442話 20時を過ぎた児童労働は違法であって欲しい
「共和国に入るのはごく一部だけですからね。確かにその方がよいでしょう」
「え?」
セージが意外そうな声を上げて、アリアたちは顔を見合わせた。
「もしかして知らなかったの?」
ケイがそう尋ね、直後にしまったという顔でアリアを見た。
「公的な場ではないのです、崩した言葉でかまいません。
……ネインやセイジェンドを見習えと言う気はありませんが、もう少し気を楽になさい」
「は、はい。
それでセージ、政庁都市で研修を受けてたんじゃないの」
問われたセージは頭を捻った。
「いえ、政庁都市では学業というか、法学の初歩や倫理と道徳の授業を主に受けていましたね。
……ああ、最初は高校受験程度のテストを受けて、特に問題ないので特別授業って扱いだったと思いますが」
セージがそう言うと、アリアはそっと目をそらした。
それに気が付かなかったケイが納得したように一人頷いた。
「そっか。私は、というかマージネル家は政庁都市の方で事前に教えてると思ってた。
それでなくとも共和国の使者と仲がいいから、わかってるだろうなって。
でも今わかって良かったわね」
大遠征はこれまで連合国の歴史の中で何度も繰り返してきたことであり、名家であるマージネル家はその経験を蓄積している。
相手方と細かな調整が必要な役人ならばともかく、戦闘要員である騎士は往復と滞在の日程さえ分かっていればあとは些事だった。
ケイが共和国での謁見があることも、直接知らされていた。
だからケイはセージも自分と同じように大雑把な話を聞いているだろうと思い込んでいた。
「ええ、そうですね。ところでアリア様は何か仰りたいことがあるのですか?」
セージはケイの考えを正確に理解し、そしてわずかに視線をそらしているアリアに声をかけた。
大遠征のスケジュールについては確かに政庁都市で伝えられるはずだった。だがケイがそうであるように、武力要員であるセージに詳細な説明は必要はない。
だから空き時間で未就学児のセージに勉強の時間を設けて欲しいと、アリアはボイドスに指示をしていた。
その際、共和国に連れていくことは事前に知らせているし、できれば道徳を、それも戦士なら男女平等パンチしてもいいなんてひどい守護都市倫理を正してほしいと頼んでいた。
それがどうにも悪い方向に――アリアの頼みを受けたボイドスが現場の役人に強めに指示を出した事で、大遠征のスケジュールなんてどうせ知っていると思い込んだ担当が少しでも多くの勉強の時間を確保した――転がってしまったのだと気付いた。
気付いたが、アリアは気付かなかったことにした。
「……いえ、特には。
それでは折角です。ケイの口から共和国でのスケジュールを説明なさい」
「はい。
セージ、まず理解しなきゃいけないのは、私たちは魔物を倒しに行くの。
そして荒野の魔物の被害は私たちだけじゃなく荒野を超えた先、共和国にも発生してる。
大遠征は共和国への軍事支援でもあるの」
ここまではいいと確認し、セージが頷いたのを見てケイは続ける。
「だからやることは簡単。外縁都市でやってるみたいに共和国の端に守護都市を停めて、防衛戦をやる。
共和国からは支援物資が送られてくるけど、正直外縁都市と比べると十分じゃない。
私たちを含めて共和国内部にはごく少数が入っていって、交流をする」
以上ですと、ケイはアリアに向き直って敬礼をした。
それに続く形でネインが口を開く。
「補足をすると、守護都市が荒野を突き抜けることで上級の魔物を含めて誘引する。
だから外縁都市が経験する防衛戦よりもよほど危険なものになるだろう。
しかし安心したまえ。君たちの不在はこの美貌の皇剣が守り切ろう」
気取ったポーズで言葉を締めたネインに、三人の冷めた視線が突き刺さっても彼の態度に変化はなく、三人もあえて感想を言葉にすることは無かった。
「つまり私はアリア様と一緒に共和国へと向かって、妹たちに防衛戦を任せるわけですね」
セージは端的に自分の仕事をそうまとめた。そんなセージとアリアの間に、ケイとネインが体を入れる。二人の視線は敵意とはいえないまでも警戒の様子を見せていた。
セージは両手を上げて慌てた様子を見せた。
「……いや、別に不満とかないですよ。女装を見られる事も無さそうでしょうし。
もちろん妹のことは気に掛けてくれるんでしょ」
セージはそう言ってネインを見た。
「承ろう。いささか気品に欠け――」
セージはわずかに椅子を引き、腰を浮かせた。
円卓のテーブルを囲って四人は座っており、ネインはセージの左隣だ。遮るものは何もない。
「――んんっ。
健康的で快活な若き花。大輪となる前に散らせはせぬよ」
セージは元の位置に戻った。
「シスコンも大概にしなさいよ……」
ケイは静かに嘆息した。
それで一区切りがついたとばかりに、アリアが話題を軌道修正する。
「ともあれ今後の予定ですが、最短距離で共和国を目指します。狩りは守護都市のメンテナンス日に限られる予定ですが、移動中に襲撃を受ける可能性もあります。
前例は少ないですが、行きと帰りのどちらかに一度くらいは起こりえるでしょう。
セイジェンドは引き続き管制で警戒に努め、ケイとネイアは戦闘となる数少ない機会で誘引する魔物の数を少しでも減らしなさい」
「承知」
「了解」
「わかりました」
アリアの指示に三者三様で応じる。
敬礼をするケイはセージにちゃんとしろと睨み、セージは明らかにふざけている人がいるでしょうと視線でネインを咎め、ネインは何も間違ってませんけどと気取ったポーズを取り始めた。
アリアはこいつらは大丈夫だろうかと心配になった。
◆◆◆◆◆◆
そんなこんなで共和国での打ち合わせを終えて、一夜明けました。
なんとか家に帰って貞淑な兄アピールをしたかったのだが、ネインさんと共に不寝番することとなった。
私とネインさんは隠れ家の上層に当たる接続地で静かに警護をしていた。
警護の対象はもちろんアリア様なのだが、接続地は守護都市を動かすうえで最重要施設であるのはある程度の人間が知っている。そう言った人から見れば、ここに皇剣や皇翼が警固に配置されてもおかしくない。
もっともこれだと下水の方の進入路はカバーされていないが、あちらはそうそう見つけられないし、万が一侵入されるにしてもトラップがふんだんに仕込んであるので助けが来るまでは十分時間稼ぎできるとの事だった。
ただ私たちとは別に、ちょっと離れた役場の一室でケイさんとロマンさんが待機していたのだ。
ケイさんもロマンさんも魔力は隠ぺいしていたのだが、私から見ればそれは完ぺきなものではなかったし、私が気付いていることでネインさんにも気づかれた。
眠気を紛らわす雑談がてら何でそんな事をしているのかネインさんに聞いてみたところ、
「無論、君が可憐な姫君を襲う狼にならないか心配しているのさ」
との答えが返ってきた。
まあ信用されていないのは分かっているし、心当たりも少しだけあるが、それはそれとして共和国滞在中は少人数でアリア様を守らなければならないためちゃんと仕事をするかどうか試されているという事だろう。
ネインさんの言動がうるさいからお前が相手をしろという事ではなかった様だ。
実際、ネインさんはなるべく音を立てないようにして警護に集中していたし、私への返答も表現こそおかしいものの端的だった。
そんな訳で私も真面目に徹夜の警護に努めた。
子供の徹夜なんて体の成長に悪影響がありそうだけど、私は愛国心の厚い公人だから仕方ないのだ。
ちなみに後から聞いた話なのだが、どうもアリア様は私に徹夜をさせるのは反対だったらしい。
ただその理由が私が嫌がりそうだからというものだったので、ケイさんを筆頭に皇翼がそんな我がままを言う(※言ってない)のを許してはいけないと今回のだまし討ちめいたお試し警護任務が回ってきた訳だ。
特に問題を起こしたつもりはないので、今後は不寝番のローテーションに組み込まれることになりそうだ。
眠気も魔力でどうとでもなるので本気で夜勤を嫌がるつもりはないのだが、それはそれとして妹からは夜遊びしてると疑われそうで嫌だなあ。
ともあれ朝になったので挨拶がてら隠れ家に入ったところ、アリア様が全裸で歯磨きをしていたので出直すことにした。
念のために明記しておくが、ノックはしたし入室の許可ももらっている。
ともあれ時間をおいてもう一度入って良いかと声をかけたところ、入りなさいと命令されたので入ったらやっぱり裸だった。いや、正確にはパンツだけは穿いていた。
私は頭痛が痛くなったのでそっと扉を閉じ、別室で待機しているケイさんとロマンさんを引っ張ってきてもう一度ノックをした。
「だから入りなさいと言っているでしょう」
アリア様の不機嫌な声に恐れおののく二人はさて置いて、私は扉を開けて中は見ずにケイさんとロマンさんを放り込んで扉を閉めた。
「なにすんのよ」
そして扉を開けて出てきたケイさんにぶん殴られて、部屋の中に連れ込まれた。
中で紅茶を嗜むアリア様は、ちゃんと服を着ていた。
何でこの皇様は最初から服を着てくれないのだろう。
そして一部始終を見ていたネインさんは何の助け舟も出してくれなかった。
だって最初にアリア様の全裸を見た時にショックで倒れて、今も起きていないから。
まあこの人は変人なので放っておいていいだろう。
何かもう色々と嫌になったが、この後は朝食を作ってからいったん家に帰って、色々と聞きたそうにしている家族に最低限の弁明をしてからまたこの隠れ家に戻ってきた。
何故かって。
アリア様とケイさんと私の三人で、私の女装用の衣装とそれに合わせたアリア様の服を一緒に買いに行くからだ。
……ひどい一日だった。
徹夜明けの頭に響く、本当にひどい一日だった。
思い出したくもない。
ともあれこれですべての準備は整い、あとは共和国到着を待つばかりとなった。