447話 私とは関係のない相手とヤって欲しい
(聞こえますか、今どこにいますか?)
ケイさんを見つけたので、私は取り急ぎ要件を済ませることにした。問いかけた相手はケイさんではなくクロ様こと、精霊様。
この場には事情を知らないレイニアさんやお店の人がいるので口には出さず、心の中で言葉を発した。
こうすることでケイさんにもおおよその事情は察してもらえようというものだ。
(セイジェンドですか、今は――)
クロ様の言葉は唐突に打ち切られた。彼女が言葉を打ち切ったのではなく、会話をするために必要なケイさんとの接触が打ち切られたのが原因だ。
それ自体は別にいいのだが、よくないことが一つある。
ケイさんは私の手を振り払った後、右ストレートを振りぬいて私を殴り飛ばしたのだ。
きりもみ回転で地面に叩きつけられながら、どうやらこちらの事情は全く察してもらえなかった様だと理解した。
私が立ち上がって抗議の視線を送ると、ケイさんはバツの悪そうな顔をしている。殴った後になってから事情を察したようだ。
相変わらず直情的な性格をしているが、まあいいか。そこが彼女の持ち味でもある。
女性同士で秘密の会話をしていたようだし、いきなり割って入って体に触れた私もデリカシーに欠けていたので責めるのも間違いだろう。
いつもの掛け合いと違って本気で殴られたからすごく痛かったが、私は大人なのでまあいいとしておくのだ。
「とりあえず、失礼」
私はそう言って再度、ケイさんの肩に触れる。
(相変わらず仲良くやっているようですね、あなたたちは)
こちらよりも早く、クロ様の方から声をかけられた。
ケイさんと視界を共有し私の芸術的なきりもみ回転を見ていたようだ。ちなみに触れているのでケイさんの感情ははっきり見えているし、そのことはケイさんも理解してその羞恥心を倍増させている。
もちろん私は大人なのでスルーして、クロ様との会話を優先させる。
ちなみにレイニアさんは黙って成り行きを見守っている。さすがは名家の令嬢という事で、何かしらの事情があることを察しているようだ。
(これはお目汚しを。
しかし、ロマンさんが心配していましたよ。お姿がどこにもないと)
おかげで折角の休暇を返上して町中を走り回る羽目になりましたよ、なんてことは言わない。私は大人なので。
しかし私と触れ合っているケイさんにはこちらの感情がまるわかりなので、無言で腹の肉を抓ってきた。
態度にも声音にも表れていない不満ぐらいスルーしてくれればいいのに、相変わらず大人ではないケイさんだ。
(……ふっ。そうですか。それは苦労をかけましたね。彼女には私から無事であると伝えておきましょう)
クロ様はそう言って通信を切ろうとするが、ケイさんがそれに待ったをかけた。
(今はお一人なのですか。すぐにそちらに向かいます、場所を教えてください)
いや、今日はロマンさんの当番なのだから任せませんか。この前も似たような理由で休みが潰れましたし。
そんな風に思っていたら、ケイさんの指がかなり力強く私の体にめり込む。
このままでは腹筋が引きちぎられる。
(そう心配する必要はありません。あなたたちもたまの休日なのですから些事に気を取られず羽を伸ばしなさい)
私はそうしたいんですけどケイさんもロマンさんも、あとついでにネインさんもそんなこと許してくれないし、私は和を尊ぶ元日本人なので一人だけ関係ありませんという顔が出来ないのです。
いや、本当は最近信用を失いっぱなしな妹への家族サービスを優先させたいのだが、そちらを優先させるとたぶんケイさんに半殺しにされるんだよ。
今も腹筋にケイさんの親指と人差し指の第一関節が埋まっているし。
ぶっちゃけクロ様の魔力量は私はもとよりケイさんや親父すらも超えているので、誰かに襲われたところでそうそうおかしなことになるとは思えない。
もちろん皇剣級に囲まれれば危なくもあるのだろうが、そんなことが起こるとは思えないし、起こったところでこの狭い守護都市であればすぐに駆け付けることができる。
むしろ心配することがあるとすればクロ様は貞操観念がおかしいので、ナンパされて変な男と一夜を共にされるとかだろう。
まあそれにしたってクロ様なら相手の男の記憶を消せるのだから、そうそう大きな問題にはならないはずだ。
(その様な訳にはまいりません。護衛の一人も控えていないなどと。私たちが疎ましいのだとしても、せめて有事の際に身を盾にして御身をお守りする者を供にしてください)
ああ、ケイさんも自覚はあるのか。
まあクロ様は堅苦しいの嫌いだからね。
ケイさんたちが嫌いなわけではないけど、気晴らしに一人になりたかったんだろうな。
(あなた達を疎んじたことなどありませんよ。それにそういう事ならば、私の側には立派なナイトがいます。安心なさい)
ケイさんの指にさらに力が加わり、すぐにそれは緩められてそのまま私の腹から抜けた。そうだね、今ナイトって単語に嫉妬して力が入っちゃったけど、それは完全に私とは関係ないよね。
すごく痛かったけど、私は心優しいから許してあげよう。指さえ抜いてくれればすぐに治せるし。
(差し支えなければ、その者の素性を教えていただけますか)
ケイさんは感情を押し殺してそう尋ねた。きっと頭の中でこれはクロ様の安全確認のためだからと言い聞かせているに違いない。
(ええ、あなた達もよく知る――いえ、あなたたちの方がよく知っている男性です)
男性という言葉に何やら不穏なものを感じる。クロ様は本当にナンパでもされたのかもしれない。
そう言えば気晴らしに出歩いているのを咎められているというのに、先ほどから機嫌が良さそうだ。
まだ昼過ぎたばかりだというのに、ワンナイトを決め込むつもりなのだろうか。
だとしたら邪魔をしないようにケイさんを説得した方が良いのかもしれない。
しかし私たちが知っている男でナンパをしそう、あるいは逆ナンに引っ掛かりそうなのって誰だろう。
ナイトって言ってたしアールさんあたりだろうか。
生真面目なように見えて、あれで外縁都市に接続したときはこっそり娼館に通ってたりするし。
もしそうだとしたらケイさんの反応がとんでもない事になりそうで楽しみなのだが、まあその場合はナンパ云々ではなく元名家当主筆頭候補でクロ様の素性を知っているであろうアールさんが護衛を買って出ているだけだろうが。
そんな風につらつらと考えていたら、予想もしていない名前を告げられる。
(カインですよ)
(今すぐそちらに向かいます)
私はそう言ってケイさんの肩から手を放して走り出した。
ナンパだったら最悪だし、そうでなくとも次兄さんがやんごとなきクロ様に粗相をする未来しか見えなかった。
◆◆◆◆◆◆
セージが走り出し、呆気に取られたケイが一拍遅れてその後を追った。
それを見送ったレイニアは、静かに溜息を吐き出した。
セージとケイの間でどんなやり取りがあったかは分からない。
だがケイがセージを殴り飛ばしたすぐ後に、店の中の空気が凍り付いた。
立ち上がったセージからは普段のやり取りを切って捨てる冷酷さが滲み出ていた。
それは静かな怒りだったのだろう。
他愛のない些細な感情の発露だったのだろう。
それでもその感情を向けられたわけでもないレイニアは竦んで身じろぎすら出来なくなってしまった。
しかしそれを正面から受け止めたであろうケイは、そんな無様は晒していない。あくまで短慮を恥じただけだった。
「私は、弱いな」
レイニアはそう自嘲した。格の違いを思い知って、カインやセルビアのように奮起する悔しさや怒りはわかなかった。
生じたのは諦観。
自分は皇剣という特別に憧れるありきたりな戦士なのだと。幼いころに望んだように、普通の戦士になったのだと。
そう感じた。
「ん~~……」
レイニアは頭をガリガリとかいた。
せっかくの休日に暗く沈んでいく思考を良くないものと切り捨てた。
才能の差は最初から分かっていた。それを埋める努力をしてこなかったのは他でもない自分だ。それでいて皇剣に憧れるのをやめられないのも自分だった。
矛盾だらけの感情を飲み込んで、そう言えばと思い出す。
「カイン、大丈夫かな……」
ミケルとウエイトレスの裏取引をレイニアは偶然知った。
カインが童貞を食われること自体に興味はない。
カインはレイニアの好みからすると背も低く筋肉も足りない。加えて粗暴な態度と裏腹に強引さも足りず、よく言えば紳士的だが悪く言えば男らしさに欠ける。
それが女を知って野性味を身に付ければ、レイニアから見ても良い男になるかもしれないとは思う。
ただそれはそれとして、カインが誰に好意を寄せているかは見ていて分かりやすい。
そしてその相手がカインに負けず劣らず初心で純情で可愛らしい事をよく分かっていた。
大人のくせに子供っぽいそんな二人の関係が、レイニアは嫌いではなかった。
だからカインが擦れて女の扱いを覚えて、それでピュアな妹分を手籠めにするという未来はレイニアにとって好ましい事ではなかった。
もちろんだからといってミケルとウエイトレスの邪魔をするつもりはない。あくまでケイを焚きつけて子供っぽい二人の関係を進展させようと画策しただけだ。
そしてそれは上手くいったとは言い難い。
とはいえ皇翼や皇剣が顔色を変えて密談を始めるようなあからさまに厄介な問題が起きた以上、個人的な嗜好に基づく裏工作は中断してしかるべきだ。
「ああ、でも……」
中途半端に焚きつけたせいで、女性向けの娼館に行ってしまわないか。
レイニアはケイの時に間違った方向に壁を壊してでも突き進む行動力を思って、そんな心配をした。
そしてケイの分の料金も支払って喫茶店を出て、守護都市娼館の元締め大手のところにマージネル家のお嬢様がお忍びでやってくるかもと注意喚起をしに行った。
結果としてケイがヴァージンであることを気にしていると噂が立ったが、事実なのでまあいいだろうと彼女は一人納得した。
そんな彼女の口元には、父親そっくりの微笑みが浮かんでいた。




