448話 クロ様もたまにはいい仕事をする
物思いにふけっていたカインだったが、様子のおかしいウエイトレスに気が付いて視線を向け、その彼女が喫茶店に入ってきた絶世の美少女に気圧されるのを見届けて、その美少女に視線を移した。
「よう、クロ」
「こんにちは、先日ぶりですね。折角です、相席しても?」
「あん? ああ、好きにしろよ。
……喧嘩でもしてんの?」
カインは食事を終えていたが、弟の仕事仲間を邪険にする気にもなれないの了承した。続く問いかけはウエイトレスとの関係だ。
皇剣のようなお偉いさん相手にはたまに固い態度を見せる彼女だが、カインにとっては接客業のイロハを教えてくれた先輩だ。不愛想な接客をするのはやはり珍しい。
「……さて」
クロはカインの視線からウエイトレスとの関係を問われたのだと察したが、しかし何故そんなことを問われるのかは理解できなかった。
クロの知るウエイトレスの態度はケイを通して見たものであり、つまりだいたい今と変わらなかったのだ。
「そうか」
そんなクロの態度から後ろめたい所は無さそうだとカインは判断して、わずかな警戒を解いた。
そして先ほどまでミケルが座っていた対面の席に座る彼女を改めて見て美人だなと思った。同時にミケルに焚きつけられていたことも思い出して、自嘲の笑みが浮かんでしまう。
「何か」
その嘲りが自分に向けられたのものと勘違いしたクロは、内心で怯えているのを押し殺してそう言った。
「あ、いや、なんでもない。悪かった。こっちの問題だ」
クロを女性としてみた瞬間にそっくりの弟がちらついて、うずいていた煩悩が完全に沈下したのだ。
その結果、たまの休日にセックスの経験の価値を真面目に考え込んでいた自分がなんとも馬鹿らしくなったのだ。
とはいえそんなことを正直に話す気にもならず、手を振って話題を変える。
「それで、何を食いに来たんだよ。皇剣付きのエリートからすればこんな場末の食堂なんて口に合わないんじゃないか」
まだ若く社会経験も偏っているカインは実際のところはもとより、表向きについてもクロがどういう立場なのかまともに把握していない。
それでも皇翼をケイをはじめとした皇剣と共にいる姿を見かけたことがあったから、役人の中でもかなりのエリートなんだろうと大雑把に考えていた。
普通の官僚は大学を出ているはずなのでクロの外見年齢はそぐわないのだが、カインからすれば15歳を超えていれば成人女性だった。
「生憎と薄給なもので。それに手取りという意味ではあなたの方がよほど高給取りでしょう」
クロはカインの勘違いを把握して、それに合わせて答えた。
そんな二人のやり取りに、気を取り直したウエイトレスが笑顔で割って入った。
「場末で悪かったわね」
ウエイトレスは言いながらちらりとカインを観察する。彼がいつもの能天気で脳筋な戦闘馬鹿に戻っていることを見て取って、ぽっと出のよく知らない女の子に奪われなかっただけマシかと小さな溜息を堪えた。
「なんだよ、事実だろ」
「引っぱたくわよ。それでお客さん、うちは初めてでしょ。メニュー持ってきたよ」
「ありがとう。ですがもう決めてます。ランチセットを」
クロが答えて、ウエイトレスは意外そうな顔をした。
彼女は客の顔を覚えるのが得意だ。それでなくとも目立つ容姿のクロは一度見れば忘れない自信がある。
迷いなく注文した彼女に初めてではなかったのかという疑問が浮かび、しかしすぐに回答に思い至った。
クロはカインの顔見知りで、超が付く有名人な彼の弟によく似ていた。きっと親戚か何かで、その弟の紹介でおすすめを食べようとやって来たのだと。
「もしかしてセージ様の紹介ですか? だったらサービスしますよ。デザート一品だけですけど」
「おや、それはありがたい。彼に感謝を伝えておきます」
悠然と微笑むクロに見惚れて、ウエイトレスは小走りで注文を告げにキッチンに向かった。
「何だったんだ」
「……何かあったのですか?」
「いや、別に。勘違いだったみたいだ。つーかセージに紹介されたのか」
もちろん違う。クロが皇宮から持ち出した小遣い(サニア支給)にも、守護都市に来てからもらった小遣い(セージ支給)にも限りがある。
そんな彼女にとって良心的な価格設定で味も悪くないと、事前にケイを通して知っているこの店は都合が良かったのだ。
もちろん護衛を務める者に奢らせればそんな心配はしなくてもよいのだが、皇剣たちはクロの姿が人目に触れることを恐れて外食を避けようとする。
その上セージの手料理を美味しそうに食べる姿に触発されたのか、手料理を振舞おうとする。
しかし普段料理をしない彼女たちの作る食事は塩気が強いだけのシンプルで味気ないものだったり、高級食材を使っているものの下処理が雑で残念な味だったり、食べられるかどうかも怪しいエキセントリックな七色の物質だったりと、とても残念な出来栄えだった。
それを不味いと正直に言えればよかったのだろうが、しかし不慣れな料理を喜んで欲しい一心で取り組んだ忠臣たちに無慈悲な言葉を告げることは出来ず、美味しいと笑って完食した。してしまった。
その結果、彼らは毎日毎食手料理をこさえるようになってしまった。
クロは遠回しに当番の日を増やすか、あるいは食事を作り置いて帰らないかとセージに打診してみた。
しかし同僚の喜びを奪えないと、当番は拒否され、作り置きの料理はどれも酒の肴にはなるものの食事の代替にはならないおつまみばかりだった。
それはそれで美味しかったのだが、クロの望むものではなかった。しかも中途半端に間食したせいで皇剣たちの手料理を完食するのが割増しで辛くなってしまった。
「ええ、そんなところです」
ともあれそんな内情を正直に話すわけにもいかない。
「そっか。そっちの仕事はどんななんだ? いや、そもそも共和国に到着する前にも仕事ってあるのか?」
「通信を使った役人レベルのすり合わせはありますが、皇翼を煩わせるほどのものではありませんね。どちらかと言えばセイジェンド様に皇翼として基本的な勉学の時間を設けさせてもらっています」
実労働以外の業種に疎いカインが尋ね、クロはあらかじめ用意していた建前を口にする。
もっともそれは全てが嘘という訳ではない。護衛兼世話役として一緒にいる時間を有効活用し、セージとは魔法談義ができるところまで関係を進められた。
セージは魔法を感覚的に使いすぎているため自身の研究を高めるのに直接的には役立ちそうになかったが、しかし当のセージは現代人かつ未就学の感覚は魔法使いには珍しく魔法における物理法則の重要性は理解しており、クロの理論を良く理解し自分の魔法に落とし込んだ。
そうなれば教えがいも有るというもので、セージと過ごす時間をクロは楽しみにするようになった。食事も美味しいし。
「あいつも勉強できる方だと思ってたけど、マジモンのエリートからすると手落ちもあるのか――と、来たみたいだぜ」
カインはクロが楽しそうだと感じながら、優秀すぎる弟にも少しは人間らしい所があるんだと納得していた。
そんな話をしているとクロの前にサラダとコーヒーが運ばれ、カインの前にはショートケーキと紅茶が運ばれる。
「お、いいのか」
「たまにはね。おしゃべりするのに口元が寂しいでしょ。お姉さんからのサービスよ」
「誰がお姉さんだよ、ありがとな」
ウエイトレスがウインクをして去っていき、カインは苦笑と共に感謝を述べた。
「紅茶、好きなんですか?」
「うん? そうでもないけど。
……あー、いや。最近はハマってるかも。
親父がコーヒー好きだからコーヒーばっかり飲んでたけど、紅茶は紅茶でうまくて飲みやすかったんだよな」
「なるほど、よく見ているようですね」
好むようになったきっかけはルヴィアだろうかと、考えを巡らせながらクロはコーヒーを啜った。そんな彼女にカインは疑問を投げかける。
「どういう意味だ?」
「そのままですよ。彼女はあなたを気に掛けているようだと、そう言いました」
「いや、別に……」
カインは付き合いも長いしそんな風に言われるほどでもないと反論しようとしたが、しかしウエイトレスに紅茶が好きになったという話をした覚えがない事に気が付いた。
「まあ、口うるさい姉貴みたいなもんだからな」
面倒見の良い先輩は度々お姉さんぶって世話を焼いてくる。煩わしさを感じることは無いが、しかし素直に感謝するには気恥ずかしさが勝ってしまう。
「ふむ、あなたは初心なのですね」
「くっ……」
同じ日に別の相手から恋愛経験が少ないとを言われて、カインは唸った。
「んなまるであいつが俺に惚れてるみたいな――」
いやしかしと、口に出したことで頭の中でぴったりとハマるものがあった。
しきりに娘と付き合わないかと勧めてくる店長。
恋人の一人でもいないのかと尋ね、いないと答えればウエイトレスはどうなんだと勧めてくるミルク代表。
休みのたびにカインを遊びに誘ってくるウエイトレス(だいたい訓練で断っていた)。
マックスは事あるごとにお前ばかりモテやがってと愚痴をこぼし、お前より先に大人になってやると少ない小遣いを(ギルドでの稼ぎは9割奨学金の返済に強制的に充てられる。そして残りの一割では装備や消耗品を揃えられないので、奨学金返済後に返すという約束でパーティーの共有資金から支援してもらっている。そのためマックスが自由に使えるのは親からのお小遣いだった)握りしめて娼館に突撃し、緊張しながら待っていると娼婦として母親が出てきて泣きながら逃げ出していた。
マックスの羞恥体験は余談だが、カインはもとより勘のよい少年である。
特定の一人以外との恋愛に全く興味を持っていなかったのでまるで鈍感系主人公のようになっていたが、関心さえ持ってしまえば事実にたどり着くのはそう難しい事ではなかった。
「――そうか。あいつ、俺に惚れてるのか」
嬉しいよりも驚きの方が強く、カインの口からこぼれた声は淡々としたものだった。
そしてそんな落ち着いた声とは対照的に、ずんがらがっしゃんと騒がしい音を立ててウエイトレスがずっこけた。
そしてその手に持っていたランチセット(かつ丼とみそ汁)は、クロの頭上に降り注いだ。
「ふっ」
クロは格好よく笑った。
しかし頭から出来立てのかつ丼とみそ汁を被っている。
「ご、ご、ご、ごめんなさい、その、足がもつれて」
「いえ、ごちそうさまと感謝しましょう」
軽度の火傷を負いながらもクロは偽りのない笑顔を浮かべた。
擦れたセイジェンドや生真面目なケイからは接種できないラブコメの波動に、クロは心から満足していたのだった。
「何を馬鹿なこと言ってんだよ」
ウエイトレスだけでなくカインも慌てた様子で席を立って、クロの頭から丼と椀とその中身を取り除く。
カインはクロの頭皮に火傷を見つけ、魔法で冷却と治療を始める。
ウエイトレスは髪や衣服にしみ込んだ汚れを取ろうと布巾で拭う。
「ああ、本当にごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「別にかまいませんよ、洗濯すればシミにもならないでしょう」
そう言ったクロの頭に、緊張感のある声が響く。
(聞こえますか、今どこにいますか?)
(セイジェンドですか、今は――)
頭や肩を拭われながらクロは頭の中で答える。口に出して答えたほうが楽なのだが、ここでそんな事をすれば意味不明な独り言をつぶやく電波少女となる。創作物の中で可愛かったから憧れたことはあるが、実際にやった際の周囲からの扱いは楽しいものではなかった。
なので素直に頭の中で会話をしようとした。
したのだが、セージとの接続はクロの言葉が終わるより早く途切れた。
呆れてケイの視界を見れば、吹っ飛ばされて転がったセージの姿が映った。同時に、ケイの後悔の感情も感じ取る。
何やらまた楽しい事をやっていたようだった。
興味を引かれたクロはケイを通してセージと会話をする。
生返事でウエイトレスとカインにされるがままになっていたクロは、いつの間にか浴室に連れてこられていた。
浴室と言っても守護都市は土地代が高くスペースには限りがある。加えて上水も下水も使用料が高いので、日本のような浴槽は無い。
排水溝のある小さな部屋の中で、桶にためた温水(カイン生成)を使って洗い流すだけだ。
ウエイトレスに髪を洗われながらセージとのやり取りを終え、少しの間を挟んでケイに問いかけられる。
(精霊様、今は何をなされているのですか?)
(今ですか? お風呂を頂いています)
正直に答えたところ、ケイの視界が盛大にぶれた。どうも屋台か何かに突っ込んで破壊したようだった。
ケイはその破壊跡を一瞥だけして走った。
そしてほどなく、
「貴様ぁぁぁぁああああああっ‼」
ケイの絶叫が頭の中からではなく、店の方から聞こえてきた。




