64話 テロリストの男
「セージさん、大丈夫でしょうか」
ゴブリンの巣へと向かう道中、タチアナが我慢しきれないと言った様子でクライスに尋ねた。
山の中を縫うように道なき道を進むクライスとレストとタチアナの三人は、そもそもの予定とは違いゴブリンとの遭遇戦をほとんど経験せずに進んできた。
そして途中で真新しい戦闘痕や処理されたゴブリンの死骸を見つけたのは、ある意味では予想通りだった。
「あん? ああ、大丈夫は、大丈夫だろうがな……」
「――やはり、危ないんですか?」
「は? まあ、危ねーっつうか、お前らセージを見つけても不用意に近づくなよ」
レストも心配だったのだろう。重ねて問いかけるも、返ってくるクライスの声には不機嫌さがにじんでいた。
「え、それは……」
「……ああ、そういやお前らはあいつの本気はみた事ねぇんだよな」
セージには、ある種の悪癖がある。
一つは仕事や実戦では必要以上の力を出さないというものだ。常に必要最低限の労力で魔物を殺すセージのスタイルはプロとして正しいモノなので矯正する気はなかったが、こうして二人に勘違いされているのはその悪癖のせいだろう。
タチアナとレストは、セージを格上として認めてはいる。
だが二人のセージへの評価は、自分たちより多少強いという程度だった。
それは最初の立ち合いや、その後のギルドを通した手合わせなどをした上での評価だが、前者は三十人の連戦とクライスの助言という邪魔があり、後者では正式な仕事という事でセージはレストたちを指導することに専念しており、どちらにおいても本気は見せていない。
たかだか六歳でエリートの卵と同等以上の実力を持つのは確かにすごい事で、それだけでも英雄の息子として遜色ない才覚だ。
だがその程度の実力ならばクライスはセージを中級に推薦しなかったし、何かと理由をつけて教育係を引き延ばしていただろう。
セージの実力はクライスやジオが認めるほどのモノで、さらにその強さに奢らない慎重さがある。
たかだかゴブリン三百と、上級ハンターぐらいで死ぬとは思えなかった。
「……セージの、本気ですか?」
「ああ、たぶん見れるぞ。ちびったりすんなよ、あいつキレるとヤバいからな」
クライスが機嫌を悪くしているのは、つまるところそれが理由だった。
セージには強さを隠す悪癖のほかに、もう一つある意味で致命的な悪癖がある。
たまにプッツンするのだ。
そうなる条件は置いておくが、そうなった時のセージには鬼気迫る迫力があり、手が付けられない。ただ同時に味方としては、ベテランのクライスたちをしても頼もしいと思える程の勇猛さを発揮する。
「キレるって……」
「……事前に話しただろ。共生派のテロリストが、ゴブリンを繁殖させてるって。それ見りゃキレるだろうし、ついでに言えば、あいつにはギルドのイロハは全部教えたからな。俺たちが何をするかも知ってる」
実際にセージの手を汚させたことは無いし、そもそもそういった場面を見せた事も無い。そういう機会が無かったというのもあるが、なるべくなら子供には関わらせたくない内容だ。
アリスにもセージが大人になるまでその手の仕事が回らない様に言い含めておいた。
だが知識としてはもう教えている。そしてキレた子供に理屈など通じない。
セージの高度な探査魔法のような魔力感知を考えれば、こっそりと仕事をすることも難しいだろう。
味方として頼もしい相手とは、敵に回せば恐ろしい相手だ。
通例を考えればまだ生きているであろう母体を処理することも、そんな事を行った共生派を生きたまま捕らえる事も、反感を買うには十分な理由になる。
キレて見境が無くなったセージが立ちふさがる可能性を思えば、クライスの気持ちはどうしても重くなる。
さすがに負ける気はしないが、しかし簡単に勝てる相手でも無い。
もしもセージが本気で襲い掛かってきたら殺さないように無力化するのはクライスにとってもかなりの難題だ。
そして何より汚れ仕事の為にセージを痛めつけなければならないと思えば、どんよりと気分が悪い。
だがそれでも必要な仕事だ。
急がなければならないという使命感とは裏腹に、クライスは前へと進める足が重くなってしまっていた。
◆◆◆◆◆◆
腰から剣を抜き放ち、首を薙ぎにいった。そしてその剣は容易く斬り落とされ、剣をふるった腕の骨は簡単に叩き折られた。
男は若かりし頃、神童と呼ばれていた。
政庁都市に生まれ、五歳から有名な魔法使いの私塾に通い、十歳のころには初級魔法をマスターし、さらに下級魔法のいくつかを覚えて名門道場の門をくぐった。
十五歳になってギルドに登録し、皇剣武闘祭の新人戦に出て本選まで進んだ。
男はそのままの勢いで意気揚々と――周囲の静止の声も聴かず――守護都市に乗り込み、挫折した。
そこからの転落は早かった。
痛みに膝をつくと、小さな手で乱暴に髪を掴まれ顔面を地に叩きつけられた。
守護都市での実戦は一度だけだった。初めての結界の外にワクワクすることが出来たのはその一度だけだった。
見栄を張ってギルド・スタッフの勧めを無視して一人で仕事を受けて、そして命からがら逃げかえった。
仕事は出来た。外縁都市に近い場所でホブゴブリンを狩る、ハンターとしては中級か、悪条件をいくつか加えてもせいぜい上級の仕事だった。
多少の苦労はしたもののホブゴブリンは、しっかりと狩った。
だがそれだけでは終わらず、その後で男ははぐれオーガに襲われた。
そんな窮地をしかし、たった一人でも五体満足で生きのびて帰ったことを、興奮に浮かされるままに美しい受付嬢に語った。
結果は、嘲笑だった。
オーガという、中級下位程度の魔物から逃げ帰ったことを誇らしげに語る男を、その見てくれしか取り得のない女は嘲笑った。
泣いてごめんなさいと、許してくださいと乞うと、折れていない片側の腕がへし折られた。
通りを歩けば、嘲笑われていると感じた。
最初の失敗を、男はもう思い出せない。だが致命的なそれが原因で、男は自信というものを失った。
男が誇っていた力は守護都市ではとるに足らないものであり、新人戦で好成績を出したといっても同期の新人の中には男よりも強いものが多くいたし、その中には男より若いものも多かった。
肩がぶつかったとかそんな理由で難癖をつけて、通りがかっただけの見ず知らずの幼い少年を痛めつけて憂さを晴らそうとして――その少年は次期の皇剣武闘祭の本選で初出場で準優勝するような鬼才の少年だったが、この時はまだ乱暴な子供という事しか知られておらず、殴ってもいい相手としか男は見てなかった――逆に傷めつけられることとなった。
男を痛めつけているのは、記憶の彼方に消えたいつしかの少年よりもずっと幼く、それでいてどこか重なる少年だった。
その少年は冷たい目で、地べたを這いずる男を見下し悪魔のように嗤っていた。
男は女が嫌いになった。弱いくせに見てくれだけが良い女が特に嫌いだ。そんな女が機嫌良く笑っていると、その顔をぐしゃぐしゃに歪めたくなる。
もともと、男にはその兆候があった。
道場ではよく格下の子を教育という名のもとに痛めつけ、師範に注意をくらう事も多かった。そうやって説教を言われるのが嫌で飛び出すように守護都市に乗り込んで、自信を持っていた力を嘲笑われて、憂さを晴らす幼く弱い相手が分からなくなって、男のその嗜好の対象は見た目の良い女性に限られるようになった。
最初は娼婦だった。
新人戦の賞金はたんまりと懐に残っていた。その賞金で娼婦を買いあさり、痛めつけて楽しんだ。
いつしか男に買われる娼婦はいなくなり、男はお金では無く力で女を襲うようになった。その被害者の多くは夜に出歩く娼婦だったが、しかし夜に出歩いてさえいれば娼婦で無くても襲った。
男はすぐに騎士に捕まって、有り金の全てを奪われた。
気分いいねと、少年は淡々とそう言った。
冷たい視線も張り付いたような嗤いも変えず、何の感情も籠らない声音でそう言った。
男はそれから守護都市を降りた。
何の結果も出せないまま守護都市を離れるのは男のプライドが許さなかったが、金が無く、仕事をしようにもトラウマが強くギルドに近寄るのもつらかった。
多くの浮浪者は男のように決断することが出来ず守護都市に居ついたが、男は娼婦に暴行を働いた際にそんな浮浪者の、男が痛めつけた後の娼婦に群がる浮浪者たちの浅ましさと醜さを見ていたから、降りる事を決断できた。
それでも男の高いだけのプライドは軋み、かつて故郷である政庁都市でお前では守護都市で通用しないと、もっと訓練を積めと、何度となく説教をしていた師の言葉を思い出し、男を知る故郷の者すべてに嘲笑われていると思い込んだ。
だから故郷とは別の外縁都市に降りてギルドメンバーとしてその力をふるい、その影で多くの女を痛めつけて楽しんだ。
男はその頃には金で買った娼婦では満足できなくなっていた。
何も知らない、今日も明日も普通に平穏に暮らせると信じ切っている馬鹿な女たちの顔を絶望に染めるのが楽しくて楽しくて楽しくて楽しくて楽しくて楽しくて楽しくて楽しくて楽しくてたまらなくなっていた。
上手くやっていた。
表では善良なギルドメンバーとしてその力で多くの魔物を狩り信頼を集め、その影でささやかな楽しみを続けた。その時間は、五年ほど続いた。
俺が何をしたと、男は叫んだ。男の過去を知っているのかと思った。そうでなければここまで残酷に男を痛めつけないだろうと。
何も。ただ、むかついただけ。
答えた少年の声は、しかし変わらず冷たかった。
善人と犯罪者を両立させるその日常が失敗したきっかけが何だったのか、男には分からない。
だが男が気付かなかっただけで、それはとっくに綱渡りだったのだ。
男は素顔を隠して犯行に及んでいたので、女を殺すことに拘らなかった。
正確には、女を殺さない事にこそ拘っていた。
犯された女たちがそれからどんな顔で生きていくのかを見るのも、男にとっての楽しみだった。
そんな生活が五年も続いた事はむしろ奇跡であり、そして男のいた都市にとってはひどい悪夢だった。
男は表向きには善良な人格を演じていた。
犯行が発覚しても男が逃げ延びたのはその事が大きな助けとなった。
騎士たちは男にかけられた嫌疑を信じ切れず、ハンターとしては高い男の実力に見合わない少人数で男の家に訪れた。
そして結果として男を取り逃がした。
男の家からは、女たちから切り取られた髪が大量に押収された。その髪は一房ずつにまとめられており、ご丁寧に名前と日時を書き足されて大事に保管されていた。
それは男の大事なコレクションであり、重要な証拠となった。
男は都市を超えて、国中に指名手配された。
今まで男がそうしてきたように、痛めつけられ地べたに這う男を見下す少年は、しかしその瞳に男がしてきたような喜悦の色を浮かべる事は無い。
ただ無機質に、感情のない瞳で男を見下すだけだった。
男はその後、共生派の中でも過激な一団にスカウトされ、そして十数年にわたる長い時間を犯罪に手を染め、その過程で多くの女性を毒牙にかけ、今に至る。
そしてゴブリン・ロードを発生させるも予定より遅れ、このままでは騎士やギルドメンバーから追手がかかる状況で、男は仲間のはずの共生派のテロリストたちに騙され、この洞窟に残った。
男は犯罪者として長い時間を過ごすうちに女をいたぶる事にしか興味を持てなくなった。
だから共生派の内情などろくに知らないし、それでいて多くの犯罪歴を持っているので騎士たちにとっては出世と報奨金の種になるおいしい獲物だ。
仲間である共生派に属する女性もその毒牙にかけていた男は、主要な人物に追手がかからないようにするにはちょうど良い供物だった。