61話 セージが歩けば不運に出会う
シエスタさんのびっくり顔が可愛くて、面白かった。
しかし帰ったら詳しい説明をして、姉さんや妹への念入りな口止めが必要だろう。まあそれはやっぱり帰ってからの事だけどね。
私はゴブリンの振るう棍棒を一足飛びに越えて、その顔面を踏みつける。
背中から地面に倒れたゴブリンを踏みしめながら、鉈でその首をかき斬る。
同族が呆気なく殺されたにも怯むことは無く、私を包囲するゴブリンが一斉にに襲い掛かってくる。私は自ら打って出て包囲の一角を崩す。
ゴブリンの能力は下級下位。闘魔術も魔法も一切使えず、身体能力も成人男性を下回る。
ただし人間への敵意の強さと繁殖能力、そしてその根っこにある特性から、家畜を主に襲うハゲオオカミよりも高い脅威度を与えられ、最優先駆除対象とされる魔物である。
だが所詮は下級下位であり、成人男性以下の能力である。
私はすれ違いざまにゴブリンを斬り伏せ、私を追って間延びした包囲に向けて下級中位の魔法を放つ。
いつぞやよりもはっきりと威力の低い火炎放射の魔法だ。正面の数匹を焼き殺したものの、殺されなかった後続は横から回り込んで私に迫ってくる。
ここまでやってそれでも突っ込んでやって来るのは馬鹿だが、この馬鹿さ加減はゴブリンには似つかわしくない。
ゴブリンはハゲオオカミと違い、個体ごとの自我が強く、自らの生死にこだわる傾向が強いとされる。
たとえ弱そうな子供の私が相手とはいえ、同族がここまで容易く殺される中、逃げ出す個体も無いのはおかしい。
そのおかしさへの答えは持っているし、おそらく間違いはないだろう。
それがいるとすれば、推定される危険ランクはゴブリンよりも二段階上の下級上位。
それが百体以上のゴブリンを率いていれば、その群れはトータルで中級下位とも呼べる脅威になりえるが、魔法抵抗が低く馬鹿正直に向かってくるゴブリンは私にとってはやりやすい相手で、ついでに魔力さえ足りているのなら下級上位のそれも問題なく倒せる。
私は向かってくるゴブリンを右に左に翻弄しながら、撫で斬りにしていく。
私の魔力感知は全てのゴブリンを捉えているし、ゴブリンを纏めるそれが近くにいないのも把握している。
その場のゴブリンを作業的に処理し終えたのは、十分後の事だった。
私はシエスタさんと別れて家を発ち、政庁都市経由で外に出た。
最初は素直に舗装された国道を走っていたのだが、幼い私が結構いいペースで走っているせいか、周りから奇異の目で見られる事になった。
それが恥ずかしかったので、わき道にそれて獣道を走って農村を目指すことにした。
国道からそれて少し走ると、すぐに木々が生い茂る起伏の多い地形に変わった。土地勘なんて当然なく、目印もないので道に迷うリスクはとても大きい。
そんな中で役に立つのは超高性能魔力感知だ。さすがに魔力感知を伸ばしても農村までは届かないが、やっぱりそれでもこの一年間鍛えてきたので見える範囲は広がっている。
この魔力感知で俯瞰して周囲の地形を把握できるので、現在地や方角を見失う事も無い。さらには私が通った後には魔力の残滓が残っているので、どの道を走ってきたかもだいたいわかる。
まあそんな訳で訓練にもなるからと山の中を突っ走っているのだが、そんな中で時折罠を見つける。生肉の入った大きな檻で、生肉を取ると檻の出入り口が閉まり捕まってしまうという原始的な罠だった。
地元の猟師さんとかハンターとかが設置したのだろうと思い、そこでちょっと不安になった。
こんな山の中って普通の人は入ってこないから、勝手に入って走り回ると猟師さんとかの邪魔になってるんじゃないだろうかと。
考えすぎかもしれないけど、帰りはちゃんとした道を走ろう。
そんな事を考えながら走っていると、先ほどのゴブリンの群れを発見したので、強襲。殲滅いたしました。
これは別に誰かさんのせいでストレスが溜まってるから、オレTUEEEして憂さ晴らしをしたかったわけでは無く、ゴブリンは最優先駆除対象なので、遭遇したら殺す義務がギルドメンバーにはあるのです。
群れの規模が大きかったり怪我をしていたりと、何かしら言い訳があればペナルティが課せられることは無い程度の義務ではあるのだけど。
そして義務を果たせば権利があるという事で、殺したゴブリンの耳を切り取ってギルドに持っていけばお小遣いが貰えます。
しかし私は中級ギルドメンバーです。ハンターこと下級の人より大きな権利を貰っています。それは例えば報酬面で、下級の人と同じ仕事をしても、三割程度増額されて受け取ることが出来ます。
そして中級になれるのは守護都市で働く人だけで、だからこそ私たちにはハンターの仕事をとってはいけないという考えが根付いています。
守護都市のギルドメンバーも大半はハンターからの叩き上げで、ハンター時代には金銭面で相応の苦労をした人が多いらしい。
例えば私は今日二十数匹のゴブリンを殺しましたが、これをお金にすると高額紙幣三枚弱です。
日当で高額紙幣三枚と言えばそこそこの金額ですが、仕事として行う場合は三人から五人程度で行うのが基本なので、一人当たりの手取りは推して知るべしなのです。
さらに一日山の中を歩き回っても獲物に出会えないこともあります。
向こうも生きているので、自分たちを殺せる生き物相手に無策には突っ込んでこないし、場合によっては隠れて出てこないのです。私の場合は見た目が子供で魔力を抑えているので簡単に食いついてきますが。
そんな訳でハンターの人は魔物を狩るだけでは生活が難しく、ギルド仲介の日雇いのアルバイトで食いつなぎ、合間をぬって鍛錬をし、魔物との実戦経験を経て強くなっていくらしい。
そんな生活苦に悩むハンターの仕事を奪うような真似を、守護都市で一人前として認められ荒野で高い報酬の仕事を請けられる中級のギルドメンバーがしてはいけません。
なのでゴブリンを殺すのは義務だからしなくてはいけないけど、それを換金してはいけないのだ。
換金したら、お金目当てでゴブリンを見つけて殺したと疑われるのが当然だから。
そんな訳で私は諭吉さんを火にくべる気持ちで、ゴブリンの死体を焼き払って処分した。
涙なんて、流してないんだからねっ。
……まあ冗談はさておき、この話は最近になって知ったのですよ。
クライスさんが軽い口調ながらもバイトなんてやるなよなーと止めてくれてたのは、こんな理由があったのです。
私は子供だし、お祭りのせいで人手不足だったからそれほど恨まれていないようだけど、政庁都市のギルドでは今後仕事をしないように気を付けよう。
ゴブリンの掃討を終えた私は、改めて折り返しの目的地として定めた農村に向かった。
政庁都市観光ガイドでは日帰り温泉もあり、地元の食材を生かしたおいしい定食屋もある人気スポットらしい。
いや、私はあくまで訓練の為に走り、その疲労を癒し十分な栄養補給が出来る休憩地点としてその農村を折り返しポイントに選んだけれど、他意は全然これっぽっちもないんだよ。
山菜のてんぷらや川魚の塩焼きとか全然楽しみにしてないよ。ほんとだよ。
しかし政庁都市ではしっかり間引きを行っているので、ゴブリンに限らず魔物のロード種が発生することは無いと聞いていたのだけど、……まあ所詮ゴブリンは雑魚だし、もしかしたら騎士様に経験を積ませるために間引きを中断しているのかもしれない。
趣味の悪い仮定だけど、もしも本当にそうだとしたらゴブリン・ロードが出てこなくて良かった。
いくら雑魚モンスターとはいえ、さすがにロード種を殺さずに済ませるような器用な真似は難しい。
ボスキャラ倒して怒られるなんてドМイベントは一度で十分です。
◆◆◆◆◆◆
山間の農村〈エリトルネ〉。政庁都市と東の農業都市をつなぐ国道から山中に向かえば、この農村にたどり着ける。
村としての規模はそう大きなものでは無く、人口は三千人程度。ただし小さいながらも温泉が沸いており、知る人ぞ知る湯治場として、祭りの終わった政庁都市から帰る人々の足が止まりにわかに賑わうのが、この農村での恒例だった。
政庁都市でイベントごとをやるのは珍しい事では無い。しかし四年に一度の皇剣武闘祭はその中でも別格であり、エルトリネ村でもそれに合わせて大規模な準備をしてきた。
だがそんなエルトリネ村に、賑わいの色は無い。閑散とした光景は寂れた農村という言葉にぴったりと似あうもので、〈ようこそ、エルトリネ村へ〉と掲げられた横断幕が寂しく風に吹かれていた。
原因はわかっているし、政庁都市に救援依頼も出してはいるが、目下のところ政庁都市から使いに出した者は帰ってきておらず解決の目処はたっていない。
そんな村に、一人の少年が現れた。
最初に気付いたのは門番兼案内人の村の青年だ。
現在エルトリネ村は厳戒態勢にあり、特に小柄で俊敏で残虐な魔物の襲撃に怯えている。
少年ことセージはゴブリンよりも小柄でちゃんと服を着ているし、醜悪な外見も酷い体臭もしていないのだが、遠目で見た青年には服を着ていることぐらいしか分からなかったし、それにしたってロード種は普通と違うという中途半端な知識が邪魔をした。
つまり青年は見つけたセージをゴブリン・ロードと勘違いし、全力で警報を鳴らした。
カンカンカァァァンっ!!!
けたたましく鳴り響くその音に、村の女子供は家にすぐさま閉じこもり、腕っ節の強い男たちは鍬や斧を手に正門へと駆け足で集まる。
村の正門に集まる農作業や狩りで鍛えた屈強な男たちを前に、セージは困惑を隠しきれない。
理性的な部分で観光客の出迎えかとも思うのだが、仮神の瞳から与えられる特別な魔力感知が男たちの殺気を正しく伝え、そんな楽観的な答えを全力で否定した。
あるいは踵を返して政庁都市、ひいては守護都市の自宅まで帰った方がいいのではと思うセージだったが、四十キロの山道の踏破にはかなりの魔力と体力を費やした。
休憩を挟まずにこの状態のまま帰るとなると、それこそゴブリン・ロードに襲われてしまった際のリスクが高い。
とりあえずセージはゆっくりと近づいて行って、村人たちが襲い掛かってくるようなら休憩も温泉も山菜も川魚も諦めて、踵を返そうと判断した。
セージは子供らしい駆け足程度の速度に落として村に近づいて行く。
正門に集まっていた村人たちは当初こそ殺気を漲らせていたが、セージの姿がはっきり確認出来るほどに近づくと張りつめていた気持ちを緩め、馬鹿な勘違いをした青年をからかい混じりに責めはじめた。
和やかな雰囲気に変わったのを見て、セージもホッとしながら正門までたどり着く。
そんなセージに、集まっていた男衆の中でも体格が良く年配の男が声をかけた。
「よう来たの、坊主。お父ちゃんたちは後から来るんか?」
「いえ、ここには一人で来ました。……えっと、子供一人だと温泉とかご飯屋さんは、入れないですか?」
あざとく上目づかいで小首を傾げるセージに、集まっていた男衆の胸が撃たれる。
セージは実母の血を濃く受け継いでおり、未だ幼く男らしさも表面に出ていないため、随分と愛くるしいルックスをしていたのだった。
「ダメじゃないぞ。ダメじゃないが、ここらは今ゴブリンがたくさん出とるからの。危ない事したらあかんぞ」
年配の男は子供を諭すようにそう言った。
このエルトリネ村周辺ではゴブリンの異常発生が起こっていた。
本来なら騎士団やハンターが定期的に狩っているのでこんな事は起きないそうだが、実際には起こっており、村の方ではその理由はよくわかっていない。
ゴブリンの数は国道に溢れるほどでは無いが、山のいたるところに現れ、それが噂となり観光客の足はぱったりと途絶え、それ以外にも村の畑や家畜にも被害が出ていた。
村としてはこのまま観光客という臨時収入を得られず、さらに畑と家畜への被害が大きくなれば将来が立ち行かなくなる。
それにそもそも今日明日にでもゴブリンの大群が襲い掛かってくるのではないかと思えば、心配で夜も眠れない。
そんな中でも特に心労がひどいのは、女房や若い娘を持つ父親たちだった。
政庁都市には救援依頼を持たせた使いを出したが、未だ帰ってこず助けがいつ来るかわからないのが現状だった。
そんな話を聞いた後で、セージはのんびり温泉につかっていた。
いつもは観光客や、あるいは村の若い衆もちょっと疲れをとりにと入ってくるそうだったが、セージ以外のお客さんは村のおじいちゃんが数名といった有様だった。
セージはぶっちゃけこの村に観光に来た。
走り込みをして体を鍛えるのももちろん目的ではあったが、温泉が無ければここまでは来なかった。
家族を差し置いて一人で良い思いをするという事に後ろめたさが無い事も無いような気がしないでも無いかもしれないが、最近ちょっと精神的に疲れる事が多かったので、たまにはこんな息抜きも許されていいだろうと思った。
気分的には仕事に出かけた旦那や学校に行った子供の目を盗んで、評判になっている美味しいランチを食べに行く主婦の気分だった。
一応山菜や、可能であれば川魚を生きたまま持って帰って夕飯にして、ついでにいつか家族で行ける温泉も探そうなんて考えてもいた。
それなのにこのイベントである。
セージは中級のギルドメンバーである事を話してはいない。
この状況で話すと間違いなくゴブリン討伐を頼まれるだろうし、そもそも最近やたらと畏まられたり恐れられたりして落ち着かなかったので、のんびりと休憩するためにも明かすつもりはなかった。
装備についてはそれほど不審には思われない。
皇剣武闘祭の熱気が残るこの時期は、子供がギルドメンバーの格好をするのは珍しくないし、お金持ちの家ならセージのような実用品で本格的なコスプレをする。まあハロウィンみたいなものだ。
セージも礼儀正しく受け答えがしっかりしていて教養が高そうで、身なりも綺麗でお金も持っているという事で、お金持ちの子供が冒険ごっこで無鉄砲にもここまでやって来たという扱いだった。
帰りは村の人間で送り届けて、いくばくかの謝礼を貰おうなんて皮算用がセージの地獄耳に入ってきたが、まあそれは関係のない事ではあった。
「……まあ、いいか」
セージはそう呟いた。
温泉には入れた。ご飯も美味しかった。
山菜のてんぷらをめんつゆでは無くソースで食べる事になったのは抗議したいところだったが、まあ美味しかった。
子供だからと特産のワサビが添えられてなかったのも少し物申したいところだが、ソースに合わせる気はしないのでそれもまあいい。
あとは帰るだけだが、その前にひと仕事――というか、ひとボランティアして帰るのも悪くは無いだろう。
ここにギルドの出張所とかがあれば正式な仕事として引き受けられるのだが、あいにくとこの規模の農村にそんなものは無いし、先の理由から事後報告をするのも気が引ける。
のんびりするつもりだったのに、どうしてこうなるんだろうと思わないでもないし、こんな所ばかりがファンタジーかと思わないでもないが、ここはひとつ村の為にデス子水虫になれと、呪いの言葉一つ吐いて諦める事にした。
「さて、ゴブリン狩りに出かけますか」
温泉を出て装備を確認した後、セージはそう言って、エルトリネ村からこっそりと出ていった。