44話 コソ泥のカイン~~IF~~
暴力表現、残酷な描写があります。苦手な方はお気を付けください。
「カインっ! どこ行くの! 家の手伝いがあるでしょ!」
「うるせーババア! 俺の勝手だろ!」
その日の朝、カインは義姉であるマーガレットの静止の声を振り切って外へと続く門を駆け抜けた。
今年で十歳になるカインは才気豊かな少年だった。
尊敬する養父とその弟子が運営する道場で八つの時から剣を習いはじめ、実兄であるアベルにこそ未だ及ばないものの、そのアベルと同年代である年上の門下生には負けない実力を身に付けていた。
そんなカインはしかし、剣の訓練に飽きを感じはじめていた。
このまま真面目に訓練を続ければ、ギルドに登録するであろう十五歳になるころにはアベルにもきっと追いつける。
でもきっと自分は養父のようには成れないし、大嫌いな弟子に追いつくのにだって長い時間がかかるだろうと、気付き始めていた。
そしてそれまでずっと、あの嫌な弟子に小言を言われるのは我慢が出来なかった。
「どこへ行くんだ、カイン。今日は午後から訓練のはずだぞ」
門を出てすぐに、カインはその嫌な弟子に出会った。
弟子はいつものように血の繋がらない義理の息子を連れていた。
「昼までに帰ればいいだろ。いちいちウルセーんだよ、アンタは。
いつもみたいに泣き虫ジェーンのお守してろよ」
「……僕は、セイジェンドです」
カインの言葉に、弟子の後ろに隠れていたセイジェンドがそう言った。
セイジェンドはカインの養父ジオレインの弟子であるクライスの養子だ。
セイジェンドは六歳で、三年前に父親を亡くしてからカインの家に預けられ始めた。
そしてクライスはセイジェンドの死んだ父親の教育役をしていた時期があり、女一人子一人になったセイジェンドと母親を心配してあれこれと世話を焼き、いつの間にかその母親と結婚して、そしてカインの家にも顔を出すようになってきた。
当時、カインの家は理由はよくわからないが貧乏だったのだが、しかしクライスがあれこれと口を挟んでそうではなくなった。
そして良く知らぬうちにクライスはギルドの仕事を辞めて、養父に弟子入りしてカインの家で働くようになっていた。
つまりセイジェンドがカインの家に預けられていなければ、この口うるさいクライスはジオレインの弟子にはならなかったのだ。
「――っ」
カインがなにも言わずに睨むと、セイジェンドは怯えた様子でクライスの後ろに隠れた。
それが小気味よくて、カインはセイジェンドを嘲笑った。
「けっ、なさけねぇなジェーン」
「僕……は、セイジェンド、だ」
クライスの陰に隠れたまま、しかしセイジェンドははっきりと言い返した。
セイジェンドの母親はもの凄い美人で、その血を受け継いだセイジェンドも優れた容姿をしていた。
ただそんなセイジェンドは幼い事もあって美少女と間違われることも多く、それを嫌がっていた。
だからカインはセイジェンドをジェーンと呼んでからかっていた。
「カイン、あまりうちの子をいじめるな」
「べつにイジメてねーよ、じゃーなジェーンちゃん」
見かねたクライスが口を挟むが、カインはまるで相手にせず走って去っていった。
カインは適当に街中をぶらついていた。
今は政庁都市と言う連合国でも立派な都市に繋がっていて、おいしいカモがたくさんいた。
気心の知れた友人たちと一仕事を終えて、政庁都市で美味い飯を食べる。
昼はとっくに過ぎていたが、義姉が作る不味い昼飯を食べに帰る気は無かった。
そのまま適当な路地でたむろして雑談をしていたら、やけに態度のでかい年上の二人組に因縁をつけられた。
その二人組は年上で体も大きかったが、身に付けた装備は新品で、態度にしても無理してでかく見せているのが丸わかりで、そして何よりはっきりと大した魔力を持っていないとわかった。
カインは友人たちとそのド新人を囲んで、きっちりと教育してやった。
「ハンターの新人ってやっぱレベル低いな。さっきの奴らみたかよ? ろくに殴り返せもしないのに半泣きで睨んでてさ、すげー笑える」
カインは身ぐるみを剥いだ二人を思い出し、気持ちよく笑った。
クライスはお前なんかまだまだだと、もっとまじめに訓練しろと口を酸っぱくして言うが、十歳の俺はもうそこいらの新人よりも強いと、気持ちよく笑った。
「カインさんから見たらみんなザコっすよ。なんたってあの英雄の息子なんですから」
「はははっ! まあそれほどでもあるけどよ」
仲の良い友人たちと気持ちの良い会話をしながら、しかし酔いが回ったような頭の中にふと、よぎるものもある。
それでも自分はアベルより弱いし、クライスには手も足も出ないと。
「……ちっ」
知らず、舌打ちが出た。
急に不機嫌になったカインに周りは不安になったが、気にせず言葉を発した。
「オレ帰るわ。訓練する」
「ちょっと、カインさん。折角金が手に入ったんすよ。
そんなこと言わずに、日が暮れたらいい店が開くんすよ」
そう言ったのはカインの友人たちの中で最も年長の男だ。
年齢的にはアベルよりも年上で、守護都市の基準で言えば成人をしている。
その男がカインに敬語らしきものを使うのは、男よりもカインが強いからだった。
「あー、だめだ。日が落ちてから帰ると親父がキレんだよ」
カインがそう言うと、男が小さく『ガキが』と呟いた。それはカインの耳に届くほどの音量では無かった。
男たちはしばらくカインを説得しようとしていたが、段々と意固地になっていくカインを見て諦め、せめて金を置いて行ってくれと頼みごとをシフトさせていった。
カインはスリや置き引き、あるいは今日のように喧嘩に勝った相手からのカツアゲなど、犯罪に手を染めてお金を得ている。
それは遊ぶ金欲しさもあったが、それ以上に尊敬するジオが子供のころにそういった犯罪をしていたからだった。
またこの友人たちと付き合うようになってからは、この行いが騎士のような権力を振りかざす連中にへりくだらない、ヤバくて格好いいことだと誉めそやされるようになった。
それはカインの心をとても心地よく満たすものだった。
この事は、家族のだれも知りはしない。
クライスあたりが知っていれば、きっとこう諭しただろう。
ジオさんは生きるために仕方が無かった。遊ぶ金を手に入れるためにやっていた訳じゃあない、と。
「ねえ、頼みますよカインさん」
「……俺が手に入れた金なんだぜ」
口ではそう言いながらも、カインは持っていたお金をすべて男に渡した。
誰よりもジオを尊敬するカインは金遣いもジオをまねて荒く、手に入れたお金はその日のうちにすべて使い切るのが当然だと思っていた。
そこには家に持って帰ればいらぬ詮索を受けるという頭も働いていた。
「ありがとうございます。ほらお前らもちゃんと礼を言えよ」
いつも通り都合よく金をくれるカインに男は礼を言い、男の言葉に従って子分たちも頭を下げる。
その光景に気を良くしながら、カインは守護都市に戻っていった。
そんな日々を続けながら、それは起きた。
偶然と言えば偶然だろう。
それは百回に一回だけ引いてしまう最悪のババ。
運が悪かったと言えばそうなのだろう。
だが何度なく繰り返せば、いつかはその1%を引き当ててしまう。
つまるところ、この日そうだったというだけの話だ。
その日もカインは友人たちといつものように政庁都市を訪れ、手ごろそうなカモを見つけた。
カインよりもいくらか年上の女で、いかにもおのぼりさんと言った風で、きょろきょろと辺りを見回し落ち着きが無い。
女は立派な大剣を持っていたが、ピカピカの新品で使い込んでいるようには見えず、魔力量も大したことが無かった。
いつものように友人の一人が話し掛けて女の注意をひき、その隙にカインが財布をすりぬく。
あとは入り組んだ路地に入って逃げるだけの、ここしばらくのいつも通りの行為だった。
ただしその日は、いつも通りには終わらなかった。
「退屈しのぎに受けてみた仕事だけど、拍子抜けするぐらい簡単に終わっちゃったね」
女はぶっきらぼうな口調でそう言って、カイン達を見下ろした。
カインと友人たちは一人残らず痛めつけられ地べたに這いつくばっていた。
「あんたたちね、やりすぎてるのよ。ギルドに指名手配されてたよ。
それでこの中のリーダーって、誰?」
女は友人の一人である年長の男を見据えていたが、その男は弱弱しく目を逸らし、カインにすがるような目を向けた。
そのカインは一方的に打ちのめされて悔しさと怒りを覚えながらも、それ以上の敬意を女に向けていた。
女はおそらくだが十五にも満たないくらいなのに、その実力はカインを大きく上回っていた。
武器を抜くことも無く本気を出していないが、おそらく女の実力はクライスと同等以上だった。
同じに歳になればこれだけの実力を身に付けられるか。
きっと無理だ。
その事が楽しくて、カインは笑ってしまう。
この女はジオのような特別な存在だと肌で感じ取って、一目惚れした。
「俺だ。俺がリーダーの、ジオレイン・ベルーガーの息子、カインだ」
身体に走る痛みを堪えながら立ち上がり、笑みすら浮かべて名乗るカインを女がどう思ったかは、とても簡潔だった。
「……ジオレインの名前を出せば、あたしがビビるとでも思ったの?」
カインは咄嗟に否定をしようと思った。
そんなことを思った訳では無い。
ただ女があまりにも強かったから、少しでも釣り合いが取れるようにと背伸びをしようと思った。
それをそのまま口にしようとしたわけではないが、そもそもカインは言葉を発することもできなかった。
カインの胸元に、女の大剣が埋まったから。
いつの間に抜いたのかもわからないほどの、神速の一刺しだった。
「……ゴフッ」
発しようとした言葉は意味を形作ることなく、血とともに漏れる。
カインは呆気にとられながら心臓を貫く大剣を見下ろす。
流れ出ていく血がカインの服を汚していくが、不思議と女の大剣がカインの血で汚れることは無かった。
「お前らみたいなクズが、ジオレインの名前を騙るな」
急速に失われていく血と意識の中で、女の声が耳に残る。
「……抵抗するなら殺していいと言われてる」
女は自分に言い聞かせるようにそう零し、大きく一度、深呼吸する。
「あなたたちも、死にたくなければ行儀よくしておいてね」
女はカインの胸から大剣の切っ先を抜き、言葉だけは優しく、その場で震えている友人たちを睥睨した。
カインは最後の力を振り絞って助けてと声も出せずに友人たちに縋ったが、目を合わせてくれるものは誰もいなかった。
カイン・ブレイドホームはその日、死んだ。
◇◇◇◇◇◇
なんか、変な夢を見た。