出る際に付き合うことがあるのは知っているが、それも本来は契約違反だな。少しぐらいなら目こぼしをしていいが、今回は竜の出現も予想されている。同行は許可できない」
アールの言葉は冷たく硬い。説得は無理だと諦めてケイは頷いた。不安はあったが、確かにマリアを連れて竜と戦えばきっと自分を庇って前に出るだろう。
竜との戦いにおいて、皇剣以外の戦士は基本的に弾除けでしかない。竜に有効打を与えられる皇剣を庇うための、生きた肉の壁。そんな役どころをマリアにやらせたくないのはケイとしても同意するところだった。
まあそれでもよく知らない都市にマリアがついて来てくれないのには不安があったが。
「納得はしたようだな。
さて、それでは合わせてお前に仕事がある。実は昨日の魔物の襲撃は共生派のテロリストが手引きしたものだという情報が入ってな。その殺害を依頼したい」
「捕縛ではなく、ですか?」
「ああ、聞く所によるとそれは言葉巧みに人心を操るらしい。お前はまだ若い。下手に捕縛して騙されるリスクを負うよりは後顧の憂いなく殺せ。どうせ共生派のテロリストの末路は死しかない。ためらうな」
人間を殺す。その事に躊躇いはある。
だがケイは治安の維持管理を目的とする警邏騎士団を排出するマージネル家の人間であり、いつかは犯罪者を手にかける事になるだろうと覚悟をしていたし、そのための教育も受けてきた。
ケイは今年、十五歳となって成人した。
だからそれを実行に移す日が来たのだと、ケイは緊張した面持ちで頷いて答えた。
「よし、詳しいことは部下に伝えてある。準備も合わせてな。武器を持ったら産業都市に降りろ。もうすぐ守護都市が接続を切り、出立をする頃合だ」
「はい、分かりました」




