49話 どうせなら夕日の映える河原が良かった
次兄さんの様子がおかしい。
前からちょっとおかしいなぁと思っていたけど、皇剣武闘祭の小旅行から帰ってからはっきりとおかしくなった。
あの日は私たち四人もちょっとしたレストランで、折角だからみんなで同じコース料理を食べた。最初にお金を持ってるのかと失礼な事を聞かれたけど、そこは料金の前払いをして、こっそりギルドカードを見せて、やり過ごしました。
……まあ大人のいない子供四人組なので警戒されても仕方ないけど、レストランのスタッフはもう少し言い方とか、目つきに気を付けて欲しい。教育にも悪いし。
レストランでのメインディッシュだったビーフシチューは、ででーんっ、とでっかいお肉の塊がお皿に乗って、申し訳程度に茹でた人参とブロッコリーが添えられて、お皿を彩るようにソースがかけられたおしゃれなものだった。
姉さんの表情は、これじゃないとはっきり訴えていたが、食べてみればお肉はスプーンでも切れるほど柔らかく煮込んであっておいしかった。
家庭的なビーフシチューはまた別の機会に私が作ろうと思う。
さて食事をして帰ってきた私がまず何をしたかと言えば、料理だ。
ビーフシチューを作ったのではなく、ちょっとした小腹を満たす程度の料理だ。
普段は食べられない贅沢な食事は楽しいし美味しいんだけど、家に帰ると落ち着いた庶民的なもので口直しをしたくなる。
レストランに行った私たちもそうだし、帰ってくる親父たちもきっとそうだろう。
そんな訳で、ご飯を炊いてお茶漬けを作りました。
我が家はみんな朝食に限らず三食パン党なので、白いご飯が食卓に並ぶ日は少ない。
試しに一回出してみたら、今日は機嫌が悪いのかと心配されてしまった。ちゃんとご飯が進むおかずも用意したのに、まったく受け入れてもらえなかった。
それ以来、ご飯はパエリヤやチャーハンなど味のついた料理として出している。
しかし私は白米が好きだ。
何の味もついていない白米を、おかずと一緒に食べるのが大好きだ。
なので我が家の食卓に白米革命を起こそうと思う。今回のお茶漬けはその第一歩ともいえる。
ご飯自体はけっして嫌われていない。
いつぞやの焼きおにぎりもそうだし、パエリヤを作ったときは六合分のご飯で作ったのに、他にもおかずは作っていたのに、綺麗に奪い合って完食したし。
……ちなみに、多めに作って残りは明日の朝食にして楽をしようとした私の目論見は、その時崩された。
美味しく食べてくれるのはうれしいんだけど、作った側としては本当にうれしかったんだけどっ……。
ともかく味がついていればご飯自体は受け入れてもらえる。だから飲み会帰りに食べたいホッとする食べ物マイランキングで上位に入るお茶漬けを、まずは受け入れてもらう。
今後は鍋の後に雑炊をつくったり、あとはふりかけを常備したりして、白いご飯と何かを一緒に食べる幸せを家族に知ってもらうつもりだ。
かくしてご飯を炊いて、お茶とお茶漬けの具を用意して親父の帰りを待った。
海苔などの海産物は極端に手に入りにくく高価なので無いのだが、緑茶や梅干し、ワサビは手に入る。
梅干しは私以外に食べる人がいない不人気食材だが、お茶で薄めれば大丈夫だろう。
種を抜いてほぐし、トッピングした。ワサビは私と親父のにだけ使用する。他の具材は天かすと、干した川魚のほぐし身を用意した。
やはり海苔が無いので彩りが寂しい。
仕方ないので、家庭菜園からバジルをとってきてみじん切りにして散らしてみた。
正直、何か間違ってしまった感は否めない。三つ葉とかがあればよかったのだが、家庭菜園では作っていないのだ。
商業都市には大きな塩湖があるし、守護都市は何年かに一度遠征に出てその際には海に立ち寄ることもあるとのことだから、その時はなんとかして海苔を手に入れよう。
……塩湖に、海苔ってあるのかな?
余談が長くなったが、お茶漬けの準備が整った頃合いに、親父たちは帰ってきた。
その時の次兄さんの様子は、なんだか気落ちしてるなーと思うぐらいだった。
二人とも帰ったらまずはお風呂に入って、上がったところでお茶漬け用意したんだけど食べるかと聞いたら、食べるという事で、五日ぶりに家族全員で食卓を囲みお茶漬けを食べた。
食べないと答えたら無理やりにでも食べさせるつもりだったので、良かった良かった。
お茶漬けはまあそんなに不評では無いといった感じで受け入れられ、その後は親父が持って帰ったお土産をつまんでいった。
親父がお土産なんて粋なものをっ、と不覚にも感動してしまったのだが、ホテルの人がもたせてくれたらしい。うん。納得した。
中身はチョコレートと紅茶だった。チョコレートは預かっている子供たちに振る舞える量では無いので、今夜中に処分しようと思う。
妹や私はそろそろ眠りにつく時間だが、今日は特別という事でチョコレートをつまみながら麦茶を飲んだ。
子供が夜中にカフェインを摂るのはどうかと思うので、紅茶の方は明日の朝ごはんの時に出します。
いい加減に本題に移ろうとは思うが、食卓での話題は当然のことながら皇剣武闘祭だった。
興奮した妹がわーわー言って、ついでだからと親父に道場に通わせてもいいかなって話をしたら、意外な事にすんなりオーケーが出た。
「反対するかと思ってたんだけど」
「しても無駄だろうからな」
なんともやっつけな理由だった。
ともかくそんなこんなで話は盛り上がって、その時までは次兄さんも少し元気が無いだけで特別に変なところも無かったのだけれど、話題が決勝戦の、それも優勝したケイ・マージネルという女の子の事になった際に、変化があった。
「そういえば、帰りにそのケイにあったぞ」
親父がそう言うと、妹を筆頭に目をキラキラ輝かせて家族みんなが興味を持った。
身近な人が有名人に会ったって聞くと確かになんでかテンション上がるよね。いや、親父も有名人なんだけど、それはそれとして。
親父は妹の勢いに気圧されながらも、ケイの事を話す。道端でばったり会って、古い知り合いがケイに雇われていたとか、その程度の短い内容だった。
新旧のチャンピオンが出会ったんだから何か面白おかしいイベントでも起きたのかと思ったが、そんな事は無いらしい。
まあ親父が起こすイベントはたいがいお財布に優しくないので何も起きないならそれはそれでいいのだが、妹たちはちょっと不満そうだった。
「あたし、あたしも会ってみたいっ」
妹がそう言うと、親父は少し困ったように眉を寄せた。
「無理だな。俺はあの家に嫌われているからな」
「いや、まあ嫌われてなくても優勝者は色々と忙しいだろうから無理じゃないかな」
「それもそうだろうけど、お父さん何やったの?」
「うん? ああ、たいしたことはしてないんだがな……」
姉さんに聞かれて、親父が昔を思い出すようにぽつぽつと語り始めた。どうせ碌な理由ではないだろうから話題を逸らそうとしたのだが、失敗してしまった。
あまり話が得意でない親父の言葉を要約すると、こんな内容だった。
九年ほど前、親父がまだ現役だったころ、どこかの誰かさんのような無鉄砲で生意気な子供がギルドにやって来たとのこと。どこの誰かはツッコみません。親父がちょっと寂しそうにしてたけど、それにももちろんツッコみません。
さてその時に親父が何を言われたかはもう覚えていないそうだが、子供の挑発に乗って親父は仕事場にその子を連れていったらしい。
そして空気を読まず常識のない親父は小さな子供を連れて荒野の奥に進んだらしい。それは今の私では受けられないような高難度の上級者向けミッションです。
そしてそれはクライスさん達でも受けられません。
日帰りすることもできない危険で命がけな狩りに十日近く連れまわして、帰ったころにはとても素直ないい子になったという話だった。
明らかにそれ児童虐待だよねというツッコミは、心の中にしまい込みました。
そして守護都市に帰ったらすぐさまマージネル家の上級戦士たちに囲まれて、大乱闘が発生。
その時、親父は子供をさらいに来たのかと思って全力で戦ったらしい。
結果として上級戦士たちの屍の山(比喩的な意味です。きっとそうに違いありません)が出来上がり、一通り暴れて満足した後で、その子供がマージネル家当主の大事な孫だと聞かされたとのことだった。
「あれ以来、マージネル家の縁者には嫌われてな。顔を合わせると必ず舌打ちをされる」
喧嘩で勝てないからって、なんて地味な抵抗だ。いやそうじゃなくて。
「そんな事したなら嫌われて当然だと思うけど、もしかして――」
「――その子供って、ケイ・マージネルじゃあないの?」
私が口を濁した疑問を、兄さんがはっきりと言葉にした。
「いや。名前は覚えてないが、その子は男の子だったな。髪も赤かった」
そっか。まあそんなもんだよね。
年齢的には当てはまるけど、名家って呼ばれるところは子だくさんなのが普通らしいから、同年代の兄弟や従兄妹もいるだろうし。
それに子供のころに荒野で危険な思いしたのなら、トラウマになって荒事とは違う生き方選ぶだろうし。
「そう、それでカインはそのケイに何か言われたの?」
唐突に、兄さんがそう言うと次兄さんの肩が大きく震えた。
次兄さんの魔力は悲しさや苦しさで溢れている。
……私に与えられた魔力感知と言う異能は人の感情を読み取るが、それが何に起因し、またその感情から何を考えているかまでは読み取れない。
次兄さんはなるべくその感情が表に出ないようにしていたが、嫌な思いをしたんだろうなというのは私も察していたし、親父も勘付いていた。
私はどうしたもんかなーと考えてはいたものの、具体的には何もせず態度保留にし、親父はケイがらみの話題で探りを入れていた。
大人二人が聞きあぐねる中、兄さんははっきりと正面からそう聞いた。
「べつに、何も言われてねーよ」
「何もってことは無いんじゃない? いいから話してよ」
「なんでもねーって言ってんだろ。もう遅いし、俺は寝る」
「ちょっと、カイン!」
そう言って、次兄さんは逃げるように食卓から離れていった。
それから一週間、次兄さんは表面的には普段通りに過ごした。
家事を手伝ったり、預かっている子供たちの面倒を見たり、それらの合間にサッカーや、雨の日には家の中でトランプなどのゲームをして、読み書きや計算、歴史なんかの勉強会にもちゃんと真面目に出た。
ただし道場にはけっして寄り付かず、もともとあまり顔を出さなかった魔法の勉強会も、一切受けることは無くなった。
いい加減どうにかしなきゃいけないけど、どうしたらいいかわかんないなーと悩んでいたら、事態が動いた。
◆◆◆◆◆◆
俺には小さい頃の記憶が無い。
三つより前の記憶だ。
覚えている一番古い記憶は今の親父、英雄ジオレインの大きな腕に抱えられていたことだ。
親父が本当の親父で無い事を知ったのはわりと最近で、俺もセージやセルビアたちと同じように拾われた子供だった。よくよく考えればマギーだってそうなんだから、俺もそうなのは当然のことだった。
ただそれでも騙されたような気がしてアベルに文句を言ったら、いいじゃないか。父さんは父さんなんだからと、困ったような変な顔で、よくわからないことを言われた。
俺が親父を本当の親父だと思っていた理由は、多分きっと簡単だ。
親父に抱きかかえられた一番昔の記憶が――赤い色に染まるすべて。倒れている大切なダレか。泣いているニイチャン――とても安心できるもので、とても大事な思い出だからだろう。
そして血のつながりが無い事を知ったことで、俺はより一層強く親父のような男になりたいと、憧れた。
その憧れが叶わないという事を、もう俺は知っている。
ケイは綺麗な女だった。エルフのアリスやホテルや闘技場であった着飾った女性も綺麗だったけど、ケイはそれとは全然違う美人で、眩しいぐらいの魔力だった。
ケイは親父だけを見ていて、そして俺を見たときは、はっきりと見下していた。
お前みたいなのがジオレインの子供なのか。
お前みたいなのが、ジオレインの弟子なのか。
そう勝ち誇って、嘲笑っていた。
きっとセージなら、親父と一緒に行くべきだったセージならば、同じように出会っても親父に恥をかかせるようなことはなかっただろう。
「……はぁ」
俺はため息を吐いた。
アベルもマギーもセルビアも、そして親父やセージも心配している。
親父と泊まったホテルの中はどこを見ても豪華でキラキラで、絵本の中でも見たことないような世界が広がっていて、出てくる料理はどれも食べた事のない味で。
何もかもが新鮮で特別で、それが全部セージのためにあったんだと思えば、吐きそうな後悔に襲われた。
その特別な時間はセージが特別だから手に入ったもので、あいつが頑張っていたから与えられたもので、俺はそれを奪ったダメ兄貴なんだと思い知らされた。
俺はもう、親父のようになるのは諦めよう。
それがきっと、家族に迷惑をかけない一番の方法だ。
******
「親父、俺はもう道場にはいかねえ」
「……お前が受けたいと言って始めた事だろう」
思い立ったが吉日なんて言葉は知らないが、カインはその日の夕刻にジオの元に赴き、宣言をした。
預かっている子供らも帰り、人気のない道場で二人は向かい合う。
ジオはカインの宣言に対し、ひとまずはその真意を聞こうと質問で返した。
「悪い。でもアベルみたいにバイトして、十五になるまでにはちゃんと仕事見つけて育ててもらった恩は――」
「そんな話はしていない」
「っ!!」
カインの言いように軽い苛立ちを感じて、ジオの声に僅かな棘が混じる。
これぐらいのことで魔力の制御を間違うことは無いが、もともとの目つきが悪いジオなので、声が固くなればそれだけでそこそこの威圧感を生んだ。
「あの子に笑われたのが、そんなに気になっているのか」
「それはっ、あるけど……それだけじゃなくて、俺は馬鹿だから……」
そこから先は言葉にならず、カインは俯いて押し黙った。
「セージのようにはなれない、か?」
「……!!」
カインは思わず顔を上げ、ジオを睨んだ。
「俺も、あいつにはなれん。だが……そうだな、ちょっと待ってろ」
そう言って、ジオは道場から出ていった。
居心地悪く、そわそわと待っているカインの元にジオが戻って来た時、当のセージとそしてアベルを連れていた。
反射的に逃げ出したくなるカインだったが、ジオたちに見据えられて、逃げるに逃げられなかった。
「セージ。カインと立ち合え。全力でな」
「……親父、何が何だかわからないからまず説明してくれない? いや、そもそも僕は夕飯を作ってたから後にして欲しいんだけど……まあ、いいか」
セージは半眼で不満を漏らしていたが、カインの目を真っ直ぐ見つめると、諦めたような、腹をくくったような声でそう言った。
料理中だったセージはエプロンをはずして身支度を整え、カインと木剣を構えて向かい合う。
「それで父さん、何をさせるつもりなの?」
二人から少し離れたところで、審判役のジオの隣に立ち、そう聞いたのはアベルだった。
「特に何という訳ではないが、悩んでいるときは体を動かすものだろう」
「……本気で言ってるよね、それ。まあでもそれぐらいしかないか」
脳筋と言う単語を必死で抑え込んで、アベルはそう言った。
「カインにしろセージにしろ、変な遠慮があるからな。一度本気でやりあえば変わるだろう」
「……」
黙りこくったアベルにジオは片眉をわずかに上げるだけで、どうかしたのかと尋ねる。
「いや、父さんもちゃんと考えてるんだなって、そう思って」
感心したと漏らすアベルに、ジオは口元を僅かに歪めて憮然とした感情を表す。その気持ちを言葉にするならばどうせ俺は馬鹿だといったところだろう。
アベルは苦笑しながら、今度セージに父親の事をあまり馬鹿にしないようにと注意することに決めた。
和やかな雰囲気の二人が見つめる中、セージとカインの立ち合いが始まる。