83話 英雄の出陣
拝啓、皆様お元気でしょうか。私は今にも命がなくなりそうです。
戦闘開始と同時に始めた、短槍を使ったヒット&アウェイ作戦は割とうまくいきました。
先頭集団の足を傷つけて放置、踏み越える障害にして時間を稼ぎつつ止めを刺す手間はハイオークにやってもらう一石二鳥の作戦です。
失敗する懸念材料は一度に数匹に襲いかかられて対処しきれずに大きな怪我を負ったり、あるいはこっちの一撃がうまく入らずもたついたりする事で、つまるところこの綱渡りは簡単に失敗となる。
ただ魔力感知で全体の位置関係を把握し、さらにその感情を見ている私は、細かいステップを繰り返して常にハイオークたちが攻撃しづらい位置取りを確保し続ける事ができた。
親父に鍛えられた私はハイオークに比べてどうにも高い戦闘技術を身に付けられたようで、百回仕掛ければ百回ともイメージ通りに手傷を負わせることができた。
ヒット&アウェイ作戦は成功した。成功したが、失敗だった。
現在ではハイオークの数があんまりにも多すぎて抑えきれずに迂回されて、そんでもって包囲されて、ヒット&アウェイとか言ってる状況ではなくなった。
どこにアウェイしてもハイオークがいるのだから。もうヒット&ヒットですよ。
いや、一度でもヒットしたらそこで勝敗が決してしまうので、一方的にヒットしまくってちゃんと相手の攻撃は避けてはいるのですが。
まあさて置き、私としてはこんな状況になる前に逃げたかったのだけど、そうできない理由が目の前にいる。
ハイオーク・ロードが、目の前にいる。
本当に、ヒット&アウェイ作戦はうまくいったのだ。
百匹中、突破を許すのは二、三匹で抑え、その分ハイオークの行軍に渋滞が起きて、横に伸びた隊列を抑えることは私には出来なくて抜けられたんだけど、その抜けた奴らも目の前の敵を抑える合間を縫って中級魔法で範囲攻撃した。
私に後ろを見せ前へ前へと意識を向けていたので、クリティカルヒットします。死にます。
まあ全部が全部殺せたわけではないのだけど、結構いい数を減らせました。
直接槍で突いて行動不能――というかその後仲間に踏まれて死亡――したのを合わせればたぶん百匹ぐらい殺してる。
ハイオーク全体からすると一割だけど、二年前を考えれば大健闘だと思う。というか、出来過ぎの結果だった。
ハイオーク・ロードは、だから出てきた。
今度のハイオーク・ロードはハルバートを装備してい た。私の短槍よりも長いそれに、私はまたしても踏み込んでいく戦いを強いられる。
だが二年前の経験と、それからの成長のおかげか、あの時ほどに綱渡りの状況にはなっていない。
と言うか、なんだかこのハイオーク・ロードはそんなに強くない気がする。いや、魔力量は二年前と変わらないし、体格的にもそうたいして違いはない。
だがこの二年間に私が成長した事で、ハイオーク・ロードをこの程度だったかなと思わせているのだ。
はっきり言って、一対一ではむしろ私に分があるように感じる。
まあそれはあくまでハイオーク・ロードとの一騎打ちだけを見ればだが。
私の周囲はハイオークたちで囲まれていて、以前とは違ってロードを援護してくる。
私の魔力感知は360度全周囲を警戒できるけど、だからといってどこから攻撃されても万全に対応できる訳ではないし、周囲に気を割きすぎればハイオーク・ロードにやられてしまう。
逃げるタイミングは失ってしまった。
ハイオーク・ロードとこうして向かい合うまでならばそれも可能だったが、今から逃げても背中を切られて終わる。
ハイオーク・ロードの接近に気付かなかったわけではないのだが、あんまりにも上手い事ヒット&アウェイ作戦が進みすぎたせいで魔が差してしまったのだ。
案外このままいけるんじゃね、と。
逃げる時間を稼いでくるけど、別に倒してしまってもかまわないだろう、リベンジだと。
二年前と違って魔力にも体力にも余裕があるし、魔力に関してはどうとでもなるから――ん? 私は今おかしなことを考えたな。まあいいか、今は目の前のことに集中しないと――いけるんじゃねと、思ってしまったのだ。
そして現在、私はとっても後悔しております。
まあただ時間稼ぎの役目は果たせているので、そんなに問題はない。
ハイオークたちの先頭集団は護衛の騎士たちとも接触できていないし、子供たちはもう守護都市の昇降口にたどり着いて、慌てる様子もなくきちんと並んで昇っている。
ハイオーク・ロードが振り下ろすハルバートを体をひねって躱し、回転した勢いをのせて切りつけようとするが、囲んでいるハイオークがその手の剣で切りつけてくる。
私は屈んでそれをやり過ごすと、そいつの後ろに回り込んで膝の裏を切り裂いた。体を支えられなくなって倒れるそいつを蹴っ飛ばしてハイオーク・ロードへの盾にする。
その間にも二匹のハイオークが私に襲いかかってきて、私はそれをくぐり抜けながら手近なハイオークに傷を刻んでいく。出来ることならハイオーク・ロードに傷を付け、少なくともこの場から引かせたいが、邪魔が入るせいでまともな攻撃のチャンスを作るのも難しい。
今はハイオーク・ロードの攻撃をやり過ごしながらハイオークの数を削っていくしかないのだが、単純計算だとあと九百匹もいるんだよね。
まあ現状は耐えどころだ。
碁で下手の人に置き石を置かせて対局するとき、最初から盤面でははっきりとした差がある。
そうなるとついつい欲が出て大石を殺して一発逆転なんてものを狙ってしまいたくなるが、じっくりと腰を据えて終局までの二百数十手を存分に使って少しずつ少しずつ差を縮めていくほうが、実際のところ勝率はいい。
そして現状でも少しずつ形勢を詰められてきているハイオーク・ロードの心には、早く勝負を決したいという焦りが生まれてきていた。
その焦りは、必ず私の助けになる。
その確信があったから、ぱっと見では絶望的に見えるこの戦力差の中で、私は冷静さを保つことができていた。
そうして私が淡々と作業するようにハイオークたちと戦っていると、避難している方で動きがあった。
「――は? 何やってんのあのバカ親父」
◆◆◆◆◆◆
「ここまでくれば安全ですね」
「ふん」
昇降口に入っていく初等科の生徒たちを見ながら、グライ教頭は安堵の声を漏らす。出番のなかったジオは不満そうに鼻息を鳴らした。
ハイオークが千体も押し寄せてくるという事態は確かに危険だが、それはあくまで外縁都市にとってのことだ。
この国にとって最高の戦力である守護都市が接続中の今はそこまでの危機ではない。
ただ厄介なのは他の都市でも防衛戦が起きているケースで、その場合はいちはやくこの戦いに決着をつけて支援に向かわなければならない。
だがそれも大丈夫だろう。ここまで接近されたのなら騎士にしろギルドメンバーにしろ緊急動員がかかって、さしたる時間をかけずに片を付けるはずだ。
「しかしわからない。最初は何かの陰謀かと思いましたが、管制の対応はむしろ被害者のようだった。なぜここまで接近されるまで気付かなかったのか。この一ヶ月という期間と産業都市の接続で、管制で起きた機材トラブルは直ったと聞いていたのですが……」
「なら直っていなかったんだろう」
こともなげにジオは言った。それこそが正解なのかもしれないと、グライ教頭は頷いて益のない憶測を打ち切った。
「そうかもしれませんね。それでセイジェンドさんですが、彼はなぜ単身で時間を稼ぎに行ったのでしょうか。
彼の実力を私は資料でしか知らないのですが、もしかしてこの状況を苦にしないほどの力を持っているんですか?」
「いや、まっとうにやれば死んでいるだろうな」
ジオはこともなげにそう言った。
そもそも中級上位のギルドパーティーでも中級下位のハイオークに囲まれればかなりの危険となる。
かつてのケシアナたちは負傷者をかばいながら三十を超えるハイオークに囲まれてなお凌いだが、セージが助けに入らなければ死者が出るのは避けられない状況に追い込まれていた。
単身で中級下位のセージは、セオリーで考えれば十体ほどに囲まれた時点で詰みだろう。
だがジオはそうはならないと踏んでいた。
「心配はしていないのですか」
「している――が、俺はあいつが死ぬと思えない」
「それは、彼があなたの息子だからですか?」
グライ教頭は剣呑な思いを内に秘めてジオを睨んだ。
噂でしかないその真偽を確かめろと、彼はマージネル家から厳しく言い含められていた。
ジオレイン・べルーガーはその生き様こそ破天荒ではた迷惑だが、最高の戦士であることは誰もが疑わない事実だ。
膨大な魔力量と高い身体能力、そしてそれに驕らない卓越した戦闘技術。
そしてそんな性能だけでは成し得ない数々の武勇伝。
死地と呼ばれるような厳しい戦いを何度もくぐり抜けて生き延びてきたジオは、まぎれもなくこの国で最高の戦士だった。
そしてそんなジオに抱かれたいと願う女性は多く、ジオはそんな女性たちを一切拒まなかった。
そこには女好きな師であり後見人だった男の教えが大きく影響していたが、それを知っている人物は多くはなかった。
多くの女性が望んでジオに抱かれたが、ジオの子を産んだという女性は少ない。
それも当然で、ジオと関係を持った女性の多くは娼婦かそれに類する商売をしており十分な避妊対策をしていたか、あるいはジオの子を産んだと公言できない立場にあるものたちだった。
ジオが最高の戦士である以上、その血統を受け継ぐ者が非凡なわけがない。
その思い込みが、マージネル家にセージを強く意識させていた。
「さあな」
真剣なグライ教頭に応えたジオの声は、投げやりなものだった。
セージが実子でないかということは時折聞かれるし、そういう可能性に心当たりもあったが、なんとなく違うとジオは思っていた。さらに言えば、心当たりの相手は黒髪ではなかった。
「なんとなくだがな、あいつは違うと思うぞ」
「は?」
「俺とは違うといった。俺は自分が生き残るためならなんでもやった。今、俺が生きてるのはその結果だ」
例えば、ジオの道場では一年ほど前から教育をしている町のならず者たちがいる。どれも未熟で幼いが、似ているというのならあの手の連中の方がジオとは似ていた。
あれらが死ぬような思いの実戦を百万回くぐり抜ければ己のような戦士になるだろう。
そういった連中に比べて、どんなに汚い手でも自分のためならためらいなく実行する生き汚さがセージには欠けていた。
いざという時に手段を選ばないのはセージも同じだが、セージはその手段を実行する目的が、ジオや不良とはズレていると、そう感じていた。
「あいつはな、その点に関しては俺とは違う。自分が死んでも構わないぐらいに思っている」
ダストが死んでギルドに登録した時からそれは感じていた。あれは自分の命を軽く考えている人間の行動だった。
「自己献身の塊ですか。己が死んでも、みんなの安全が守られればそれでいいと」
グライ教頭は呟いた。
彼はそういう人間を何人か見知っていた。騎士になるべくしてなったような、弱者を守るために剣をとった志ある若者たちだった。そんな見ていて気持ちの良い若者たちは、若者のままこの世を去った。
だからグライ教頭はその手を強く握り締めた。
頼っておいて勝手だという事は分かっていたが、それでも他人事のように平気な顔をしているジオがとても腹立たしかった。
「助けに行かなくていいのですか?」
「いらないな。あいつは帰ってくる。俺の勘がそう言っている」
返ってくる言葉は変わらず冷たい。先程まで優しい目で子供たちを見ていた男とはまるで別人で、そのよく知る魔人らしい冷淡さにグライ教頭は怒りを覚えた。
「あなたの言っていることは無茶苦茶だ。ここまでくれば護衛は大丈夫です。セルビア君も私が責任を持って家まで送り届ける。
あなたが私を信用できないというなら――」
グライ教頭の声に熱が入りだしたところで、おずおずと騎士の一人が割って入ってきた。
「――、なんですか。避難は順調に進んでいるでしょう」
「はっ!! 哨戒に出ていたギルドパーティーがこちらに集まってグライ教頭を出せと言っています」
グライ教頭から硬い声が出て、騎士は背筋を伸ばし弁明するように用向きを伝えた。
「は? なぜ彼らが……、ああ、避難してきたんですね。わかりました。すぐに行きます」
グライ教頭は騎士の案内に合わせてその場を離れ、ジオもそれに追従した。
「Sって人からあんたの指示に従えって言われたんだけど、なんか全然大丈夫そうね」
「S? どういう事ですか、一体?」
「うん? そっちも知らない? 管制に代わって連絡くれた人だ。このままそこにいると危ないからあんたたちと合流して、その指示に従えと」
集まっていたギルドパーティーを代表して声を発したのはこの中で最もランクが高く経験を積んでいるケシアナだった。
「――S、イニシャル? 偽名を使うのは……、そういう事ですか。本当に末恐ろしい子ですね。
ええ、ええ。確かにそのSという人物には心当たりがあります。
そうですね、あなたたちには騎士とともに子供たちの避難が終わってから、都市に戻ってもらえますか。
その後は防衛戦への参加を要請しますが、事態が落ち着けば管制の対応に関しての聞き取りを行わせてもらいますので、ご協力をお願いします」
「わかりました」
集まったギルドパーティーの中でも実力者であるケシアナが頷いたことで、他のギルドパーティーも素直にその意向に従った。各々のギルドパーティーは適度な距離に散って、程なくしてくるだろうハイオークの軍勢を思って緊張感をみなぎらせていた。
だがタチアナと産業都市のハンターのパーティーはその場から離れず、グライ教頭に声をかける。
「それで、その、セイジェンド・ブレイドホームくんは一緒に避難しているだろうか? 個人的な知り合いで、あの子のことだから騎士と一緒に警戒に当たっているかと思ったんだが、姿が見えなかったもので。
いや、家族と一緒に避難したんだろうとは思うんだが、ちょっと向う見ずな子だから心配になって」
「俺は救援を頼みたいんです。Sってやつはたぶん俺たちを助けてくれたやつだ。こんなちっこいガキで、たった一人で足止めするってハイオークの群れん中に突っ込んでいったんだ」
ケシアナが驚いてハンターの青年を見る。そんな向う見ずなちっこいガキには心当たりがありすぎた。
「どういう事だっ。なんでセージ君が一人でそんな危ない目に遭ってるんだ!?」
タチアナがグライ教頭に詰め寄った。それを押しとどめたのはこれまでずっと黙っていたジオだった。
「あいつが自分で行った。別に強制されたわけじゃあない」
「ジオさん!? あなたがいて、なんで?」
「だから、あいつが望んだ――」
からだと、そう言おうとしたジオの声は遮られる。
「アニキ、あぶないところにいるの?」
口を挟んだのはセージの妹、セルビアンネ・ブレイドホームだった。セージの姿が見えず、ジオとグライ教頭が移動するのが見えたので、班から離れてこっそりとこの場に来ていた。
「む、いや」
「アニキおかしかったの。ダストが死んだときとか、せいちょーと市の時みたいで。なんでオヤジはセージ助けに行かないの」
「いや、あいつがな」
「行くの!! オヤジは行かないといけないの!!」
「だが、お前を放っていくわけには――」
「じゃああたしも行く!!」
「セルビア君、それは――」
さすがに看過できない話になりそうでグライ教頭が口をはさむが、
「その手があったか」
あんまり意味はなかった。
セルビア「はやくはやく。はやくいくのっ!!」
ジオ 「ふっ、任せろ。分かっている(ウキウキ)」
グライ 「……(本当にいいんだろうか)」