63話 洞窟の奥で
クライスは受け持ちの訓練生から十人ほどを選抜して、出立した。
訓練生たちは外縁の精霊都市に赴任が決まっており、訓練はもうすでに切り上げて出立の準備などをしている時期だった。
そんな訓練生たちに声をかけて集めるのはそれなりに気兼ねをしてしまうもので、こんな命令を出す上の人間ってのは下の人間の予定なんて気にしないもんだなとクライスは思い、実際それに従って声をかけてる俺も大概かと軽く落ち込み、それでも最後に実戦を経験させるのは良い事だよなと思い直した。
クライスたちはまず山間の農村であるエルトリネ村にたどり着いた。
戦闘が長期化した時の備えとしての水や保存食は三日分準備しているので、補給や休息という意味でこの村に用は無い。
ただゴブリンの巣から最も近い集落がここだった。
万が一、撤退する際にはこちらに逃げ込むことになるし、討ち漏らしたゴブリンやテロリストが逃げてきて村人に被害が出る事も避けなければならない。
「せ、政庁都市の騎士様ですか」
「……ああ、まあ騎士団の人間だ。連絡を受けてやって来た。代表者と話しがしたい、連れて来てくれ」
「はいっ。ただちに」
門番の青年はクライスの言葉を受けて、村の中へと走っていった。
「よし。じゃあ予定通り、ハリーには七人ほどつける。この村の防衛に当たれ。
あくまで村を守るのが仕事だからな。気ぃ抜いて温泉でのんびり、なんて考えんなよ」
「クライスさんじゃないんですから、服務中にそんなことしないですよ」
「はっ、言うようになったじゃねえか。まあ交代で休憩とるのは認めるから、しっかりな」
打ち合わせはそれで終わった。
クライスと共に来るのはレストとタチアナの二人だけだ。パーティーを組んでいるときならともかく、クライス一人が援護できる範囲は限られている。
有事の際に自力で切り抜けられるのはこの二人とハリーくらいだが、三人とも連れていくとこの村の警備に不安が残る。
そのまま各自装備の点検をして時間をつぶすと、ほどなく村長らしき人物が数人を連れてやって来た。
「ようこそ、ようこそおいで下さいました。騎士様」
「騎士様は止めてくれ、ガラじゃない。クライスだ。
ゴブリン・ロードの狩りにやって来た。その間は部下を何人か駐留させるから、村の守りに役立ててくれ」
「おおっ、ありがとうございます」
村長が大げさに喜びを表す横から、連れそっていた年配の女性が顔を出す。
「あの、クライス様。お願いです、子供が、子供を探してください」
「子供? アンタの子か、迷子になったのか?」
政庁都市も近いエルトリネ村周辺は普段ならばある程度安全と言えるのだが、今は山の中をゴブリンが徘徊している。
考えたくはない事だが、その中の何匹がひそかに村の中に侵入して娘を攫っていったのかもしれない。あるいは、それこそテロリストの手によって――
「いえ、その、私の子では無く、村の子供でも無くて、たぶん近くの町から遊びに来た子だと思うんですけど……。
ギルドの、戦士の方のような恰好をしていて、たぶんごっこ遊びをしてここまで来て、その、ゴブリンが出て困ってるという話をしてしまって」
「それで僕がやっつけてきてあげるって、出てっちまったのか」
「あ、いえ。もしかしたらそうかもって言うだけで。でもいつの間にか姿が見えなくなっていて」
――クライスの脳裏に浮かべた最悪の想像を女性は否定した。
そうかと、クライスは相槌を打った。
本当にその子供が一人で外に出ていったのなら助けてやりたいところだが、しかし情報がそれだけでは難しそうだ。
それにこんな状況で不用意に村の外に出た子供が行方不明というのならもう死んで食われている可能性が高いと、クライスは思った。もちろん顔にも声にもださなかったが。
「その子の親はどうしてる。詳しい話が聞きたい」
「いえ、親はいなくて。その子は一人で村にやって来たんです」
「は? 一番近い町でも十キロ以上離れてるぞ……ああ、そのガキってのは十五歳くらいか」
守護都市の基準だと十五歳は大人だが、政庁都市では二十歳が成人で、十五かそこらは子ども扱いだ。
それぐらいの年齢である程度鍛えていれば、ゴブリンが徘徊するこの山間の農村にもやって来れるだろう。
「いえ、六歳だと言ってました」
「……………………」
クライスは無言になってしまった。
近くの町から十キロ以上。政庁都市――正しくは政庁都市と接続している守護都市――から四十キロ以上離れ、ゴブリンが溢れている山道を通ってこの村に辿り着くことの出来る、ギルド・メンバーに相応しい武装をしている六歳児に心当たりがあった。
ついでにその六歳児なら、ゴブリンで困っている村を放ってはおかないだろうとも。
「それで、その子の名前は?」
違っていて欲しいと思いながら、しかしその名前が出ると確信を抱いて、クライスは答えを尋ねた。
「――セージ、セイジェンドと」
******
男は暗い洞窟の中を走った。
男は暗い洞窟の中を、背後から迫ってくるモノに怯えながら、走っていた。
「なんで、なんでっ。俺は――」
零す愚痴は形にならない。
肥満体型の男は久しく走っていなかったせいで、短い距離でもすぐに息を切らせていた。
足を止めたい欲求は、しかし湧き上がる恐怖に否定されて必死に足を動かす。
******
男は魔物との共生を目的とする政治結社の一員であり、社会的な地位としてはテロリストの一員だった。
男に課せられた任務は、今日この時まで順調だった。
まずは祭りを目当てに多様な地域から数えきれぬほどの人が集まる政庁都市で、条件を満たした女性を連れてきた。方法は拉致と購入の二種類だった。
その女性たちの身ぐるみを剥ぎ、あらかじめ用意しておいた洞窟に縛り付け、そこにゴブリンを投入した。
そこからは男にとって至福の時間だった。
凄惨に凌辱される女性たちの姿も、観察している男に縋るように救いのまなざしを向ける事も、その目が絶望に染まり意思を失っていくのを見るのも、衰弱し母体としての価値がなくなり生きたまま■われる際の末期の絶叫も。
この三か月は、男にとって至福の時間だった。
生み出されたゴブリンたちは三百を超え、それを率いるロードも生まれた。
もうすぐ、もうすぐ己を馬鹿にした政庁都市の連中に復讐できると、愉悦に浸れる時間だった。
この場に男以外の共生派のテロリストは存在しない。政庁都市およびその周辺地域に騒乱を起こすゴブリン・ロード計画は共生派の正式なテロ計画ではあったが、確保できた女性が少なかったこともあり予定よりもゴブリン・ロードの発生が遅れた。
時期が計画より遅れたことで生まれたゴブリンたちの統制が効かなくなり、街道や周辺の村に被害がでてしまった。
結果として周囲の村や町は防備を固めているし、騎士団の派遣が近いことも内偵により察していた。
男はそれを知らない。男だけが共生派の中で、そのことを知らされておらず、この場に取り残された。
共生派の仲間たちは襲撃の下準備にとりかかるので、男にはそれが終わる迄の見張りを命じた。
準備が終わり次第連絡をよこすのでそれまでは洞窟から離れないようにと厳命して。
仲間たちが帰ってくることは無いのだが、男はそのことを知らないし、眼下で起こる惨状に魅入る男はなにかしらを不審に思う暇も無く、見張りの仕事を楽しんでいた。
与えられた任務に忠実に従い、男が複数のゴブリンに犯される最後の女を見下ろしていると、突如としてそのゴブリンたちが殺された。
洞窟の暗い闇の中、ゴブリンたちに気取られぬようしている男は暗視に類する魔法を使っていなかった。
そんなものを使わずとも、かがり火に照らされる女の悲惨な嬌態は見ることが出来た。
だが僅かな明かりの中では、その一瞬は捉えられなかった。
もっともたとえこれが明るい日の下であったとしても、男にはその早業を見る事は出来なかっただろう。
ゴブリンは一瞬で死んだ。混乱する男は、小さな人影を見つける。
その人影はゴブリンの死体を地系統の魔法で埋めて処理し、水の初級魔法で唯一しぶとく生き残っていた女を洗い始めた。
人影は丁寧に女を洗い終えると、身に纏ったローブを脱いで女に被せた。ローブを脱いであらわになった人影の正体は幼い子供だった。
子供は整った顔立ちをしていて、男には少年か少女か判断がつかなかった。
男はその子供が少女だったらいいのにと思った。
ここはゴブリンの巣だ。幼すぎてゴブリンの子を産むことはできないだろうが、そうだとゴブリンが理解するまではいくらか時間がある。その時間に行われる事を思えば男は下半身に血が集まるのを抑えられなかった。
だがそんな妄想と同時に、男は得体の知れない恐怖を感じてもいた。
あるいは感じている恐怖から目を逸らしたいからこそ、男は妄想の世界に逃げ込もうとしていた。
ゴブリンを一瞬で殺したのが誰かは考えるまでも無い。
ここはゴブリンの巣の最奥だ。ただの子供がこんなところまで入って来れるはずはない。
子供からは何の魔力も感じない。それが男のトラウマを刺激する。
男は無意識に後ずさっていた。すぐさま逃げるべきだと危機意識が警鐘を鳴らしていた。
だが男がいる場所はゴブリンを見張るために特別にしつらえられたポイントだ。
魔物を従える特異能力者は共生派の中でも希少で、今回の作戦には参加していない。だからゴブリンに見つかれば問答無用で襲われる。
そのために観察ポイントは下からは見えないように工夫されているし、さらに妨害系統の呪錬を施しているので、よほど高位の探査魔法でも使われない限り見つかることはない。
見つかるとすれば男が女たちにしたように、わざと姿を見せたときだけだ。
そしてその呪錬に関しては洞窟全体にも広く効果が現れるように仕込んであり、政庁都市の管制の目を欺くためにも使われていた。
その防備への信頼と、子供が一度として男のいる上部へ視線や意識を向けてこない事実が、男の足を留めていた。
子供は土魔法で椀を作り、ポーチから取り出した何か――おそらくは食料――をその椀の中にいれ、何かをしていた。
男にはよく見えなかったが、子供は農村で昼食にしようと買っておいたおにぎりを入れ、魔法で水を入れ温めて簡単な雑炊にした。
子供は椀の中身を女にゆっくりと食べさせた。
子供は一口ずつゆっくりと食べさせ、女が食べた雑炊や胃の中に溜まっていたゴブリンの■液を吐き出せば背中をさすって介抱し、女が涙を流せばその頭を抱いて優しく撫でた。
男はそれを見ながらだんだんと腹を立てた。
子供はこちらに気づく素振りがない、そう安心すると恐怖に駆られた事がひどく不愉快だったし、目の前で行われている三文芝居にひどくムカムカした。
こんなのは間違っている。
男は石を拾った。握りこぶしほどの大きさの石だった。
男は子供と女を見ながらほくそ笑む。洞窟の中で石が落ちてくるのはそう珍しいことでもない。ジャミングの呪錬も安定して効果を発揮している。バレることはないと思えば男の気持ちは大きくなる。
この手の遊びはゴブリンにさんざんやってきた。ゴブリンほどには馬鹿じゃないだろうから、二度か、三度だけにしておこうと、男は思った。
食事を終えた女は眠りにつき、子供は周囲に散らばる人骨を集め、整え始めた。
男は女の顔面に向けて、石を投げ落とす。
これで女が死ねば子供はどんな反応をするだろうか。
そんな男の歪んだ妄想は、叶うことはない。
ガンっと、音が鳴った。
男のすぐそばで音が鳴った。石が壁に叩きつけられる音が、男のすぐそばで鳴った。叩きつけられた石は握りこぶしぐらいの大きさだった。
「……ちっ、外した」
鉈を振り切った姿勢で呟かれた子供の小さな声が、静かな洞窟の中で冷たく響いた。
男はその場から全力で逃げ出した。
******
男は暗い洞窟の中を走った。
男は暗い洞窟の中を、背後から迫ってくるモノに怯えながら、走っていた。
何も感じなかったはずの子供の魔力は膨れ上がり、明確な怒りを表している。
その怒りの魔力を背中に感じながら、必死になって男は走る。
太った腹を揺らしながら、時につまずき転び怪我を負いながら、暗がりで頭をぶつけ額から血を流しながら、男は懸命に走った。
そうまでして走って逃げる事を、男がおかしいと思う事は無い。
子供の魔力は男に比べ圧倒的に大きく、そこに含まれた怒りは明確な殺意となり、男に叩きつけられている。
追いつかれれば殺されると確信を持ち、男は自身の限界を超えた力を引き出して走っていた。
懸命に走ったその甲斐もあって、光が見えた。
暗い洞窟の外の、まばゆい光だ。
外に出れたからと言って安全になるわけでは無い。
だが一本道の洞窟から出れば、逃げ出せる確率は格段に上がる。
そして何より洞窟へと差し込んでくる光は、男の心に希望を与えた。
「ああ……っ」
息も絶え絶えに、男は洞窟の外へと駆け抜けて、グサリと、足に激痛が刺さった。
男は倒れ、走っていた勢いに流されて転げまわる。
男が恐る恐る痛みの元を見ると、左足のふくらはぎに深々とナイフが突き刺さっていた。
その痛みに絶叫を上げる暇も無く、美しくも冷たい声が倒れ伏す男に落とされる。
「やあ」
恐る恐る顔を上げれば、
整った顔を歪な嗤いで染め、
ナイフのようなギラついた眼光で、
男に殺意を突き刺す子供がいた。