54話 シエスタ再び
シエスタ編、スタート。
どうしてこうなった。
答えはわかり切っている。
偉い家の、偉い人の反感を買ったからだ。
「はぁぁぁあああああ……」
シエスタは大きなため息を吐いた。
やり手の高級官僚として順調な出世街道を歩いていたはずなのに、ちょっとした勘違いから守護都市に左遷されてしまった。
守護都市は危険な都市だ。
腕力だけが全てと思い込んだ野蛮人が数多く生息し、八つの主要都市の中で最も治安が悪い。
そのためシエスタのような戦闘能力を持たない一般人向けのアンケート(エーデル新聞社調べ)では最も住みたくない都市で長年首位の座に君臨し続けており、さらにシエスタのような国家公務員の離職率が最も高いとも言われている。
辞令が発令された際、シエスタは泣きたくなった。
実際、何度か枕を涙で濡らした。
そして赴任日まで職業案内所に何度となく通った。
国家公務員というステータスと安定した収入が惜しいので、転職は諦めたが。
そして赴任した守護都市では歓迎されていなかった。
英雄ジオレインを説得したという功績はむしろ目障りに映ったらしく、またシエスタは守護都市行政官庁の綱紀粛正という名目で送り込まれた、という理由もありとっても敬遠された。
それは本当に名ばかりの建前なのだが、新しい同僚たちは全然信じてくれていない。
まるで心を許してもらえず警戒心むき出しで、昼休憩中なんて一人で寂しく食事をしている上に周りから胡乱な目で見られこそこそ噂話もされている。
とても居心地が悪い新天地だった。
守護都市にしろ政庁都市にしろ、行政官庁では名家の息がかかった職員が数多くいて、派閥争いがなされている。
シエスタはかつてどこの派閥にも属さずふらふらと風見鶏をやっていたのだが、簡単に左遷なんてされたことを反省して守護都市ではちゃんと派閥には入っておこうと思い改めた。
だってぼっちは辛いから。
候補は四つあったが、一つは実質的に零落してあるので除外。
残り三つのうち、勢いがあるのはつい先日最年少の皇剣を輩出したマージネル家だが、名家としての格は実のところ三家で最も低いので除外。
残るは当主が陰険姫とも揶揄されることのあるシャルマー家と、本物の皇剣を抱えるとされるスナイク家であり、最終候補だ。
ちなみに両家の格は同程度だが、守護都市で評価が高いのは後者のスナイク家だった。
熟慮を重ねた結果、シエスタはシャルマー家に挨拶に行くことにした。守護都市で高評価のスナイク家には脳筋が多そうで怖かったのだ。
ともあれ上手く派閥に入れてもらえれば、胸を張って普通におしゃべりしながらお昼ご飯が食べられる。
この時は、そう思っていた。
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政庁都市から、優秀な職員が派遣されてきた。それ自体は喜ぶべきことだ。
守護都市は戦う力を持たないものには生活のしにくい都市だ。自然と文官が居つくのが難しくなり慢性的な人手不足に悩まされている。
その職員は政庁都市最大のヴェルクベシエス家の肝いりで送られてきた、守護都市の綱紀粛正を目的とした内部監査官らしい。それもまあ喜ぶべきことだ。
守護都市では荒事に携わる戦士と、彼らが金を落とす夜の住人が多くの所得を得ており、文官の生活は安定こそしているものの彼らに比べれば質素な暮らしをする事となっている。
そのためにというのは語弊があるだろうが、賄賂や横領に手を染める職員は多く、取り締まりをしてもきりがない状況に陥っている。
そんな守護都市に、あの天衣無縫の暴虐者である魔人ジオレインを説き伏せた凄腕の官僚がやって来て、内部腐敗を正すという。
それ自体は、確かに喜ぶべきことではあった。
その矛先が、己に向いていなければ。
応接室に待たせたやり手の官僚は、落ち着いた様子で紅茶に口をつけている。長いこと待たされたせいですっかりと冷めて渋くなったそれを、澄ました顔を崩さず飲んでいた。
そしてその様子を、館の主人が魔法で覗き見ていた。
「何もしないのね……覗き見ていることは察知されていないのでしょう?」
「はい。身に付けている呪錬装具は簡易的な護身具です。それもそう大きな力を込められていない、一般に流通している商品ですね。
当の本人も魔法に見識があるようには見えませんし、それは彼女の経歴から考えても正しいかと」
「……ふん。偽りの情報を掴まされている時点で、その経歴が正しいかどうかも疑わしいけれどね」
何しろ彼女――シエスタ・トートは、あの魔人を言葉で説き伏せるというかつてない偉業を果たしたにもかかわらず、名家の長男を袖にしただけで左遷されることになったと言うのだから。
綱紀粛正に乗り出したシエスタを探り、あっけなく分かったその情報に部下たちは安堵半分、侮蔑半分で政庁都市の名家の陰口をたたいた。
その時の事を思い出して、館の主人は歯噛みする。
やり手の官僚をそんなバカな理由で左遷するわけがない。おそらくはヴェルクベシエス家が素行の悪い長男の汚名を利用して醜聞を流し、油断を誘っているのだろう。
家の格やその名誉を特に重視する政庁都市の名家がもしもそんな手を取ったのだとしたら、今回の介入に並々ならぬ本気が込められていることは想像に容易い。
そして名家の本気をたった一身で背負っているシエスタも、決して侮っていい相手では無かった。
実際、どれだけ調べても彼女とヴェルクベシエス家が繋がっているという証拠が出てこなかったことが、政庁都市と守護都市における情報管理能力の差を示している。
そうしてこうして覗きに徹していてもシエスタは己が不利になるような行動――応接室に置かれた貴重品などを袖の下に隠すなど――はしなさそうだった。
守護都市の職員はだいたいこれで弱みが一つ握れるのだが、さすがに警戒心が強い事ねと内心でシエスタを称賛した。
そしてこれ以上は時間の浪費だろうと、館の主人は意を決して応接室へと向かった。
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シエスタが応接室に通されてから長い時間がたった。
シエスタの頭の中には疑問符でいっぱいだった。
名家を訪れ、最高級のお菓子と一緒に名刺を渡せばだいたいこちらの意思はわかってもらえるだろうから、それで帰ろうと思っていた。
だがあれよあれよという間に使用人に応接室に通され、具体的な説明も無くここで待つように言われて、長い時間がたった。
応接室を彩っている高価な調度品の中に時計は無く――個人が携帯できる時計はとても高価なため、シエスタは持っていない――正確な時間はわからないが、おそらく一時間は待たされている。
手持無沙汰で冷めた紅茶に口をつけていたのでちょっとお花を摘みに行きたいのだが、声をかけようにも使用人さんはこの部屋にはおらず、勝手に部屋を出て良いかどうかの判断もつかず、我慢していた。
気持ちを紛らわせるためになぜ待たされているのか想像をめぐらせても、シエスタの脳裏に明答は浮かんでこない。
精霊都市連合は精霊様を皇としているが、行政そのものは議会制で執り行われている。
だが皇である精霊様に実権が無いわけでは無く、むしろ誰も逆らえないほどの強い権限を持っている。
ただし精霊様の力がとても強くても、発してしまえばそれが言葉という形を持っている以上、穴というものはどうしても生まれる。そしてその穴を、欲深い人間の集まりである議会が突かない訳がない。
その例として、精霊様の勅命として下されたものの中には、貴族制の禁止や印刷物への課税などがある。
一方の貴族は爵位というわかりやすい家の格こそ失ったものの、名家へとその名称を変えて生き延び勅命から逃れている。
もう一方の印刷物の課税などは、高度なシビリアンコントロールのためにむしろ積極的に活用されている。
精霊都市連合は精霊様を皇とし、議会が運営する国家だった。
それは議会やその中心となる名家の行いは国主である精霊様の言葉を無為にしているようにも思える行為も多いが、シエスタの目からしても名家という存在はこの精霊都市連合を運営していくにあたって必要不可欠なものだった。
そもそも名家が無ければ、精霊様の声を直接議会に届ける事もできないのだ。
名家の手による悪政の横行は確かに無いとは言えないし、シエスタもその被害者ではあるが、それにしても仕方のない事だと割り切れるレベルに収まっている。
それに名家と言えど悪政を続ければ市民の反感を買うし、その声が大きくなって精霊様の耳に届けば粛清される恐れはある。過去の貴族はそうして消え去ったといわれている。
その精霊様の言葉にはいくつか種類があり、〈勅命〉は最も重いもので、絶対遵守が鉄則となっている。
なので名家が今後、貴族を名乗ることだけは絶対にない。
そして言葉の中で最も軽いのが、〈言〉だ。その言の中には〈派閥をつくるのは好ましくない〉というものがある。
人間と言うのは敵味方を作るのが大好きな種族なので仕方ないのだが、それはそれとして派閥を作ったり派閥で争ったりするのは避けましょう、という内容だろうとされている。
言は勅命などと違い、その言葉に従わなかったとしても何らかの罰がつくことは無い。
ただし精霊様に仕える表向きは忠義の厚い名家が率先してその言を破るのは体裁が悪いという事で、名家が派閥を持っていることは公の場で口に出されることは少ない。
前置きが長くなったが、そんな理由もあってシエスタは今回のシャルマー家訪問にあたって、用向きをただの挨拶としている。
新しく住むことになる都市の――政庁都市との接続終了まであと三週間近くあり、公務員寮の入寮手続きが済んでいなかったので、今のシエスタは政庁都市からの通勤であった――名家に挨拶に伺うのはそれほど珍しい事では無い。
まあ珍しくは無いと言っても上流階級に分類される礼儀作法なので、そんな建前で名家を訪れてシエスタは内心でちょっとびくびくしてもいるのだが。
ともかく名家の中でシャルマー家だけを訪れ、政庁都市でも有名でコネが無ければ並んでも買えない洋菓子店の高級菓子を携え、課税対象であり特別な相手にしか渡さない名刺を送ってた。
それで派閥に入れて欲しいと言うメッセージに不足は無いよねと、シエスタは自身の行動を振り返る。
これで分かってもらえていないのなら、派閥に入れてくださいとはっきり口にしてお願いするしかないのだが、そうした場合は不文律もわからないのと馬鹿にされそうで怖い。
馬鹿にされるだけならば良いのだが、それで派閥に入れてもらえなかったり、いじめの対象になったりすると怖い。
特にシャルマー家の当主は若い女性で、その派閥に入っている者の多くが女性でもある。
その仲間になれるのならば気の休まる友人も出来るだろうが、敵や迫害の対象と認定されるのは辛い。
他家も決して女性が少ない訳ではないが、政庁都市に比べればやはり女性の人権意識が低いといわれているから。
シエスタがネガティブなことをつらつらと考えていると、応接室の扉が開いた。そこから入ってきたのはシエスタよりも僅かに年下の女性。
直接目にするのはもちろん初めてだったが、肖像画で知っていたためピンときた。
その女性は陰険姫とも呼ばれる、守護都市で最も若い名家の当主。クラーラ・シャルマーその人だった。
勘違い編、スタート。