58話 シエスタのホーム
「それじゃあ、やっぱり難しいですかね……」
「難しいと言うか、条件が合わんな。通いで良いなら一人二人見繕えるがな」
さてミルク代表の元を訪れて、ひとしきりかわいがりを受けて、それから実務的な話をいたしました。
場所は商会本部の会長室で、つまりはミルク代表の執務室です。大きな執務机を前で、ゆったりとした一人用のソファーに腰かけるミルク代表と、大きな執務机に可愛らしくあざとらしく座る私が向かい合っています。
次兄さんの件は結構簡単だった。
ああ、お前んとこの子ならいいぞ、なんて感じにあっさりと了承を受けまして、あとは細かい条件を詰めて終わり。
次兄さんはミルク代表傘下のちっこい定食屋でバイトすることが確定しました。
ちっこい定食屋と言っても、主人の腕は確かな人気店らしい。隠れ家的な名店と言うやつで、ミルク代表もたまに使っているとのこと。
そこなら立派な料理人に育ててくれると保証してくれたが、次兄さんはバイトしたいだけで料理人になりたい訳じゃあないんだけど……、まあいいか。
今ミルク代表と話しているのは、ブレイドホーム家で雇おうとしている保育士さんの事だ。
人を雇うのは託児の仕事の負担を減らして、姉さんを筆頭に家の兄弟たちに自分の時間を持てるように、ひいては兄弟たちが自分の将来の為に若い今の時間を使えるようにしたいからだ。
雇おうと思っている人は正式に保育士として資格を持っていなくてもいいので、子供が好きでやる気が欲しい。
資格云々の勉強は仕事の合間に覚えてもらっても良いし。やる気があるなら教材を手に入れたりでその辺はサポートもできる。
その条件はミルク代表も難しくないと請け負ってくれたのだが、それ以外の条件で折り合いがつかなさそうだ。
それ以外と言うのは、住み込みで働けるかどうかという点だ。
我がブレイドホーム家……というか、親父の持家であるベルーガー家――表札がブレイドホームになっているのでこう呼ぶのは違和感がある――には、離れがある。
小さな平屋造りで物置として使っていたが、そもそも本宅にも地下の物置や使っていない部屋がある。
そんな訳で離れに雑多に置いてあった親父の勲章やら表彰状やら昔の武具やら貰い物であろう礼服その他の装飾具やらをそっちに移して、離れを住居としてちゃんと使えるようにした。
そこに住み込みで働いてもらおうと思ったのだが、そう話はうまく進まなかった。
いやね、住み込みで働いてもらえば夜間にも相談事とかできるし、守護都市の保育士さんは九十九パーセント女性なので、姉さんや妹の、女の子としての悩みにも理解者が得られると皮算用していました。
「託児やベビーシッター系の仕事をしたがる奴は旦那が守護都市のギルドメンバーって事が多いからな。住まいはとうにあるし、そもそも女一人で守護都市に上がってくる奴はギルドメンバーかしょう……その、まあなんだ。手に職を持ってるやつだぞ」
「……それも、そうですね」
我ながら見通しが甘かったなぁ。
「まあそれはいいので、紹介してもらえますか。一応こっちでも、親父を交えて面接して細かい労働条件をすり合わせようと思いますけど」
「……英雄殿に会うと気後れしそうだからやめた方がいい気がするが、しかしお前だけだと舐められるな。くくっ、まあ細かい条件を決めるにしても相場は知っておきたいだろう。適当に見ていくか?」
そう言ってミルク代表はとある資料を顎で示す。
その中身は社外秘情報や個人情報も含まれている各種業務就業者の給与明細の原本だ。
日本で培った道徳が止めろと囁くが、それ以上にとっても見たい欲望が大きいので、素直に頷いた。ミルク代表が苦笑しているが、気にしないことにしてその資料を読み漁る。
ささやかな配慮として、給与所得者の名前や経歴の部分は見ないように努めましたヨ?
……ちなみに呪錬技師と言うのが、中級ギルドメンバーに匹敵するほどの高給取りでした。
私が目指すべき将来の道が見えた気がする!!
「おい、あんまり関係ないのは見るなよ」
あ、はい。
******
ミルク代表の元で充実した時間を過ごしていると、来客があった。
「良かった。まだいたか」
「おつかれー、どうしたの兄さん?」
兄さんと、そして見覚えのある美人なお姉さんだった。ナンパでもしてきたのだろうか。
……冗談です。兄さんがそういう事が出来る性格では無いと良く知っています。だから怖い顔で笑うのは止めてください、兄さん。
「……まったく。ちょっと面倒があってね。代表にお願いがあるのと、セージには相談があってね」
「相談?」
そして兄さんから、美人さんことシエスタさんとのロマンティックな出会いを聞きました。
「セージ、ちゃんと話聞いてた?」
「ちゃんと聞いてたよ。兄さんが白馬の王子様したって」
「ああ、ちゃんと俺も聞いたぞ。ずいぶんと格好いいじゃないか。さすがは英雄の長男、美人には手が早いな」
「セージっ、ミルク代表もっ!!」
兄さんがムキになって怒るのを見て、ミルク代表と笑顔でハイタッチした。普段落ち着いてる人って、なんだか無性にからかってみたくなるよね。
「――っ、まったく本当に。とにかく、どうしたらいいかな? たぶんあいつら、またやるよ。
今度は僕や、あるいはセージの名前を使って」
兄さんの目つきがちょっと怖い感じに真剣になる。さすがにこれ以上はからかえないので、こっちも真面目に答える。
「どうしようもないと思うよ、その辺は。見つけたら文句言って、誰かに苦情言われたら、そいつらとは関係ありませんって言うしかないんじゃないかな」
私がそう言っても、兄さんは納得した様子が無い。
まあ守護都市の不良たちは強さと言う点ではそうたいしたことが無い。見せしめにその子らをズタボロにすればある程度は抑えられるだろうけど、そういうやり方は趣味では無い。
親父にしても不快な事には嬉々として拳を向けるが、不快になるかもしれない可能性を減らすために弱い者いじめをするのは嫌いだ。ついでにいうと、子供好きだし、自分の評判とか無関心だし。
私も嘘で作られた悪い噂にそこまで興味は持てない。意図的にこちらの評判を落とそうとしているのならともかく、不良たちのやっていることは自分のための場当たり的な嘘だ。まじめに生きてれば自然と消えていくだろう。
ただ子供とは思えない兄さんだが、さすがに大人と言えるほどには世の中に擦れていない。家族の名前を悪い事に使われるのはどうしても我慢が出来ないようだ。
私としては、兄さんはもうちょっと子供でいても良いと思うので、無理に納得させようとは思わないのだが――
「アベル、お前はその子らを警邏騎士に引き渡さなかっただろう。それはなんでだ?」
――ミルク代表は、そう思ってはくれないようだった。
私が咎めるように軽く睨むが、ガキが何の心配しているんだという感じに睨み返された。
こういう時は、六歳の身体が煩わしい。
「なんでって、それは、その。身寄りのない子供を捉えても、騎士団からすれば旨みが無いからです」
「そうだな。ここの騎士連中は罪を無かったことにする袖の下を払えるか、あるいは払ってくれるだろう親御がいる子供らだけを捕まえる。
ま、お前らみたいに危ない奴が後ろにいると、金を持っていても捕まらないがな」
くくくっと、ミルク代表が楽しげに笑う。兄さんはそれを見て押し黙る。
何かを考え込んでいるようだが、個人的には兄さんにはもう少し次兄さんのような能天気さがあった方がいいと思う。
真面目に考えすぎると、どこかでままならなくなるし、ハゲるよ?
「それは、本当ですか。……いえ、本当でないとしても、守護都市ではそれが常識なんですね」
「お前の前でそんな態度をとる間抜けな騎士は少ないだろうがな……、シエスタ・トート。
ああ、これが守護都市だ。クソッタレでイキのイイ都市さ」
ミルク代表の言葉に、シエスタさんは静かに怒っている。ミルク代表にでは無く、騎士の人たちに向かって怒っている。
ちゃんと仕事しろよと、そんな感じで怒っている。
守護都市の治安が悪いのは、生活苦から悪さする子供や浮浪者に荒くれ者のギルドメンバーと、権力にたてついて我がまま通すのがカッコイイーなんてイメージを振りまいたとある英雄が原因だが、真面目に仕事する気が無く賄賂が大好きな騎士の人とかにも十分責任はある。
いやね。あんまり口にしてこなかったけど、この都市の騎士様って品行方正からは程遠いのですよ。
日本だと折に触れて警察官の不祥事とか報道されてたけど、こっちの新聞で騎士様が職務質問にかこつけて娼婦のお姉さんに胸やお尻を触る痴漢行為を働くとか、商会代表の所に月一でみかじめ料を貰いに来るとか、そういった不祥事が報道されることは無い。
日本っていい国だったよな―などと、懐かしく振り返ってみる。
「まあそんな訳だ、アベル。家族の名前を使われるのが嫌だとしても、やつらはやつらで今日を生きるのに必死だからな。使えるもんは何でも使うぞ。
ちゃんと仕事して食い扶持を稼げるようになればそんなリスクのある事は……、ああ、そうだ」
そう言って、ミルク代表は机の引き出しを漁る。
「ほれ、書いとけ」
ミルク代表が兄さんに渡したのは申請書類のようだった。何のだろう?
「ちょっと前になシャルマー家の肝いりで法案が一つ通った。児童就労助成法ってやつだ」
「ああ、それなら新聞で読みました」
未成年(十五歳未満)を雇っている事業所に助成金が支払われるってやつだ。兄さんは十三歳なのでそのサポート対象だ。
「……セージさん、新聞読んでるんですね。
しかしあの法案って、ちょっと抜けがありませんか?」
「まあ、な。学校にも行ってないスラムの子供らを雇って社会人として教育すれば金をくれるって法案だが、うまくはいかんだろうな」
大人二人が分かりあっているので、私もとりあえず頷いておく。
「どういう事ですか、代表?」
「うーん、まあさっきの話と似たような事なんだがな。その不良たちを雇って店で働かせたらどうなると思う?」
兄さんはしばらく悩んだ後、
「……………………面倒臭くなる」
端的にそう言った。
「具体的に言え」
「ええと、たぶん商品や売り上げを盗みます。お客さんやほかの従業員とのトラブルも増えるでしょうし……ああ、だからお金を出すんですね。彼らに仕事と常識を教え込んで真人間に教育しろと」
「ま、そんなところだ。だがそんな厄介ごとを好んで引き受ける業者は少ないだろうな。お前みたいに前から働いてる子供の分が申請されるだけだろうな」
くくっと、悪い笑みを浮かべるミルク代表。
「それは……そう、ですね。仕方ない事ですよね、こういう事は」
この手の仕方のない事は、世の中にはたくさんある。
私のような大人ならそういうもんだと割り切れるし、親父のようなダメな大人なら無関心で心が動かないか、あるいは腕力で解決する。
だが兄さんはまだどちらも上手く出来ないようで、気落ちした様子で納得しようと堪えていた。
「――ふん。まあ例えばだが、誰かしらしっかりした奴がその悪ガキどもの後見人になれば、俺の所でぐらいは雇えるだろうがな」
「そうですね、例えばとっても怖い英雄な魔人様とかが道場でしごいて基本的な道徳を教え込んで、ついでに何かやらかしたらシバくと脅しておけばどうでしょうかね」
「ああ、それならいけるな。とはいえ、すぐにとはいかんだろう?」
「まあ道場で一月くらいは物理的に教育してからじゃないと、粗相をやらかすのも多いでしょうね」
「そうだな。ひと月くらいだろうな。それでもやる奴はやるだろうが、こっちで許容できる範囲には収まっているだろうな」
私とミルク代表の会話を聞いて、兄さんが顔を上げる。その表情が明るいものになっているのを見つけて、私とミルク代表がそろって笑った。
二人で、ニヤリと笑った。持ち上げて落とすのは基本ですよねー。
「「まあそんな面倒臭い事は――」」
「素晴らしいです!!」
私とミルク代表の声を遮ったのは、シエスタさんだった。
「素晴らしいです。是非、私にも協力させてください!!」
「えっ、いや、その……今のはじょう――」
「えっ?」
シエスタさんが真剣な目でこちらを見据える。その目つきがちょっとキラキラして輝いている。
「そ、その、ミルク代表?」
「あー、まあ、俺は別にいいんだがな?」
裏切ったっ!?
「ええと、その、父に相談しないと決められないことなので……」
「それは大丈夫だろ、セージ」
「いや、そうなんだけど、家に不良がたくさん来るんだよ!?」
教育に悪くてしかもお金を持ってないようなのが。
「――っ、そうだけどさ。変えていけるなら変えたいだろ。こういうのは、お前の方が好きだろ」
確かに私は偽善者なので社会に貢献するのは嫌いじゃないけど、今は家族の事だけでわりとお腹いっぱいですよ。
ああ、でもここで無理に断るのも教育に悪いか。
やってみてもいいと言う方向に気持ちは傾くけど、お金持ってないんだよね、不良連中って。
犯罪で得たお金で支払ってほしくはないし、ミルク代表の所で支払われる金銭は未熟な子供相手という事で限りがある。
多分不良たちの最低限の生活費に、ちょっとしたお小遣い程度にしか渡せないだろう。
それに社会的に見れば正しい行いで望まれてもいるが、当の不良連中が望んでいるかどうかは相当に怪しい。
見ず知らずの人間を正しい行いだからとボランティアで感覚で一方的に洗脳するのは、私の主義にやや反するところがある。
「セージさん。今回の法案と似たもので、児童教育支援制度って知っていますか。
こちらはスナイク家が主導で以前に作った法案なのですが、まともな保護者のいない子供に教育を、より正確に言うなら未熟な子供に戦う術と道徳を教える道場主に支援金を出すという制度です。
もともとは浮浪児を未来のギルドメンバーにするための制度ですが、これが認められれば受け入れた子供一人当たり、今の道場の月謝よりも多くのお金が支払われますよ」
こっちの顔色見て、すらすらとそんな言葉が出てきたよ。やっぱりシエスタさんは仕事できる人だ。
……うん。仕事というか、こちらに利益があるなら、私としても気兼ねなく教育に乗り出せる。
「おいおい、シャルマー家とスナイク家の法案を両方を使うのか?」
「ええ、久しぶりにいい話を聞きましたから、私も頑張ってみようと思います。シャルマー家が何ですか。守護都市にだって良い人はいるし、もっと良くしたいって気持ちもちゃんとあるんです」
心が洗われましたと、拳を握りこむシエスタさん。なんだかよく分からない思いがあるらしい。
ミルク代表はそれを見て愉快気に笑った。
「ふっ、あっはははは。
いや、資料だけじゃあ人となりはわからんもんだな。
シエスタ・トート。それをやるなら後ろ盾がいるだろう。とりあえず付き合ってやるが、そうだな。お前は住まいを探してたんだな」
ああ、そう言えば最初にそんな話をしてたな。
故郷に仕送りもしてるから家賃をなるべく安くしたいけど、防犯しっかりしたところじゃないと怖いから良い所が無いかと。
……ん? ミルク代表はなんでこっちを見たんだ?
「こいつの所に住めよ。防犯なら完璧だぞ。何しろ守護都市で最強の自宅警備員が常駐してる」
人の父親をニートみたいに言わないで……いや、別にいいか。
「えっ、いいんですか?」
「……それはまあ、使う人間のいない離れが一つあるので、こちらとしては問題ないですよ」
なんとなくミルク代表がおかしなことを企んでそうなところが気にかかるけど、もともと誰かに貸すつもりだったのだ。
こうして接してみた限り、シエスタさんに人間的な問題があるように思えないし、仕事も公務員でしっかりしている。借り手としてはむしろ望ましい相手だ。しかも女性だし。
「ただ知っての通り託児所もやってるので日中は騒がしいし、子供が多いので教育に悪い事とか危険な事には制限をかけさせてもらうので、普通のアパートよりは自由が少ないと思いますけど、それは先に了承してくださいね」
「う、うん。……セージさんって、確か六歳のはずですよね?」
「気にするな。こいつはマセてるんだ」
「変な弟なんですよ」
ミルク代表と兄さんが地味にひどいです。
……とにかく、次兄さんの就職先は決まったし、この後で子供好きでそれなりに教養もある保育士さんも雇えて、いざというときに相談事が出来る女の人も確保して、欲しいものは全部手に入ったんだけど……。
「明日から忙しくなりそうだなぁ」
まあいいか。不良っていっても、親父ほど酷いのはいないだろうし。