50話 倒すべき相手
言っては悪いけど、結果はあっけないものだった。
強化した脚力で思いっきり踏み込み、反応できないでいる次兄さんの木剣を払う。
動き出す前、私はいつもと違って構えを見せていなかった。そのせいでまだ仕掛けてこないという錯覚というか、思い込みもあったようだ。
次兄さんの木剣はくるくると回転して飛んでいき、コトンと音を立てて木張りの床に落ちる。
その後、絶望的な顔で固まっている次兄さんの頭を、コツンと木剣で叩いた。
何かしらの技を使う必要も無く、ただ魔力によって強化した肉体の性能差だけで、私は勝利した。
「セージの勝ちだ」
親父がそう宣言した。
……本当に本気でやったけど、これで良かったんだろうか。次兄さんの顔を見る限り、良くないとしか思えない。
親父の方を見ると、床に落ちた木剣を拾って次兄さんに投げ渡すところだった。
「では次だが……」
あ、一回じゃないんだ……。
でも正直なところ、何回やっても次兄さんに負ける気がしないんだけど。ただの弱い者いじめなんだけど。
……今それをやると心を折るというか、かなり人でなしな行為なんじゃないだろうか。
そんな事を考えていたら、顔面に衝撃を受けて吹っ飛ばされた。
親父の衝弾だった。
直前で気付いたのでかろうじて魔力による防御が間に合ったが、速度重視にしてあったので、ガードできなくても死にはしなかったと思う。うん。死にはしなかった。
「ふん、いい反応だ」
「なにその物騒な発言っ! いきなり何っ!?」
ガードが間に合わなかったら、死にはしなくても結構なダメージになってたんだけど。
いや、ただの衝弾だから無詠唱の治癒魔法と身体活性の複合で五分ぐらいで治っただろうけどっ。
それはそれとして、いきなり攻撃されるとか訳がわからないんだけどっ!
「本気でやれと言っただろう。なんだ最後の腑抜けた一撃は」
「えっ、いや、それは……」
だって、本当に本気で攻撃する方がまずい。
だって持ってるのが木剣でも今の私なら真剣にできるし、次兄さんとの実力差なら一撃で即死させられるんだから。
「殺す気でやれとは言わん。だが痛みを与えないようなのは駄目だ」
……まあ、確かにそうか。
もともと私は道場で立ち合いの訓練をするとき、次兄さんだけでなく兄さんを含め預かっている他のどの子にも怪我をさせないように、打ち込みの威力は大きく減じて行っていた。
だが親父が私を指導するときは遠慮なく痛みを与える。実戦を想定するなら、訓練で痛みや恐怖をしっかりと経験しておくべきだからだろう。
それと同じように、次兄さんに痛みを与えろと親父は言った。
親父と次兄さんがどういうやり取りをしてこの立ち合いになったのかはわからないが、あるいは次兄さんが自分もギルドに登録したいと、言い出したのかもしれない。
そして私から一本取れば許可をすると、親父が言ったのかもしれない。
……もしそうなら私は本当に全力で次兄さんに勝ちに行く必要がある。
次兄さんは弟の私がのほほんとギルドの仕事をこなしているから自分にも出来るなんて思ったのかもしれない。
実際、今の次兄さんでも初級は超えているし、ちゃんとした仲間と一緒ならゴブリンやハゲオオカミの群れぐらいは相手どれると思う。
でもそれはハンターとしての最低ラインでしかない。
今の次兄さんの実力は一年前の私よりも低く、ギルドに登録するのは反対だ。
「次兄さんには、ギルドの仕事は無理だよ」
私がはっきりとそう言うと、次兄さんの目が揺れる。
可哀想だと思うが、こればかりは譲れない。
それに現状の実力不足もそうだが、そもそもの話として私は次兄さんに命の危険が伴うギルドの仕事について欲しくは無い。
私は心を鬼にして、次兄さんの心を折る事に決めた。
「カイン、セージから一本取れ。お前の話を聞くのは、それからだ」
「……ああ、わかった」
次兄さんが悲壮感をしょい込みながら、決意も強く頷いた。
今の私って、悪役だよね。
いやまあ、大人の役割なんてそんなものだけど。
次兄さんの気持ちが本物でも、それで実力が上がるわけでは無い。
「うぉぉおおおおっ!!」
吼えながら向かってくる次兄さんの剣を受け流し、すれ違いざまに腹を打つ。
内臓を深刻に傷めない程度の手加減にとどめたその一撃で、次兄さんはうずくまって胃液を吐いた。夕飯前でよかった。
親父はその吐しゃ物を火の魔法で消し炭にし、風の魔法で炭と匂いを散らした。
「さて次だが……」
そう言った親父から衝弾が飛んでくる。何となく予想していたので、避け――られなかった。
いや、一発は避けたんだけど、親父は一瞬で三発同時に撃ってきたので全部は避けきれなかった。
顔面に迫った一発を咄嗟に木剣で払ったものの、右腕に一発が当たり、身体が開いたところに時間差でもう一発がお腹に直撃した。
込めている魔力量が先ほどとは違っていて、速度は変わらないままにガードを容易く突破する威力だった。
腹を押さえてうずくまる次兄さんの対面で、私は膝を震わせながら腕とお腹の痛みに耐える。
「よし、これでダメージは同程度だな」
「……父さん」
兄さんが呆れている。
同程度っていうか、私の方がはっきりとダメージ大きい気がするんだけど……。
◆◆◆◆◆◆
もう何度目かもわからない立ち合いを繰り返して、ズタボロになったセージは立ち上がる。
対するカインも全身に打撲があるが、セージのそれと比べるとはっきりとダメージは少ない。
そもそもセージは木剣そのものに魔力を込めていなかったため、カインの未熟な身体活性でもある程度の時間経過で回復をしていた。
だがセージの方はそうでは無い。
最初の方は衝弾によるダメージだけだったが、ジオはセージの回復の様子を見て、途中から魔法やより上位の闘魔術も交えて的確にセージに痛打を与えていった。
それはセージが身体活性や治癒魔法で回復させることも見越した深刻なダメージだった。
木剣でカインの手首を打ち勝負を決めれば、セージの手首に痛打を与えた。すり抜けざまに足を打てば同じ足に一撃が与えられた。
セージは立ち合い後に繰り出されるジオの攻撃を必死に躱そうとしていたが、どれもかなわず結局は地に伏す羽目になっていた。
何十回とジオに痛めつけられたセージは全身に打撲を受けており、魔力という異能の力に支えられていなければ戦う事はおろか、まともに立つことも難しいような程にボロボロになっていた。
「なあ、親父……もう止めようぜ」
カインはもう見ていられなくなって、泣きそうな声でそう言った。
ダメージに加え必死の抵抗による魔力の消耗で、セージはもうカインと同程度のところにまで身体能力を落としていた。
ジオはあるいは最後にカインに花を持たせる為にこんな事をしているのかもしれないが、こんな勝ち方をカインはしたくなかった。
「ダメだ。続けろ」
しかしジオの言葉はにべも無い。救いを求めてカインはアベルを見る。
「……カイン、一本取れば終わりだよ。今は全力を尽くすことを考えて」
アベルもこの状況には思うところがあるようで、しかしはっきりとジオに反対する言葉をもたずそう言った。
ちなみにジオはツヤツヤの顔色で随分と生き生きしていたが、アベルは懸命にそのことは気付かないようにしていた。
なんだか父の目的がずれているように感じていたが、きっと気のせいなのだとそう思い込んだ。
アベルはそう父の無実を信じたが、感情を見抜く異能を授かったセージはそうでは無かった。
というか、そんな異能がなくても勘違いする余地は欠片も無く、ジオがこの状況を楽しんでいるのは明白だった。
セージは誰にも聞こえないほどの小さな声で、親父ぶっ飛ばすとか絶対許さないと呟いていた。
ジオとしてもセージを痛めつけるのを楽しんでいるわけでは無い。
ただ必死に回避しようとするセージの裏をかいて特定の部位に一撃を入れるのは、ジオにとってもそれなりに難易度の高いものなのだ。
だからそれを攻略していくのはなかなか楽しいもので、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ夢中になってしまっているだけなのだ。
「では、次だ」
ジオの合図に、セージは直線的に突っ込んでカインに迫る。
そこに当初ほどの速度は無く、カインにも反応できるほどの動きでしかなかった。
ただカインはこの状況に負い目があり、それが迎え撃つという選択肢を消して防戦に徹しさせた。
自分の気持ちにがんじがらめで満足に実力を発揮できない状態のカインに一撃を加えることは、そう難しくは無い。
だがしかしセージは勝ちを目指さず、強引に攻めることでカインと鍔迫り合いの形に持ち込む。
体格と体重の差は魔力でカバーし、腰の引けているカインとそのままの形で睨み合う。
「頼みがある」
カインにだけ聞こえる音量で、セージがそう囁いた。聞き間違いかとカインは思った。
「あの親父を痛い目に遭わせる。私に力を貸してくれ、カイン」
囁くような音量は変わらず、しかしまぎれも無くはっきりと口にした。
いつもの笑顔を消して、いつもの澄ました余裕も失って、ギラついた目でカインを真っ直ぐ見据えて、セージはカインに、そう言った。
その目つきはセージが自身を偽善者と呼ぶ根っこの部分であり、品行方正を装うセージがジオの息子なのだと、クライスたちが認める部分でもあった。
「お、おう」
カインの胸の奥から、何とも言えない熱さが湧き上がる。それに突き動かされて、どもりながら頷いた。
セージはこの時、完全にキレていた。
痛い思いしているのも不快だし、それを行っているジオが楽しそうなのは不快だし、そもそもこの数か月なにかとたまる鬱憤というものがあり、その原因はだいたい当初の目的を忘れ遊んでいる馬鹿親父なわけで――
(どうせ殺しても死なない英雄様なんだぶっ殺してやんよっ!!!!)
――完全にブチギレていた。
当初の目的を忘れているという意味ではセージも同罪ではあったが、それを指摘するのは酷だろう。
「悪いけど、楯になって。私は渾身の一撃を叩き込む」
この状況では詳細な打ち合わせなどできるはずも無く、セージの簡単な指示でお互いの役割が決まる。
カインに異論はない。
そもそもセージに援護されたところで、カインは己がジオから一本をとる光景が想像できない。だがセージならと、カインは思った。
カインと変わらぬほどに消耗していても、セージならばあっと驚く何かが出来るのかもしれない。カインには想像もできない何かが出来るのかもしれない。
その手伝いができると思うと、あの強大な英雄から一本をとる手伝いができるのかと思うと、カインの胸の熱さは、はっきりとした炎となって燃え上がった。
「ああ、任せろっ!」
そう言って、カインはタイミングを合わせることも無く即座に真っ直ぐに、ジオに向かって突っ込んだ。
その行動に目を見開いたのは、アベルだけだった。
セージはその異能でもってカインの唐突な行動を先読みし、合わせて動いた。
ジオはそうこなくてはと、二人の子の反抗に会心の笑みを浮かべて迎え撃った。
ジオへと直線的に突っ込むカインと、その影に隠れて迫ってくるセージ。
後ろに隠れるセージを捉える攻撃手段は当然、歴戦のジオにはある。
だがジオはあえてその手を封じ、基本技の衝弾でカインにしかけた。カインが膝を折るまでは、決して後ろのセージは狙うまいと。
ジオから放たれるのは無数の衝弾。
威力、速度ともにカイン向けに減じられているが、しかし乱れ撃ちの弾幕は決して生ぬるいものでは無かった。
カインは向かってくる衝弾を木剣で撃ち落とし、しかし半数近くは失敗してその身で受けてしまう。だがそれでも後ろには一つも通さなかった。
痛みと衝撃で止まる足を、根性で止まり続けることを許さずカインは突き進む。
その足取りには、迷いや痛みへの恐怖は無かった。
そうして守られて進み、セージはジオを間合いの内にとらえる。
セージにとって、勝機はこの一度のみだった。
あるいはジオはこうなる事を望んでセージを苛め抜いたのかもしれない。ここで攻めに失敗しても、気の済むまで付き合ってくれるだろう。
それこそ父親が小さな子と相撲を取るように。
あるいはそれで正解なのかもしれないが、セージはそんなホームドラマな展開を今回は望んでいない。
さんざん痛めつけられてプッツンしているセージとしては、何が何でもジオの顔面をぶっ叩いておかなければ気が済まなかった。
カインの影から、セージが飛び出す。
対魔物戦においてはセージは中長距離での戦闘を得意とする。特別な魔力感知を持ち、高い制御能力を生かした魔法戦で相手を圧倒することが出来るからだ。
だがジオを相手にする場合、勝機は至近距離にしかない。距離をとった攻撃はすべて容易くつぶされてしまうからだ。
普段の訓練では接近戦に持ち込むまでが一苦労だが、今回はカインがそこまで運んでくれた。
セージとジオの立ち合う姿を見知っているカインは、自分の仕事は果たしたと、満足げに微笑んだ。
無理をしたせいで今にも膝から崩れ落ちそうになっていたが、しかし最後の二人の一合は決して見逃さないと意地を張って、立ち続けた。
「――速い」
ジオのそばにいたアベルは、飛び出したセージを見てそう漏らした。
消耗があるはずなのに、セージはこれまでで最速の動きでジオに襲い掛かった。
まっとうな魔力感知では肉体の内側にある魔力までは見通せない。
セージもそれが常識であることはもう知っていた。
だからこそカインと立ち合いを続け、ジオにしばかれ続けている間に必死で体内に魔力を溜め隠していた。
消耗していると思い込ませ油断を誘うために、ギリギリのところまで我慢していたのだ。
だから本当の全力が出せるのはこの一合のみ。
ジオを全力でぶん殴れる機会はこのたった一度しかない。
鋭い矢じりのように襲いくるセージを見つめ、しかしジオはその表情に驚きを浮かべることは無かった。
予想していた訳では無い。ただジオは油断をしていなかった。
ジオの動きに淀みは無く、まるで全て見通していたかのような絶妙のタイミングでセージに一撃を振るう。
「ふっ」
セージの木剣とジオの拳。互いの一撃が交差する刹那の時間、勝利を確信し、セージの口から笑みがこぼれた。
セージは衝裂波を自身に放つ荒業も合わせて急制動をかけ、トップスピードからその慣性をゼロにする。
そしてそれだけでは無くカインを引っ張り己の前に出し、その反動とバックステップで自身は再びカインの影に隠れた。
これにはジオも驚いた。
いや、驚いたどころの話では無い。
セージに合わせてはなった拳の先にカインが出てきたのだ。
その拳の威力はカインにとって強力過ぎる。
流石に死ぬほどの一撃にはならないが、鼻の骨や歯が折れ顔面が血だらけになるぐらいの惨事にはなる。
その後の般若のような顔のマギーに詰められる事まで思い浮かべて、ジオは必死に己の拳を止めにかかる。
ジオとセージの間には、戦闘技術において未だに雲泥の差がある。
今回の一合も真っ向から打ち合っていればセージはカウンターに沈んだだろう。
普段の訓練ならば多種多様の小細工で揺さぶるのだが、今のセージにはそれをするだけの余力が無い。
だから、カインを盾にした。
高い戦技を持つジオは攻撃から攻撃の間のロスが極端に少ない。一撃を躱して潜り込もうとしても、二撃目が即座に迫ってくる。
スピードに関してはセージに合わせて落としているのだが、そうとは思えないほどに速く鋭く、技が冴えている。
だが攻撃から攻撃へ繋げるのは速くても、一度出そうとした攻撃を無理やり止めれば、どうしても体は硬直する。
セージの動きに淀みは無い。
最初からこの手を狙っていたので罪悪感も無い。
今はジオをしばくことしか頭になかった。
セージの口元には確信した勝利と、果たされる報復への嗤いが浮かんでいた。
実際、ジオの身体は無理に攻撃の手を止めた事で硬直をしていた。
だがしかしジオレイン・ベルーガーは竜殺しの英雄であり、数多の常識を壊してきた規格外の魔人である。
確かにジオは驚き、体は瞬間的に硬直した。
だがそれはあくまでほんの一瞬のことだ。
それを隙と呼び、突けるだけの実力をセージはまだ身に付けてはいない。
ジオはむしろ隙を作らされたことで危機意識を働かせ、子供相手だからと無意識レベルで働かせていた手加減を外した。
迫ってくるセージに対し、ジオが取れる手段は無数にある。
拳で殴り飛ばす。
――却下。このタイミングでカウンターをとるほどの肉体強化をすれば、簡単にセージの肉体を突き貫けることになる。
咆哮で吹っ飛ばす。
――却下。セージはともかく、効果範囲にいるカインがショック死しかねない。
いっそこのまま受けてしまう。
――却下。とっさの事だが、今のジオは肉体を大幅に強化してしまっている。そこにセージが打ち込めば木剣は粉々に砕けるし、セージの手首の骨もおそらく砕けるだろう。
横に避ける。
――却下。普通すぎてつまらない。それでは勝った気がしない。
僅かな一瞬の間に迷う余裕すら持って、歴戦のジオはこの状況に最も適した手段を見つけ出した。
「アベルガードっ!!」
それは隣にいたアベルを盾にする荒業だった。
これに驚いたのはセージと、完全に見学者気分でいたアベルだ。
アベルは咄嗟に魔力を高め対抗しようとするが、間に合うはずもない。いや、間に合ったところでジオを打ち据えようと全力を込めたセージの一撃には耐えられない。
アベルはこの一瞬、己の死を幻視した。
セージは当然攻撃の手を止めようとするが、完全に特攻気分だったために止まるに止まれない。
ジオは仕方がないとばかりに眼光の魔力波を放ち、それに助力する。
大分減速できたがそれでも止まり切れないセージを、ジオは横にスライドして避けた。もちろんアベルも一緒だ。
結果として、止まる事に全力を傾けその先を何も考えていなかったセージは盛大にすっころび、そのまま床を転がった。
「ふっ、俺の勝ちだ」
これ以上ないドヤ顔でジオはそう勝ち誇り――
忘我の様子で膝から崩れ落ちているカイン、
死にかけた事で腰を抜かしているアベル、
そしてピクリとも動かず倒れ伏したままのセージ、
――死屍累々と言った様子の子供たちを見て、顔色を変えた。
「……しまった」