46話 皇剣武闘祭
「おう。よく俺の前に顔だせたな、セージ」
「……ぉおお」
クライスがあらわれた。
・たたかう
→にげる
・あやまる
・どうぐ
私は〈にげる〉をえらんだ。
ダダダダダダダっ。
「おいっ! いきなり逃げるんじゃねぇよ」
しかしクライスにまわりこまれた。
私はにげられなかった。
「ちょっと二人とも、ギルドの中ではしゃがないでよ。私が怒られるんだからね」
アリスさんに叱られてしまいました。
******
親父たちを見送って一日後、いつもの守護都市のギルドです。
皇剣武闘祭の本選が開始されたのでいつも以上に人がいません。
この世界にテレビなんかは無いのだけど、魔法でリアルタイムに映像を遠くに送ることはできる。
機密性の高い軍事魔法だということとコストパフォーマンスが悪いということで、一般に普及される類の技術では無いのとのこと。
でも今回の皇剣武闘祭のような国を挙げた一大イベントでは惜しみなくその魔法が使われて、公営私営を問わず守護都市や政庁都市にある多くの施設でパブリックビューイングがなされている。
そして守護都市のギルドはその多くの施設に含まれていないので、人がいません。
それはさておき親父たちが出ている間は家の事に専念しようと思ってたんだけど、いかんせん私の財布も貯金も寂しい感じです。
政庁都市で日雇いの仕事をする前に、出来ればビッグにお金を稼げないかなーと欲を出してこっちのギルドをのぞいたら、ものの見事にクライスさんに出くわしました。
「なんで逃げんだよ。そこまで怖い声出してねえだろ」
怒るというよりはショックを受けているといった様子のわずかに震えた声で、クライスさんがそう言った。
……もしかして、傷ついてる?
「いえ、ちょっと心構えが出来ていなかったので、つい」
追加で申し訳なさが心に浮かんできたので、素直に謝った。
「おう。いや、俺も事情は聞いてたから責める気は無かったんだがな。悪かったな、あいつらにちゃんと口止めをしてなくて」
「あー……、まあいつかは知られてしまう事なので」
中級に上がったこともあるが、政庁都市でそうだったように私のような子供が頻繁にギルドの仕事を受けているのは目立つ。
ギルドメンバーにはお互いの事情に詮索しないなんて不文律があったりするが、それにも限度があるだろう。
さらにはギルドに出入りする際には、不文律に興味も無い一般の人たちから好奇の視線を向けられていた。
ミルク代表をはじめ身近なところには口止めをしていたが、それでもばれるのは時間の問題だっただろう。
実際、家に子供を預けに来ているお母さん方の中にも知っている人はいたし。
ちょっとタイミングが悪かったけど、そのことでクライスさんを責める気は毛頭ないというか、そんな資格は私には無いわけで。
「ホントはお前の家族全員分用意するつもりだったんだけどな。そうすりゃ揉める事もなかったろうし」
「そこまでしてもらう訳には……それに、家の仕事をほっぽり出すってわけにもいきませんから」
道場の方はともかくとして、託児の仕事は五日間も休むわけにはいかない。
格安でやっている家以外のところには、預ける余裕が無いって家族もいくつかある。
特に今は人が多くて客商売は稼ぎ時を迎えているので、出来れば今週だけでも休みはとらないで欲しいなんて要望もあったくらいだ。いや、休みは欲しいから断ったんだけど。
「皇剣武闘祭の方は四年後を楽しみにさせてもらいますよ」
その時はちゃんと、自前のお金で家族全員が見にいけると思う。まあその時は一番安い席で、豪華ホテルに泊まれる特典なんかも付けられないだろうけど。
「ああ、そうだな。俺も四年後を楽しみにしてるよ」
……?
まあここにいるんだから今年の皇剣武闘祭は見る気ないって事だろうけど、……ああ、そうか。
私と親父のチケットを用意するために無理したから、自分の分が手に入らなかったんだな。
……今更だけど、ホントに悪いことしたなぁ。
「なに今から落ち込んでんだよ。つーか、ここに来たって事はまた金がねえのか? アリスみたいにカジノで有り金全部無くしちまったとかか?」
「ちょっとクライスっ!」
え、アリスさんそんな事してたの。
「それは黙っててって言ったでしょ」
「ああ、悪い悪い。それでアリスが今ここにいるのってよ、同僚に今月の生活費貸してもらう代わりに非番日変わってもらったからなんだぜー。笑えるよなー。ちょっと前までデートの約束があるのー、って浮かれてたのによ。たぶんのろけ話が多くてうざいとか思われてたんだぜ」
「クライス!!!!」
ははは。なんだか困った話を聞いてしまって、乾いた笑い声が出た。
「おう、ようやく少しは笑ったな。いや、身を削った甲斐があったぜ」
「身を削らされたの私よね! 笑い話なんてたくさん持ってるくせになんで私の事ネタにするのよ!!」
「ははは。すいません、気を遣わせてしまって。しかしアリスさんには良い人がいたんですね」
私がそう聞くと、クライスさんが面白そうに片眉を上げた。
「おっ。気になるか?」
「ええ。是非その男性に会った際には、アリスさんにされた数々の(性的な)行いをご報告させていただこうかと」
「ちょっと待って、それはホントに待って。良い人なんていないんだけど、それは誰にも言わないで」
カッコ枠の中は、口にせずともしっかりと伝わったようでアリスさんは大いに慌て、私とクライスさんはそのまましばらく談笑した。
ちなみにお仕事は見つからず、素直に政庁都市で日雇いのバイトに精を出して帰りました。
なんだか元気の出る一日でした。
◆◆◆◆◆◆
皇剣武闘祭本戦。
初日に一回戦が行われ、二日目からは二回戦と順位決定戦が行われる。
一人の選手が戦うのは一日に一度だけで、中休みなどは無く連日の試合となる。試合の合間にはダンスなどのショーも行われ、なるべく観客を飽きさせないような工夫が行われていた。
ジオとカインは特別グレードの高い席に座り、当然のように隣の席に座っているアーレイとともに観戦をしていた。
「見るのは初めてだが、随分と様変わりをしているな」
「そうかい」
「ああ、俺の時は一日に二、三試合していたぞ」
アーレイは少しの間、無言になった。
確かにジオの試合は二日目、三日目に連続して行われることがあった。
運営側はジオの遅刻によるものだと言っていたが、それがジオに対する妨害工作の類だったのは周知の事実だった。
ジオはその妨害を実力だけではねのけるためにあえて抗議をしていないのだと噂されていたが、どうやら何も知らず運営の口八丁にだまされていただけらしい。
「ジオは実は素直な人間だよね……」
「ん? どういう意味だ?」
「……優勝経験のあるジオは凄いねって言ったんだよ」
詳しい説明はしたくなかったのでアーレイがそう言うと、ジオはそうかと短く答えた。いつものぶっきらぼうな返事が、心なしか嬉しそうに聞こえた。
「なあなあ親父、アレなんて技だ」
「衝裂斬変異・地裂だな。まあ地裂斬でいいぞ。見ての通り地面に裂け目をうむ。
鈍重な魔物にはいいが、疾空が使える上級の人間相手に使う技では無いな」
カインは楽しげな様子で試合に熱中し、ときおりジオに解説をねだった。それに対しジオの方も普段よりもよほど饒舌に応える。
「あいつ動き悪いけど、どうしたんだろーな」
「前の試合の疲れが残っているんだろう。あるいは、差し入れの弁当でも食べたか。
……皇剣武闘祭に出ると朝早くから準備しておけと呼びつけられるんだが、試合が夕刻と言うのも珍しくなくてな。
しかもトイレ以外で控室から出てはいかんとかで、腹が空く。そんなときにファンだという女が差し入れに持ってくるんだが、その弁当は食ってはいかん」
「へー、なんでだ」
「腐った肉でも使ったのか、腹を壊した。おかげでその日の試合は随分と苦戦した」
「なんだよそれー」
げらげらと笑うカインだが、ジオの表情はいたって真面目だった。
試合開始よりもはるかに早い時間に呼び出されるのも、その後ずっと拘束されたのももちろん妨害工作だ。
さらにファンの女性(飛び切りの美人)は工作員で、差し入れには常人なら致死量の猛毒が入っていたのだが――
「君が初優勝した時の、準決勝の試合かな? その時の対戦相手は随分と株を上げていたけど、そんな理由だったんだね」
――ツッコミは不在だった。
カインはもとより、皇剣武闘祭に出場経験があるわけでは無いアーレイにも真相を察することは出来なかった。
ただしここは観客席の中でも最もグレードの高い場所である。
見晴らしはもちろんいいが、それだけでなく身内だけでのんびり見れるよう個室のようなブースまで備え付けられ、手を上げるだけで即座に見目麗しいスタッフがやってきて飲食を無料で楽しめたりもする。
そんな中でジオたちは個室のブースでは無く共用のテラス席中央を陣取っている。
英雄とエルフの代表という事を加えなくても目立っていた。
その結果として試合そっちのけでジオたちに興味を示している者も多く、この場にいる人物は皆上流階級の人間だった。
そしてその中にはジオを政敵と見定めていた家の人間も、いた。
しかしジオが敵視されていたのは昔の話で、聞き耳を立てていた人物たちもあくまで興味本位だった。
もしも敵意などを向けていれば、悲惨な目にあっただろう。
そんな彼らはある思いを持って、苦しんでいた。
彼らは皆、口に出したくても出せない言葉を胸の内で暴れさせていた。
それは違うから、妨害工作だったからと、ツッコみたくて仕方が無かったのだ。
そんな感じでジオたちの外泊中も大きな問題も起きず、穏やかに時間は過ぎていった。
皇剣武闘祭の二日目以降は英雄のジオが観戦に来ているという事が知れ始め、勇敢な新聞記者や召し抱えようと画策する様々な都市の有力者たちが訪れ、一睨みで帰っていくなんてシーンがあったくらいだった。
そして三日目には騎士候補生のレストやハリーが父親を連れて現れて、のんびりと一緒に観戦した。
◆◆◆◆◆◆
皇剣武闘祭の三日目で親父たちの外泊四日目。
特に何か問題が起きたわけでは無いのだけど、何か問題起こしてないか心配で仕事帰りにちょっと様子を見に行きました。
いつものラフでボロな守護都市ファッションではホテルにも入れず門前払いを受けそうなので、いつぞやに百貨店で買ったおしゃれ着の出番です。
本当は礼服とか着てこれればよかったんだろうけど、自分の分を買う余裕はありませんでした。
ホテルではギルドカードを使い、まずは次兄さんの弟だと説明してから親父に取り次いでもらおうかと思ったのだが、そんな手順を踏む必要もなくなった。
「やあ、セージ君。何かあったのかな?」
「いえ、特には何も。どうしてるかなって思って様子を見に来ただけです」
ばったりとホテルのロビーでアーレイさんに会ったのだ。
準決勝を見終わった後、アーレイさんは仕事で別行動をとっており親父たちは先に帰ったとのこと。
折角なので驚かせようという事で、そのままアーレイさんと一緒に親父たちの部屋がある階まで上がっていく。
部屋に着くまでの話題は当然のことながら、皇剣武闘祭に関するものだ。
「今日の準決勝は波瀾の展開でね。優勝候補だっていう子が全員敗けて、決勝に勝ち進んだのはノーマークだった上級下位と中級上位の子だったんだよ」
そうなんですかと、相槌を打つ。
上級の人の中には皇剣に興味が無い人も多いらしく、本選に中級の人が出ることも珍しくは無いらしい。
とはいえ今朝の新聞(新聞は原則週一なのだが皇剣武闘祭中は毎朝届く。いつもよりだいぶん薄いけど)では、中級の人が準決勝まで進むのは親父の時以来の快挙らしいと報じていた。
その新聞では新世代の魔人だ、なんて見出しでその人の特集が組まれていたくらいだ。
もう片方の準決勝戦の組み合わせはさらっと流されていたけど、そちらも覚えている。
上級上位と上級下位の組み合わせで、実力差がはっきりあるので上級上位の方が勝つだろうなんて予想がされていた。
それが覆ったんだから、確かに波瀾の結果だ。
「新聞で見ましたけど、二人とも若かったですよね」
「君が言うと違和感があるけど、そうだね。十四歳と十九歳で、一人はかわいい女の子だよ」
そんな話をしながら、部屋の前までたどり着く。
ちゃんと部屋の中にいるかなーと思いながら魔力感知を伸ばすと、僅かな抵抗を覚える。
荒野のノイズみたいにちょっと見づらい感じだ。
まあ多少画質が荒いという程度なのでそこは問題無いのだけど、別の問題があった。
「…………なにやってるんだろう、あの馬鹿親父は」
もしこれを見たら姉さんが泣くぞ。
……ああでも、親父も男だもんな。
「入らないの?」
「ああ、いえ……」
アーレイさんの問いかけに言葉を濁してしまう。
部屋の中には親父と次兄さん以外にもお客さんがいた。いや、多分お客さんは親父たちなんだけど。
豪華で広いスイートルームの中には十人近い女性がいた。
魔力感知では視覚的に見えるわけではないが、それでも胸元や背中に布が無く大きくはだけている肌色多めな衣装なのは把握できる。
いわゆるコールされてきたガールさん達だ。
親父は慣れた様子でそんなお姉さんたちからお酌を受けていて、次兄さんは別の豊満なお胸のお姉さん二人に挟まれて顔だけじゃなく全身真っ赤になりながらも、まんざらではなさそう。
飲んでるのはちゃんとソフトドリンクだった。まあそれ以外に問題がある状況だけど。
どういうお金の使い方をしてるんだとちょっと腹は立ったが、どう考えても私の上げたお金では足りない派手な遊びっぷりだ。
親父が借金してるとも思えないけど……と、そこでいつぞやのギルドでのやり取りを思い出す。
親父から指導を受けるのは私の想像以上に大きなビジネスだった。
そしてこの皇剣武闘祭を観覧している人の中には親父のファンも多いだろうし、そういう人たちに暇な時間に稽古をつけてお金を貰ったりとかしたのだろう。たぶん。
もしそうだとしたらちょっとは家に持って帰ってくれとも思うけど、今やっているような遊びは家ではできないし、やろうとしても断固阻止する。
姉さんが悲しむだけじゃなく、他の子たちの教育にも悪いし。
ただしだからこそ、こんな時くらいは羽を伸ばさせてあげてもいいかもしれない。よくよく考えれば親父もまだまだ若いんだし。
「……セージ君?」
「やっぱり帰ります」
常日頃から口うるさく小言を口にしている私が入っていけば、空気を悪くしそうだし。
とはいえ最低限の釘ぐらいは刺しておこう。
「親父には子供の教育に悪い事をしないようにと、伝えておいてください」
◆◆◆◆◆◆
セージの言葉の意味は解らないまま、アーレイはジオの泊まる部屋の扉を開いた。
当然のように鍵はかかっていないが、この部屋に強盗に入るような命知らずはいないだろうし、いたとしても命からがら逃げだすか、逃げ出せなくて悲惨な事態になるのがオチだ。
扉を開けると、むせ返るような酒臭さがアーレイを襲った。
部屋の中にはジオとカインだけでは無く、大きく肌を露出させたドレスに身を包む女性たちがいた。
あまりそちらの分野に詳しくないアーレイだったが、この女性たちが娼婦か、それに近い職業だという事はすぐにわかった。
「何をしているんだ君たちは」
怒気を含めたアーレイの声に、ジオは肩をすくめた。
「前に知り合った小僧の親がよこして来た。まあ酒はうまいから文句は無いだろ」
そう言って、ジオはグラスをあおる。空になったそのグラスに、そばに侍る女性がすぐに新たな酒を注いだ。
「アレイジェス代行様もどうぞこちらに。お二人とも明日には守護都市にお帰りになられるとかで。
その最後の一夜を、ヴェルクベシエスの御当主様がわずかばかりにでもお楽しみいただこうと、わたくしどもを派遣したのです」
しなを作って触れてくる女性の手を、アーレイは払った。
エルフの中ではそれなりに柔軟な考えができるようになったアーレイだったが、根の部分で気位が高い事は変わっていない。
人の欲を見抜こうとする女性の視線や、言葉や態度の裏にひた隠しにされた下心と言うのはアーレイが最も嫌うものであり、そんな女性に肌を触られるのはおぞましいと忌避するものだった。
ちなみにその類の女性に言い寄られる機会が多いアーレイであるため、一部の界隈ではゲイだと噂されていた。
さらに彼に近しいとあるギルドの受付嬢(妖精種)も否定しないことが、その噂に真実味を加えていた。
「目障りです。帰りなさい」
「……おいおい」
ジオが呆れたようにそう言った。確かに女性たちからは面倒事の匂いがする。
ジオの勘は帰らせてもいいと判断している。だが帰らせれば酒も無くなる。
女性たちが持ってきたお酒はどれも超一級の高級酒で、その内の数本はセージの年収に匹敵するほどでもあった。
折角それがただで飲める機会を手放すのも、やはり惜しいと思っていた。
「……セージ君が来てたよ」
「よし帰れ。お前ら今すぐ帰れ」
ゆったりとしたソファーに預けていた体を起こし、直立不動の姿勢となったジオがそう言った。
そしてすぐさまその手で片付けを始める。
呆気にとられる女たちが、指示を仰ぐようにアーレイに話しかけた女性に視線を集める。
手際良く片付けを行うジオを意外に思いながらも、その焦りようから分が悪いと女性は判断した。
速やかに女性たちが撤収した後、改めてジオはアーレイに尋ねる。
「それで、セージはどこにいる」
「帰ったよ。この部屋の様子を察したみたいだったね」
「……」
しばし無言になるジオ。
それなら飲み続けても良かったんじゃないだろうかと思ったが、そんな気分では無くなったのも事実で、まあいいかとそう思った。