67話 その瞳はセージを助ける
力において、クライスはセージに勝っている。
速度において、クライスはセージに勝っている。
技において、クライスはセージに勝っている。
魔力において、クライスはセージに勝っている。
そして経験においても当然、クライスはセージに勝っている。
二人の勝負は、しかし拮抗したものになっていた。
この戦いを見守るレストとタチアナは、すぐにクライスの勝利で片が付くと思っていた。二人と手合わせをした経験があるからこそ、そう判断していた。
だが実際には拮抗した勝負となっており二人は驚きと共に教官であるクライスの身を案じた。
だが生徒たちの心配をよそに、クライスは落ち着いた様子でその対等な戦いに臨んでいた。
クライスの槍が鞭のようにしなりセージに襲い掛かる。
変幻自在に上下左右から襲い掛かってくるそれを、セージは嗤いすら浮かべて躱し、時に迎撃していく。
クライスの槍はセージを捉えきれず、セージはしかしクライスの槍に阻まれて鉈の間合いに踏み込むことが出来ていない。
力も早さも技もそれを支える魔力も劣ったセージが、こうして拮抗できているのには当然、理由がある。
セージの動き出しはクライスよりもわずかに早い。
ほんの一瞬だが、まるでクライスがどう動くのか事前に察しているように動きはじめ、逆にクライスは要所要所で裏をかかれ連撃に淀みが出来ていた。
それがお互いの性能差を埋めていた。
二十、三十と打ち合う数は増えていく。
動きをことごとく先読みされることにクライスは苛立ちを感じはするが、それに焦る事は無い。
クライスの豊富な経験の中には特異な能力を持つ魔物との戦闘経験も多い。少なくともそれらに比べれば、事前にその能力を知っているセージとの対戦はそう苦になるものでは無かった。
セージは確かに動き出しの早さでクライスの動きに対応し、クライスの読みをはずすことで動きに乱れを生んでいた。
だがあまりに大きい二人の差がそれだけで埋まるはずはない。打ち合いの結果こそ拮抗していたが、勝負の趨勢ははっきりとクライスに傾いていた。
セージは高い魔力制御を持つ。
それによってクライスよりも数段高いレベルの身体活性で肉体の性能差を補っている。だがそれは魔力量で劣るセージにとっては自殺行為とも言える手段だ。
今は拮抗している打ち合いをあと十分続けるだけで、クライスは自然と勝利を得られる。
――単調に、ただこのまま打ち合いを続けるのならば。
「爆ぜろっ!!」
拮抗する打ち合いの最中、これまで真っ直ぐに突っ込んできたセージが唐突に一歩下がり、そう叫んだ。
それは魔法の発動ワードだった。
クライスは自らが油断していたと察して、すぐさま後ろに飛びのいて距離をとった。そして眼前に迫ってくる大火を魔力を込めた槍で薙ぎ払う。
それで迫っていた火は簡単に散るが、クライスの頭に僅かな疑問がよぎる。
セージがわざわざ声を発したのならそれは中級の、それも上位の魔法のはずだ。
瞬間的に高まったセージの魔力もそれを示していた。
それがこんな簡単に散らせるはずは無い。
疑問の答えは散らした火の後ろからやって来た。
力を込めて振るった分、いくらか体勢を崩しているクライスの下に衝裂斬が迫ってくる。
ここで無理に迎撃すればさらに体勢は崩れる。
クライスは槍をふるった勢いに任せて体を流して紙一重でその衝裂斬を躱し――
パァンっ!!
――破裂した衝裂斬に、耳朶を打たれた。
クライスは視界が揺れる中、とっさに魔力を増幅して身体活性のレベルを上げる。それと同時に後ろに跳んでセージと距離をとる。
セージはその着地点めがけて魔法を放った。大地を槍状に隆起させ対象を串刺しにする〈アースジャベリン〉だ。
クライスは己を貫こうとするそれに、足に魔力を込め大地を揺らす闘魔術〈震〉で迎え撃ち、鋭利な土の槍を踏み砕いた。
だがセージの追撃はそれで終わりでは無い。
セージの勝機はここにしかない。
だからこそ持ちうる力の全てをこの一合に注いでいた。
◆◆◆◆◆◆
暗い闇の中にいた。
いつからかはわからない。
明るい光の記憶はもう失ってしまった。
失わなければとても生きていられなかった。
それでもふと、まどろむような夢の中で思い出す。
父がいた。
母がいた。
兄がいた。
弟がいた。
家族がいた。
毎日はとても幸福で、私は家を飛び出した。
父は結婚するのが女の幸せだと毎日のように言っていて、私はそれが嫌いでハンターになった。
別にお祭りで活躍できるぐらいに強くなりたかったわけでもなく、街を救うようなヒーローになりたい訳でもなく、父が言ったのとは別の生きる道が欲しかった。
そうなった理由は小遣い稼ぎのゴブリン狩りだった。
別にゴブリンだけを狙った訳ではないが、ハンター仲間からは最近ゴブリンを見かける事が多くなったと言われた。
街から近い所ならそれほど数も出ないし、野山の獣を狩るついでに狩ろうと思った。
そうして彼らに捕まった。
彼らは私をレイプし、その後で裸のままゴブリンの巣へ放り込んだ。
巣の中には私以外にも女がいて、新しく女が追加されることもあった。
みんな最初は泣き叫んで、次第に声は枯れて、それでも時折高い処から誰か覗いているのが見えて、助けてと叫んで、そしてその誰かが笑ってるのを見て、本当に、私たちは声も無く犯されゴブリンを生むだけの人形になった。
そんな私たちが最後に声を上げるのは、人形としても役に立たなくなって、ゴブリンのエサになるときだ。
その時だけは、私たちも声を上げた。生き残っている私たちは、必死にその声を聞かないようにしていた。
そうして生きている私たちは、私だけになった。
暗い闇の中にいた。
いつからかはわからない。
明るい光の記憶はもう失ってしまった。
失わなければとても生きていられなかった。
死にたいと願いながら、ただぼんやりと時間が過ぎるのを待った。
私はもう何も感じなくなっていた。
いつか私たちの所に行くまで、ただぼんやりと時間が過ぎるのを待った。
そしてある時、唐突に光が差した。
◆◆◆◆◆◆
ぶっちゃけ、勝てる気がしない。
いや、なんだ。この一年間で大分実力の底上げは出来たけど、それでもいつぞやのハイオーク・ロードの時と同じくらいに実力差がある相手だ。
クライスさんはこっちの心が痛むくらいにショックを受けているけど、戦闘に支障はきたしていない。
さらに怒っているような事を言っていたけど、それはこうして武器を交えている間は頭の中から消えている。
戦闘能力に低下は無いが、しかしクライスさんは私が怒りで冷静さを失っていると判断している。
単調に真っ直ぐに突っ込んで来ることに疑問を持っていない。
私に勝機があるとすれば、そこにつけ込むしかない。
理想を言えば煽りまくって反発してもらい、どちらでもよいという形に持ち込みたかった。だがさすがにクライスさんは大人なのでそう上手くいっているかは怪しい所だ。
私が敗けたときにクライスさんが正しい選択をするかもしれないと考えれば、ここは本気で勝ちを目指すべきであった。
私はここに来るまでの道のりの踏破と戦闘で、正直なところ大分消耗をしている。クライスさんにもそれはある程度把握されている。
だからクライスさんは私を危なげなく無力化するために単調な打ち合いに付き合い、本気で攻めに転じる気が無い。
一応、私の奇手奇策には注意を払っているようだが、あくまで一応だ。
私は打ち合いを続けながら並行して魔力を溜めた。
およそ中級魔法で三発分。この一合が終われば、体力的にはともかく残魔力の関係でもう勝負にすらならなくなる。
私はギリギリまで我慢した。だがクライスさんが隙を見せる事は無かった。そして時間はもう無い。
このまま打ち合いを続ければワンチャンスすらなく敗北する。
警戒の上から、それを超えていくしかないと覚悟を決めて、私はクライスさんの一撃を後ろに跳んで躱した。
打ち合う予定が狂った事で、僅かだけクライスさんの重心が揺らぐ。私は隠していた魔力を解き放って、裂帛の気合いで魔法を放った。
クライスさんはそれに応えて力を乗せた槍をふるう。
私の放った視界を塞ぐ火の魔法は容易く散らされた。
当然だ。放ったのは見た目こそ派手なものの、強度の低い下級の魔法。
私はある程度、速度を重視した衝裂斬を放ちクライスさんに斬りかかる。避けるか斬り払うか。私は避けると判断した。クライスさんが行動に移すより一瞬早く、私は次の行動をとる。
クライスさんが回避をするのと同時に私は衝裂斬を破裂させ、足の魔力を増幅させ思い切り踏み込んだ。
とっさに後ろに大きく飛ぶクライスさんだったが、混乱しているときの反射的な行動程、特別な魔力感知で見通しやすい。
私はクライスさんの着地点に向けて二つの魔法を放った。
一つ目の地の魔法。本来は中級の魔法なのだが、消費魔力を抑えるため威力と効果範囲を落としているので下級上位といった程度の魔法だ。
クライスさんはそれを踏み砕き、そしてそのまま太ももまで片足を地面にめり込ませた。
多くの点で私はクライスさんに劣っているが、しかし勝っている点も二つだけある。
一つは感情を見通す仮神の魔力感知。
そしてもう一つがそれによって鍛えた魔力の制御力だ。
私は隆起させた魔法の下に、もう一つ魔法をかけていた。それがクライスさんが嵌った落とし穴だ。対象を捕まえた瞬間に硬化する追加効果付きの中級魔法は、クライスさん相手でも数秒は拘束できる。
この一連の流れで、魔力はほぼ使い切った。
拘束しているわずかな数秒こそが最大にして最後のチャンスだ。
私が真っ直ぐに突っ込むと、クライスさんはわずかなためらいの後、手に持った槍を反転し、石突を私に向けて突いてきた。
だが片足を落とし穴に突っ込んでいる不安定な体勢から繰り出すそれは、わざわざ余計な一動作を加えたそれは、たとえ速くても躱せないほどの鋭さでは無い。
もしもそれがただの一突きだったのなら、躱せるはずだった。
私は槍を躱したと思った次の瞬間には吹き飛ばされていた。
そして受け身をとる暇も無く洞窟の壁に叩きつけられた。
寸前で魔力による全身の強化は間に合ったが、それでも打ち据えられた体はすぐに動かすことが出来ない。
私の目は何が起きたのかまるで見えなかったが、しかし魔力感知はその瞬間をしっかりと捉えていた。
突き出された槍は強い魔力が込められており、それが螺旋状に解放されて私は強烈な突風に吹き飛ばされたのだ。
勝負が決したことをわかっているのだろう。
クライスさんは慌てる様子も無く足を捉えている土を槍で砕いている。
私の怪我も槍の直撃では無く――あれの直撃を受けていれば死んでいるだろうから、きっと躱させてくれたのだろう――その余波で吹き飛ばされて壁に叩きつけられてのモノなので、残った魔力による治癒魔法と身体活性ですぐに完治できる程度のダメージだ。
だが、それで魔力は綺麗にすっからかんだ。
魔力を一気に回復させるような手段でもない限り、もう勝負にすらならない。
勝負にならないのは、わかっていた。
クライスさんには油断があって、そこに上手くつけ込めても、やはり格が違った。
わかってはいる。出来るだけの事はやった。打ち合いの中でも、暗い闇の中に光は少しずつ灯っていった。あとは言葉で説得すればいい。
そうわかっているのに、このまま負けるのは、ちょっと悔しかった。
ふと、それに気づいた。
それが逃げた後も、洞窟の周りから離れなかったのは知っていた。
それはむしろ好都合な事だったが、クライスさんとの戦いに集中するあまり、それがここまで近づいていることに気付かなかった。
それに気づいているのは私だけだ。私は声を出そうとしたが、肺を痛めていたのだろう。
かすれた声が出てせき込んでしまった。
その間に、それは配下を引き連れて高台から飛び降りてきた。
着地予想点は女の人のすぐそば。
クライスさんはそこで気付いた。
焦って動き出そうとするが、私が作った拘束のせいで出遅れる。訓練生の二人はまだ気づいていない。
二人に知らせるよりも私が動いた方が早いと、そう思った。
子供の身体能力でも、動きは見切れているのだからやりようはある。
二合も持たせれば、クライスさんか訓練生が助けに来てくれる。
そう思って、先陣を切って飛び降りてきたゴブリン・ロードに相対し――
瞬間、悪魔の囁きが頭によぎった。
本能はその囁きを否定する。
理性はその囁きを否定する。
だが体はその通りに動いた。
経験がその仮神に助けられてきたと知っていた。
――私はゴブリン・ロードが振り下ろす棍棒を回避することなく、頭をかち割られた。