71話 りゅうのしゅうらい
守護都市にある国防軍守護都市本部。その中で最も有名な業務を担っている情報管制室では大きな騒動が起こっていた。
「なぜ今まで気づかなかった!!」
「わかりません!! 急に反応が出ました。十二番までの観測機、オーバーヒートを起こしてます。機能停止の許可をください」
「早くやれ! そんなことに一々許可を求めるな!!」
「室長。通信機能もダウンしています。遠征に出ているギルドメンバーとの連結、完全のロストです」
「ああっ、もうっ。そんな事は後だ!! 解析はどうなってる。間違いないのか」
「解析でました。九割以上の確率で竜です」
「――なんでこんな近くに、くそっ。ギルドに緊急連絡。征伐騎士にもだ。都市に入られたらことだぞ! 足止めをさせるんだ」
「は、はいっ!」
管制室は大慌ての様相を出していた。
理由は荒野に出た先で、いつものようにギルドメンバーや騎士が周辺の魔物を狩るために守護都市を着陸させた先で起こった。
それは地中深くにでも潜んでいたのか、突如として守護都市の膝元でその強大な魔力を発生させた。その魔力は大きさと性質から、かなり高い確率で竜であると推測された。
竜、あるいは龍。
特級に分類される最大級の魔物であり、最悪の厄災。
皇剣無くては討伐はおろか満足に傷を付けることもできず、過去には結界起点の一つである学園都市が陥落させられたこともあった。
精霊都市連合〈エーテリア〉の最高戦力が結集する守護都市にとっても容易い相手などではなく、今まで多くの騎士やギルドメンバーがその餌食になっていった。
そんな最大級の警戒対象である竜が、精霊様のお告げも無い状況で警戒網を潜り抜けてこんなにも近くに現れた。
あるいは今日が守護都市の最後の日かと情報管制室室長が冷や汗を大量に流す中、その空気を打破しうる少女が部屋に入ってきた。
「マージネル様!!」
入ってきた少女向けて、声が発せられる。その受け手は最年少の皇剣、ケイ・マージネルだった。
「何が起きてるの!?」
ケイの顔にも焦りが浮かんでいる。
軍と縁の深いマージネル家のケイは本部で仕事をしており、情報室の職員に呼び出されてとるものも取らずやって来たのだ。
ここに来る道すがらで、竜が現れたかもしれないという事だけは聞かされていた。
「竜です。おそらくは。測定不能の膨大な魔力も、その特徴も、竜だと示しています。ど、どうしましょう。マージネル様」
「ど、どうしましょうって、私にわかるわけ――」
わかる訳がないと、そう言いかけてケイは口を閉ざした。
ケイは確かに竜と戦う事を使命とする皇剣の一人だ。
しかし幼いころから自分を鍛える事に専念してきた彼女は人の上に立ち指図をする指揮官としては素人同然であり、その役目は同門の先輩や多くいる年上の従兄弟たちなどの上役の人間に任せっきりにしている。
皇剣は精霊様の言葉の下、独自の裁量権が与えられている。しかしその権限が大きすぎるがために、実際にそれを振るう事には多くの配慮が必要となる。
ラウドのように高い教育を受け法や規則に精通し、多くの現場を見てきたベテランならばいざ知らず、若く未熟なケイではその強すぎる権限を躊躇いなく行使するのは恐ろしい。
ケイは名家の血を継いでいるが、その立ち位置は在野から目をかけられ皇剣の座を手にした戦士のようにただ戦う事だけを求められていた。
だからこそこういった突発的な事態に自分で考えて行動するという事は今まで求められてこなかったし、むしろ突出した才能を持っているがゆえに目上の人間の指示通りに行動しろと押さえつけられてきた。
ここでケイがそんな事はわからないと突っぱねても、何の問題も無いし、仕方のない事だった。
そもそもこの管制室で最も状況を正しく理解し、強い裁量権を行使する義務があるのは室長その人であるのだから。
しかし――
「わかった。私が出る。足止めに徹するから、早めに援護よこして。ラウドのおじさんも近くにいるから、すぐに伝令出して」
――ケイは、突っぱねることを良しとせずに指示を出した。
指示と言ってもとりあえず自分が戦ってくるから、後はヨロシクという雑なものだ。
無能な自分がおかしなことを言って現場に迷惑をかけるわけにはいかない。そして自分が役立つ手段は戦う事しかない。
それが彼女に出来る精一杯の判断だった。
ケイは指揮官や指導者としての教育は受けていなかったが、皇剣としての教育はこの一年間しっかりと受けてきた。
皇剣とは精霊と契約した八人しかいない特別な戦士である。
契約には精霊に負担がかかるので数年に一度しかできず、八人以上が契約を結ぶこともできない。
契約を結んだ皇剣は、精霊より人間の限界を超えた膨大な魔力と、竜の呪いを退ける守りの、二つの加護を得る。
守りにしても魔力にしても、与えられたその力が体に馴染むまで短くない時間がかかる。
ケイは戦士としてまだ発展途上の少女であり、それと同時に皇剣としても未熟であった。
もしもケイが死んでしまえば三年後まで皇剣の座に一つの空きが生まれてしまう。
周囲は今後のケイの伸びしろを考え、今は訓練に徹し、なるべく危険を避けるべきだと口を酸っぱくして指導してきた。
だからここで状況もわからず竜の奇襲に対し打って出るなどもってのほかだ。
「ケイ様!!」
情報室の中にも、マージネル家の縁者は少ないながらいる。抗議の思いを込めて声を上げたのはその中の一人だった。
通常、竜が出てきたからと言ってすぐに皇剣が出る事は無い。
皇剣は竜を殺しうる切り札であり、簡単には代えがきかない貴重な人材だ。
ならば必勝を期して入念な下準備をするのが当然であり、この場においての時間稼ぎ――事実上の捨て駒――ならば、死んでもまだ代わりのいる中級以下のギルドメンバーにやらせるのが定石だ。
そこまではわかっていないケイだったが、それでもこれまでの受けてきた教育からマージネル家の人間には止められるだろうとは思っていた。
そしてだからこそ自分が出たいと思っていた。
この都市を、この国を守るために皇剣という力を手にしたのに、もっともらしい理屈でいざという時に戦わないなんていうのは凄く嫌だった。
少なくともケイが尊敬する人は、こういう時には率先して先陣をきった。
口での言い合いになれば負かされるのはわかっているので、ケイは早速外に出ようと扉に向かう。
その扉は、しかしケイが開けるより早く外側から開かれた。
「――ああ、やはり騒ぎになってますね」
そこにいたのは背が高く穏やかな雰囲気を持つ壮年の男だった。
「スノウ様っ!! 何故ここに」
「いえいえ、報告を受けて騒ぎになっていると思って。ああ、使いに任せても良かったんですけど、近くにいましたので、折角ですからね」
「こ、この件で何か知っているのですか?」
竜が来たというのに落ち着き払った様子の名家当主スノウ・スナイクに注目が集まる。
スノウはそれに気押された様子も無く、淡々と答えを返す。
「いやあ、詳しくは知りませんよ。ただちょっとあのジオレインが外に出るという話を小耳に挟んだので、騒動になるかなぁと思いまして」
「ジ、ジオレイン……」
「ええ。竜を殺し、その呪いを浴びている彼が皇剣と同格のその力を開放したら、あるいは竜のような反応が出るんじゃないんですかね。
ほら、魔物を殺すとその力を取り込むって言う話もあるでしょう? それも関係しているかと。
少なくとも竜に匹敵するほどの魔力を持つ人物が守護都市のすぐそばで何かをしているみたいですから、無関係って事は無いでしょう。慌てるのもわかりますが、まずその調査をした方がいいと思いますよ」
スノウの言葉に管制室は落ち着きを取り戻す。
若い職員にはピンとこないが、ベテランの職員たちからすれば非常識の塊のような英雄ならば確かにこの異常を引き起こせると、納得できるものだった。
「行ってきます!!」
そして落ち着きを取り戻す職員たちとは真逆に、テンションをマックスにまで上げて飛び出そうとするケイを、スノウが押しとどめた。
「待ちなさい。かの戦闘狂と君が出会えば殺し合いになる可能性がある。少なくとも君の養父は、彼と会う事を許さないだろう。
君の家の事は僕が口を挟むことでは無いんだけど、こんな近くで皇剣級の決闘が起きれば守護都市がただじゃあ済まないし、それに血の気の多い子たちも騒ぐだろう。
そんな事態が起こりうる可能性は見過ごせないね」
「調査に行くだけです。退いてください、スノウさん」
扉の前に立ち、その体でもって道をふさぐスノウに対し、ケイは気迫を込めて睨んだ。
魔力と感情には密接な結びつきがある。皇剣となり膨大な魔力量を有するケイのその気迫は、常人ならショック死しかねないほどの圧力を持っていた。
スノウの戦士としての力量はせいぜい中級下位であり、それすらも当主の座に就き執務に専念するようになる以前の話だ。
竜殺しの英雄にも匹敵するであろう才を持って生まれ、さらには皇剣の恩恵を手にしたケイと対峙できるようなものでは無い。
だがスノウは戦士としては脆弱でも、都市の存亡を担う名家の当主としては最高峰の人物だった。
少女の殺気も篭らないただの気迫を恐れるような、やわな心臓は持っていなかった。
「ケイ様!! 相手はスナイク家の御当主様ですよ!!」
周囲に漏れたケイの気迫で震えあがり動けなくなっていた管制室の面々だったが、かろうじてマージネル家の縁者がその忠心から声を上げた。
ケイも内心では冷や汗一つかかないスノウの様子に負けん気が触発され、止めるところを見失っていた部分が強かったので、素直に自身の感情を体の中に押しとどめるよう努めた。
「……ふぅ。いやいや、肝が冷えたよ。僕のような年よりの寿命を奪わないでほしいね」
スノウが額を拭う動作をして――実際には汗なんてかいていないのだが――、周囲から安堵の吐息が漏れる。
ケイが殺伐と張り詰めさせた空気を、スノウはその一動作で緩めた。
スナイク家の兄弟は苦手だと、ケイは思った。
「それじゃあケイ君、君はおとなしくしているようにね。
ああ、調査の人員はギルドから出すのがいいだろうから、ついでに僕が伝えてこよう。ちょうど組合長にも話があるからね。
君たちはここの復旧を優先させた方がいいだろう」
室長はスノウの言葉に即座に頷いた。理屈の上で言えばスノウが口を挟むのは越権行為だが、それが許される立場にスノウはいる。
それに竜の反応があのジオレインならば、管制室の復旧は急務だ。
竜の襲撃を察知したために高額な機材をダメにし、大切な戦力である上級メンバーたちとの情報連結をロストしたのなら、それは必要な犠牲として処理される。
顛末書をうまく書けば室長の責任が問われる事態にはそうそうならない。
だがこの原因が竜でなく、引退した特級メンバーを察知したためならば話は違ってくる。
何故調べる必要のない相手を調べて大きな損害を出したのかと、責めたてられるのは目に見えている。
今の立場を守るためにも室長は早急に現状を回復させ、弁明のしやすい環境を整えなければならなかった。
スノウはそんな室長の内心を正確に読み取って、部屋を出た。ケイも出てきたがいまさらジオに会いに行くつもりはないようで、ギルドに向かうスノウとは逆の方向に不機嫌な足取りで去って行った。
「……あんな執着の仕方をするって事は、噂は本当かな」
スノウはケイが十分に離れたところで、そう呟いた。
その足取りは軽く急いでいることをアピールしていたが、実のところジオとセージの監視はとっくに始めているので急ぐ理由は何もない。
もっともそのせいで管制室に到着するのが僅かに遅れ、結果としてこの短時間に貴重な管制室の機材が破損した。
その結果にスノウは軽い苛立ちを覚える。間違いなく管制室の人員は質が落ちており、その最たるは管制室の室長のようだった。
あれはシャルマー家の派閥だったなと、記憶から取り出す。
スノウの足取りは軽い。
もう九年以上前になるが、魔人ジオレインが現役だったころはこの程度のトラブルは日常茶飯事だった。
毎日がてんやわんやで、だからこそ有能でやる気のある人間とそうでない人間をふるいにかける事が容易かった。
「いいね。世代が変わっても、魔人は革命を起こしてくれないと」
シャルマー家は騒動の被害だけを見てジオを敵視していたが、スノウからすればジオはこの都市の膿を切り出すメス――いや、メスとは違って外科手術には不向きで扱いづらい危険なあれは、やはり剣と呼ぶべきだろう。
その剣は守護都市の腐敗した多くを切り伏せてくれていた。
スノウはなんとなく、当時起こっていた騒乱がまた起こると予感していた。またあの騒がしく血反吐を吐きたくなるような忙しい日々が始まると、胸が期待に高鳴っていた。
そのためにも、セージとケイの出会いは遅らせたい。
マージネル家の現当主はともかく、次期当主であるケイの養父やシャルマー家の陰険姫にセージの事を詳しく知られるのは避けたい。
新たな騒動を起こす芽吹いたばかりの若い種を、この九年の安定した守護都市の中で腐り始めた諸々を吹き飛ばす、新しい風が起こるのを邪魔させたくはない。
「これが僕なりの歩み寄りなんだけど。さて、君は気付いてくれるかな、シエスタ・トート」
仇敵に向けるような冷たい目で、最愛の人に向けるような熱のこもった声で、スノウ・スナイクはそう呟いた。