65話 八つ当たってみた
辿り着いた洞窟の前にはひどい戦闘痕があった。
ゴブリンの死骸は焼くことも埋める事も無く野ざらしにされ、周囲には血の匂いが充満していた。
「これは、セージさんですか」
「だろうな。あー、やっぱりキレてやがる」
がしがしと頭をかいて、クライスはぼやいた。
「とりあえずこれを片すぞ。他の魔物が寄ってきそうだ」
「はい」
レストとタチアナがゴブリンの死骸を処理している中、クライスは管制とやり取りをしていた。
「――では、第三者がいるのですね。確認しますが、その第三者は共生派とは関係のない、ただの通りすがりの戦士である可能性が高いのですね」
「ああ、そうだ。誰かは知らねーけどな。これから洞窟の中を探索しようと思うが、そっちで何か把握していないか」
「前回の探査では何も異常はありませんでした。およそ一時間前の情報です。そちらの到着が予定時間より早かったので最新の探査情報はまだ把握できていません。二十分程で情報が更新されますが、待ちますか?」
「……いや、先に洞窟の探索を始める。どうせ中はジャミングでろくにわからないだろうしな」
「了解しました。洞窟の中ではこちらとの連絡も取れないでしょう。十分に気をつけてください」
管制との交信を終了すると、それを待っていたレストがクライスに声をかける。
「見てください教官」
レストがそう言って差しだしたのはゴブリンの腕だった。だがその腕は他のゴブリンよりも一回り大きく、筋肉も引き締まっており、そして内包する魔力も一段大きかった。
「……ホブゴブリンって線もあるが、まあ間違いなくゴブリン・ロードのだろうな。腕だけって事は珍しく逃がしたか、それともあえて見逃したか。
まあゴブリン・ロードごときがあいつから逃げられる訳ねえし、多分わざと逃がしたんだろうな」
「わざと……ですか? 何のためにそんな」
「ん? ああ、そうか。
確かに都市の防衛戦ならロード種は最優先で殺して魔物にパニック起こすのが定石なんだがな。
こういう狩りの場合は他のゴブリン殺して数減らすまでは散り散りに逃げられるのを防ぐために、あえてロード種は後回しにするんだよ」
それだけが理由じゃないかもしれねえけどなとクライスは続けて、真っ直ぐに洞窟を睨んだ。
◆◆◆◆◆◆
目の前にはボッコボコになって気を失っている男がいる。ちなみに暴行を加えた犯人は私です。
若干、やりすぎた気はする。
でもまあ、おかげで気分はそれなりに晴れた。
うん。完全な八つ当たりだったけど、犯罪者だしたぶん許されるよね。
いや、日本だけでなくこの国も疑わしきは罰さない法治国家なので、最初はちゃんと声をかけたんだ。まあその前にナイフ投げて刺したけど。
「やあ、それで気分はどうですか?」
「……あ、ああ」
「すいません。あんな場所にいたので、仕方なく物騒な手段で足を止めさせていただきました。その辺はご理解いただけますか?」
なるべくにこやかに、相手の警戒を解くようにそう声をかけました。しかしかなりイライラしておりましたので、引きつった笑みにはなっていたと思います。
「ご存知かもしれませんが、あそこはゴブリンの繁殖場となっていましたし、人工的にそれを促進させようとしていた形跡もありました。
さてそんな場所にいたあなたには当然、テロリストの嫌疑がかかります」
「そ、それは違う。俺はただ偶然あの場所にいただけだ」
「あなたがいた場所には簡易トイレや保存食、寝袋に簡単な調理器具もありました。偶然と言うのは少々無理がありませんかね?」
私がそう言うと、目の前の男は押し黙った。
「もちろん、あくまで疑いがかかっているという状況です。なので、一緒に騎士団本部まで行きましょう。立派な大人の人がたくさんいますから、きっと公正な取り調べをしてくれると思いますよ」
「だ、だ、駄目だ駄目だ。俺は、そう、足を、足を怪我しているから、そんなに遠くまでは歩けない」
「……そうですか。つまり、足の怪我さえなければ素直にこちらの言う通りついて来てくれるんですね? あなたは本当にただ偶然あの場所にいただけで、あの物資はテロリストが残したもので、あなたは何の関係も無いのでしょう?」
にっこりと笑うと、男は勢い良くうなずく。
「あ、ああ。ぐあっ!!」
男の太ももから乱暴にナイフを引き抜き、回復魔法をかける。無詠唱で雑にかけたので、相当な痛みが走っただろう。まあそんな事は私には関係のないので、ナイフを腰に差してなるべく無防備に見えるよう男に背中を向けた。
「では、行きましょうか」
そして背を向けた私に男が剣を抜き放って襲い掛かってきたので――少なくとも殺人未遂は確定ですよねーと、嬉々としてぶっ飛ばしました。
******
さて、それでは目の前の男をどうするか。
とりあえず手加減はしたので死んでません。
いや、この男はほぼ確実にゴブリン・ロードを発生させたテロリストの一味だと確信を持っているので、殺すのは極力避けなければならない。
私の魔力感知は仮神印の高性能なので、集中すれば色んなものが読み取れる。
男が隠れていた高台や置いてあった物資には男の魔力がこびりついていたし、男の汚らしい子種も吐き捨てられていた。それを読み取ったときあまりの気持ち悪さに反射で焼き尽くそうとしてしまったが、証拠物件になると思われるので寸でのところで思いとどまった。
しかし気持ち悪いのはとても気持ち悪かったので、こんなものを知覚できる力を与えたデス子に、脇が臭くなれと呪いの念を送っておいた。
しかしこれを連れていくのは少し問題がある。
あの洞窟には被害者の女性がいる。
さらにゴブリン・ロードもまだ狩り終えていない。
ゴブリン・ロードは魔力感知でロックしているので、どこにいるかは把握しており狩ろうと思えばいつでも狩れるのだが、この二人を運んでいる最中に襲われるとちょっと厄介だ。
そもそも私の体格では片方が女性とはいえ、大人二人を運ぶのは相当な大仕事だ。
とりあえず片方だけでも農村に預けて、もう片方を回収に行くついでにゴブリン・ロードを狩って、そしてもう片方を政庁都市まで一気に運び、それから農村に引き返してっていうのは、さすがに時間と体力が足りない。
さらにここに残す方の安全も確保できない。
いっそどちらかを殺してしまえば楽なのだが、あんまり気は進まない。
女の人には軽く介抱をした。
その心は穏やかになったが、色彩はどす黒く染まったまま変わらず自死を望んでいた。
私のポリシーにはやや反するけど、死にたいと願いそれに見合う理由も理解しているので、楽にしてあげたいと思わないでもない。
ギルドでも不文律の部分でその対応を推奨している。
ギルドの理由としてはゴブリンを腹に宿しているかもしれず、心もおそらく壊れており、引き取り手もきっと見つからない相手を保護して帰られるより、後腐れのない方法を選んで欲しいという打算的な理由が本音なのだが。
そう言う訳で女の人を殺すのが正解と言えば正解なのだが、やっぱりポリシーには反しているので、殺すにしてもちょっと時間をかけて考えたいというか、いったん街に連れ帰ってこれからは安心して暮らせるんですよと教えてあげてから彼女自身に改めて選ばせてあげたい。
でもそれをするには私も政庁都市に残るか、女の人を守護都市で暮らさせるかの二択なわけで、前者はブレイドホーム家が心配になるので選べないし、後者にしても社会保障なんてくそくらえな守護都市で女の人を保護するならやっぱり我が家しかない。
正直なところ面倒を見きれるかどうかというと難しいと言うか、べつに初めて会った相手にそこまでする気にもなれないというか、でもだからといって殺すのもなぁと、うだうだ考えてしまうもので。
とりあえず女の人の事は帰って寝てから答えを出したいです。
そして男の方は共生派のテロリストなので殺してはいけません。以上。
いや、何やってたかを考えると腹が立つし、私は子供だから連れて帰れませんでしたって言えば、さくっとやっちゃって放置しても許されると思うので、それでいいような気もする。
でもひとしきり痛めつけてすっきりしちゃった後なので、もう思い切ったことをする気も無いと言うか、冷静に考えるとこの男の人はテロリストなので犯罪を犯すだけの理由がある。
私はその理由を知らないけど、テロリストがテロ行為をするのはおかしな事では無い。行為そのものを許す気は無いし、迷惑で腹が立つので見つければこうして捕まえて犯罪者として騎士団に突き出すつもりだ。
だがそれはそれとして、彼はテロリストなのだから悪い事をするだけの理由がある。
被害に遭った女性たちはたぶん私とは何の関係も無い。
だから私もギルド・メンバーとして、善良な一市民としての感情以上に敵視するのは間違っている気がする。
まあ軍に突き出せば拷問されて殺されるので、ここで気を失っている内に殺してあげるのはむしろ優しい対応になるから、あんまり選びたくないって言うのもあるのだけど。
そんな感じで体を休めつつうだうだと悩んでいたら、おかしな気配を察知した。
おかしなと言うか、正確にはそれは慣れ親しんだ人であり、こんな所にいるはずがない人の気配だった。
現在、私はゴブリン・ロード、女の人、そして洞窟の入り口に魔力感知をピンポイントで向けている。
同時に三つの箇所を頭で見ていると考えると難しく聞こえるだろうが、実際には変化が起きた時だけ意識を向けているのでそんなに大変では無い。
ちなみに洞窟の出入り口は私と男の人がいるこの隠し通路と、新たな侵入者ことクライスさんたちが入ってきた二つしかなく、洞窟内はあらかじめきれいに掃除したので魔物は存在しない。
なので神経のストレスを減らすために洞窟の入口と、そして念のために女の人の周辺だけを探っていました。ちなみにゴブリン・ロードは配下を連れてその辺うろうろしてます。
さて問題はクライスさんが何をしに来たかなのだが、考えるまでも無くゴブリン・ロードの討伐とテロリストの拘束、そしてまあ、生き残ってしまった女の人の処理だろう。
「……帰ろっかな」
なんかもういろんなことが面倒臭くなってきた。
ああでもローブ置いてきちゃったんだよな。
あれ見たら私がここにいた事はバレるだろうし、そもそもペリエさんからの貰い物なので回収せずに帰る選択肢は無い。
「はぁぁぁぁあああああ……」
私がいると、クライスさんやりづらいよなぁ……。
まあ、いいか。
うん。私がやろう。
クライスさんのいる洞窟の入り口から女の人までと、私がいる場所から女の人までの直線距離はクライスさんの方が短い。
ただ洞窟内には小部屋も多く、定石で考えればクライスさんはしらみつぶしにすべての部屋の安全を確保するだろうから、私の方が早くたどり着けるだろう。
理想はクライスさんより早く女の人の所にたどり着き、やることやって地面に埋めて、クライスさんに見つかる前に撤収することだ。
******
そう思って駆けだして、五分後に後悔することになった。
なるべく素早く事を終わらせたいので、男の人を隠し通路の中に五メートルぐらいのところまで引っ張り込んでおいたのだが、男の人は目を覚まして這いずって外に出て、そしてゴブリンに出くわして襲われた。
哀れっぽい悲鳴を上げているので、『可哀想に』と涙ひとつ流して見捨たいなんて欲も生まれたのだが、まあ仕方ないと言うか、見捨てるのも気分が悪いと言うか、悩んで時間がたつと絶対に選べなくなる選択肢に飛びついてしまったというか、ついつい後戻りしてゴブリンを蹴散らしてしまった。
男の人をもう一度、優しく物理の力で眠らせて。もうクライスさん見つからないようにするのは無理になって、それならもういいかと諦めて男の人を引きずって洞窟に入っていった。
余計なタイムロスをしてしかもさらに荷物を抱えた状態なので、当然クライスさんのほうが早く女の人の処までたどり着きました。
私が辿り着くには少し時間があるけど、せめてしっかりと見ていようと魔力感知でその様子に集中した。
クライスさんは女の人が私のローブを羽織っているのを見ながら、ずいぶんと心を揺らしていた。
騎士の訓練生の二人は、クライスさんがどうするのか周囲の警戒をしつつも、見つめていた。
はぁぁぁ……。
やるせないと言うかなんと言うか、もう帰ってお酒飲みたいな。いも焼酎をロックで、あてはサバの味噌煮の缶詰辺りで。この国に売ってるかどうか知らないけど。そんで酔っぱらって何も考えずに寝たい。
しばらく時間をかけて私が見張りの高台に辿り着いた頃に、ようやくクライスさんは槍を構えた。
そしてその穂先を、女の人の心臓に向けた。
邪魔をしたくは無いので、事が済んでから私は降りようか。
そう思っていると、暗い闇の中に小さな明かりが見えた。
「――っ」
気が付けば、私は男の人を抱えて高台から飛び降りていた。