55話 ホームレスシエスタ
背筋を伸ばした姿には好感が持てる。
クラーラはシエスタを見てそう思った。クラーラが部屋に入るとすぐに立ち上がった折り目正しさも、一目でクラーラが当主だと見抜いていることにも好感を持った。
その優秀な学歴に、後ろ盾も無く――そもそも関係性など無いのだが、それはそれとしてヴェルクベシエス家との関係をここ最近になって築かれたれたものであることだけは間違いないと踏んでいる――政庁都市で出世を続けていた経歴を踏まえると、学業以外の部分でも相当に優秀だったのだと簡単に察しが付く。
こんな出会い方でなければ手段を選ばず囲っていただろうと思うが、ここでそんな欲を出しては足をすくわれてしまいかねないとクラーラは自戒の念を強く持った。
八年前に恐ろしい竜の襲撃があった。
その竜は300年にわたる歴史の中でも類を見ないほどに大きな力を持っており、三名の皇剣が死傷した。
シャルマー家の皇剣は無事だったが、それは幸いとは言えず、むしろマージネル家がそうであるようにその戦いの後には、危地においては身を盾にして都市を守る気が無いのだとバッシングを受けた。
竜が現れれば他の魔物も異常なまでに活性化する。
八年前はその規模も特に大きく、騎士団やギルドメンバーだけでは魔物を抑えきれず、竜に向かわない皇剣も方々の外縁都市に赴き防衛戦に当たっていた。
スナイク家のラウドもその一人だったし、シャルマー家の皇剣たちもそうだった。
だがバッシングを受けたのは、シャルマー家だけだった。その原因はシャルマー家が当時抱えていた皇剣のうちの一人、守護都市〈ガーディン〉の力を持つ皇剣にある。
そして本来なら最強であるはずの守護都市の皇剣の戦果が、単独で万に近い魔物を抑え込んだラウドと異なり、他の騎士たちと共闘することでなんとか一つの都市を守りきるという皇剣に相応しくない有様だったからだ。
守護都市の戦士は何よりも強さを重んじる。
彼とともに戦ったシャルマー家と縁のないギルドメンバーや騎士たちは、口に戸を立てる事も無くその上級下位程度の力を悪しざまに語った。
彼が衰えているという噂は全力で消したが、その結果としてシャルマー家が八年前に死力を尽くす気が無かったという醜聞が生まれてしまった。
その悪評を消し、さらに大きな被害で人も財も失った守護都市を復興させるために尽力した先代のシャルマー家の当主であるクラーラの母は、無理がたたって五年前に他界した。
そうまでして尚も衰えてしまった皇剣を守る理由は、実のところシャルマー家には無い。
確かに守護都市の力を持つ皇剣は得難いが、そもそもシャルマー家は彼以外に二人の皇剣を抱えている。
彼を引退させても政治的発言力はそう低下しないし、戦力的にもそう大きな低下にはならない。
それでも引退をさせないのは、長くシャルマー家を支えて来てくれた彼が引退を望んでいないからだ。
彼も己の力の衰えは自覚している。
だが身を引くのではなく、精霊様の前で新たにこの国を守ろうと意気込む若者に敗れて、己の意志とともに次代を担う若者に精霊様の力を譲りたいと願っていた。
彼はクラーラが赤子の時から見知り世話になり、おじいちゃんとも慕う大切な家族だ。その彼は長く生きたせいで精霊様の契約の恩恵がなくなれば寿命によってお迎えが来てしまう。
だからこそクラーラは、その願いを叶えてあげたいと思っている。
だがその願いを叶えられるとしたら来期の皇剣武闘祭が最後のチャンスだ。
それ以上の先延ばしはシャルマー家にも守護都市にも、そしてこの国にとってもデメリットが大きすぎる。
クラーラは非情な決断をしなければならないと、覚悟を決めていた。
しかし来期の皇剣武闘祭には不安要素も多い。
今回の武闘祭で八つの席は全て埋まった。
だから次の優勝者は政庁都市を除く現役の皇剣を指名して挑戦することになるのだが、その指名権は挑戦者の意思に完全に委ねられている。
守護都市の皇剣である彼が選ばれる可能性は高いが、しかし確実では無かった。
皇剣と戦えるとあれば上級の上位に位置する化け物たちの参戦も考えられる。
戦闘狂である彼らはおそらく最強の皇剣であるラウドとの戦いを望むかもしれない。
あるいはかつて魔人ジオレインに敗れながらも皇剣の座を手にした、シャルマー家の皇剣の一人を選ぶかもしれない。
皇剣というものに並々ならぬ誇りと執着を見せるマージネル家も、偽りの皇剣などと呼ばれてしまっているその彼女を選ぶかもしれない。
それらを踏まえれば来期はシャルマー家自らか、あるいはこちらの内情をある程度掴んでいるスナイク家が優勝する形に持っていくべきだが、そんな心構えでは確実にスナイク家に出し抜かれる。
マージネル家がもう一人皇剣を持つのは問題ないが、スナイク家にこれ以上力を持たれるわけにはいかない。
しかしこれまでのようにあの家を最大のライバルとして位置付ければ、共倒れになって横から優勝の座を持っていかれかねない。
クラーラ・シャルマーには夢がある。
かつて精霊様がかくあれと望んだように、守護都市を本当の意味で精霊都市連合〈エーテリア〉を守る都市にしたいのだ。
今のように暴力が支配し、金に飽かせて酒や女に溺れるならず者たちが跋扈し、その金を目当てに色町が栄え、そこに巣食う外道がはびこる現状を覆したい。
かの魔人が生まれる遥か以前の、法と道徳が守られる秩序と権威ある都市にしたいのだ。
そのためにもならず者どもの温床となっているギルドの元締めであるスナイク家に、家の格で劣る事だけは避けたい。
そしてそんな困難な問題が待ち構えているというのに、政庁都市からのおせっかいで家の力を削られて躓くわけにはいかない。
クラーラは誓いも強く、改めてシエスタを見据えた。
敵意は内に秘めて、微笑をたたえながら。
「初めまして、シエスタ・トート。待たせてしまって悪かったわね。これでも忙しいの」
「はい。いえ、当然のことと思います。
その、私としては挨拶のみをと、思っていましたので、まさか御当主であるクラーラ様がおいでになるとは思い至らず、ぶしつけな真似をいたしました」
「あら、それこそ気にしないで。
呼び立てられたのではなく私が自ら赴いたのだから、あなたが気にすることでは無いわ」
恐縮ですと、シエスタは僅かに肩を縮ませる。
今現在シエスタの頭の中は大パニックが起こっているが、政庁都市で鍛えられた彼女のポーカーファイスは一ミリも崩れていない。
「それで用向きを伺っていなかったのだけれど、何かしら? 政庁都市からの監査には誠意をもってお応えしましたし、我がシャルマー家には何も後ろ暗い事は無いのだけれど」
だからさっさとスナイク家に行ってくれと、クラーラは内心で毒をひそめてそう言った。
なにしろクラーラは監査官を金色のお菓子でたっぷりともてなし誠意ある対応をした。
その際に生まれた改ざん前の情報が簡単に見つかることは無いだろうし、そもそも家探しなんてさせないのだがそれはそれとしてあんまり家にいて欲しくなかった。
「えっ?
……ああ、いえ、今回はそのような理由では無く、新たにこちらの都市に住まわせて頂く事になりましたので、その御挨拶に伺った次第です」
ここでシエスタは誤解を受けていることを察して、しかし慌てることは無く丁寧に自らの意向を説明した。
崩れない表情のまま、背中には嫌な汗が噴き出しながら。
「へぇ……。慣習の事を知った上で言っているように聞こえるのだけど、不思議な話ね」
クラーラは当然、シエスタの言葉をそのままには受け取ったりはしない。
シエスタは過去、政庁都市で派閥に入っていない。
インテリが集まった伏魔殿と呼ばれる政庁都市でそんなことが出来るのに、即物的な脳筋が多いこの守護都市でわざわざ派閥の庇護を求めるとも思えない。
むしろ派閥に入って内部の情報を探りに来ていると考えた方が自然だった。
「はい、ご懸念はごもっともと思います。
ですがお恥ずかしい話なのですが、政庁都市の名家の方の面目に泥を塗ってしまい、色々と頼りなく日々を過ごすことになってしまいましたので、どうか庇護を頂きたく……。
その、しっかりとお仕事の方はさせていただきますので」
女は生まれながらに女優と言うが、なるほどとクラーラはその言葉を思い出し納得する。
そして女である自身すらも騙しかねない弱々しさで同情を買おうとする迫真の演技に、内心で畏敬の念を持った。
シエスタの言葉が本当ならば、クラーラからすれば願っても無い話なのだ。
シエスタは単純に有能なだけでは無く、政庁都市で働き、学園都市で学んでいた人脈を持っている。
名家の当主としては異例なほどに若く、急逝した母からの引継ぎも不十分だったために地盤の弱いクラーラには、喉から手が出るほどに欲しい助けなのだ。
だがそれもシエスタが信頼できなければ意味が無い。
「そうね。その程度の話なら、私も耳に挟んだわ」
「ははは。お恥ずかしい限りです」
本当に恥ずかしそうに愛想笑いをするシエスタを見て、その程度の話しか掴んでいないだろうという確固たる自信があるのねと、クラーラは心の中で付け加えた。
「残念ね。あなたが私の右腕になってくれれば、言うことは無いのに」
「――っ!?」
惜しむような声に、シエスタの頭の中で二度目の大きなパニックが沸き起こる。
「帰りなさい。あなたを我が家に迎え入れる気はないわ。次に顔を合わせるのは、別の形になるでしょう。こうして話が出来て良かったわ」
「え、あの、ちょっと――」
シエスタの弁明は口に出されることも無く、現れた使用人に促されて部屋を去っていく。
クラーラはその背中に、言葉を投げかける。
「我がシャルマー家はこの国と、この守護都市〈ガーディン〉の為にあるわ。あなたたちも、それだけは信じてね」
一方、使用人に見送りと言う名の強制退去をさせられたシエスタは、
「あなたたちって誰の事ですかぁぁああああっ!!」
絶叫を上げた。答える声は、当然なかった。
そしてその後、近くのお店でトイレを借りた。
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厄介な来客の対応を終えて、ほっと一息つくためにクラーラは紅茶を飲む。
「おいしいわね」
クラーラから思わずこぼれた言葉は紅茶を指したものでは無く、それと一緒に出されたカットされたベリータルトのケーキだ。
東西の農業都市の力を持つ政庁都市だからできる、多種多様で新鮮なベリーをふんだんに使ったそれは、ストレートの紅茶によく合った。
「……せめてこれを一緒に食べるぐらいはした方がよかったかしら」
クラーラは先ほどのシエスタを思い出す。
凛とした姿は美しく、経験と実績に裏打ちされた自信が背筋にピンとした張りを生んでいた。
クラーラは実のところ、シエスタに憧れにも近い尊敬の念を持っていた。
愛していた実母が仕事のできる女性であったこともあって、年上で仕事のできる女性には一角の敬意を抱いてしまうのだ。
そんな尊敬補正のせいでシエスタの言動を深読みしすぎてしまっていた。
「残念ですが、彼女とは縁が無かったのでしょう。
……先ほど連絡が入ったのですが、スナイク家も彼女を警戒しているようです。
公務員寮の空きを潰し、彼女の入寮が断られるように仕向けられました」
声をかけたのは紅茶を入れたメイドだ。
「……へぇ。スノウ様にしては随分と陰湿な。いえ、それをどう対処するかで、ヴェルクベシエス家との繋がりを浮き上がらせようとしているのかしら」
守護都市は人口過密な首都である政庁都市よりもさらに地価が高い。
格安のアパートも無いことは無いが、政庁都市から多くのハンターたちが入ってくる時期でもあるため空きはそう多くないだろう。もし見付けられたとしてもそんな安アパートでは一般人で見目麗しいシエスタが使うには防犯に難がある。
しかし防犯対策がしっかりとなされたアパートは中級ギルドメンバーやその家族、またある程度の成功を収めている裕福な層に向けたものだ。
エリートとはいえまだ若いシエスタの給金では負担が大きいだろう。さらに彼女は生家にまとまった金額を仕送りしていた。
「シエスタ・トートへのお金の流れは念入りに洗っておいて。入るお金は当然、出ていくお金の方も。そうね、彼女に関してはこまめな報告をして頂戴」
……もしも、本当にもしもの話だが、シエスタがヴェルクベシエス家とまったくつながりが無いのなら、この問題への対応には苦心するだろう。
その時は手を差し伸べ、非道なスナイク家の所業も教えよう。きっと感謝し良く仕えてくれることになるだろう。
まあそれはあくまでもしもの話だが。
「ともあれ彼女が狙う矛先と、弱みを掴むのが先決ね。
上手くいけばヴェルクベシエス家への足掛かりになりそうだけど、それにはスナイク家を出し抜かないといけない。
……まったく。ままならないわね、本当に」
先の事を考えると頭が痛く、クラーラはベリータルトを乱暴に口にした。良く出来たメイドは、主人のささやかな粗相を無言で見守った。
※クラーラはノーマルです。あしからず。