68話 後悔
世界に光が差した。
それは強くて冷たい光だった。嫌なものを消し去る光だった。
それは暖かくて優しい光だった。体にまとわりつく嫌なものを拭ってくれた。
その光は私を包み、暗く嫌なものを遠ざけて、失ってしまった温もりをくれた。
私は枯れたはずの涙を流して、その光に縋った。
これはきっと奇跡なんだと思った。これから死ぬ私に、精霊様が奇跡を起こしてくれたんだと思った。
安心すると睡魔が訪れ、きっと私は目を覚ますことなく私たちの所に逝けるのだろうと思い、チクリと胸が痛んだ。
私たちに、こんな奇跡は起きなかった。
私だけが、こんな幸福を手に入れて良いのだろうか。
******
安らぎと苦痛の微睡の中から、迎えるはずのない目覚めを私は迎えた。
私を包んでいた温もりが剥がされて、死ぬ前のささやかな幸せすら奪っていく何かへの憎しみが私の瞼を開いた。
「悪いな、死んでくれ」
そこには知らない誰かがいた。この人が終わらせてくれるのだとわかったけど、私は嬉しいと感じることが出来なかった。
その誰かは泣きそうな顔で、死に逝く私を嘲笑うこともなく、噛り付いて食べようともしなかった。
やはり私だけが、まるで人間みたいな死に方をしようとしていた。
トクンと、私の心臓が音を立てた。
これは、私たちに対する酷い裏切りだった。
私はしかし、その誰かに殺されることは無かった。
光が下りてきた。その姿をちゃんと見たのは初めてだったけれど、その子は奇跡を運んできた光だった。
その子は、私を殺すと言った。心のない魔物のような目で、私の死を望んだ。
何も感じなくなったはずの胸の中から悲しい気持ちが溢れてきて、私はその子から逃げようとした。
私を殺そうとしたはずの誰かが私を庇って、その子に向かった。
私が死ぬのが正しいと、その子は言った。全ては聞き取れなかったけれど、その言葉は正しいと思った。
私は死んで、私たちの所に逝きたい。
それなのに、その子の言う正しい事が、とても嫌だった。
「私がおかしい? おかしいのはクライスさんでしょう? その女の人はここで死ぬべきだ。ほら、他の女の人だってたくさん死んでる」
ドクンと、さっきよりも大きく私の心臓が音を立てた。
私はその子がとてもとても嫌になった。
「その人が生きているのはただの偶然です。意味なんてない。ゴブリンを生んでお国の害になったそれらと同じように殺してやるのが、ああ。せめてもの優しさってものじゃないですか」
私は立ち上がろうとした。手を動かそうとした。その子を殺してやりたいと思った。
でも何も出来なかった。
私たちは望んでこんな地獄に来たんじゃない。
みんな死にたくないと願っていた。
名前もろくに知らない私たちだったけど、この地獄の中で肩を寄せ合い、手を握り合って同じ苦しみに耐えていた。
同じ苦しみを味わって死ねばいいのにと、私はその子を呪った。
******
誰かとその子が戦って、目の前に嫌なものが落ちてきた。
そいつらは私たちから生まれたものたちだった。私たちを苦しめるものだった。
そいつらは私を殺そうとして、殺された。
強い光が、優しい光が、嫌なものを私の目の前から全て消し去った。
ばさりと、私に温もりが返ってきた。
光が、また私に温もりをくれた。
それでも私はその子が許せなくて。思い通りに動かない体を必死に動かして、殴りつけた。
その子は私に殴られた。
私に蹴られた。
私に噛みつかれた。
その子は、私に何もしなかった。
いいや、それは嘘だ。
その子は私を抱きしめてくれた。
私を救ってくれた。
◇◇◇◇◇◇
クライスさんにやられた痛みのせいか、立ちくらみのように一瞬だけ視界が白く染まった。
高台からは配下を従えたゴブリン・ロードが降ってくる。クライスさんはあと少しだけ動けない。訓練生の二人はまだ気づいてない。
そんな訳で私は身体に充実した魔力をめぐらせて迎撃に当たった。ふと何かがおかしいと感じたが、それはおかしい事では無いと、理由も無く思い直した。
女の人を背にし、これから行う事を見せないようにする。あるいは見せた方がいいのかもしれないが、どちらが正しいのかは判断がつかなかった。
ゴブリン・ロードが勝てもしない私たちに挑んできた理由は知らない。ロードとしてのプライドとか、母親を奪い返すとかそんな理由だろう。どちらにしろもう生かしておくだけの理由は無い。
猛りの声を上げるゴブリン・ロードの首を一太刀で斬り落とし、中級の魔法で消し炭にする。
配下のゴブリンたちには訓練生のレストさんとタチアナさんが向かおうとしたが、出番を譲る気はない。
ゴブリンたちが自分たちの王が死んだことを受け入れる前に、死体を残さぬよう高火力の中級魔法で消し炭にした。
「……ふぅ」
私は一息ついて、女の人に向き直った。
クライスさんの気遣いで剥がされていたローブを着せると、女の人は大事そうにローブをぎゅっと掴み、私を睨んだ。
私はデス子に、少しだけ感謝をしたい。
他人の感情を見るこの加護が無ければ、私はきっとこの人の心の変化に気付かず、見殺しにしただろうから。
女の人は緩慢な動作で私を叩いた。
身体活性を使うとどうしても身体の周りに魔力による防護層を作ってしまう。だから私は魔力を極限まで抑えて、女の人のやりたいようにさせた。
途中で噛みつかれて血が流れ、クライスさんがとっさに割って入ろうとしたのを手を上げて制した。
切り傷なんて、今の私には簡単に治る。女の人が負った傷に比べればこんなものは怪我の内には入らない。
しばらくすると、女の人は声をあげて泣き始めた。
私は小さい体で女の人を抱きしめて頭を撫でた。みんなも何も言わずに、女の人が泣き止むのを待った。
そうして女の人が泣き疲れて眠ると、私の頭に大きな温かい手が置かれ、私の髪をくしゃくしゃにした。
「俺の負けだよ、セージ。お前の好きにしな」
「ええ、僕の勝ちです」
******
それから実は起きていたテロリストの男の人がタチアナさんに襲い掛かってきて、簡単に返り討ちにされたなんて事もあったけど、おおむね大きな問題は無く政庁都市まで戻った。
家に帰ったのは予定よりも大分遅い時間になって、お昼ご飯どころか、夕ご飯に間に合うのがギリギリになったけど、家族は何にも言わなかった。
顔や態度に出してるつもりはなかったんだけど、親父に言わせると私がバカ息子だからわかるのだそうだ。
相変わらずわけわからない親父だが、まあいいか。
そうして日付が過ぎて、いよいよ政庁都市から離れる日がやって来た。
その日は朝から気が重かった。
新聞で、ある出来事を知ったからだ。
政庁都市では皇剣武闘祭に合わせて各種様々なイベントが行われている。
その中に、私が前世で趣味としていたテーブルゲームの全国大会がひそかに行われていた。
新聞ではたったの三行で結果のみが掲載される扱いで、お世辞にも人気のあるゲームとは言えないのだろう。
棋譜も対局内容の解説もそもそも大会の様子も書かれていないが、それでも全国大会が開けるぐらいにはそのゲーム――囲碁がこの国で浸透しているのだ。
守護都市ではもちろん行われていないし、いつぞやに訪れたデパートの玩具売り場ではチェスやトランプなど西洋の遊び道具しか売ってなかったから、それがこの国にあるとは思っていなかった。
くそっ、気付いたのが今日で無ければ、碁会所探しに歩いて回ったのに。
政庁都市を離れる壮行式は、夕暮れから始まる。
そしてあれやこれやとお偉いさんのあいさつや、これからの四年間が無事に過ぎますようになんてお祈りの儀式なんかをやって、しっかりと日が暮れてから花火と大勢の人に見送られて出立となる。
今日は休日なので子供さんは預からないのだが、折角なのでいっしょに花火を見ようという流れになった。
ちなみに不良連中も一緒。まあたまには鞭だけじゃなく飴も与えないといけないよね。
いつぞやのバーベキューのような感じで、子供たちは無料で親御さんが参加するならいくらか頂いてという形です。
今回はイベント終了が夜間なので、親父が子供さんたちを家まで送るサービス付き。みんなある程度ご近所さんなので親父一人でもなんとか回れます。
あとシエスタさんと兄さん経由で話を聞いたミルク代表もやって来ます。
今回も親御さんの出席率は高くて、話を聞くと親同士の交流会にもなるし守護都市には娯楽が少ないから、こういうイベントはもっとやって欲しいとのことだった。
金銭的な余裕も出来てきたし、託児の仕事ももう少し内容を充実させようかなと、思わないでもない。
いや、守護都市は『勉強? なにそれ美味しいの?』って都市なので、簡単な読み書きと計算を教えただけでも十分な教育になるし、親父は色々とダメな親父だけど戦闘方面だけは英雄様だ。
その親父に基礎とはいえ魔法を教わっている子供たちは騎士養成校に好成績で入れるレベルらしい。
騎士養成校は六歳までの幼年課、九歳までの初等課、そして一人前と認められるまで(基本十五歳だが飛び級もあれば留年も珍しくない)の養成校本課の三つがある。
預かっている子供の何人かは奨学金ももらえるので、来年から養成校の初等課に入るという話を聞いている。
幼年課は全寮制で親元を離れることが強いられるが、初等課ならば自宅からの通学も認められているので、ちょうどいいタイミングなのだそうだ。
そして学校が終わった夕方にはうちの道場で鍛えてもらいたいという相談も受けている。
これは親父の教え方が良くて指導料が安いって言うの以外に、英雄の道場に通っているっていうステータスが欲しいんだろうななんて邪推もしてしまう。
ただまあそれは別に悪い事でもない。親父も反対していないので、道場の使用時間とかちゃんとスケジュールを組もうと思う。
ちなみに同い年の仲の良い子が養成校に入るので、妹も学校行きたいと言い始めている。
それはあのケイ・マージネルも養成校を卒業しているのも影響しているだろう。
話がそれたが、今後は幼稚園みたいにお遊戯会とか運動会とか、あるいはフットサルのミニゲーム大会なんてやってみてもいいかもしれない。まあさすがに全部赤字ではやってられないから、保護者会を開いて託児料の交渉とかしなきゃだけど。
……話が戻ってないな。
そうだ。今日の予定だ。
昼を過ぎたあたりから、次兄さんと兄さんが二人で花火が見物できる良スポットにブルーシートを持って場所取りへ行っている。
なんとなく花火観戦というより花見に行くような事をしているが、守護都市ではどうもこれが普通らしい。出店もあれば、私たちと同じようにオードブルやお酒を持って宴会をするグループもある。
本当に花見みたいな大衆が楽しめる、そして守護都市では数少ないイベントらしい。
昼を過ぎて三時ぐらいから料理作りに精を出した。
姉さんに妹にシエスタさん(料理しないだけで、出来ない訳では無かった)といっしょに色々と作りこむ。
今回は託児元のお母さま方も料理を差し入れてくれるとのことだし、ミルク代表経由でオードブルも頼んでいるのでまあ不足はしないだろう。あとは出店も少しは冷かしたいのでお金も持っていく。
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そして壮行式が始まって、お偉いさんが精霊様が云々、これからの旅路がどうの、なんて話が魔法で守護都市中に流されるのを聞きながら、見晴らしのいい高台にやってくる。
隠れた人気スポットという事で、家族連れがそこかしこでシートを広げてお酒を片手に談笑していた。
幸い人が多いおかげで、無駄に人目を引く親父に気付いている人は少ない。そしてその少ない気付いている人たちも、とくに騒ぎ立てる様子は無かった。
料理を持って兄さんたちに合流すると、次兄さんが嬉しそうな声を上げようとして、もっと大きな歓声にかき消された。
お偉いさんの話が終わって、アナウンスがこれから新しい皇剣が宣誓を告げる事を知らせた。
「アニキっ。ケイ、ケイだよ」
そうだねと、テンションの上がる妹を宥めて座らせる。
程無くして聞こえてくるケイ・マージネルの話はまあ当然ながら無難なもので、これから頑張ります。この国を命がけで守りますってのを堅苦しく仰々しくしたものだった。
私からするとお偉いさんの話と同じでそう興味を惹かれるものでは無いのだけど、やっぱり今をときめくスター様という事で周りは結構な盛り上がりを見せていた。
そうこうしている内に子供連れのお母さま方やミルク代表に、特に呼んでは無かったんだけどアリスさんも来て、宴会が始まった。
今回は料理番をする必要も無いので、適当にお母さま方やミルク代表にお酌して回りながら、不良連中の素行に注意しつつ、雑談をする。
不良連中は親父と一緒に仲良くお酒飲んでいる。まあこの国での成人は迎えているので文句は言うまい。
一緒に寝泊まりするうちに仲良くなったようで、屈託なく笑いあっていることだし。
妹たちはお腹も膨れてきたのか、ご飯を食べるのをやめて同じような歳の他所の子供たちと楽しく遊んでいる。
そしてそうこうしている内に、もう一人お客さんが来た。
「よう。ちょっと仕事でな。遅くなっちまった」
クライスさんだ。
クライスさんはお仕事も住まいも政庁都市だが、その気になれば動いている守護都市から飛び降りることが出来るし、一日くらいなら走れば帰れる程度の距離しか離れない。
そんな訳で事後報告を聞くためにも、この花火観戦に誘った。
あの女の人には、やっぱり重度の障害があった。
一般には知られてないことだが、名家や資産家の子女が犯罪者の手によってゴブリン達の毒牙にかけられるという事案が数年に一度はあるらしい。
レストさんに紹介されたその病院では、そう言った被害女性への心身含めた治療をとりおこなっていた。病院では女の人のお腹の中にいたゴブリンの赤ん坊の堕胎も行ってもらえたが、残念ながらもう子供を産める体では無いとも言われた。
幸い捕らえたテロリストの人には高額の賞金がかけられていたし、ゴブリン・ロードを狩った報酬なども手に入ったので、病院に入れる金銭的な問題も無かった。
これから四年間は私は政庁都市を訪れる事が無い。
レストさんの父親は名家の御当主様で、親父とも面識があるという事で、いくらかフォローしてくれるという事だった。
英雄の息子が人道的見地から救出し、また私財を投じて助けようとしていることに心を打たれたと言っていたが、理由はそれだけではなさそうだった。
物騒な守護都市とは違い、比較的治安の良い政庁都市ではある程度人権意識もあって、被害者を切り捨てる事への市民の悪感情というのがある。
それへの対応と英雄とその息子とのつながりをアピールしたいのが本音だと、後でこっそりレストさんに教えてもらった。
まあ大人に下心があるのは当然の事なので、その辺は気にしないことにした。
女の人の障害は子供を産めなくなったことと、肉体的な損傷だった。
足の腱が切られており、体中の筋肉も衰えている。魔法によって治療することは可能だが、十分な栄養をとる事やリハビリとしての運動も欠かせず、治療は数年にわたる長期のものとなるそうだ。
ただし精神的な部分は医者が驚くほどしっかりしていて、日常的な会話もある程度、出来るようになっていた。
私も一度だけお見舞い――というか、都市についても病院についても、ペリエさんから貰ったローブを放してくれなかったので、返してもらうためにも代わりのローブや着替えの服や下着を差し入れした――に行ったときは、ぎこちないながらも笑顔を見せてくれて、たどたどしく、ありがとうと、そう声をかけられた。
そしてローブは返してもらえなかった。
本気で抵抗されたわけでは無いので、持って帰ろうと思えば帰れたんだけど、すごく泣きそうな顔をされるので持って帰れなかった。
ごめんなさい、ペリエさん。
最近クライスさんがお見舞いに行った時には、強くなりたいと言っていたらしい。
共生派の奴らを殺したいと、そのために強くなりたいと。
あれだけ強い憎しみがあるなら、自分から死んだりはしないだろうなと、クライスさんは語った。
その共生派のテロリストは、結局のところあの場にいた男しか捕まえる事は出来なかった。
色々と話を聞きだし共生派のアジトに強襲を仕掛けたのだがどこももぬけの殻になっていたとの事。
そんな感じで、めでたしめでたしと言うには後味も悪いしすっきりとしないが、まあそんなものだろう。
打ち上げられる花火を見ながら、お酒飲みたいなーなんて思う。妹たちが見てるから飲まないけど。
なんで私はストレス解消に遊びに行った先で、ストレスを抱える羽目になっているのだろう。まあいいけど。
やっぱりお酒飲みたいなーなんて思ってたら、遊び疲れた妹が私の膝にダイブしてきた。これは膝枕をして頭をなでろというサインなので、素直に従っておく。
妹の綺麗な金髪を優しく梳かしながら、ふと洞窟で初めて見たあの女の人の姿が妹にダブる。
びくりと、妹が肩を震わせた。私は慌てて体から漏れた感情を制御しなおした。
忙しく普段通りにすごしても、あの光景はなかなか忘れられない。
「共生派、か……」
もともとは魔物と争わないで生きていける道を探そうという平和主義者たちの思想団体だったらしいが、聞こえてくる噂は今回のような非道な犯罪行為がほとんどだ。
それでいながら、犯行の声明には必ずこの国の未来のためとか、真実の正義とか、本当の平和とか、そんなお題目が飾られている。
「平和って何なんだろうな……」
私も偽善者なので、本音と建前の使い分けをするのはわかる。しかしだからと言って聞いていて気分の良いものでは無い。
甘えてくる妹を撫でながら、せめて私の身の回りくらいは平和であって欲しいと思った。