43話 せめてもの抵抗
さてあれから数日がたちましたので、現在の状況を整理しようと思います。
クライスさんから貰った皇剣武闘祭本戦観戦豪華ホテル宿泊セットプランは、親父と次兄さんが行く事になりました。
兄さんに事情を説明すると、あの馬鹿はと珍しくご立腹いたしまして、宥めるのに苦労しました。
姉さんには事情を説明できないのでぼかしながら、僕ホントは興味なかったんだーと、クライスさんには絶対に聞かせられないセリフで何とか説得した。
説得したけど、やっぱり怒った。ただこの前の家出事件があるせいで、次兄さんに直接文句が言えず、悶々としていて機嫌が悪い。
黒姉さんだ。
怖いけど私以上に預かっている子が怖がっているので、頑張ってご機嫌取りをした。
正直、この二人への対応は親父と次兄さんにやって欲しかった。
次兄さんにチケットを譲ると決めたのはまあ良いのですが、ただであげるのは癪にさわ――、間違えた。教育上よろしくないと思うので、条件を出しました。
ついでに人のお金を勝手に取らないでと注意しました。ええもうこういうのは勢いが大事です。
出した条件は、親父と一緒に最低限のマナーを覚える事。
豪華ホテルでの宿泊ということで、テーブルマナーを覚えるのもそうだが、ホテルでは本戦開始前の前夜祭や決勝終了後の後夜祭もやって、結構偉い人や著名人も参加するらしい。
なので立ち振る舞いの礼儀作法……というと大げさだが、ひそひそと陰であれこれ言われない程度には、常識的な立ち振る舞いを身に付けて欲しいのです。特に親父に。
クライスさんはたぶん、親父は不参加を決め込むだろうからこういう格式高いチケットでも問題ないと思ったのだろうが、折角なので親父には参加してもらいたい。
いやね。親父は確かに騎士嫌いでお偉いさんが嫌いだけど、それは彼らに多くの嫌がらせをされてきた経験則による警戒心であって、根っこの部分では何の興味も持っていないというのがホントのところなのだ。
なのでホテルのパーティーに出てくるお偉いさん相手に文化的な装いと態度で接すれば、ギャップ萌効果で好印象が狙えると思うのだ。
少なくとも腕力言語しかつかえない世紀末地域の覇者のような印象が多少なりとも和らぐだろう。
……できれば変なことしないように私が側でフォローできれば最善だったんだけど、まあそこには心強い助けがあった。
「まさか僕が君にマナーなんて教えることになるとはね」
頼れる助っ人はアリスさんのお兄さんで、精霊都市連合に派遣されているエルフの代表者であるアレイジェス族長代行こと、アーレイさんだ。
ちゃんとしたマナーの講師を雇ったりその手の講座を受講させに行くお金は無かったので、自分で教えようと図書館でその手の本を物色していたらアーレイさんにばったり出会いまして。
そのまま話し込んでいたら、僕が教えてあげようかとのお言葉を頂まして、甘える事にしました。
さらに親父たちの泊まるホテルの前夜祭と後夜祭にもゲストで呼ばれているとのことで、親父たちのフォローもしてくれるとのこと。いやもう頭が上がりません。
ちなみにこんな時期だし部族の代表者なのだから忙しいんじゃないかと心配して聞いてみたら、ジオの応対をすると言えば、大概の仕事はキャンセルできるんだよと、良い笑顔の答えが返ってきた。
大事な会合なんかはもうとっくに終わっていて、でも暇そうにすると異国のエルフと縁を持ちたい有象無象から接待の案件が次から次に舞い込んできて、気が滅入るらしい。
「……なんで俺まで」
次兄さんはやる気を見せていたけど、一緒にアーレイさんの講義を受ける親父は不満たらたらだった。
「そんなことを言っていていいのかな」
アーレイさんの軽い笑いを含んだ声に、親父が眉をわずかに動かす。
「セージ君は将来君のようにその実力で認められていくだろうけど、君と違って謙虚で常識を持っているから、上流階級の社交場でも認められていくだろうね。
そうなった時、育ての親である君が簡単なマナーも知らなかったら、セージ君はきっと大きな恥をかくだろうね」
クスクスと、女性を虜にしそうな優美な笑いを浮かべながら、親父を煽っていくアーレイさん。
私としては上流階級なんて面倒臭い世界に関わる気は無いのだけど、ここでそんなことは言わない。私は空気の読める子供なのだ。
「僕の事はともかくとして、とりあえず次兄さんが覚えるんだから親父も覚えておいてよ」
むしろ親父が覚えてよ。
「……チっ。わかった。さっさとしろ」
「言葉づかいは……直りそうもないからいいかな。
とりあえずマナーの基本は背筋を伸ばして堂々としている事なんだけど、それも君には必要ないから、こまごまとした事を覚えてもらおうかな。
カイン君はとりあえず肩の力を抜いて、リラックスをして。そんなに難しいことを覚える訳じゃあないよ」
良い笑顔で講座を始めるアーレイさん。
私も受けておきたいけど、お金を稼いでこないといけないのでそうもいきません。
「それじゃあ、あとはお願いします」
「ええ、任されました。妹にちゃんと仕事するように伝えておいてください」
******
「……アリンシェス、しっかりと務めを果たすように」
「うげっ。……セージ君、そういうの止めてよね」
「似てませんでしたか?」
守護都市のギルドに行きまして、さっそくアーレイさんのお使いを済ませると、アリスさんがすごく変な顔になった。
「兄さんの真似でしょ。似てたよ。すごく似てたよ。笑ってるのに何考えてるのかわかんない所がすごく似てた。
でも止めて。お願いだから」
アリスさんから気力が失われていく。
これはあれだ。
お仕事モードで気が張っているところから、お家に帰っての気だるげモードに切り替わったぐらいの気の抜けようだ。
「……うん。それで、えーと、お仕事よね。
クライスの紹介の騎士候補生たちからの指名依頼が入ってるよ。
話はもう聞いてるのよね。
それとクライス経由で候補生たちの、ジオ様からの指導料を預かってるからついでに入金しとくよ。ギルドカード出して」
気を取り直したらしいアリスさんに促されて、ギルドカードを渡す。
荒野での仕事中にギルドカードや財布を無くすと見つからない可能性もあるし、そもそも無駄な荷物は可能な限り減らしたいので、現金はすべてギルドカードに入れておき、仕事終わりまでギルドに預けておくのが一般的だ。
借りられるロッカーは貴重品を置くのに不向きだし。
ちなみにギルドカードからのお金の出し入れには手数料がかかるが、仕事終わりの現金引き出しの際には手数料が取られることは無い。
たぶん仕事のたびに小金をせしめられるのに腹を立てた立派な先人が意見を出したんだと思う。あくまで私の想像だけど。
入金云々の処理はアリスさんでは無く事務所の中の人がやるので、その手続きが終わるまで二人で雑談する。
ギルドの中にはお客さんはまばらで、その少ない数の人たちもだいたいが見学に来ているような感じで、仕事を受けに来たという雰囲気の人は私以外には一人か二人しかいない。
ここにいないギルドメンバーは皇剣武闘祭の予選に出たり観戦したり、あるいは政庁都市での観光を楽しんだりと休暇を楽しむのが大半で、どうしても魔物と戦いたいという血の気の多い連中は、政庁都市との接続前に結界外縁の精霊都市に降りているとのこと。
政庁都市に接続している間はこんなもので、仕事の依頼だけは来るんだけどねーと、アリスさんは消化されない仕事の束をうちわにして仰いだ。
まあ仕事を出している方も、引き受けられることがほとんどないとわかった上でのことらしい。
引き受け手がおらず持て余しているのなら私に受けさせて欲しいのだけど、受注待ちの仕事の多くはやっぱり私のようなちびっ子はお呼びでは無いのものばかりだった。
アリスさんとの雑談はしばらくするとアーレイさんへの愚痴にシフトしはじめ、お世話になっている人を悪く言う訳にもいかず、あたりさわりなく返していると事務室の方から私のギルドカードが返ってきた。
返ってきたギルドカードがアリスさん経由で私に手渡されて、入っていた金額に目を見開く。
「これ、おかしくないですか」
「え? えーと、ちゃんと金額はあってるよ。――ああ、そうだよね。確かにちょっとおかしいよね」
……金額はあっているのか。
ちょっとびっくりするぐらいの額が入ってたんだけど……。
荒野でハイオーク・ロード狩った時に近い金額が……。
あの時って救援要請があったから……ああでも、ギルドの指示守れなくて減額もあったけど……、とにかくこんな大金貰っていいのか。
レストさん達から前もって聞いていたけど、実は親父が餞別に思い出の品(現役時代に使っていたオークションに出すと高額を叩きだしそうなもの)でも渡していたのだろうか。
「半日とはいえジオ様に指導してもらったのなら、もう一つ桁が多くないとおかしいわよね」
「…………………………………え?」
……なんというか、いや、なんというか……、うん。ちょっとおちついて整理しよう。
詳しく話を聞くと、親父は引退していても特級という扱いなので、個人指導を受けるにはそれに見合う金額と言うのがあるそうな。
それで、先方の訓練生さん達は良いトコの出らしいので、ちゃんと支払うものは支払いましょうという事で、でももう親父は実質的には引退して長いわけだし、そもそも指導も親父の一方的な好意によるものなので、相場よりも大きく減じた額を入金したとのこと。
あとお金を出しているのが騎士候補生という名の学生さんのお財布からなので、そもそもそんなにお金が出せなかったらしい。
ネガティブな表現してるけど、私からするとむしろ都会の子ってお小遣いたくさん貰ってるんだなって印象だ。
しかし私の命がけの仕事って、世間様の相場では親父が十五歳の子供相手にする半日仕事の一割ぐらいなんだなぁ……。
うん、まあいいけど……。
◆◆◆◆◆◆
「ジオ、フォークだけで肉を切らないで、ちゃんとナイフも使って。カイン君はもう少し肘をたたんで。また肩に力が入っているよ」
「……はいっ!」
「ちっ……わかった」
アーレイの言葉にカインは固さの取れない声で答え、ジオは不承不承頷く。
簡単な座学から入ったアレイジェス礼法講座は昼食の時間からは実践形式となった。
食卓に並べられているのはホテルでの食事を想定したもので、今回はバイキングスタイルだった。
ちなみにアーレイは野外料理ぐらいしかできないので、これはすべて出前だった。
これはアーレイが礼法を教える報酬を断ったため、せめて良い食事をと奮発した結果だ。
手痛い出費に陰ながら泣いていたセージは今、臨時収入もあってホクホク顔でレストたちと剣を交えていた。
なお今日は子供の預かりは休みの日で、セージとバイトに出ているアベル以外の、マギーとセルビアも同じように食卓を囲っていた。
しかしもののついでとばかりにアーレイに食事の所作を注意され続けたため、早々に食事を切り上げて逃げ出していた。
「……ふむ、こんなところかな。
それじゃあお昼休憩に入ろうか。カイン君、気を張り詰めすぎて疲れただろう。ちょっと休んできていいよ。一時間ぐらいしたら呼びに行くから」
アーレイがそう言ったのは、出前を行った料理店が食器の回収に来たころだった。
たっぷりとした時間をかけたにもかかわらず、何も食べた気がしないカインはふらふらとした足取りでダイニングから去っていった。
「滅入っているな」
たっぷりと残された料理を自宅の皿に移し替え、回収に来た店員に渡しながらジオが言った。
そしてその移し替えた料理をいつの間にかやってきていたセルビアがつまんで食べていた。
「こら。つまみ食いなんてしないで、ちゃんと席についてフォークを使いなさい」
アーレイの言葉にセルビアはぷいっと顔を背けて走り、ジオの後ろに隠れた。
「くくっ、嫌われたな」
「……嬉しそうだね、ジオ」
幼いころはいつでもアーレイについて回っていた妹に初めて避けられたことを思い出し、落ち込むアーレイだった。
そんなやり取りを経て食卓の片づけはそうそうに終わり、食器の回収を終えた店員も去った。
「しかし、カイン君は大丈夫かな。すこし思いつめているように見えるけど」
食後のお茶を飲みながら、アーレイはジオに話題を振る。内容はカインの事だ。
ほとんど面識のないアーレイから見てもカインの様子はおかしかった。
イエスとノー以外はほとんどしゃべらず、ずっと真剣過ぎる眼差しでアーレイの言葉に耳を傾けていた。
時折、その固すぎる気持ちをほぐそうと冗談交じりに笑いかけたりもしたが、まともな反応は返ってこなかった。
けっしてアーレイに冗談のセンスが無いわけではないので、カインが心労を患っているのはたぶん明白だった。
「カインはね、ごめんねっていわないの」
アーレイに答えたのはジオでは無く、その影に隠れながらつまみ食いを止めないセルビアだった。
「わるいことしたらあやまらないといけないのに、カインはごめんねっていわないの。だからみんなおこってるの」
「……いや、怒ってはいないぞ」
ジオはそう反論した。
少なくともジオは怒っていない。多少思う所はあるが、それはセージに対してのもので、カインを怒るつもりはない。
マギーやアベルは確かに怒っていたが、それもセージが宥めて落ち着いている。多少冷たくされてはいるものの、それぐらいだ。
しかしカインにとってはあの二人に冷たくされるのは初めてだから、少々の事でも大きくこたえているのかも知れない。
「……? でも、あにきおこってるよ?」
「アベルはまあ、ちょっとな、しっかりしろと思ってるだけで――」
「んーん。アベルじゃなくて、セージ」
言われて、ジオはアーレイと顔を見合わせた。セージが怒っているという発想が二人には無かった。
それぐらいセージの言動はいつもと変わりが無かった。
「おこってた、よね?」
セルビアもあまり自信が無いのか、語尾が疑問形になる。
「態度には出てなかったけど……、うーん、どうだろうね。確かにセージ君はクライスに良くなついていたから、プレゼントをとられたら気分は悪いだろうね」
「そうか……、そうだったな」
セージは金にうるさいが、しかし義理や人情も大事にしている。
大きな恩を受けていると、常日頃からセージはクライスたちの事を褒めていた。
ジオはそのことを思い出し、今更ながらに他人の気持ちに聡いセージがマギーやアベルのフォローはして、カインを放置していることに気が付く。
「……俺は馬鹿だな」
ジオがそう呟くと、何が楽しいのか、ばかおやじーとセルビアがはしゃぐ。
それで気持ちが少し軽くなって、ジオはセルビアの頭をなでた。
「カイン君を叱ってもセージ君は喜ばないだろうけど……、今度クライスにあったらそれとなくフォローするように頼んどくよ。
それで、カイン君の方はどうする?」
話を戻されて、ジオは考える。
カインが鬱になっているのは十中八九セージへの劣等感だろう。
ずっと前からカインはセージに対抗意識を燃やしていたが、武術においても日常生活のスキルにおいても年下であるはずのセージに負けていた。
そして尚悪いことに、セージはそんなカインを高い処から微笑ましく見ている節があった。
まるで相手にされていないという事を、なんとなくカインは感じ取っていた。
それがカインの劣等感に拍車をかけていたし、そんなセージの世話になっているという状況は、カインをより強く追いつめていた。
今回の騒動は、そんな今までの積み重ねがあったからこそ起きたものだ。
「……このまま様子を見よう」
ジオはそう言った。
善悪の話を言えば、我がままを言っているだけのカインが悪だ。
そしてそれに耐えて怒っていることも、そしてもしかすれば苦しんでいるかもしれないことも隠し、家族の為にアーレイを連れて来て必要な勉強をさせ、また同時にお金を稼いできているセージは善だ。
だがジオが味方をしたいと思ったのはカインで、一発ぶん殴ってやりたいと思ったのはセージだ。
いや、殴るのはカインも殴りたかったが。
しかし今のカインの苦しみをとる術はジオには無い。
その苦しみは他人ではどうしようもないものだった。
過去にアベルが乗り越えたように、カインはカインなりに、セージと言う大きな天才との接し方に答えを出さなければいけないのだと思った。
だからせめてそばにいて、同じようにアーレイの授業を受けようと思った。
「君の子なのだから、そう決めたのなら僕に異論はないよ。
さてそれじゃあそろそろ一時間経つし、休憩は終わりにしてカイン君を呼ぼうか。セルビア君も一緒に授業を受けるかい?」
アーレイの誘いに、セルビアは走って逃げる事で答えた。
アーレイの笑顔は変わらなかったが、僕はそんなに口煩いのだろうかと悩み、そこはかとない哀愁を漂わせた。
そして帰ったら少しはアリスに優しくしようと思い、下着を脱ぎ散らかす姿を見てそんな考えは捨てた。